第4話

 案内をしてきたのヨダとは違う使用人だった。ヨダは今頃ミアに言いつけられたお茶の準備をしているのだろう。

 ヨハン達が来たことでルイスとカルラは座る場所をミアの隣へと移動させた。三人がけのソファであったからちゃんと座ることはできたが、やはり三人も並ぶと手狭だった。

 レオナルドは部屋に入ってきたヨハン達を笑顔で迎えた。

 ヨハン・ジェームズ。リーンの花婿になるはずの男の名前だ。カルラは初めて妹の花婿のことを間近で見た。背丈はルイスよりも高く、レオナルドよりやや低い。体格はすらっとしており、以前遠目で見たような厳つさやお堅そうな雰囲気は見られない。どちらかと言えば気の良い青年といった風貌だが、カルラからすればヨハンの人の良さそうな笑顔は逆に胡散臭く映った。

 カルラがじっとヨハンを観察していると視線に気がついたヨハンがカルラの方に顔を向けた。目が合うとは思っていなかったため、一瞬ドキッとしたがヨハンの方からすぐに視線を外された。

「朝早くからお邪魔してしまいすみません」

 ヨハンはレオナルドに手を差し伸べた。レオナルドはその手を取りながら「とんでもない」と返していた。従者はヨハンの後ろからレオナルドに向けて軽く会釈をしていた。従者はヨハンと同じくらいの背丈で、漆黒も言える髪を一つに縛っていた。ヨハンに対して無表情で愛想がなさそうだった。こんな従者もいるのだなと、カルラは心の中で感心した。

「立ち話もなんだから、どうぞお座りください」

 レオナルドの言葉に甘えるようにヨハンと従者はカルラ達の対面に腰をかけた。レオナルドの座る場所がなかったが、本人はそれどころじゃない様子だった。おそらく今から告げる内容を頭の中で必死に整理していることだろう。

「レオナルドさんは?お座りにならないのですか?」

 ヨハンは首を傾げたが、レオナルドは「私は遠慮します」といいながら手を振って座らないことを示す。ヨハンは特に深追いすることはなく納得した様子を見せていた。

「ヨハン殿……その、非常に申し上げにくいことなのですが……」

 レオナルドは先手必勝と言わんばかりに早々に決着をつけることにしたようだ。ヨハンは瞬きをしながらまた首を少しだけ横に傾けた。

「どうされたのですか?心なしか顔色も悪そうですが」

「あ、あぁ、いえ。体調の方に問題はないので気にしないでいただければ」

「そうですか……?それでは要件とはなんでしょうか?言い難いことでしたら私の要件からお話ししましょうか?」

「いや、私から話そう」

 ヨハンの気遣いを丁寧に断り、気持ちを切り替えるようにわざとらしく咳をする。レオナルドは一瞬視線を彷徨わせた後、がばりとほぼ直角に腰を折り曲げ頭を下げる。突然のことにヨハン達だけでなくカルラ達も目を見張った。

「私の娘であるリーンが、昨晩のうちに姿を消してしまった。話を聞くとリーンはこの縁談を望んでいないとのことで……大変申し上げ難いが、この縁談を取りやめていただくことは可能だろうか」

 常にない声量で頭を下げたレオナルドが事情を説明する。突然の破談の申し出にヨハンも困惑気味であった。

 説明も何もあったもんじゃない、レオナルドのあまりに直球な申し出にルイスは卒倒しかけ、カルラは思わず天を仰ぎ現実から目を背けたくなった。レオナルドは普段から真面目で仕事も淡々とこなせるが、残念なことにイレギュラーなことに弱いタイプであった。本来ならもっと良い切り出し方があっただろうに、内心パニックに陥っていたレオナルドには真正面からストレートに会話の球を投げることしかできなかったようだ。

「レオナルドさん、どうか顔をあげてください。お言葉を返すようで申し訳ないのですが、この婚約を破棄することは私一人では決めかねます。もちろん、レオナルドさんも十分ご理解していることだとは思いますが……」

 それでもヨハンは困った顔をしながらも優しく対応してくれた。残念ながらレオナルドの要求はやんわりと断られていたが、それでもカルラが当初予想していたみたいに激昂されなかっただけ良かったものだろう。

 レオナルドはヨハンに促されても頭を上げることはなく、さらに言葉を続けた。

「では、無礼を承知で提案させていただくが、リーンの代わりにこのカルラを嫁にいかがでしょうか?」

「父さん!」

「父上!それは反対だといったではないですか!」

 父の言葉にカルラは非難するような目線を送った。ルイスはその場に立ち上がり強く握った拳を震わせている。

 ヨハンは立ち上がったルイスと頭を下げ続けるレオナルドを交互に見た。そして最後にカルラの方を見た。その時初めて、ヨハンの目がルビーのような透明感のある瞳をしていることに気づいた。人の血液のようなおどろおどろしい感じではなく、例えるなら夕焼けのような暖かさがそこにはあった。

 ヨハンは暫くカルラをじっと見つめた後、何かを決めたように小さく頷いた。

「いいでしょう。リーン令嬢がなぜ姿を消してしまったのか、今はそれについて言及するのをやめましょう。問題は私たちの結婚に現状花嫁がいないことでよろしいでしょうか?それに対して結婚破棄以外の提案がもう一人の御息女であるカルラ令嬢を私の花嫁にする……間違いありませんね?」

「……あぁ」

 ようやく顔を上げたレオナルドが、ヨハンの目をしっかりと見ながら短く返事をする。

「待ってください!本人が目の前にいるのに無視して勝手なこと言わないでください!」

 カルラの意思を無視して進められそうになる話し合いに待ったをかける。カルラは誰かの妻になるつもりは毛頭ないのだ。たとえ両家間の約束を反故する結果になったとしても、カルラに立って嫌なものは嫌だと言う権利があるはずだ。そう信じてレオナルドとヨハンの両方を訴えかけるように見る。しかしレオナルドとは一切目線が交わることはなかった。レオナルドも心の中ではこの荒唐無稽とも言える案をカルラの同意なしに推し進めることに罪悪感を抱いているのだろう。負い目が彼の中にあるからこそ、カルラと目を合わせようとしないのだ。

「結局」

 初めて聞く、この場の誰よりも低い声が鼓膜を振るわせる。その声がヨハンの隣いる従者のものであることに気づくまでに数秒かかった。髪色と同じく、ブラックホールのような、深淵を覗いているかのような真っ黒い瞳を隠すように伏せながらその男が発言をする。

「結婚できるかどうかが問題であって、誰が結婚するかは大した問題じゃない。こちら側は婚姻関係さえ結んでくれるのなら、そこの男でも構わないんだ」

 伏せていた瞳を持ち上げて、レオナルド、カルラ、ミア、そして最後にルイスを見据える。突然話題に上げられたルイスはその内容に引き攣った笑みを見せる。そしてカルラの方を見て、「あの男は何をいってるんだ?」と目線だけで助けを求められた。

「ははは、流石に男と結婚する趣味はないかなぁ」

 ヨハンは従者の突然の発言に気まずそうに笑ってみせた。そして誤魔化すように首の後ろを撫でた。

「それは俺だってわかってる。ただのモノの例えだろう。……だが、俺は間違ったことは言ってない。そうだろう?」

「うーん……そうだね。確かに君の言う通りだ」

 とても従者の言葉遣いとは思えない態度ではあったが、ヨハンは気にせず会話を続けていた。

「レオナルドさん」

 ヨハンは呆然と立っているレオナルドに合わせて立って向き直る。名前を呼ばれたレオナルドは意識を取り戻すように数回瞬きをした。

「シェイド……私の従者が言ったように、私達はウォーカー家との婚姻関係を結ぶことを第一に考えてここまでやってきました。なので、レオナルドさんの二つ目の提案を、私たちは受け入れようと思い。それでつづがなく結婚式を挙げられるのなら」

 ヨハンは笑顔でレオナルドに手を差し伸べた。慈悲深気天使のような笑みを浮かべるヨハン。そこまでいくと逆に怪しく見えるもので、レオナルドも自ら言い出したことなのに、この手をとっても良いのかと数秒の間逡巡する。しかし、背に腹は変えられない状況であることもたしかであったため、レオナルドは難しい顔をしながらもその手をしっかりと握り返した。

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