第38話 土砂崩れです、旦那様

「その傷……俺が切ったのか?」


 蒼葉の手から滴る血を凝視し、行雲はぴくりと顔を引き攣らせる。


「いえ、違います。自滅しました! で、あの、この刀って妖を祓う力があったりしますか?」


 傷口から毒のようなものが広がって死んだらどうしよう、と蒼葉は思ったのだ。


「邪悪なものを切る力はあるが、祓うまでの力はない」

「良かったぁ」


 それなら問題ない。猟師に撃たれた時に比べたら軽傷だ。


 行雲は蒼葉の傷を気にしているようだったが、刀を受け取ると、人の姿を保った泥と対峙する。


(これがお義父様……)


 容姿は行雲より耕雨に似ているだろうか。しかし、目元は行雲とそっくりだ。


 泥が作り出した人形は顔の細やかな造りが分かるほど精巧だった。まるでそこに人が閉じ込められているように見える。


「下がっていろ」


 行雲が刀を構えたところ、泥の塊は危険を察知したのか再び触手を伸ばし始めた。


 一本から何本にも枝分かれすることで、触手は急速に増殖する。

 恐らく最後の力を振り絞った渾身の一撃を放つつもりなのだろう。


「……大丈夫ですか?」


 行雲は眉尻を下げて微笑んだ。


「もう大丈夫だ」


 そう言うと、行雲の表情はすっと固くなる。


 増殖を終えたらしい触手は弓を引くように一度ぐっと身を縮め、勢いよく全方位から行雲に襲いかかった。


(旦那様……!!)


 行雲は静かに刀を振るう。蒼葉には、ただ横にすっと刀を動かしただけに見えたが、触手はぴたりと動かなくなる。


 まるで時間が止まったかのようだ。


 しばらくしてから、切り落とされた触手がぼたぼた降ってくる。


(す、すごい!!)


 その隙に泥人形に近づいた行雲は小さな声で「ごめん」と呟き首を落とすと、核となっている泥山に刀を突き刺した。


 泥は崩れ、さらさらと灰になって飛んでいく。黒い水も同じように灰になって散り始め、花吹雪となる。


 さぁっ、とどこからか吹いてきた風が灰を巻き上げる。


 すると、宙を舞う塵の中に真っ白な龍が見えた。

 そしてその傍らには龍を宥めるようにして寄り添う男の姿がある。


 男は一瞬こちらを見て口を動かした。そして、頭を下げた龍とともに穏やかに笑って散っていく。


「消滅、しましたね……」

「……そうだな」


 体に付着した泥や黒染みも、いつの間にか跡形もなく消えている。


「旦那様、最後……見ましたか?」

「ああ」


 男が微笑んだ時の目元は本当に行雲とよく似ていた。


(お義父様が龍神様を連れて行ってくれたのかな)


 そんなことをしんみり考えていると、行雲がつかつか蒼葉のもとにやって来て、手巾で傷口を縛ってくれる。

 それだけでなく行雲は黙って蒼葉を抱きしめた。


 温かい。

 行雲が正体を知ってもまだ触れてくれるのだと思ったら泣きそうになる。

 

「旦那様……もうお分かりかと思いますが、私の正体は化け狸ですよ」


 今日で身代わり婚もおしまいだ。

 化け狸と結婚する人間――それも妖狩りがどこにいるというのだ。


「そんなこと、随分前から知っている」

「えっ」


 蒼葉は目を大きく見開き、数度瞬きを繰り返す。


「あれでよく騙せていると思ったな」

「な、なんと……」


 いつから気づいていたのか尋ねようとしたところ、パチ、パチと石のぶつかり合う小さな音が聞こえてきた。


 かつて山に住んでいた獣だから分かる。これはまずい。


「旦那様、土砂崩れが起きます! 早く逃げましょう!」


 惣田の忠告をすっかり忘れていた。

 山の上の方から迫り来る轟音に背を向け、二人は転がるようにして山を駆け下りた。


◇◆◇


 息も絶え絶え山を下り、集落まで走ったところで土砂は麓まで到達し、いとも簡単に扇家を押し流していった。

 どうにか難を逃れた蒼葉だったが、素直に喜ぶことができない。

 

「扇家が……」

 

 きっとあそこにはまだ人が残っていただろう。


 世界が滅亡してしまいそうなほどの轟音が過ぎ去った静寂の中、蒼葉は土砂崩れの跡を呆然と眺めていた。

 

「大丈夫、皆無事だよ」

 

 声の方を振り返ると茶髪の男がすぐ傍まで来ていた。そしてその奥にはこちらに向かって歩いてくる行雲の上官が見える。

 

「惣田さん!」

「蒼葉ちゃん、無事で良かった〜」

 

 惣田は勢いよく蒼葉を抱きしめた。

 どう反応すべきか困るよりも先に、行雲が彼の襟元を掴んで引きはがす。

 

「離れろ」

「おお、怖っ」

 

 惣田は少しおどけて言う。

 彼は鬼のように恐ろしい顔をした行雲に軽口を叩ける数少ない人だろう。

 

「あの、皆無事というのは?」

 

 惣田は先に山を下りた自分と、応援に駆け付けた妖討部隊の軍人で扇家の人々を避難させたのだと教えてくれる。

 姫花は強い妖気に晒されたことで酷く弱っているが、軍医によると命に別状はないらしい。

 

 それを聞いて蒼葉の全身から力が抜けた。

 緊張の糸が切れたのか、一人で立っていられずよろめいたところを行雲が支えてくれる。

 

「しかし、行雲。よくも勝手なことをしてくれたな」

 

 行雲の上官、土居大佐は現れたと同時に大きな溜め息をつく。惣田もそれに続いて項垂れた。

 

「作戦では酒蔵の中を確認するだけのはずだったんですけど。気づいたら行雲がお札を破り捨てていてオワッタと思いました」

「あれは既にほとんど破れていた。触ったらああなっただけだ」

 

 行雲は「妖は消滅しました。結果的に問題ないはずです」と淡々と述べるが、大佐と惣田は顔を見合わせた後、呆れたように首を傾け再び溜め息をつく。

 

「しばらく謹慎処分とする。お前は少し頭を冷やせ」

「……あの、旦那様をあまり怒らないであげてください。色々事情があったと思うんです」

 

 体が大きく、強そうな大佐に怯えつつも蒼葉は情状酌量の余地があると申し出る。

 山の妖は行雲にとって憎き仇だったのだ。妖狩りをしていたのも、もしかすると仇討あだうちのためだったのかもしれない。

 

 大佐と目が合い蒼葉は一瞬どきりとするが、彼は歯を見せて笑った。

 

「行雲は良い嫁さんをもらったな」

「いえっ、私は化け狸なのでお嫁さんというわけには!」

 

 慌てて否定する蒼葉に惣田が平然と「知っているよ」と言う。大佐も同じく「知っている」と口にする。

 

「あれっ!? 皆さんいつの間に!?」

 

 行雲もとっくに気づいていると言っていた。

 ということは、皆して必死に人間のふりをするお馬鹿な化け狸を見て楽しんでいたのだろうか。

 

「俺らはこれでも一応妖の専門家だからね」

「それはそうでした……」

 

 惣田は気配を読むのが得意だ。蒼葉の妖気などだだ漏れだっただろう。

 

「珍しいが、異種婚の事例はないわけではないぞ」

 

 大佐に視線を送られた惣田は悪戯っぽく笑い、とんでもない発言をした。

 

「うん。だって俺、妖と人の間に生まれた半妖だし」

「え? ええ!? 旦那様、知ってましたか?」

 

 蒼葉は目をまん丸にし、興奮気味に行雲に問う。

 驚いた様子もないので当然知っているのかと思いきや、行雲も初耳だったらしい。

 

「行雲はほんと、俺に無関心だよねー」

 

 惣田は拗ねた口調で言うが、行雲は本当に興味がないようで半分は何の妖なのか、両親はどうした経緯で結ばれたのか、蒼葉が気になることを何も聞いてはくれなかった。

 

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