§010 紡がれる軍師の絆

 グロリア嬢との兵棋演習から数日が経った昼下がり。

 私とウィズは士官学校の授業を終えて、公園の木陰でのんびりしていた。


 私は草っ原に寝転がり、ウィズは上品にもお嬢様座りで木に寄りかかる。


『いや~それにしてもこの前の兵棋演習の時はスカッとしたね~!』


 そう振りつつも、真面目なウィズのことだから、「スカッと」という感情はないものだと思っていた。

 でも、ウィズはほんのりと口元を緩めると、私に微笑みかける。


「ええ。ざまぁみろと思いました」


 その予想外の返答に私は目を丸くすると同時に笑い声を上げてしまった。


『あはは、ウィズが段々悪い子になってるよ~! その見た目でざまぁみろとか超ウケるんですけど!』


「一体、誰のせいだと思ってるんですか」


 少し拗ねたように口をすぼめるウィズだが、満更でもない様子だ。

 こうやって私に毒されてきたウィズも可愛いな~なんて思いながら彼女の横顔を見ていると、ウィズが何かを思い出したように、ハッと顔を上げた。


「そういえばクルミ様。あ、


「お、いいね、いいね。この前の兵棋演習を経て更に距離が縮まった感じだね。な~に、ウィズ」


 私はウィズが『クルミ呼び』をしてくれたのが嬉しくて、少しだけウィズとの距離を詰める。


「あの、私がアーデル様に婚約破棄を告げられた日のことですが、クルミがおっしゃった、『私を追放したら何千、何万もの人が死ぬ』とはどういう意味なのでしょうか? 今回のサマルトリア戦でアーデル様の作戦を用いたら、兵が死ぬという意味ですか?」


「ああ、あれは……」


 聡明なウィズであればいつかこの質問が来るとは思っていたが、はてさて、どう答えたものか。


 さすがにここがゲームの世界で、「バカ王子の作戦だと全軍が壊滅する」という未来を私が知っているとは言えないもんなー。


 今回のエディンビアラの相手国はサマルトリア王国。

 サマルトリア自体は正直大した国じゃないんだけど、実は今回の戦争はウォールナッツ帝国が糸を引いてるんだよな~。


 サマルトリア単体であれば、エディンビアラの軍事力を以てすれば、バカ王子の指揮でも負けることはないんだけど、ウォールナッツ帝国が絡むと勝率はもう0%なんだよね。


 私も出来ればエディンビアラ軍には勝ってほしいし、バカ王子とはいえウィズの元婚約者が死ぬのは避けたいとは思うんだけど、ウィズが国家軍師を罷免されてしまったがゆえに、今回の戦争にウィズが介入することは実質不可能になってしまった。


 となると、エディンビアラを勝利に導くには、私のを使うほかないんだけど……。


 ただ、その前に、私はどうしてもウィズに聞いておかなければならないことがあった。


『ウィズはさ……どんな軍師になりたいの?』


 私は少しだけ面持ちを真剣なものに変えると、ウィズに問いかける。

 しかし、ウィズは唐突な質問で、私の意図が理解できていないのだろう。

 軽く小首を傾げた。


「どんな軍師というと……どういう意味でしょうか?」


『ほら、以前私はウィズに世界最強の軍師にしてあげるって言ったじゃん。でもそれは私の一方的な押しつけであって、ウィズの意思は一切介在していない。だから、ウィズは本当はどんな軍師を目指しているんだろうって前々から思ってたんだ。だから、出来れば、ウィズの目指す軍師像を聞いておきたいなと思って』


「なるほど、確かにクルミにはその辺りの話をまだしていませんでしたね。私の目指すべき目標は今も昔も変わりません。私の目指すべきところは――『戦場で一滴の血も流さない軍師』になることです」


『……戦場で一滴の血も流さない軍師?』


「はい。本当は戦争なんて無ければいいのかもしれませんが、この世界は争いに満ちています。戦争が無くならないのであれば、戦わずして勝てばいい。戦わずして勝つには、敵の企みをあらかじめ破ることができればいい。それならば……と考えた結果が、今の私を形作っている『軍略を極めること』=『兵棋演習を極めること』だったのです。軍略を極めさえすれば、私の目標は達成できる。理想論と言われるかもしれませんが、私はそう考えていました。でも、今回のアーデル様とのやり取りで、私の思い描いているものはやはり理想論なのかもという気持ちも芽生えています……」


 ウィズはそこまで言うと、私の瞳を真っ直ぐに見つめる。


「……クルミ、教えてください。やはり私の考えは、戦場を知らない理想論なのでしょうか?」


 縋るような瞳。

 ウィズはずっと迷ってきた。

 バカ王子に言われるよりもずっと前から自分の目標が理想論である可能性を考えてきたのだろう。


 でも、それを認めてしまったら、自分の今まで積み重ねてきたものが、母君から受け継いだ気持ちが、全て無駄になってしまうと思って、自身の道が正しいと言い聞かせて歩みを進めてきた。


 そんな中で私という世界最強の軍師(嘘だけど)に出会った。

 そして、私ならその真なる答えを知っているだろうと、私に問うている。


 バカ王子じゃなく私でも、このウィズの目標が、いかに甘く、いかに戦場を知らない考えかがよくわかる。


 ウィズの考えを一刀両断するのは簡単だ。

 私が「それは理想論だよ」と、「そんな戦場に今まで出会ったことはない」と伝えれば、ウィズも諦めが付くのだから。


 だからこそ私は伝えなければならない。

 世界最強の軍師とはどのような者を指すのかを。


『戦場で一滴の血も流さないか……確かにそれは理想論かもしれないね。私は数多の戦争を経験してきた。その中で一滴の血も流さない戦場は無かったからね』


「……そうですよね」


 私の言葉を否定と受け取ったのだろう。

 ウィズは暗く視線を落としてしまった。


『……でもね、私の師匠(嘘だけど)の言葉にね、こういうのがあるんだ。――『百戦百勝は善の善なる者にあらず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』――』


「え」


『この言葉の意味はね、敵国を傷付けずに勝つことこそが最善の策であり、敵国を打ち破って勝つのは次善の策である。戦って勝ってもお互いに多くの兵を失うことになるし、両国に遺恨を残すことになるからね』


「…………」


『つまり私が何を言いたいかというと、ウィズは歴史に名を刻むような軍師と全く同じことを考えて、それを実現させようとしているんだよ』


「……私が……クルミのお師匠様と同じ……」


『私は残念ながらこれをなし得ることはできなかった。だから、ウィズの言ってることは今の今まで理想論だと思っていた。でもね、それほどまでに強い気持ちを持っているウィズと一緒なら……その理想論も現実に変えることができるような気がするんだ』


 私は立ち上がると、ウィズに歩み寄る。


『私は以前、ウィズのことを『世界最強の軍師にする』と言ったよね。でも、そこは訂正させてほしい。――世界最強の軍師になろうよ。私の経験と、ウィズの天才的な頭脳を活かして』


 ウィズはその言葉に目を見開く。


『私だけでは成し遂げられなかった。ウィズだけでも成し遂げられなかったかもしれない。でも、私とウィズが力を合わせたら、きっと成し遂げられる。ほら、二人で力を合わせたら絶体絶命の兵棋演習でも勝てたじゃん。だからね――二人で叶えよう? ウィズの夢を』


 そうして、私はウィズに手を差し伸べる。

 するとウィズの瞳からは一筋の涙が零れた。

 そして、朗らかに微笑むと、くしゃっとした表情を湛えながら、私の手を取る。


「約束します。世界最強の軍師になると。私の命はクルミと共に……」


『もうウィズは相変わらず重いな~! 二人でって言ってるでしょ! それなら私の命はウィズに預けるよ!』


 そうして私達は笑い合う。


 この時は私も無我夢中で気付いてなかったけど、今思い返すと、ウィズは私の手を確かに握ってくれたと思う。


 だって、今でも思い出せるもん。ウィズの手の温かさを。


 今はもう触れることはできないし、もしかしたら私の勘違いかもしれないけど、もしこれが事実だったとしたら、それは……神様がくれた一片の奇跡だったのだと思う。




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