第7話


 二分くらいが経過した頃。


「倉石くん・・・・・・」

 美琴がくしゃくしゃな声で雅人を呼ぶ。


 嫌な予感。


 恐る恐る美琴の方へ振り向くと、案の定泣いていた。

 眉間にしわを寄せ、とても辛そうな顔をしている。


「・・・・・・あらま」

 思わず雅人は口を半開きにして驚いた顔をした。


 想定外の事態。

 雅人は美琴の綺麗な泣き顔を想像していた。


「うー。涙が止まらないよー」

 歯を食いしばり、必死に涙を堪える。

 そんな表情もどこか優しい笑みがあった。


「僕が切れば良かったね」

 始めからそうすれば。美琴の前で雅人はゆっくりと落ち着いた声で言った。

 少なくとも、僕がやっていれば彼女が辛そうな顔をすることは無かっただろうに。


「でも・・・・・・それは駄目」

 目を強く瞑り、否定する様に首を左右に振るう。


「駄目?」

 どうして駄目なのか――。

 その方が辛い思いをせずに済むのに。


「こういう時にしか、私が経験する機会は無いもん・・・・・・」

 鼻水を啜りながらも、美琴は堪える様に下唇を噛んだ。


 経験する機会。

 不思議とその言葉は雅人の心の中に染み込んでいく。


「んー、それならお願い」

 無論、その向上心を無下には出来なかった。


「うん。頑張るよ」

 美琴はぎこちない手つきで玉ねぎをみじん切りにしていく。


「――なあ、雅人」

 すると、涙ぐむ美琴の前で人参の皮むきをしていた悠馬が声を掛ける。

 その様子だと、皮むきが終わった様で包丁を持っていた。


「ん?」

「人参って硬いな」

 二等分にしようとしているのか、包丁は人参の中心で止まっている。


 まあ、そこから力を入れないと、上手くは切れないよね――。

 雅人はそう思いながらも心配そうな眼差しで悠馬を見つめていた。


「そりゃね」

「頑張って切るわ」

 そう言ってから二等分すると、悠馬は人参を細かく刻んでいく。

 どうしてか、人参を細かく刻む手つきだけは手慣れている様に見えた。


「・・・・・・」


 呆然と――。

 野菜を切る二人を雅人は見つめていた。


 僕がやればすぐ終わる話だろう。

 しかし、彼らにとっては初めての体験。


 新しい何かを体験したい。

 だから、彼らは積極的に取り組む姿勢なのだ。


 かつての僕にあった感情。

 大人から教わる様々なこと。

 

 あの頃の僕には、その世界が新鮮で楽しいものだった。

 雅人はかつての感情を思い出す。


 いつからかだろう。

 向上心の様な何かを体験したい、得たいと言う姿勢は無くなってしまった。

 ある程度のことは、広く浅く知っていたから特に驚きも無くなってしまう。


 この感情が無くなってしまったから、僕は何者でも無くなってしまったのか。

 ふと出たあの頃の答え。


 どちらにしても、今の僕にはその感情が無かった。


 夢中になれる何か。

 いずれ見つかることを雅人は祈った。


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