第二章

第6話

 カルラ・ウォーカーは広大な領土を持つシューデルハスト王国の田舎で生まれ育った。ウォーカー家は身分としては辺境伯であるが、その領地に目立つ特産物もなければ、重要な資源もない、ただ広い土地だけを任されている。そのこともあり、他の貴族から影から笑われることも多々あった。それでもカルラは自分が生まれ育ったこの家を誇りに思い、この土地が大好きだった。

 あるのは農村や小さな町ばかりで、行き来をするのは楽ではなかったが、それでも温かい心を持つ人で溢れていた。お互いに助け合うことを忘れず、困っている人がいればみんなで支えた。人を蹴落とすことしか考えない首都の貴族達に比べれば、ここの人たちは本当に優しい人ばかりだった。

 ウォーカー家の家督を継ぐのは長男であるルイスの役割だったから、カルラは大人になったらルイスを支える立場に立って、一緒にこの地を守りたいと幼いながらに考えていた。

 しかしどれだけカルラが望んだところで、女性という性別の壁を越えることはできないのだと、大人になるにつれてその事実を突きつけられた。多様性が認められるようになりつつあるこの国ではあったが、それでも女性の立場は依然低いままだ。今のこの国では女性であるカルラが要職につくことは針に糸を通すように難しいことだった。

 だけどカルラは負けず嫌いな性分だった。最初こそ、周りの風潮に抗おうと勉学や礼儀作法、武芸などできることはなんでも取り組み、いつか周りに認めてもらうのだと意気込んでいた。だが、どれだけたっても父は難しい顔をするばかりでカルラを誉めることはなく、母には遠回しに意味のないことだと言われ、最後はもういい年頃なんだからとお見合いの釣書を見せられる始末だった。そこまでしてようやくカルラは現実を受け止めることができた。

 カルラには父や兄と同じ立場に立ってできることは何一つないのだということを。求められているのは母のように家庭を支える、所謂女性らしさなんだと。

 その現実を突きつけられ、カルラは次第にいろんなことから手を引いていった。

 いつしか剣を握ることをやめた。

 いつしかペンを握ることをやめた。

 いつしか姿勢を正すことをやめた。

 いつしかカルラ・ウォーカーに期待することをやめた。

 そうしてカルラは大人なった。


***


 ガタガタと舗装されていない道を二台の馬車が進む。前を走る馬車にはヨハンの従者であるシェイドとヨハンの親族の人、そしてカルラの付き人としてついてきた案が乗っていた。その後ろを走る馬車にはヨハンと仏頂面をしたカルラが乗っていた。

 ヨハンは相変わらずニコニコと澄ました笑顔でカルラを見ていた。カルラは気まずさと成り行きでもヨハンと二人きりになってしまったことへの嫌悪感を胸に、絶対にヨハンと目を合わせるものかと思い窓の外をずっと見ていた。

 馬車に乗る時、カルラはヨハンと同じ馬車に乗ることを丁寧にお断りしたが、敬語の関係でそれはできないと同じくらい丁寧にヨハンに断られらた。それならせめてアンと一緒にしてほしいと頼めば、従者同士で話すことがあると何故かシェイドに断られたり。アンもどちらの命令に従えばいいのかその場でオロオロとしていた。

 そわなことがあり、カルラはもともと楽しみも何も感じていなかった首都への旅路がさらに嫌なものになっていた。

 ウォーカー領はシューデルハスト王国の中でも南東の辺境の地にあり、首都まではどれだけ急いでも最低で四日はかかる。道中、めぼしい観光地があるわけでもなく、広がるのは広大な田畑か何もない平原だけだった。

 のどかで落ち着くと言われればそうだが、それは同乗者が気心知れた仲に限る話だ。目の敵にしていると言ってもいい男と四日以上も気まずい時間を過ごすことを考えれば、気分も下がることは無理もないと思いたかった。

「カルラ嬢」

 出発してから数時間しか経っていないが、ヨハンは時折カルラに話しかけてきた。カルラはヨハンと話す気はなく、なるべく距離を置いておきたいためまともには返事を返すことはなかった。

「カルラ嬢は普段何を過ごしていらっしゃるのですか?」

「……」

 ヨハンの質問は全て聞こえていないふりをして無視をした。いつまでも無視できるとは思っていなかったが、もはや意地に近い。あくまで妹の婚約者と必要以上に馴れ合うつもりはないのだ。

 しかしヨハンもなかなか強かで、カルラに無視されても気にしていないのかずっと笑顔を絶やさなかった。その笑顔がまた胡散臭く見えることもカルラがヨハンを避ける理由の一つでもあった。

「カルラ嬢はリーン令嬢のことを本当に大切に思っているのですね」

 ヨハンはカルラと同じように窓の外を見つめながら小さな声で話しかけてきた。ガタガタと音を立てる馬車の音に掻き消されそうだったが、その言葉ちゃんとカルラの耳に届いた。カルラはその言葉に米神をひくりと動かした。

「貴方は……本当に、リーンのことをなんとも想っていないのですか?」

 この時、カルラは馬車に乗ってから初めてヨハンの顔をしっかりと見た。窓の外を見ていたヨハンはようやくカルラがヨハンの方を向いたことに気づき、視線を外からカルラへと向けた。

「可愛らしい方だとは思ってます。それに、とても家族のことを考えていらっしゃる方です」

 ヨハンの言う通り、リーンが本当に家族のことをよく考えていたのなら、今頃この馬車に乗っていたのは彼女だっただろう。今更言ってもどうにもならない恨み言がまた口をついて出てきそうだった。

「貴方は、リーンとの結婚を望んでいたのではないですか?」

「あの時にも言いましたが、あくまで結婚がメインであり、相手は誰でもよかったんです。それにこの結婚は私にとっては意味はなく、あくまで手段の一つだと認識しています」

「私達の家と婚姻関係を結ぶためのってことですか?」

「……」

 先の話し合いの会話を思い出しながらカルラは口にする。ヨハンは意味深に微笑むだけで何も言わなかった。その態度が気に食わなくて、カルラはヨハンから窓の外へと視線を向ける。相変わらず外の景色は何もない平原が広がっていた。変わり映えのないのどかな景色を見ていると、荒みそうだった心も少しは落ち着く。

 ヨハンの言葉に水のように掴みどころがなく、また本心を曝け出している様子も見られない。その様子がカルラの不快感をさらに煽るのだが、本人は気づいていないようだった。

 リーンは一体何故、この男との婚約を進めたのか。あんなに思い詰めた様子で、他に想っている人がいると言いながら、どうして……。

「今は、きっと何を言ってもわかってもらえないと思ってます」

 ヨハンが静かに切り出す。カルラは横目でヨハンを見る。ヨハンは膝の上に置いた手をじっと見ていた。

「ですが、この先分かる時が来ると思います。その時が来るまででも構いませんので、一緒に居てくれませんか?」

「分かるって……貴方方がこの婚姻に固執している理由ですか?それともこの結婚を手段と言った目的ですか?」

「そのいずれもです」

「……どちらにしたって私はリーンが見つかるまでの代替え品のようなものでしょう。どんな理由がそこにあっても、この先の未来で貴方のそばにいるのはリーンです。私ではありませんから」

 ヨハンの言葉をピシャリと跳ね除ける。つい口車に乗せられてこの男と一緒にいる未来を想像しかけたが、そこはリーンがいるべき場所だと思い直す。

 それからカルラはもう何も話すつもりはないという意思表示をするかのように目を閉じて寝たふりをする。カルラは気まずい空気を感じながら馬車に揺れに身を任せた。

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