ヒュミドールの香り

しおじり ゆうすけ

ヒュミドールの香り

    物語の全てはフィクションであります。 しおじりゆうすけ

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一九七一年 八月十三日 午前  


   岡山県 南西部 上空


 雲一つない晴れた日、一機の二人乗りヘリコプター岡山平野の上空を、西を目指して飛んでいる。大きな音を立てて回転している巨大ローターの下に、プレキシグラスで覆われたほぼ球形のバブルキャノピー型と呼ばれる操縦室が特徴な米国製ヘリ、ベル47型である。機体底部と乗降口ドアには“ミヤコ映画”の社名と菊の花をあしらった社章が大きく描かれてあり空中撮影用の社用ヘリであることがわかる。 

助手席側ドアの外、すぐ下には撮影キャメラ用の台座が付けられているが、当時は急激な映画産業の斜陽時期であり、ここ二年ほどはヘリを使うほどの大作映画は制作されてはいない。 

眼下には半年後に国鉄岡山駅の開業、四年後には博多まで全線開通予定の山陽新幹線用の高架が空からは一本の紐のように西へ西へと延びているのが見えている。

玉島駅から新倉敷駅と改名されつつある改装中の駅上空を通り過ぎ、金光教の巨大社殿を目標にしながら高度を少し落としつつ、しばらく飛行しているとなだらかな丘陵地の向こうから上空にかけて細い赤い糸のように観える赤い煙がすこし間隔を空けて二本昇っているのが見えてきた、「そこだ、」と助手席に座っている男が下を指さして操縦士に空き地に降りることを肩を叩いて伝える、と操縦士がうなずき、スピードを落として着陸態勢に入り無事に着陸した。

ローターがゆっくり廻ったま助手席ドアを開け降りてきた五十代の小柄な男、、ミヤコ映画社の新社長に一年前になったばかりの古田秀樹である。

山陽新幹線の建設工事作業員が常駐していたプレハブ住宅の残滓が見えている広大な空き地、煙がくすぶっている発煙筒の近くから一人の男が手に荷物を持ってヘリに近づいてきた。フィルム缶の入った白い布袋を助手席に置いて大きな声で操縦士に伝える、

「ニュース用フィルムです、現像係に渡してください。」 

古田社長も同じく大声で伝える、

「早ければ明日にでも京都撮影所に電話で連絡するから待機しておいてくれ!」

うなずく操縦士、助手席の安全ベルトでフィルムの入った袋をベしっかり留め、再びローターが勢いよく廻りだし離陸していくのを見送る二人。 

「そこの山道を登ります。」

獣道(けものみち)に近い、人ひとり登れる細い山道を、迎えに来た男が指さす。「秋山君、金庫のほう、頼んだ人たちは来とるのか?」

「そろそろ到着する予定です。」

「そうか。」

離陸したヘリが二人の上空を飛び、あっという間に見えなくなった。細い山道を登っていく二人。雑草をかき分け、風雨で朽ちた土塁が断片的に続く山道をゆっくり登って歩いて行くと、二人の顔に今、上空から照りつけている太陽の陽射しの逆方向から輝きが見えた。遠くに見える標高四百メートルの竹林山山頂に建設されたアジア最大の反射望遠鏡を擁した、巨大天文台ドーム外壁の反射光である。

「ぁあ、あれが東洋一の天文台か。新聞に載っていたのを空想科学映画のロケに使えそうだなと思って憶えとるが、よく大きな建物をあそこに建築できたものだな。」「ええ、先に建築物資を運ぶための舗装道路を頂上まで敷きながらの建設だったそうです。」

「どうしてあんな場所なのかね?」

「星の観察は夜の都会の街灯りが邪魔なのです。そして田舎ほど空気が澄んでおります。」

「そういえば田舎に行って空気がうまいと感じることは、昔は無かった、それだけ公害で都会の空気がひどくなった証拠だな、映画会社はテレビの様に企業スポンサーを気にせずに作品を作れる、公害問題の映画もいくつか作れそうだ」

「そうですな、新発想ですな。」 

新社長は少年時代から映画の撮影所で働き、どっぷりと映画の世界に浸っていて寝ても覚めても映画の事しか考えていない。数分後、竹林が切り開かれた広い土地の一端にたどり着いた。二人が目指していた青い三角屋根が見えている瀟洒な二階建て山荘である。

「あれか?」

「そうです。足もとの石に気を付けてください。その崩れた石は南北朝の砦の石垣跡だそうです。」

山荘の周囲、塀は無いが孟宗竹の竹林と少しの石垣に覆われている。建物裏手から眼下には辺り一面の田畑と数件の農家が見え、眺めが良い場所である。表札は付いていない玄関、その前に立ち、二人がやってくるのに気づき、暗い顔で見つめている三十歳代の美人の女性、、とすこし離れた同年齢くらいの、長髪の作業服男が、草刈り鎌を片手に持って立ち、じっと見ている。女、小さな声で古田社長に挨拶する。「、、いらっしゃいませ。」

女を見つめ、うなずく古田社長。作業服の男、山荘の周り、他に誰も居ないか見廻し、遠くから聴こえるサイレンの音を気にしながら、山荘の裏手へ歩いて消えた。


   山荘の中 


 玄関からすぐの大広間、火のついてない暖炉の前、食事用の小さなテーブル、と椅子、その横の古風な長椅子にこっちを向いて座っているメガネをかけた二十代前半の青年に古田社長が話しかける、

「新谷君、このたびは賛同してくれてありがとう。急な話で申し訳ないと思っている。」

立って軽く会釈する新谷洋平。この山荘の主人の息子である。

「いいえ。」

「三日前に会って今更言うのもなんだが、いやあ、大きくなったなあ、私と昔会ったことは憶えてないだろう、まだヨチヨチ歩きだった時に撮影所のセットの中で遊んでいてお父さんに怒られていたよ。」

「は、そうでしたか。」

照れ顔で笑う新谷洋平である。

古田社長、近くで佇む女に訊ねる。

「ここは、、テレビは無いのか?」長い髪を後ろで束ねている丸顔の美人の女、花田真砂子と言うミヤコ映画会社の女優である。

「ええ、あの人はテレビ嫌いでしたので。あるのはラジオと双眼鏡とレコードプレイヤーです。」

と言った途端、製氷機付きの冷蔵庫の氷が出来て落ちる音がする。それに気づいた古田が花田真砂子に命令口調で言う、

「氷水を一杯くれ、京都からこのかた何も飲んでない。」

テーブルの上、双眼鏡が大小四つ置いてある横のブックスタンドに立て掛けた地元新聞の一面に書いてある記事に目をやる古田社長が花田に言う

「まあ、いい、ここからならナマで見られる、ええと名前はコウモリ山荘だったか?。」

「大阪の企業の温泉保養施設だそうですわ。」

と氷水の入ったコップを手渡す花田真砂子。

「過激派がこっちに押し入られなくてよかったな。」

「え?ええ。そ、ここでなくて、よかったです。」

想像していなかったことを古田社長に言われ、顎をキュっと後ろに引く花田真砂子。「そうか、この付近は中世の戦場か、それが今に続くとはな、ここで騒ぎを起こしとる者たちは、そんなことなぞ露も知らんだろうな。」 

部屋の中を通り、開いていた裏のドアから庭に出る古田社長。田畑と農家が広がった先の方向を眺める、、この山荘から西南西に三キロほど向かった山の崖に作られたその建築物、こちらの山荘より五、六倍は大きな、三階建ての茶色の屋根と黒い壁で出来たコウモリ山荘が建っている。

しかしそのふもとに見えるのは異常な音と光景だ、まるでべ要塞を攻撃している戦場の様に見えている。上空に見える警察と報道取材ヘリコプターの音と共に、数十人の軌道隊が金属の盾やパトカー、装甲車の後ろに待機しつつ取り囲み、そこからはその山荘の各階の窓をめがけて機動隊が個々に放つ催涙ガス弾の飛翔航跡、一煙、二煙、三煙、が綺麗な放物線を描きだす、、遅れて破裂音が一発二発、三発聴こえ、そして数秒後、遥照山に響く木霊の音になり、こちらの小さな山荘に伝わってくる。双眼鏡でコウモリ山荘とその周りを見つめながら、山荘に案内した男に話しかける古田社長。

「もう四日目か?」

「機動隊が完全に周囲を包囲してからは三日目で。」

「あいつら、食い物はどうしとるのだろうなあ。」

「そうですなあ、もう名前も昨日の新聞に載っておりました、親御さんも心配しとるでしょう、岡山県北のアジトから警官に追われて山を彷徨ったあげくのあそこに逃げ込んだ模様です、これから警察が家族の者に説得を頼むことになるとか。」

「親の説得で降参して出てくるようじゃああそこまでの過激派にゃならんよ。」

外から判断できないように全体に大きな黒い袋を掛けて庭先に設置された三脚付きの望遠レンズ付きカメラを触り出した四十代前半の男は、ミヤコ映画の映画監督、兼、脚本部部長、秋山誠二である。撮影キャメラの広角レンズを望遠レンズに交換し、コウモリ山荘下の崖下へレンズの先をゆっくりと向けるとパトカー、機動隊車、小型装甲車、その車両を弾除けにしながら様子を覗っている濃い灰色に塗られたヘルメットを被っている大勢の機動隊員の姿を撮影している。 

そしてかなり後方にTV局中継車、新聞社の社名の旗を付けたマイクロバス数台も見えている。 階段下の据え付けラジオのスイッチをひねる新谷、すこし雑音に混ざって国営ラジオ放送のニュースが聴こえる。

「~××△、、四日目に入りました岡山県浅口郡鴨高町本条にあります××社所有のコウモリ山荘での過激派数人の立てこもり事件、人質になった山荘管理人夫婦二人の安否が気遣われております、、管理人は一般人であります、、犯人から政府への要求は刑務所に収監されている仲間の釈放を求めている模様です、、まだ警察からは詳しいことは発表されておりません、、犯人は小銃、拳銃で武装しております、繰り返し伝えます、四日目に入りました岡山県浅口郡、、」

古田社長が双眼鏡でコウモリ山荘の入り口付近に見える一台の警察の車両を指さし眺めている。

「おお、あそこにパトカーが一台ほったらかしだ。タイヤ撃たれたか?」

「ええ、最初に様子を観にやってきたパトカーです。」

「警察官はやられたか?」

「わかりません」

「今動いてやってくる装甲車のタイヤは大きいから狙い撃たれるのじゃないのか、ライフル銃だと射程距離だろう?」

「装甲車のタイヤはすべてが硬質ゴムですから銃弾撃たれてもパンクせんのです。」「ああ、そうか秋山君は、元陸軍だったな。」

「ええ。」

裏庭に先ほど居た作業服の男が入ってきて、秋山に話をする。玄関に来客、との知らせだ。

「来たか」「ええ。」「時間通りだな」「そうですね」

女も返事をする。作業服の男は、山荘の管理、兼、庭師、山崎明である。キャメラを停めて人を迎えに玄関に行く秋山。玄関のドアを開けた新谷、二人の作業服姿の男が立っている。胸には、鍵の形の会社マーク、社名、名前が刺繍されている。二人が会釈して名刺を差し出す。ベテランらしい顔の中年の男の名刺には“枚方ロック工業(株) 技術部 開錠課課長、社専属 錠前師 羽原和彦”と、もう一人若い男の名刺には“社員 菊池克也”。中に入ってきた二人を丁寧な挨拶で迎える花田真砂子。

「お待ちしており、あら、お二人ですか?」

「ええ、社内の私の弟子、いや部下です。あの、こちらに住所を置いてある人でしたら、どなたでもよろしいですので、身分証明書を見せていだだけますか?」 自分の日本国パスポートを開いて渡す新谷、社から持ってきた依頼書の内容と見比べる錠前師羽原、「このパスポートは、ここの住所とは違いますな?」「では、こちらの書類を、、。」

新谷が父の死亡診断書を持ってくる。押されている印鑑、警察と病院の証明書と、新谷洋平の親子関係を確認する錠前師羽原。

「はい、確認しました。じゃあ写真を撮らせていただきます。」

菊池が持ってきた、発売されたばかりのポラロイドカメラ、スウィンガー20モデルでパスポートや証明書をテーブルに置き、撮って記録している。道具箱を床に置き観音開きの蓋をあけながら羽原が言う

「警察の検問は大丈夫でしたか?」

「ええ、社の車で来ましたので。車は電話で言われた通り、下の農家に預かってもらいましたので。では金庫のほうを。」

「はい。こちらの部屋の中を通ります。」

錠前師二人を案内する新谷。 その後ろ姿を観ながら秋山が古田に小声でしゃべる、

「関西では一番、腕の良い錠前師だとかで。」

「高かったか?」「いえ、会社の正社員なので、それほどでもありませんでした、そして、」「そして?」

「交通費以外の請求金額は開錠が成功した分だけで良いとのことです。」

「開かなければどうなる?」

「今まで開けられなかった金庫は無かったそうです、、」「、、そうか、、」

隣の部屋のドアを開ける新谷。

「この部屋に入るのは五年ぶりです。」新谷も久しぶりに嗅ぐ部屋の匂いに子供の頃の郷愁を感じている。 後に続く錠前師たちは上着を脱いで入ってきた、その目の前には古めかしい洋式テーブルと机の上に卓上電灯が二つ、奥に別のドアがひとつ。入った瞬間は普通の部屋に見えたがそのドアの後ろ右横に面した広い壁には古風な銃が所せまし、と飾られてある。 

「お!」驚いて小さな声を出して顎を引く羽原、

「こ、、こりゃあ、物騒な趣味をお持ちの方で、、」

最上段から、日本の火縄銃四丁、ヨーロッパ中世のマスケット銃、パーカッション式回転式拳銃、回転式ペッパーボックス拳銃、リンカーン暗殺の犯人が使用して有名になった二連発のデリンジャーが三丁、第一次世界大戦の発端になったサラエボ事件で使用されたFNブローニング1910拳銃、、その他、ヨーロッパの小銃、その他騎兵銃、折り畳み銃床付きの軽機関銃など、全部で一丁ごとに小さな名札を付けて、二十数丁はある。

その中に壁の手前、小さいが頑丈そうな机に置かれた一丁だけが小さなガラス箱に入れて表面に凝った彫金を施されている、フランス製、“ル、フォーショ“ダブルアクション式リボルバー拳銃である。

床には米軍の払い下げであろう大小の無線機が三つ、据え置き型無線機、背負い型無線機、大型だがハンディトランシーバーも置いてある。この家に入って初めて入った部屋を見た古田と秋山も、生前は良く知ってはいた人物であるが一般人の銃器蒐集に怪訝な顔を見せる。

古田はその拳銃だけに注目し胸から小さな老眼鏡を取り出し、顔を近づけて覗き込んでいる。皆から質問される前に新谷が説明する。

「幕末から明治初期に輸入されていた元込め式の銃は戦後になって骨董に認められ、所持許可証されました。こちら側半分の近代の小火器と拳銃は、銃身はふさがれ機構も無可動に改造されてコレクター所持を認められています。そこのガラス箱の中のフランス製回転式拳銃は、新撰組の土方歳三が最後に所持していた拳銃と同じ型のものだそうです。あとは殆どが模造銃です。」

古田「うん、、よし、土方歳三が出てくる歴史物をうちで作る時には貸してもらおう。」今まで自分の見た時代劇映画の範囲だけでしか日本史を知らない古田ではあるが映画に出来ることならなんにでも興味が出てくるのだ。

菊池が同じ歳くらいの新谷に訊く、

「動かないのなら、眺めるだけですか?」

「ええ、そうです、本物と同じ重量の銃を持ってみて、その気持ちを銃撃シーンがある脚本に生かしたいと、持って構えたりしていました。俳優さんに貸し出して持ってもらう事もやったそうですよ。」

羽原が一般の小銃より短めの、騎兵銃を指さす、

「この銃のボルトの形、写真で見た私の兄が中国戦線で持っていた短めの小銃と似通っている。」

間髪を入れずに答える新谷。

「シュミット=ルビン、というスイス軍の騎兵銃です。永世中立国で国民一人一人に一丁ずつ配備され、大量に製造されても一度も実戦で使用されなかった事で有名で、ボルトの形式が一般の小銃と変わっています。」

古田社長も会話に加わる、

「よくそれだけ記憶しとるなぁ。」

「私が子供の頃、銃の歴史は父に聴かされました。父が戦国時代の映画の脚本を書くために火縄銃を一丁、骨董屋で買ってから凝り出しまして。金庫はこちらの部屋にあります。」

奥のドア、鍵を開け、隣の部屋に錠前師二人を案内する。今までより冷たく感じる室内の空気と鉄の匂いも変わった。窓は無く小さな電球が二つ点いているだけの、十畳ほどの広さの殺風景な部屋に大小の古い金庫が間隔を空けて沢山並んでいる。大きなダイヤルが左右に二つ付いている金庫、、レバーも鍵穴も何もない黒い金属の塊の金庫、、ドア面に複雑な彫刻が施され、その開け方に仕掛けがありそうなアンティーク金庫が三つ、部屋の壁半分を覆い尽くすくらいの大きさの金庫群は、古い時代の銀行の貸金庫の一部のようで、大小、一五ほどの扉があり小さなダイヤルが全部ついている。そして真っ新の小さな銀色の金庫、他にも多種の金庫が、、。後から入ってきた秋山と古田社長も一般の家の中ではまず見ない光景である夥しい金庫群を眺めている。

「金庫も父の蒐集品です。私が中学の頃はまだ二台でした、関東や関西の骨董屋や金属回収業者に電話をし、珍しい鍵の蒐集後、次に金庫があったら知らせてくれと。」

羽原、口元に小さな笑みを浮かべ、鋭い目つきで金庫をひとつひとつ表から裏から見廻し、鍵穴やダイヤルの部分を床にひざまずいて眺めながらしゃべる、、

「わかりました、、では中に何が入っているのか教えていただきますか?」

眉をひそめる新谷、メガネが鼻から少し下にずれ落ちたのを手で直す、「な、中身ですか?」

羽原

「社への報告書用ですから簡単でけっこうです。普通は金銭、貴金属、証書のたぐいですから。」

「開けて、出てきて、からでよろしいのでは?」

「ええ、皆さんそう言うのです。何十年前に閉められてしまい何が入っているのかわからない場合は結構ですが、それ以外だと、先にお教え願いたいのです。というのも危険物が出てきたりする場合もありますので。」

「危険と言うと?」

「危険な液体など、強盗撃退用の罠で、怪我をします。」

「そんな馬鹿な、」

「資産家の金庫室で実際に催涙ガスの仕掛けが働きそうになったことがありましたので。」「そ、そうですか?」

「金庫の中では無くその部屋に侵入時に仕掛けを施していましてね。」

新谷が古田社長に目配せをすると、社長も、よし、という顔でうなずき、新谷が説明を始める。

「中にあるのは映画用の脚本です。私の父は映画脚本家でしたが、五日前に心臓発作で急死しました。葬儀は三日前に終えましたが、父が書いていた未発表の脚本がこの山荘の金庫の中にあることがわかり、父の所属していたミヤコ映画会社社長と共同で、その脚本を取り出すために、あなた方に頼みました。」

羽原、客の依頼内容が書かれた書類をめくりながら訊く、

「そんなに早く取り出さないとダメな理由は何でしょうか?」

言葉に詰まる新谷、

「、、早、い、、でしょうか?」

「最初にわが社に電話をしてきたのは三日前の午後四時、お葬式の直後でございますね、、大事なお金や債券だとわかりますが、そのようなモノが、失礼、脚本が、早急に必要なのですか?」

咳払いをする古田社長、

「んんぅ、新谷君、そのあとは私が言う。私は、ミヤコ映画社の社長をしておる古田と申します。それと、もう一人こちらの男はわが社の社員で映画監督、少し前までは脚本部の部長をしていた秋山です。」

古田社長と秋山、二人、名刺を出す。受取りに行く菊池、が羽原に渡す、名刺を見る羽原。

ゆっくりとしゃべる古谷社長。

「今、我が社は数日後に京都本社で会社の存続をかけた株主総会がある。銀行と大株主が参加した場でこれから制作する作品を発表せねばならん、だが、我が社にある映画脚本には会社外部の狼のような金融屋どもを納得させる良作が今は無いのだ。正直に言う、、今現在、不振な映画業界で、我が社も青息吐息であるが、以前、優秀な脚本を社内で書いて何本も大ヒットの成績を残した新谷君のお父さんの脚本があるというのを知り、早く取り出し、そして株主総会で発表したいのだ。」

狼のような金融屋という言い方に眉を顰めつつメモをとっている菊池。話しを続ける古谷社長、「一般人には映画脚本の重要さはわからんと思うが、脚本が無ければ映画は制作できない。船や車で言うと設計図の様なものだ、脚本一本に対して新築の家一軒買えるほどの大金を支払うことも大きな映画会社はできる、それだけ脚本家が大事と言うわけだ、我が社はこの新谷君のお父様の書いた脚本で潤った時代があった、ある出来事があって会社を辞めてしまったが、その後、まだ脚本を書いてあることがわかったのはつい先日、本人の葬式の直後だった。うちの会社は今、未発表の脚本が喉から手が出るほど欲しいのだ。息子さんにはすでに断りを入れてある。」羽原、自分の鼻先を親指と人差し指で挟み動かしながら落ち着いた声で言う。

「で、どれを開けますか?」

「ぜんぶ開けてもらいたい」

「すべて?」「そう、すべてだ。書いた脚本の数がわからない以上、途中で出てきても残りの金庫にまだ残存する可能性もある。」「金庫にその脚本が入っているという証拠は、ありますか?」部屋の外で皆の話を聴いていた花田真砂子が部屋の中に入ってくる。

「そちらのかたは?」

古田社長

「脚本家の奥さんだ。映画社を去った後ずっとここで一緒に暮らしていた。」

花田真砂子、部屋の外に置いてある未使用原稿用紙の束と数本の高級万年筆が入った大きな木箱を持ってきてふたを開け、鍵師二人に原稿用紙の端を指さながら見せる。原稿用紙のマス目の外、左下端には日本の有名な小説家がそうするように、“新谷六月”と脚本家のペンネームが小さく印刷されている。有名小説家になると出版社に持ち帰った場合誰の原稿用紙かとわからないことが無いように、特別に名前入りで注文印刷されているのと同じように、脚本家名で印刷されているのである。

「あの人が書いた原稿はこの山荘に住んでいた三年の間、外出や旅行をしておりませんので、一切持ち出しはしていません。そしてこの箱の原稿用紙が減ると補充するのが私でした。この三年間、ずっと補充していましたし書き損じた用紙は一切捨てていませんから、この山荘の金庫の中に、きっとあります。」

羽原、「あなたは金庫の中を見たことは?」「あ、ありません、この部屋は入らせてくれませんでしたし、開け方も鍵のありかもまったく知りません。」「奥、様、ですのに?」

「ええ。」下を向く花田真砂子。

疑っている顔の羽原だが嘘をついてない顔と観て、時間も気にして納得する。

「わかりました、では開錠にかかりますので、うちの会社の説明書類を読んで納得されましたら、ここにハンコをください。」秋山監督と古田社長、二人並んで読んでいると秋山監督、すこし驚いた顔で、文章の一行を指さして言う、

「あ、あの、、“日没から日の出までは開錠作業はできない”、とは、どういうことですか?」

羽原

「私らの仕事は特殊作業です。一般には鍵師と言われます。 建物のドアを開ける仕事はそこに居る本人や会社の責任者の身分証明書や住所登録書、車の場合は免許証と車検証が合致すれば大丈夫です、病院や人の閉じ込められ事故などの急を要する仕事など、人の命に係わる事例では深夜早朝、警察の立会いが無くてもすぐにやりますが金庫は別です。」

同じところを読んだ古田社長、少し納得のいかない顔をする、

「なんだ、じゃ、世間一般じゃ、夜に緊急に金庫を開けることは無い、というのかね?銀行から頼まれたらどうするのだ?」

まだ金庫をひざまずいてダイヤルの付近や鍵穴の中を極小の懐中電灯と虫眼鏡で覗いている羽原、

「銀行や警察からの通報で人が金庫に、誤ってとじ込められた場合は別です、が、普通、大量の現金、及び債券、貴金属を急に夜中に必要になるようなことがありますか?銀行でも夜勤のある会社でも、夜逃げする家や会社でも、そんな大事なことは数日前に調べ、金庫が開けられないとわかった場合は私たちは昼に呼ばれます。 夜、金庫を開けようとするのは、万国共通、非合法で鍵を開ける技を持っている悪党か、盗人、にきまっとります。」

それを聴き、秋山監督と目を合わせた古田社長、小さな声でゆっくり笑いだす、

「ふっ、ふふっ、そう言われれば、そうだな、よし、わかった。まだ時間の余裕はある。ではお願いします。真砂、いや、花田君、印鑑だ。」

映画会社社長、古田の印鑑と花田真砂子から渡された普通の印より少し大きめの「新谷」の印を、鍵会社の用紙に押し、鍵師羽原に渡す。横で一つ一つの金庫をポラロイドカメラで写真を撮る菊池。

フラッシュが焚かれていく。 


羽原「今、全部、拝見しまして、こちらの壁側の金庫と、ロッカー型金庫は、今日中に開けられると思いますが、こちらの、かなり年代物の金庫群は、私は開けた経験がありませんから、これは明日以降になる

かもしれません。うちの会社からは期限は二日と聞いておりますのでそれ以上時間がかかるようなことはなるべくしないように急ぎます。 そこの、、ドアは解放したままで、私たちの仕事は見てもらっておいてもかまいませんが、あまり大きな声や音を立てると気が散りますのでお静かにお願いします。この部屋から出たところでの普

通の会話くらいなら大丈夫です。では仕事に取り掛かりますので。」

「わかった。」部屋から出る古田社長たち、暖炉の前まで歩きながら話をする。

 新谷「古田さん、先日は父の葬儀に、ご参列くださいましてどうもありがとうございました。」

労いの言葉で答える古田社長

「いやいや。君のほうがアメリカから急な帰国で大変だったろう。疲れてないか?」

新谷「いいえ、大丈夫です。」

「今、君はアメリカの大学で何を学んでいるのかね?」「去年までは脚本研究でしたが、今は映画興行のマーケティング経済学と、集団行動心理学を。」秋山監督と古田社長が二人一緒に訊く、

「集団?」「行動心理学?」

新谷、眼鏡のふちを指で上にあげる、

「人間の集団行動を心理学の面から予測するのです。人間の望む物とは何か?人気というのは何か?何が売れるのか、映画スターの、どういう行為に人は熱を上げ、歓喜の声を上げるのか、小説、音楽、芝居、映画になぜ興味を持つのか?人気者、宗教、政治に熱狂するのはどうしてなのか、という学問です。」

「そうか、面白そうだな、まあ、詳しいことは金庫が開いて、会社がある程度落ち着いたら、ゆっくり聞かせてもらおう。」

「はい。」

火のついていない暖炉の前、四人の中で一番目上の古田社長が先に長椅子に座る。それを見て他の者も座る。古田社長が持ってきていた京阪日日新聞の天気予報の欄を読んでいる秋山、

「関西の今朝の日の入りは午後六時五四分、、まあ、これは岡山県も大体同じだ。明るくなるのは四時過ぎだが、明日の日の出は五時二四分、その間の仕事はやらない、ということ、、」

腕組みをしている古田社長

「まあいい冬よりは夏のほうがずっと長い。そうだ、秋山君、脚本が見つかれば、新谷君と一緒に撮っていた君が、また監督してくれないか。」

秋山 脚本家息子の新谷洋平の顔を窺いつつ返事をする

「そうですね。そのせつはよろしくお願いします。」

三人が、テーブルに花田真砂子が持ってきた茶をとって飲もうとしたその時、金庫のある奥の部屋から羽原の唄う声が聴こえてきた、

「♪ハッピィーバースデー、トゥーユー、ハッピバースデーィ、トゥーユー、、」弟子の菊池が部屋の外に出てきた、

「一据、開錠しました。中を見てもらえますか?」

ソファーに座っている皆のびっくりする顔、

「早いなあ、、」

「そんなに早いのか、、」

三人が部屋に入っていくと一番小さく新しい銀色の金庫が開いている。すでに次の金庫の開錠に取り掛かろうと移動していた羽原。古田が訊ねる

「一据(すえ)って、なんだ?」

「大きな金庫は一据(すえ)二据と数えます。箪笥と同じです。」

後ろから菊池が小さな声で答える。

古田社長が中を覗こうとするが考え直し、まず新谷に覗かせようとする。

「先に新谷君が中を確認してくれんか。」

新谷、無言で金庫の中から書類箱を出してきた。ほぉ、あったか、と安心する顔の古田社長。

「どうかね?開けてみてくれるか。」

新谷、中を見ると大きな紙封筒と手紙の束がある、誰が見てもすぐに脚本ではないと分かる書類ばかりだ。

「、、これは、、違います、これは、、」

古田社長も覗き込む、

「手紙か、」「私の母と父との手紙、たぶん、ラブレターの束です。」

新谷の頬がすこし赤くなる、それを観て口元が笑っている秋山。

「ほお、そんなものが。しかし、これは凄い量だな。よっぽど文通してたな?」

新谷、封筒の外に出ていた手紙をじっと読んでいる、照れくさそうな顔だが、さすがに名脚本家の父だと、素晴らしい文面に感心をしている。母からの返信の封筒の色の綺麗な事、そして押し花が入っていたり、綺麗であっただであろう楓や紅葉の落ち葉が入っていたり。取り出した後の金庫の中を覗いても他に何も入っていないのを知り、残念がる古田社長、小さな声で羽原に言う、

「君、ちょっと訊くのだが、、聴診器は使わんでいいのかね?」

「え?」

「ダイヤルの音を耳で聴くのじゃないのかね?」

下を向いて小さく首を振る羽原、

「使いません。小説や映画には出てくるかもしれませんが、私どもプロは使いません。鍵穴は特殊な道具で開けますしダイヤル錠は廻すときの指の感触だけで開錠していきます。」

「あ、そうか、、つまらん質問で申し訳ない。」

「いいえ。他所でも同じことを訊かれたことは何度もあります。」

会話の最中にも引き出し状になっている九つの金庫ドアを細い二本の道具で次々に開けていく錠前師たち。菊池も一人で開錠しているのを見ていると、それほど難しい技ではなさそうにも見えるが金庫の上代にも寄るのであろう羽原のほうは大きな金庫を中心に手を動かしている。金庫のドアを開けると和箪笥のような引き出し型の薄い桐箱が出てくる。その蓋を開けると柔らかそうな布が敷かれた上に金属物が間隔を空けて数多く収納されている。 

箱ごと受け取り隣の部屋に持って行き、蓋を開けたままテーブルに置いていく新谷。中に入っているのは、綿の上に大事に置かれた幾つもの古今東西の古式錠と日本刀の鍔である。錠のほうだけに目を見張る羽原。嬉しそうな声でしゃべりだす。

「いや、素晴らしい、これは私たちにはお宝です、外国には古い錠のコレクターが居ると聞いていましたが、新谷さん、もしよろしければ、あとで写真を撮らせてください。」

「ええ、かまいません。」

道具を置き、錠を観ながら腕組みをして、うなる羽原。

「菊池、良く観とけ。めったに拝めん品々だ。これは年代物の古いセサミロックだ。合わせるのは数字じゃなく漢字だ、中国のいつの時代か、かなり古い、、こっちはウォード方式と言われるヨーロッパの中世の錠だ。本物は初めて見た、この時代はすべて職人の手作りで量産が出来ないから、教会とか王族とか権力者の金庫にしか使われなかった。こっちはレバータンブラー錠、そしてここからこっちの、今の、ピンシリンダー錠に変化していく。」

触りたくてたまらないと言う顔の羽原を見て、新谷が言う、

「あの、触ってもかまいませんよ。」

「そうですか、では楽しみは全部の金庫を開けた後にいたします。」

菊池への羽原の説明が続いている、皆も話を聴きながら鑑賞する。

「こっちは日本独自の鍵、からくり錠といわれるやつで四大和錠と言われる物だ、何処で作られたのかは、刻印でわかる、、これが阿波錠、こっちは安芸錠。戦国の世から江戸時代になって火縄銃や刀鍛冶の仕事が激減したが、泥棒は居たからな、今度は商人がその蔵の鍵を必要としたことでこういう鍵が必要になり作られていったのだ。」

刀の鍔のコレクションのほうだけに注目している古田社長が語り出す、

「数年前、うちの会社の映画をカンヌ映画祭で上映した時に行ったイタリアのホテルの看板が鍵の形だった。後から聞いた話だが、それが泊る客への安心を知らせているということだった。鍵を掛けられる部屋を提供することがあなたにとっては特別です、と看板で表しているのだそうだ。」

横で、映画脚本を書ける新谷洋平も思い出した顔をして語り出す。

「そうですね、外国の小説ですと、チェホフの“桜の園”には、家庭の仕事をやめたいワーニャが鍵の束を床に投げ出しますし、イプセンの“人形の家”のノラは家を出ていくときに鍵を置いていきます。昔は鍵が自分たちの人生を家庭に縛る象徴として描写されていましたから。」

感心する秋山

「さすが新谷君、脚本家の息子だけのことはあるね。」

「ええ。うろ覚えですが。」

最後の桐箱を引き出した菊池、新谷が開けて何かを取り出す、一緒に中を見る古田社長の口が歪む、小さな紙包みが二つあるだけである。

「こちらの金庫、これで終わりです。 日の入りまでもう少し時間がありますから、もうひとつ開けてみましょう。」

残念顔の古田社長、

「うん、、お願いする。」

引き出しを出しつくし、人が入れるくらいの空間が出来た金庫の中、新谷が隅まで調べても何もない。後ろを向いて首を振る新谷を見る古田社長

「無いか、、んん、、最後の細い紙包みの中身は何だ?」

新谷、飴玉のように両方をよじった紙包みの中から取り出したのは大きな横顔の男の肖像が刻印されている金貨十数枚である。

「、、外国の金貨です」

新谷がテーブルに一枚ずつ並べた金貨に顔を使づけて凝視する秋山、「フランス語、、この肖像は、、」

羽原、テーブルに近づき金貨の肖像画を観て、ぼそっ、とつぶやく声、

「ナポレオン金貨ですな。コナンドイルの“赤毛連盟”に出てくる金貨ですわ。」秋山「ああ、シャーロックホームズ、の、」

古田社長もテーブルに置かれた金貨を覗き込む、

「ほお、これがそうか、、こんなに大きいのか。」

皆が知っている事に、若い鍵師菊池だけその意味がわからない。日没。仕事を終える錠前師二人。


 暖炉の前


テーブルに皆がそろって座っている。

花田真砂子が用意した晩飯に錠前師たちだけが挨拶する。「すいません。」「いただきます。」

「どうぞ。お召し上がりください。」

テーブルを囲んで、当時発明され商品化されたばかりのレトルトカレーを食べている。古田がカレーの箱の説明書きを読んでいる。

「ほぉ、袋ごとお湯で温めるのか、こういうのは初めて食べたよ。けっこううまいじゃないか、」

ラジオからは三月に発表された五木ひろしの初のヒット曲「よこはまたそがれ」が流れている。今の騒乱を国民から逸らせるため、音楽番組はいつもの編成そのままである。

山荘の外は、いつもなら田舎の夜の静けさであるはずだが、長椅子のすぐ後ろ窓、カーテンの隙間から僅かな光と音が入ってくる。サーチライトの光、過激派の投降を説得する警察のスピーカー音、ポンと音を立てて発射されパラシュートでゆっくり落ちてくる警察側の照明弾、白い光の塊が辺りを照らす、ジジ、ジジジ、と薬品が焼ける音も、微かだが聴こえる。一昨日から続けている、夜、寝させないようにし、疲弊させようとする警察側の作戦である。 カーテンの隙間から覗いて様子を覗う秋山と新谷。その反面、古田社長は自分の会社のほうが気がかりで、そこまでしてまでは見ていない。カレーを食べた後、離れたソファーに移り、今度は会社の賃借対照表の書類を横に置いてひっきりなしに読んでいる。コーヒーを持ってきた花田真砂子。菊池が羽原に訊く、

「親方、さっきの赤毛なんとか、って、何ですか?」

コップで水を飲んでいた羽原が注意する、

「人の前で親方とか言うな、羽原さんって言え。知りたかったら、図書館に行ってシャーロックホームズの棚から『赤毛連盟』という題の話しを探して読め。犯罪者じゃない男が銀行強盗の悪党どもにうまく利用される話だ。わしらの仕事は特殊だから、他のホームズの小説も読んどいて損は無い。」

食事が終わり、トイレに立つ菊池。

羽原

「あの、すんません、コーヒー、お替わりありましたら、いただけませんか。」

一服している羽原に新谷が近づき、話をする

「お二人さんは、今まで色んなご経験されてきたでしょうね、小説や映画になりそ

うな話とか御座いませんか?」

花田真砂子にコーヒーのお替りのお礼を言い、一口飲んで、何か思い出したような顔をする鍵師羽原

「会社の仕事はしゃべるのは会社に止められていますが、そうですな、んん、では四年前の熊本の田舎町の旧家のときのことを。」

「はっ、お願いします。」

「明治初期に輸入された大きな金庫を開けましたら、布に撒いた一匹の一抱えの魚の干物が出てきまして。」

「は?」聴いている皆がぎょっとした顔、

「人魚のミイラでした。」

「え?」「んん?」

「家宝だったそうです。その家で半年前に死んだお婆さんが戦時中に金庫に封じ込めた、とかで、開けたらあかん、開けたら一族に悪いことが起きるから、と言い残して、この世を去ったそうで。」

古田「、、他に、財産らしきものは?」

「ありません。で、会社に帰った数日後、熊本県警から刑事が来まして、私に事情を聴きたいと言うのです、金庫を開けた次の日の深夜、その家が全焼し一族は焼け死んでいたと。焼け残った金庫は現場検証中に自然に開き、私の名刺と人魚のミイラだけが中に残っていたと。」

「ほぉー、、」「へー、、」

皿を片付け台所に行こうとした花田真砂子にトイレから帰ってきた菊池が一礼して話しかける。「御馳走様でした。」

「いいえ、簡単な食事でごめんなさいね。」

「あ、あの花田さんの出演されていた映画、

“先斗町の花嫁さん”と“女新撰組、花の乱”を憶えています。」

「まあ、そう!私の事を知っているって。お若いのによく映画観てらっしゃるのねぇ。」

満面の笑みで嬉しがる花田、すこし会話して台所に行く。古田社長は入り口近くで書類を見ながら小さな声で、どこかに電話をかけている声が聴こえている。

帰ってきた菊池に羽原が小さな声で訊く、

「あの女優さんは映画の世界は長いのか?」

「ええ、私が子供の頃に子供剣劇映画の御姫様役で見たのを憶えていますから十年以上は女優ですね。」

「美人だなあ。」

「そうですねえ、ええと、ミス何々、の準優勝かで女優に、とうちの父が言っていました。」

「ほお、そうかね。」

「うちの家の前が映画館だったので、観ない映画でもポスターは毎日毎日観ていました。うちの父と館主さんが幼馴染で、子供映画がかかったとき、私はタダで入れてもらったものです。キネマ映画の会社マークが出て、バックの五重の塔に白いハトがたくさん飛ぶ時の独特の音楽が好きでした。ああ、映画が始まるなって、ドキドキするのです。」

後ろで聴いていた古田社長、今の若者の率直な意見を聴けたことに反応している。

「そうかい。親子で観る楽しい映画の時代をまたワシたちが復活させんとな。エログロ映画なんぞで儲けたくない、やりたくない。」

と言っていると、外が騒々しくなってきた、山荘を取り囲んだ機動隊が催涙ガスを一斉射撃している場所を目がけ、上の窓から火をつけたままの小さなガスボンベが落とされた、炎が噴き出しながら派手な音で屋根を転がり地面めがけて落ちていく、機動隊が火を消そうとし消火器を持って行くが大爆発、ジュラルミンの盾と一緒にちぎれた腕が宙に舞う、、数分後、今まで歌謡曲が流れていたラジオが中断、けたたましいアナウンサーの声に急にかわる、


『臨時ニュースをお知らせします。過激派の立て籠もっているコウモリ山荘を包囲していた岡山県警の警察隊に死傷者が出た模様です、その様態はまだわかっておりません。繰り返します、岡山県警の警察隊に死傷者が出た模様です、、。』


    夜


立て籠もりの山荘からは反対方向の窓から、新谷と秋山が天文台のある遥照山方向の夜空を眺めている。星空と山との境目が綺麗だ。満天の星空、下弦の月が綺麗に見える。秋山がつぶやく。

「月、、俳句の世界では秋の季語で下弦の月を弓張り月と言う。都会じゃあ、これだけ満天の星はめったに見られんようになった。美しいねえ。」

「このすこし北に行った先には、美星町という名前の場所があるそうですよ。」「そうか、ロマンチックな名前だな。ふん、しかし、こうやって、家の中の灯りを消していると、戦時中の灯火管制を思い出す。玉音放送を校庭で聴いたあの暑い日の夏の夜、消されていた夜の外灯が灯った時、これで兵隊に行かなくていいのだ、、死ななくていいのだ、と子供ながらに思ったよ。」

話しを聴きながら空を眺めている新谷。

「岡山県は晴れが多い県だということであそこに天文台を作ったそうです。あの山荘の周りで日本人同士が争っている最中でも天文学者はロマンを求めて、はるか宇宙の先をあそこから、眺めているのでしょう、あぁ、こんな綺麗な夜空の日はあそこに行って望遠鏡から宇宙を覗いてみたいなあ。」

その天文台のちょうど上空に目立つ赤い星を指さす新谷

「、あそこの星、、アンタレスでしょうか?」

「いや、、火星だ。今年は地球と火星との距離がいつもより近いそうだ。」

「過去の戦争の歴史を調べたイギリスの歴史学者の本を読んだことがある、火星が地球に近づく時期は地球上での争いが多くなるそうだ。」

「マーズはギリシャ神話で戦争の神ですよ。」

「火星で思い出した。マーキュリーライジングって言葉、知っているか?マーキュリーは星の世界では水星だが、科学の世界では水銀の意味だ。その寒暖計に使われる水銀が上昇していくことを、そう言う。温度が上がって行くように、今の人心はそんな時代だと思うのだ、、」

「秋山さんは博学ですねえ。それ、映画の題名に使えそうです。」「政治や権力に逆らっての争い事は今に始まったことじゃない、外国は市民革命で権力が倒れた事例もある。これから何十年先の日本人たちは、今の時代を良い方で懐かしがるか、悪い方で懐かしがるか。争いが終結したら、国民はまた映画館に戻って来るさ。感動する映画を作ってみせるよ。あの社長とはその辺の考えが同じだ。新谷君はどんな映画を作りたいのかね?」

「私は空想科学映画を作ってみたいですねぇ。」

「そうか、サイエンスフィクションか、そういう夢のある発想は大事にしといたほうがいい。脚本は書いているか?」

「ええ、書いていますよ。そうだ、ここに来る前に、撮影所に寄りましたが、そこで配られたチラシをもらいました、噂で聴いていましたが、会社は大変ですねえ。」

もっていたチラシを観る秋山。


「 マスコミの方々へ。 

許可なく社員及び俳優への単独取材は当面ご遠慮願います。 

七月をもって本社機能は京都撮影所内に移ります。

新社長就任の御挨拶は八月の株主総会の席で行います。 

株主総会 八月二十日(金曜日) 

午後一時より 京都九条山ホテル 祇園の間 

ミヤコ映画株式会社 」


秋山が言う「それはオレが書いたんだ。」

「え?あ、そう、そうですか、、」

「今、日本は若い連中が今の政権をひっくり返して革命を起こそうと躍起になっている。国家権力で抑え込もうとするほうも大変だがいつかは終わる。その終わった後国民はまた映画館に帰って来るよ、それまで、もうすこしの辛抱だと思う。」


皆の就寝の用意をすませた花田真砂子。 新谷は自分の父の寝ていたベッドで寝る。花田は別の個室。暖炉の前に蚊帳を吊り、その中に敷布団三枚用意しそこに寝る古田社長と秋山。

錠前師羽原は金庫のある室の中に寝ると言い、その部屋へ寝袋を用意する菊池。 羽原、持ってきたコンパクト型の携帯目覚まし時計をいじり、目覚ましの時間を日の出の時刻少し前に合わせ、寝袋の近くに置き就寝する。

なかなか眠れない花田真砂子、部屋の端に立てかけてある、秋山の使っていた映画カメラのレンズをずっと眺めている、、自分はすでにミヤコ映画会社の専属女優ではないのだが。映画の主演をしたい願望は捨てていないのである。いつか主演で、他のライバルたちの女優を見返してやりたいのである。 


冷蔵庫の製氷機の中で氷が出来て落ちる音がした。古田は目をつぶり、昔の自分の事を思い出していた。


    ――――――――――――――


、、一九五九年の夏である。あの年の夏も暑かった、 東京 巣鴨駅を降り商店街の入り口にある有名な八ツ目ウナギ屋の蒲焼きの香りを嗅ぎながら北西にしばらく歩き、住宅街の終わりに近づくと、塀で囲まれた広大な敷地の中に、都心では見慣れない巨大な建物群が見えてくる。

日本を代表する映画会社、ミヤコ映画の撮影所である。第一、第二、第三、四、五、、と巨大な数字が壁に書かれている建物はすべて撮影スタジオである。その外廻り、瓦屋根の家屋が続くのは時代劇のオープンセット、柳の並木が続く運河の行きつく先は小さな噴水と公園、その周りに木造で出来たビルにみえる建物は現代劇のオープンセットである。

スタジオの中、撮影用ライト、ライト、ライト、それを操る照明技師たちの姿、広い所内を行き交う大道具の運搬車の後ろを侍の扮装のままの専属役者が乗っている自転車が避けて走っていく。黒い服を着てステージ銃を構えるギャングの集団、スタジオの入り口近くには、エキストラ、脇役、専属契約したスター俳優が待機し、男優女優たちの笑顔が見える。広いスタジオ内、台本を読み、レール移動する映写機の先を確認している若い見習い映写技師の姿。主役が来るのを待っているスタッフ、監督の「用意、スタート!」の号令と共に、一斉に動く俳優とスタッフたち、その後ろを小走りに付いていく自分が居る、、会社一階ロビー、受付にいる若い案内嬢の笑顔の目前では、報道機関のカメラのフラッシュが何度も焚かれ、そこにある小さな舞台の上では新作映画の発表と共に今年のニューフェイスたちの発表も行われている。

「新聞社、雑誌社の皆さま、これからの我が社を背負って立つニューフェイスが記念写真を撮りますので、どうぞこちらに移動してください―!」

女優男優の写真入りのチラシを配りながら大きな声でしゃべっている蝶ネクタイの社員、胸に“宣伝部 古田”と記してある真鍮製のネームプレートがカメラのフラッシュを浴びて光っている。

 

戦後の日本映画産業はその興行の頂点を、今、まさに迎えていた、、しかしこの時代、すでにテレビ時代に突入していた。皇太子ご成婚のパレード生中継や五年後に控える東京オリンピック開催の影響で日本の家庭には二百万台を超えるテレビ受像機が普及しつつあったのだ。景気は高揚し、特に家電業界はそのピークを迎えていた。



  一九六九年 大阪日本橋


客寄せの社員の声がアーケードに響く電器街、どの店の内外には大阪万博のマークとEXPO,70と書かれた沢山の三角小旗の飾りと共にテレビ受像機に貼られた、大売り出しの広告が見える。店の裏路地には売られないまま店の中から処分された木製の大きな箱型の家庭用ラジオが地べたに重ねられ、休憩中の電器屋の従業員はラジオの上に長い板を置き椅子代わりにして座って週刊誌を読んでいる、その裏表紙は、新しい国産テレビ受像機の月賦販売を進める広告。店内の電気屋の販売員は店頭の他の販売店の特価品のチラシを見ながら同じ型のテレビの値札を書き換えているそのテレビ画面には、労働争議や安保闘争のデモ隊と警官の衝突映像を映し出している。警官隊に抗っている過激派には店員は興味がないようだ。毎日繰り返される映像、映像、警官隊の撃つ催涙ガスの中、逃げていく大学生たちを映すニュースを外のテレビで観ている親たちの廻りを走って遊んでいる小さな子供たち。


    一九六九年 東京 浅草


 大きな映画館の受付、係員の暇そうな顔、上映中の館内客席は数人の客。映画館の現状を覗いについてきた古田、その手には新しい映画ポスターを抱えている。事務所の中、弁当を食べながらTVを見ていた係員が急いでテレビを消して古田に挨拶をする。

「ああ、そのままでいい、、どうだ今日の客の入りは?」

「ええ、今日は、、観ての通りでございまして、、、」

これから公開予定の映画ポスター、

洋画題名、「香港刑務所女囚大脱走」

「7人の女吸血鬼対アマゾネス軍団」

「謎の昆虫兵器大戦争」

「続 女三銃士 横浜に現る」 

どれもこれも酷い題名である、一時代前なら到底つけられない題名であったが、映画興行はすでに全体が斜陽になっていた、テレビ放送ではできないキワモノと呼ばれる作風でしか客は呼べなくなっていたのだ。

その隣のビルの屋上、「ミヤコ映画東京本社」と書かれた大きなネオンサインの看板、去年まではその灯りが輝いていたが、今は故障中で点灯していない。修理の予算も出ない、、空室の目立つビル六階の廊下奥の大会議室、カーテンの上部には過去にヒットした映画ポスター、社員に配られた大入袋、チラシ群、社専属スター俳優たちの写真が見下ろし、後ろ棚にはヒットした映画の台本とセットになった新聞雑誌の記事及び映画宣伝広告のスクラップ資料が綴じられぎっしりと並んである。 豪華な椅子にどっかと座った会社幹部たちとテーブルの無い部屋の後ろ、簡素な椅子に座っている社専属の監督と脚本家二十人、幹部のテーブルの灰皿はどれも吸殻の山、後ろ壁には立ったままの助監督や若手脚本家、若手社員が十数人。

ここ二年間、社内で企画した映画はどれもこれも客の不入りが連続し、皆が皆、気が滅入っている。新作映画の企画を発表する若手幹部と脚本部部長に文句をつける古田「そんなもので、我々営業部と経理部が喜ぶ結果が出ると思っているのか?」

自分は嫌であるが、言わずもがな、の金の話ばかりで罵ってしまった、、昔はいくらでも出てくる良い企画や沢山の脚本のアイデアを、皆で古い喜劇映画に出てくるパイ投げのように、ぶつける様に話し合い、若い俳優や脚本家たちが元気だった社内ではなくなっていることに気が付いては、いる、、。若手社員がタバコの煙を外に追い出そうと大きなサッシ窓を開ける、すぅ、と入ってくる気持ち良い風、近くに立っている脚本家が外を眺める、眼下に広がる低いビルやアパートの屋根にはテレビアンテナが竹藪の如く乱立している、それを見つつ、安タバコの吸い殻を指ではじき窓から外に放り投げる、、その懐かしい日々、あれから現状は変わらず、、そして、自分は社長になった。 遠く、銃声が聞こえた、、はずみで、現実に戻りそうになるが、先ほど飲んだ睡眠薬が効いてきた、静かに眠りにつく古田である。 


    ―――――――――



      夜明け


 ♪ジリリリリリ、、、と小さな音で鳴った目覚まし時計を瞬間に停めた羽原、起きてすぐに仕事に取り掛かる弟子はまだ目が覚めてない。他の者もまだ起きていない。蝶番もダイヤルも鍵穴も無く、光沢の無いヌルっとした特殊塗装の黒い金庫を調べる羽原。素手でゆっくりと触ったあと、どこかに引掛りがあるかと表面を鋭い刃の着いた道具で金属の隙間を探すが何もわからない。

道具箱から、赤い金属棒を出してきた羽原、その棒は電線で結ばれ、道具箱に入った小さなメーターが付いている小型の計器があり、、継ぎ目の無い表面を上部左端から右端へ、そして下へ、一番下から左端へ、そして上へ、渦を巻く形に調べていくと、一定の場所でメーターの針が微かに動きだす。その動いた箇所に白いチョークで丸い印をする。ひとつ、ふたつ、三つ、、印が一直線上に重なった。今度は別の赤色のついたもっと大きな金属棒を出し、印を撫ぜる、コトコト、と中から鈍い金属の当たる音がした、もうひとつのチョークの印のところも同じように撫ぜる、音がしない、金属棒を逆にする、と微かに音がした、ずっと表面を触って内部の振動も探っている、もう一度そこを撫ぜると、ガタッと大きな音と共に内部の仕掛けが動き、ドアが手前に開いた。ニタッと笑う羽原。

「♪ハッピバースデーツーユー、、」

起きていた新谷、蚊帳の外から部屋の外で寝ている古田と秋山に声をかける。

「起きてください、唄が聴こえます。」

眠たそうな古田社長の声の耳にも羽原の唄が聴こえる、、

「なんだ?夜明けか。」

「う、、開いたか?」

「はい。」 

花田真砂子はまだ起きてこない。

男たちだけ金庫部屋にやってくる。

「ご確認ください。」

道具を片付けながら金庫ドアの内側の仕掛けを説明する羽原。

「このプレートに陸軍、奉天造兵廠と書いてあります。戦前に大陸で作られた軍の特注金庫ですな。裏には開けた回数がわかる目盛りが付いていますよ。」

小さな窓に腕時計の日付が現れる形式の小窓があり、八十五、と漢数字が見えている。

新谷、金庫の中から四つの古風な木箱を持ち出し、ふたを開ける、空になった金庫の中や外をポラロイドカメラで撮る菊池。新谷が木箱を眺める、どう見ても脚本が入れられるような大きさではない箱だが立派な造りだとわかる。古田が訊ねる、「その箱は何だ?」

新谷

「これは葉巻専用の保管箱でヒュミドールと言います。」

きっちり閉まった箱の蓋をスライドさせて開けると紙の帯で包まれた塊が出てきた。底から中が見えている。そこから指を入れ帯を破ると、葉巻が出てきた。箱の中には一ダースずつになった束が4つあった。紙には英語ではない読めない文字で文章が書かれてある

古田社長「葉巻か、、」新

谷、父の話を語る。

「うちの父はカストロとゲバラのファンでした。このキューバ産の葉巻を燻らせながら執筆中は革命の気分を味わっていましたよ。」

古田社長「キューバ革命は一九五九年だったな、でも君の父さんは、左翼じゃなかっただろ?」

新谷

「ええ、英雄が好きだっただけです。」

古田社長

「ああ、思い出した、先代の社長にキューバの紀行映画を撮りに行かせてくれという企画書を持ってきたことがあったな、ワシが君の父から受け取って社長に渡した覚えがある。」

秋山が会話に混ざる

「あの時、キューバに一緒に種取りに行かないかと、誘われましてね、まだ革命前でしたが、騒乱は続いていたようですね、」

種取りというのは映画業界用語で取材の事である。

同じ質の紙で包まれてはいるが長さや太さの違う葉巻の銘柄を仕切り番で分けて入れている箱の中を見ている秋山、その奥から手帳を破ったような紙が出てきた。父の字で葉巻の銘柄の説明を日本語で書いてある。新谷が黙読し、古田に渡す、読みながら古田がしゃべる

「イギリスの首相、チャーチルの愛用銘柄は、ロメオ、イ、ジュリエッタと言うのか、、コヒィーバ、モンテクリスト、こっちの、Hアップマンと言うのはケネディ大統領の愛用葉巻だと、、そのロメオ、イ、ジュリエッタの話は昔、どこかで聞いたことがありますな、昔、キューバの葉巻工場では葉巻を巻く職人達が退屈しない様に、そのそばで、さまざまな本を朗読して聴かせる人が居たと、、特にシェークスピアの話は職人達のお気に入りだったとか。そこから名付けられたのが、この葉巻だと。」

新谷

「今だったら、仕事場で音楽流すとか、ラジオ番組を聴かすとか、と同じですね。」

古田社長

「歌、趣味、娯楽、適度なスポーツは、労働の苦労を和らげる効果がある、我々の作る映画もそうだ。映画は心の栄養だ、と、関西の浜村なんとかと言う映画評論家がラジオで言っていたな。」

続きを読む新谷、

「チャーチルは選挙中、葉巻に火を点けたまま、国民の前で演説をした、葉巻の灰がそのまま長くなっていくのを、聴衆は灰がいつ落ちるかいつ落ちるか、と見つめ続けていた、でも灰は落ちない、実は、その葉巻には仕掛けがあって、針金を入れて灰が落ちないようにし、その灰に注目を集めさせるように集中させていたそうだ。」

ふたつ目のヒュミドール、凝った模様の入っている蓋を開けようとする、、開かない。古田社長

「、こ、こりゃ、硬い蓋だな、」

新谷 「箱根細工です。箱の底や壁がパズルのようになっていて細かく動きます、そこを指で押しながらすべらせるのです、ここに仕掛けが、」

色々な木の細工部分を器用に細かく動かして蓋を開けていく新谷、その手の速さに感心した顔をしている古田

「ほう、そうか。」

代わって秋山が続きを読むがその終わり数ページ、小さな虫がかじった痕跡があり、消えた文字を創造で埋めながら読む。

「葉巻を入れる箱は、ヒュミドールと言われる葉巻専用の保管箱、、一定に保つ仕掛け、、の中に極小の金属箱を、、珪藻土が入っており、そこに水を含ませ、、湿気を同じ状態に保つ、、ええと、後は虫に喰われてしまって読めませんな。」

古田社長

「葉巻は何年も保存できるのか?」

秋山、別のメモを読む。

「保管の状態がよければ、十年、一五年くらいは大丈夫、と、、チャーチルの言葉が書いてあります、、『私は葉巻をこよなく愛しているが、葉巻を吸うことはまるで恋に落ちることに似ている、最初はその姿形に惹きつけられるが、やがて、その独自の味わいにおぼれるようになる、』 と。」

聴いてそれに少しケチをつける古田、

「政治家は自分で考えてしゃべっているように思われとるが、だいたいは有能な秘書かスピーチライターを雇う。ボブホープでさえ自分で何人もの脚本家をかかえてジョークをずっと作らせているそうだ、もういい、他の金庫を、、」

新谷が片づけをしていると、あの唄が聴こえてきた、

「♪ハッピバースデー、ツーユー」

古田がまた同じように新谷に頼む。新谷が金庫の中を見る、懐かしそうな顔をする、子供の頃に自分が使っていたおもちゃが幾つか、と子供用の算盤、小さな木箱を取り出す新谷、その中に小さな箱の中、表紙が革の手帳が二冊、その紙の間に小さな紙切れがいっぱい、割りばしの紙、本の栞、紙コップ、古田社長、覗き込む、

「なんだこりゃ、ん?細かい字が書いてあるぞ、、」

手に取って顔を近づける秋山、

「アイデアを思いついたときに手帳や近くにあった紙に書いたものです。ストーリー全体のカタですね。」

古田「ええぃ、小さい字で読めん、、読んでみてくれないか?」

目を凝らして読む秋山

「両親を亡くした孤独な少年に魔術学校への入

学許可が届く、そこで魔法使いの先生たちから魔術を習いながら成長していく、、寮がある、親友が出来る。いじめっ子との対立、両親を殺した犯人を捜す、、」

古田社長

「うん、面白い。子供映画としてやってみよう。一緒に小説も出して出版しよう。映画が当たれば本も売れる。」

博物館の入場券裏の文を読む新谷、

「夏の観光客で潤う田舎町の海水浴場に、巨大な鮫が出現、人を襲って被害が出る、そのサメに懸賞金をかけて船で退治にいく面々、、」

秋山も他の紙切れを読む、

「現代、、都会のごく普通の家に住んでいる女の子が中近東の遺跡から復活した古代の悪魔に取り付かれ、悪魔祓い専門の神父がやってきて、、。」

古田社長

「悪魔祓い?、そりゃまた古風な話だな、祈祷師が出てくるだけで、映画が成り立つか?」

新谷 別のメモを読む

「喜劇物、、大きな会社に勤める出来の悪いサラリーマンが主人公、趣味が釣り。会社近所の大衆食堂で知り合った老人を釣りに誘うが実はその老人は、自分の会社の社長だったってことが後でわかる、、」

古田社長「ほお、シリーズ化できそうだ、」

秋山

「えー、恐怖映画、冬は豪雪に覆われ閉鎖される山麓の巨大ホテルが舞台。 ボイラー機器管理のため一家族が雇われ、ひと冬をその家族だけで暮らすことになるが、過去に管理人を任された家族の主人は孤独で頭がおかしくなり身内を惨殺した、、そしてこの冬にやってきた家族の夫に精神の異常が起こっていく、脱出のできない無人の巨大ホテルを逃げ惑う母子、、」

古田社長

「うーん、雪のホテルのロケに難があるな、」

秋山

「うちの社所有の新潟のスキー場ホテルを冬場に、野外ロケ、建物内の撮影は夏の閑散期に使えば、、」

古田社長、むっとした顔で呟く、

「あそこは、前の社長がオレと変わる直前に、スキー場ごと売った。その金は全社員の二ヶ月分の給料分に消えたのを、、、君も知っとるだろ。」

秋山、しまった、という顔

「、、あ、そうでした、失礼しました、、。」

「次は?」

新谷

「都会の町の中心に超高層ビルが完成、町の政財界の金持ちが招待され最上階では完成披露パーティが行われている時に、下層階から火事が起き、招待者は降りられなくなる、取り残された人たちはわれさきにと脱出を試みるが、そこで人間のエゴが起き、政治家たちの正体が暴かれていき、大災害になって、、」

古田社長

「、、んん、ビルは特撮部がミニチュアでがんばってもらうか、俳優は多い方が良いだろ、他の会社のスターも借りて超大作と銘打って製作しよう。うんうん、、いや、さすが君のお父さんだ、素晴らしい、、しかし脚本を今から書いていちゃあ間に合わん、どうしても完成された脚本が欲しい。ここまで来たらそろそろ出てきそうだ。まだの金庫に期待しよう、ん、、すまん、、ちょっと、、トイレに行ってくる。」

その場を離れ古田が行ったトイレの前、花田真砂子が立っている。やってきた古田を睨んでいる。古田も睨む、、トイレから出てきた古田に花田hが小声で話をする、、

花田真砂子

「、、もう、もう新谷さんはこの世に居ないのよ、もういいでしょ、あなたの指図で新谷六月さんに近づいて、一緒に暮らし、ずっと世話をした、そろそろ私の願いを叶えてもらいます。別の映画会社から引き抜きの話もあったけど、私はミヤコ映画の専属契約の映画女優でありたいの、、知っているスタッフの人、なじみの撮影所、あのスタジオで京都のスタジオで、主演したいの、主演女優になりたいのよ!映画会社を代表する看板女優に!脚本が出ても出なくても、お願いだから、私の主演映画を撮って。あなた、社長にまで上り詰めたのよ、ね、わかってる?あなたは私の事なんかどうでもいいと思っているのでしたら、この山荘に今すぐ火をつけて燃やします!」近くに置いてある薪の上のマッチを見る花田真砂子

「わ、わかっている、まず倒産させないようにしなければならんのだ、それからだ。もう少しだ、待つのはもう少し、、」

「今までさんざん協力してきたのよ、今まで、あなたや、嫌いな男、、にどれだけ抱かれたと思っているの?」

話をはぐらかそうとする古田社長

「おお、めずらしい、ひさしぶりに君の怒った顔を見たよ、ああ、ほら、鍵師の親方の唄が聴こえた。金庫の部屋だ。」

古田社長歩きながらつぶやく、

「、、俺も嫌いな男の一人か、、。」


仕事を開始している錠前師たち。 幾つか金庫を開けたが、出て来るものの中には脚本は無い。

次に大き目の金庫に挑んでいく。

「台所から氷を貰ってこい。」

羽原が菊池に言う。

「氷水ですか?」

「いや、氷だけでいい。道具を冷やす。オレが触りすぎて熱くなっている。鍵がほんの少しだけ鍵穴の中と合致しない、、金属は冷やすと縮小する。お前も憶えて置け。」

「はい、わかりました。」

金庫部屋に帰ってきた古田社長

「どうだ?」

「そこの二つは開いています。」すでに取り出した箱の中を調べている新谷と秋山、レコードや資料であろう雑誌や小冊子が入っている、そしてその下には印刷された台本が十数冊、目を見張る古田

「上の方はレコードです、、えー、外国映画の音楽とセリフの入ったレコード盤が十数枚です、SP版の、戦前の物ですね。」

「その下に見えているのは本じゃないか?」

映画関係者は台本の事を、ただ単に、本、と呼ぶ。

 表紙を読んでいた秋山が言う、

「ダメです、これは、、」

古田

「なんだ?」

「この印があります、これは戦時中の軍の検閲の判で不認可になった映画の本で、、」

「ああ!それくらい知っている!」

「これも、これも、ぜんぶ不許可本です。」

「不許可だったら映画になっていないだろ、、使えんのか?」

新谷の読んでいる脚本のほうも説明する。

「こっちは、逆に敗戦で制作されなくなった戦争高揚映画の本で表紙にGHQの廃棄決定印が押されています。」

秋山「しかし、よく残していましたなあ、映画研究家や評論家が見たら嬉しがります。」

「今は映画評論家なんかどうでもいい、使えるか使えんのか?と訊いとる!」

「すぐには使えませんし、時代が変化しています、そしてこれは別の脚本家の作品です、たぶん研究のために蒐集したと思われ、」

会話の途中にすぐに口を挟んでくる性格の古田である、

「君のお父さんが書いた本は無いのか?」

「どれもこれも、私の父が書いた本ではありません、そして、これは書いた脚本家がまだ存命している可能性はありますから映像化されていなくてもすぐにマスコミ連中に映画製作として発表することは、、無理ですね、、」

錠前師たち、次の金庫に掛かろうとするが根を詰める仕事ですこし休憩したいと言い、金庫の部屋から出る。秋山は出てきた脚本を全部持ち、部屋の外に出る。菊池が出て行こうとしたときに米軍用トランシーバーの紐に足を引っ掛けた、起そうと掴んだアンテナの先の部分を手で引っ張ったとたんに雑音、、アンテナを伸ばすとスイッチが入る仕掛けであった。 直後、音声が流れた、警察無線だ、米軍の周波数を警察も使用しているのだ、コウモリ山荘を取り囲んでいる機動隊の会話が聴こえてくる、

「隊長!井上です、まだ拳銃使用許可は出ませんか?隊長!」

「もうすぐだ、もうすぐ許可がおりるはずだ!井上、ライフル弾はこっちの盾一枚では貫通する、防げない、二枚重ねろ、もう一度言う、盾を針金で縦横に縛って二枚重ねにしろ!」

別の機動隊の声

「応援隊はまだか!応援隊はまだか!装甲車をもっと前に出せ!下で何か燃やして燻し出せ!」

「新聞とテレビ局の反政府的報道のせいで日本の至る所で労働者と大学生の攻勢が一気に高まった模様、警察署、役所、民自党の党支部に一般市民が押し寄せています、、応援は来ません、本部からは、今いる人員だけで持ちこたえろと伝えてきました、、」

「くそおー、テレビの報道車を下がらせろ!国民を煽らすな!後ろについている発電用の車のケーブルを狙い打って、、切ってしまえ!」

雑音の入る音声、聴こえたり聴こえなかったり、、錠前師ふたり、花田が緊張した顔で聴いている。

いつのまにか秋山はキャメラの覆いを取り、レンズ先を窓枠から外に出してコウモリ山荘を映している、山荘に付属している納屋のトタン屋根に落ちた照明弾がくすぶり続け、その光で明るく照らされた山荘の壁面が黒光りしている、

全景を映し、いったんキャメラを止める。ゼンマイを巻き直し、レンズを望遠レンズに換装し、山荘の上部窓にかすかに見える人影にピントを合わせる。銃声の後、影は消える、、そして下にいる機動隊の様子を映す。そのキャメラを向ける秋山の目はまるで狙撃兵が敵を狙っているようである。仕事をこなしながら、戦時中に陸軍の報道部でキャメラマンをしていた時代を思い出している秋山である。あの時代も自分が撮りたい映像では無かった、、今でもそうである。


金庫部屋の中に残っている古田社長と新谷が話をしている。新谷からもらった葉巻をもらった古田社長、一本の葉巻を鼻に近づけ香りを嗅ぐ。

「高級品は香りが違うな、と言っても今まで葉巻はおろか、タバコを燻らす時間の余裕も無かったがね。君の父さんのコレクションを取るわけにはいかんから、後で葉巻代は払うよ。」

「いえ、結構です、私はたばこを喫いませんから、新社長就任という事でご進呈いたします。」

「そうか、じゃあ、ありがたくもらっておく。会社に帰ったら社長室で喫って見よう。アメリカじゃあ子供が生まれたら知り合い縁者に葉巻を配っている場面を洋画の中で見たことあったな。わしも社長就任の祝いで葉巻でも配ろうか、、それはそうと、新谷君はアメリカにはいつ帰る?」

「今は夏休みですから、八月いっぱいはこっちに居ようかと。」

「そうか。じゃあ、それまでに今会社に残っている君の父さんが昔書いた脚本の会社への権利譲渡も一緒に考えておいてくれ、すこし時代をずらしてリメイクをしたい物も数本ある。これから出てくる脚本とは別に君のアメリカ滞在費と学費や旅費の足しに出来ると思う。」

「わかりました。」

「君も昔、舞台の世界を牛耳る古い興行師や戦前の外国の映画から習ったから少しは知っているだろうが、興行というのは、アピール度が大事だ、なにをやっているのかわからないような会社はダメだ、社からは宣伝にも金を使うがそうじゃなく記者会見をしてマスコミが記事にしてくれたほうが、金を掛けなくても良い。そして作り手は流行に敏感でないとな、ただし二歩も三歩も先に言ってはダメだ、一歩半くらいでいい。ヒットした作品はうちも他社もそれに倣う。映画界には、柳の下にドジョウが三匹までは入る、というジンクスがある。それ以上はダメだな。売れている小説や芝居の映画化権を、他社よりも早くつかんでおき、世間がその小説を忘れない間に映画化するスピードも肝心だ。小説の映画化権は二年が相場だ。映画会社が囲っている脚本家の書いたオリジナルの本も大事だが、ベストセラー小説の映画化は、その小説が売れた部数で映画館に来る客の入りも予測できるから、前もっての宣伝への金の掛けようも決められる、、ま、これは経営の話だ。今のうちの会社は切羽詰まっている、ライバル会社もうちの会社が潰れてくれるのを待ってる、会社の内にも外にもオレを追い落とそうと企んでいる狼どもが牙をむき爪を磨いてやがる、あんな野郎どもに社長の座を渡してなるものか。俳優の靴磨きの頃から撮影所にオレは居た、戦前の映画勃興期、スター俳優の引き抜き、戦時の軍部介入でのライバル会社との統合、戦後の復興、繁栄、今現在の映画興行全体の斜陽まで、わしは全てを見てきた。今、会社に残っている不動産は、ほとんどが銀行団の抵当に入っている、巣鴨の撮影所も東京の本社ビルもヘリもすでに売り払ったが京都の撮影所だけは絶対渡したくない。銀行は大嫌いだ、人生で苦労していない奴等ほど他人をこき使って甘い汁を吸い取ろうとしやがる、撮影所があれば映画はいくらでも作れる、脚本が出てきたら君には相当の礼はさせてもらう。ハリウッドでの映画の勉学が済んで帰国後はうちの会社幹部に迎え、存分に仕事をしてもらう、君のお父さんの残した脚本に手を加えて、君の名前で発表してもいいぞ。今、映画界は不安定だが、今に良くなる。チャンスを逃してはならん、今ある物を簡単に手放してはならんのだ、、十年前だったか、うちの配給で公開したバートランカスターとトニーカーティス主演の映画の中に良い台詞があったぞ、“タラップを外すな、船はまた来る!”」

演説のように勢いがある古田の巧みな言葉に、新谷、さすがに社長だ、とは思うが、今は生返事しかできない。

「、は、、はあ、」

「この国の騒乱もいつかは終る。平和な世の中になると逆に人間は娯楽が欲しくなる。先の大戦後もするもそうだったように映画産業は反転攻勢できる。国民から新人俳優を公募させニューフェイスの新人発表を復活させて子供たちにスターになれる夢を見させる。新聞雑誌は若い俳優や新作映画に食いついてくる、ロケ地でスターの乗っている車に群がる映画ファン、ブロマイドが売れ、スターの唄声のレコードが売れる、テレビはまだ小さい画面だ。迫力があるのは映画館のほうが絶大だからな、わしは銀行団と証券会社と株主を説得し、逆にもっと増資させ京都撮影所に人員と資本を集中させる。そして六大都市にある我が社の直営映画館を大改装する。地方の興行師に資金を貸出し、先に潰れた大活映画と大陸映画の映画館を系列に加える。あそこのスターは別の映画会社に映ったが、うちは映画館を押さえるのだ。俳優はその都度借りれば良いが、映画館を増やさないと利益は増えん。

瀟洒なロビー、すわり心地の良い椅子で客を迎え、売店の売り上げは映画館主に任せることで営業を続けさせる。フランスのリュミエール兄弟とエジソンが作った最初の上映システムは最長でも十分間の上映しかできなかった、一本の上映時間が、だ。それが八年も続いたのだ。さすがに客は飽きた、そこでフィルム会社と映写機会社と一体になり、長時間の上映が出来るよう技術改良を総力を挙げて行い、もっと長くそして客が満足できる映画を作り出した、その後は若い君も知っている通りだ、音が出る、白黒から天然色、シネラマ、七〇mm、立体音響、映画は人々を喜ばし、驚かし、怖がらせ、笑わせ、泣かせて金を儲ける。文化映画、記録映画でも沢山の人たちが鑑賞し感動する、、こんな面白い商売は他に類は無い。制作には莫大な資金とスタジオと優秀な人員と役者が要るが、一番大事なのは脚本だ。君のお父さんの脚本は違う。脚本家の名前をポスターやチラシに大きな字で載せられるのは、今の日本映画界には二人と居ない、、その脚本家が君の父さんだった。他の映画会社が君のお父さんをどれだけ引き抜きに来たことか、、だがどんなに金を積まれても移籍しなかった。それは、君のお母さんがうちの会社に居たからだ。」

新谷「、、、はい。」

古田「君の母さんは、押しも押されぬスター女優だった、戦時中でも君の母さんのファンレターは、外地から、宛名が“日本国、河内弓子”だけで、住所なしで届いたくらいだ、だから君の母さんと父さんの結婚は、長い間、世間には伏せられていた。会社の中でも当時の社長しか知らぬことだった君が生まれた時には戦地に慰問に行っていると言っておいたから世間は知る由もなかった、、そして戦後に映画界に復帰した君のお母さんは、スクリーンに燦然と蘇った、戦後の荒んでいた日本人の希望の星だった、、交通事故でこの世を去るまでは、な、、あれから何年になるかな?。」

「、、十五年です。」

「去年、回顧上映を東京でやったよ。君のお母さんへのファンレターは、まだうちの会社に届く。」

「そうですか。ファンはありがたいですね。」

「ああ、いや、、思い出させてすまん、、」

「いえ、大丈夫です。」

金庫に囲まれた部屋の中、古田社長の長い話が続くが、映画研究をしている新谷にはありがたい話である。

「いま、あそこの過激派たちは、命を懸けてあの山荘に立てこもって権力と対峙している。この事件も国民が忘れた頃に、芝居や映画にされるだろう。義経主従、楠木正成、真田幸村、赤穂浪士、新撰組、特攻隊、負けて花散った姿がどれだけ映画化されたか。今、立て籠もりの過激派たちは、どうせ時代の捨て石になる、事が済めば今秋山君が隠し撮りしたシーンを入れ込めば映画を一本簡単に作れる。よその会社に先駆けてうちが作る。迫力があるぞぉ、、なんせ本物の映像だからな。 過激派が勝てば、そっちを主人公で作り、機動隊が勝てばそっちが主人公だ。亡くなったばかりの君の父さんの別荘でこのような事件があるのも、もしかしたら君の父さんのお導きかもしれんぞ、、映画を撮れという、、」

休憩を終えた錠前師たちが金庫部屋のドア近くにやってきたのを見計らって古田社長は話を終えた。

「ふぅー、、すまんな、新谷君、話しが長くなった。」

 「、、いいえ、かまいません。」

「そういえば、新谷君は、君の父さんと一緒に暮らしていた花田君とはそりが合わないだろう?」

「いいえ、そうでもないです、映画界で生きてきた人間として、父と再婚する前にも話をしたことは何度もありましたから。」

「そうか、君の父さんの最後を知っているのは、花田君だけだからな。」

「ええ、」部屋の外から足音が近づいてきた、花田が部屋に飛び込んでくる、

「古田さん、ちょっと、、」「どうした?」

「外に、人が倒れているそうです、、」「ええ?」

山荘の管理人、山崎明が髪の長い若い女性を抱いて中に入ってきた。

「過激派の一味だと思います、警察に通報しますよ。」

古田社長がそれを止める。

「だめだ、警察に連絡するな、いまここでわしらが何をやっているのか知られると面倒だ、新聞社やテレビ局でもない、証拠品として今撮影しているフィルムを押収される可能性もある。」

「しかし、」

「息があるなら助けてやれ、死んどるならほっとけ!」

山崎明と新谷が外に出て、女性を山荘裏の山崎の住んでいる離れ家に運ぶ。

秋山と花田真砂子もやってきて女性の持ち物を調べる、、リュックサックの中には沢山の缶詰とビスケットや薬が入っている。コウモリ山荘から抜け出してきたと思ったが、それにしては結構な量の食糧を持っているのはおかしい、やはりコウモリ山荘に行き、仲間を助けようとした様子である。呼吸を楽にさせようと服を脱がせている花田真砂子を観て、男たちはそこから離れて後ろ向きで相談している。その時、花田真砂子がズボンの上から左の足首に何かあるのを見つけた、足首のすぐ上を触ると何か硬い物がそこにある、ズボンの裾をめくりあげるとレッグホルスターの中に小型自動拳銃が入っている、女性にも扱いやすいブローニング1910である。

花田、咄嗟に拳銃を盗り、ハンカチで包んで自分の服の中に隠す。男たちは外に出て話をしている、

「もしかしたら、この女、警察のスパイかもしれん、過激派に化けてあの中に潜り込もうとしたのじゃないか?」

「警察か病院に通報しましょう、」

「社長は駄目だと言っている、」

花田が外に顔を出し新谷に言う、

「腕時計を貸してくださる?。」

腕時計を貸す新谷、、もって秒針を見ながら女の脈をとる花田。

「私は女優になる前に看護婦をしていたから診たらわかるわ、この人はたぶん山の中を歩き疲れて倒れたのよ、今は疲れて寝ているだけ、熱射病かもしれないけど、顔の血色も良いし、脈も異常はないわ。氷を袋に入れて頭と首の下と脇の下に入れてしばらく冷やせば、たぶん大丈夫。」

「じゃあ、山崎さん、ここでしばらく寝かしておいてもいいですか?」

「私はかまいません、、」

「では、しばらくベッドをお借りします、、」

「金庫が開いて、古田社長が帰ったら、すぐに電話をしましょう」

「そうね。なにか食べる物を用意してきましょう。」

皆が山荘に戻っていく。古田が迎える。

「容態はどうだ?」

花田が答える。

「大丈夫よ、疲れて寝ているだけ。」

古田社長が皆に言う。

「警察に電話はダメだ、この山荘の居住者じゃない者ばかりが集まって鍵師を呼んで金庫を開けていることなぞ、警察から見たらどんなにわしたちが説明しても今、外があれだけ荒れている状態でまともな事を信じる余地があいつらにあるとは思えん、警察側も精神的に参ってるだろうな、仮に説明を理解しても退去を命ぜられると思う、これ以上、時間がかかることになったら困る。女はしばらく部屋に閉じ込めて花田に任せておけばいい、あそこの事件もそろそろ解決する。わしが脚本を持ってここを去ったあと、ことが終わってから、警察に連絡するか、本人が意識を取り戻したら、逃がせばいい。」

過激派なぞまったく関心がない古田社長。

「♪ハピバースデー、トゥーユー、、」

「おい、歌が聴こえている、金庫部屋に行くぞ。」

アンティーク調の飾り扉の、最後の金庫が開いた。

新谷がドアを開ける、何も言わない、、

後ろから古田が訊く

「でたか?」

「いいえ、ありません、これがひとつ、」

古い大きなカギが金庫の中の棚に一つ、、堪忍袋の緒が切れた古田が花田真砂子に激昂する!

「真砂子!あると言ったのはお前だろう!」

「脚本は絶対あります。その鍵はどこかの部屋か別の金庫のかもしれません、もっとこの山荘自体を調べてください、」

「どうして今から山荘を隅から隅まで調べることなんかできる?お前は三年間もここに住んでいたのだろうが?見張っていたんだろうが?ここはお前の方が知り尽くしているはずだ、お前がこの部屋にあるといったじゃないか、金庫の中にあると言ったじゃないか!」

新谷が二人の口論に口を挿む。

「あの、あの、実は、」

「なんだ?」

「秋山さんの住んでいる離れの中に開かずの地下室があります。」

「本当か?」

「そこに入るドアの鍵かもしれません、、」

腕時計を見る古田

「よし、行くぞ。日の入りまであと三時間ある」

皆が外に行く、そのの空気はコウモリ山荘からの風で煙たい匂いがするが

今はそれどころではない、落ち葉を踏みながら歩き離れ家に入り、過激派の女が寝ている横を通る、、古田は女に目もくれず奥の部屋に入る、物置になっているその部屋、床の敷物を剥がすと地下室の入り口が見えた。

「父がこの山荘を購入したきっかけは、この防空壕があったからだと。」

後ろで静かに話を聴いている山崎はその存在を知っていた顔である。実はここを守るために新谷六月に雇われていたのであったのだが、自分が死んだ後に、ここの存在を新谷洋平に伝えることも遺言で聴いていたのである。しかし山崎はその奥に何が閉まってあるのかは知らなかった。 先に山崎明がカンテラを持って降りていく、

錆びつつある冷たい鉄の梯子をカツンカツンと足音をさせながら降りていく一行。土の匂いと湿り気が混ざった真っ暗な室内、降りるとある程度の空間、周りは頑丈な鉄骨に覆われている、山崎がふさがれている前方に灯を当てる、物々しい大きな鉄のドアに鍵穴が見えた。新谷が鍵穴に鍵を入れる、合致した、、廻す、ゴリ、ゴリゴリ、カチリ、という音と共に、ドアを手前に開ける、、真っ暗な室内に入る、新谷の頭頂部になにか軽い硬い物が当たった、布で巻かれたコードにぶら下がっている裸電球である、手を伸ばしスイッチをひねる新谷、久しぶりに電気が流れたようで、すぐには明るくならず、ぼおっとした電球の灯り、その下に部屋四分の一ほどの大きの黒い塊が鎮座しているのが皆の目に見えた、。ホッとする顔だが不気味な棺桶のようにも見える、古田社長が羽原に言う。

「すまん、これが最後だ、よろしく頼む。」

金庫を睨んでいる鍵師羽原、その目は最後の勝負に挑む博徒のようだ、、

「では調べますので上で待っておいて、、。」

「、、いや、ここに居る。頼む、、静かにしておく、、出てくる瞬間をぜひ見たい。」

古田社長、出てくるのを待ち望んで生唾を飲む、

「どうぞ。」裸電球の灯りが復活する。

そこにあるのは一般のドラム缶を二倍ほど大きくした円筒型の巨大な物体であった。横に寝かされて下部はコンクリート台座で固定されている、羽原が懐中電灯を菊池に持たせて調べる、、手前のドアらしい円型の面にはダイヤルも鍵穴も無い。金属で出来ているが叩くと鈍い音、以前使用した磁石棒で表面をなでる羽原だが、全てが分厚い特殊塗装で塗られているためか磁力は感知しない、上部奥には機械式の物体が載っているがそこにも表面にはスイッチらしきものもダイヤルも鍵穴もついてない、、曲面になった左右表面の右横に字が刻印された銅板を発見した羽原、、読んでいる、、驚く表情をして、ため息をつき、羽原が言う

「これは性格には金庫ではありません。」

「何?、、じ、じゃあ、これはいったい何だ?」

「これは、言うならば時限式のタイムカプセルです」

「タイムカプセル?あの大阪万博で埋めたようなものか?」

「そうです。現在の文物を箱に入れ地中に埋めて未来の人たちに贈って観てもらう、それです。」

「じゃあ開けてくれ。」

首を振る羽原、

「ダメです。これは開きません。」

「どうしてだ?その、君の持っていた磁石のような道具で開けられるのじゃないのか?」

「このプレートをお読みください。」

古田が物体の横に行き、銅板を見る、真鍮の板に篆刻されている字を指で触る古田、まだ文字の削られた金属の角が立ってあるのが触って分かる、

「最近彫られたようだな、新谷君、これは父が残した文章か?」

新谷も見に来る。

「ええ、そう、みたいです。」

「老眼鏡を忘れた、小さい字で読めん、、、君、読んでみたまえ。」

新谷が目を凝らして読む。

「、、洋平へ 私の未公開の映画脚本と葉巻を一九九〇年八月まで封印する 途中で開けると硫酸の海 父」

「、、何だとお?」

新谷の持っている懐中電灯をもぎ取るようにとりそこに光を当て、顔を近づけて自分の目で確かめる古田社長、

「中に脚本がある、と、ここにきちんと書いてあるぞ、よし、この建物ごと壊して、起重機で掘り、クレーンで引き上げて、なにか大きな道具で開ければいい、どこか建設会社に電話して、、」

新谷がつぶやく

「無理に開けると硫酸の海、と書いてますが?」ちかくにあった脚立に乗り金庫上部の機器を調べている羽原が大きな声でしゃべる、「これは、たぶん、上部に硫酸のタンクがはめ込んであり、無理に壊すと内部に硫酸が流れ込む仕掛けです、紙幣や書類だと簡単に溶けてしま、、」

羽原の言葉が終わるか終らない前に古田が思い切り叫ぶ、

「はったりだ!はったりに決まっとる、じゃあ二十年先、どうやってこれを開けるのだ?あの世から父上が墓場から蘇って開けるとでも言うのか!まだ開ける方法があるはずだ!」

手に持った螺子回しで上部の一部分を挿す羽原

「上に付いている時計仕掛けの機器の内部に大きなゼンマイがいっぱいに巻かれた状態で、去年の八月に閉められ、その後作動したと思われます、、このゼンマイが切れるのが去年から二十年先に設定されているのでしょうな。正確にはあと一九年ですか、、このタイプはスイスの兵器会社が造り、国家の機密資料を長期保存するために買われる、と聞いたことがあります。内戦や革命で前政権が倒れた場合、国家の機密文書を暴かれないようにするためです。金庫と言う物は、鍵やダイヤルで開け閉めできますから、これは金庫ではありません。封印庫、とでも言いますかね。耳を当てて聴いてみてください、音がしています、、」

皆が近寄って耳を当てる、冷たい鉄の表面からゆっくりとカツン、カツン、というゼンマイで動く歯車の音が聴こえている、、

小さな声で菊池が羽原にしゃべる、

「ゼンマイだけを、そっと、はずせませんか?」

羽原

「ここを見ろ、ゼンマイの仕掛けが箱の外の金属と一体型の状態だ、この造りじゃ無理だ。上からどこかを分解すればゼンマイが弾けてしまい、硫酸が中に流れる、、しかしゼンマイを巻く穴がありそうだが、どこだろう?、あ、あった、ここだな、溶接して塞がれている、、手間なことをしたもんだ、」

菊池「タンクに穴を開け硫酸だけ抜き取る、のは、」

羽原が菊池を睨む

「どこにあるのかわからんタンクに穴を開け、どんぴしゃで当たるとするか、、その穴から硫酸が飛び出しでもしてみろ、顔が骨まで溶けるぞ。濃硫酸だとケープケネディの宇宙服のヘルメットでも鎔かす。」

両手を握りしめて激怒している古田社長

「じ、じ、十九年も待てと言うのか!くそお、どうしてそんなことを、何の恨みがあってこんなことを、、ええ?君のお父さんは頭がどうかしていたのか?」

「わかりません、、私は長く日本を留守にしていましたから、、」

後ろから花田真砂子の声がする。

「古田さん、一時間前、京都撮影所に電話して、あなたの名前でヘリコプターをこちらに向かわせました、、もう脚本はあきらめて、早く撮影所に帰りましょう、はやく私の主役の映画を作ってください、それが大ヒットすれば、借金なぞすぐに払えますわ、」

皆が後ろを振り返ると、花田真砂子が過激派の女が持っていた拳銃を持って、こちらに向けている、、落ち着いた声でしゃべる花田、

「女だからと思っても、拳銃の使い方は知っていますのよ。映画で何度も使い方を教えてもらっていますからご安心を。」

何もかもうまくいかず苦み走った顔のままの古田社長

「お前、、それは壁に飾っていた動かないピストルだろ?」

銃口を少し離れた地面に向け、引き金を引いていきなり一発撃つ花田真砂子、狭い部屋の中、鼓膜が破れそうな銃声が劈き銃口とから微細な炎が舞い薬室上部から薬莢が横に飛んで壁に当たる、男がとっさに顔を横にそらす、硝煙が充満しそれを吸いこんだ古田がすこし咳き込む、緊張感が走る、、口を手でふさいでいた花田が気品のある女性の役をしているように上品な声で優しく言う、

「さあ、皆様、山荘のほうに戻ってお茶でも飲んでおいてくださいます?と言っても、私はもう給仕はできません、もう少しでヘリコプターがやってきますから。」

、、、皆、黙って山荘に帰っていく。山崎は過激派の女を背負っている。その行列の一番後ろ、花田真砂子が拳銃を握りしめて古田社長に狙いをつけたまま歩いている。山荘の部屋に着くと、開けたドアの向こうから、トランシーバーから機動隊の声が響いている。

「銃使用許可が出た!繰り返す、銃使用許可が公安委員長から出た、狙撃手!装甲車の窓から狙い撃て!他の者は突入後、同士討ちに注意し、、」

山崎、女を長椅子に横に寝かせると、とたんにうわ言を喋りだした過激派の女、、警官の声に反応したらしい、、

「官憲は、撃つな、資本主義打倒、、武力革命を、武力、、」古田社長、吐き捨てるような声で言う、

「革命なんぞ、叶うわけがない、」

トランシーバーの声、

「井上!井上!国家非常事態宣言が発令された! 自衛隊が出動するぞ、このままでは内戦だ、政権が倒れる、応援が来なければ撤退だ!自分の命を守れ!退け、いったん体勢を立て直す、、現在の我々の警察力では無理、、」

音声が聴こえなくなった、、トランシーバーの電池が切れたのだ。奥の部屋からラジオニュースが聴こえる!

「東京恵美須町の民自党本部ビルが過激派学生に襲撃され炎上中との情報が伝えられました、生中継で映像をお送りいたします、、テレビを見ておられる方は、13階付近から、火を噴いておりますのがお分かりになりますでしょうか、、政府は非常事態宣言を発表した模様ですが、詳しいことはわかりません、情報は交錯して、、いや、新しい情報です大阪府庁と府警本部、テレビ局数社が過激派に占拠された事がわかりました、関西からクーデターが、、、」

古田社長が花田に嘘を言う、

「銃をこっちに寄こせ、、ヘリコプターは来ない。ここには迎えに来ない。今週に会社のヘリは借金のカタで売られ、うちの社ではもう使えないことになっているんだ!」

「嘘です。電話では来ると言っていました。」

「じゃあ、わしが会社に電話をかけ、確かめてやる。きちんとしたことを、、」

電話に歩こうとした古田社長、花田がすかさず電話目がけて拳銃を一発撃つ!見事に命中、電話は粉々に破壊された、、顔を震わす古田社長、

「なんという事をしやがる、この家に住む者は皆、頭がおかしくなるのか?お前がいっぱしの女優になれたのは誰のおかげだと、、」

「あなたは自分の希望通り社長になったでしょ!、今度は、私の希望を叶えてもらいます!私の主役で映画を撮ってもらいます。」

「それをするために、ここで今、脚本を出そうと苦労しているだろうが!落ち着け、いまお宝が手に入ろうとしているのだ!錠前師は他にもいる、関東からもっと腕の良い者を呼んで、、」

しゃべっている間に、上空からヘリコプターの音が聴こえてきた、以前着陸した空き地に降りていくようである、、花田が落ち着いた声でしゃべる、

「皆さん、ご迷惑かけてごめんなさい、京都の撮影所にこの人と一緒に帰ります、、さあ、古田さん、行きましょう。新谷さん、秋山さんはここに居てくださいね。追って来たら撃ちますわよ。」

憤然とした顔の古田社長の背中に拳銃を突き付ける花田真砂子、外に出て行った二人。

あぜんとした顔で、残る者たち、、。

秋山「これからどうする?」

新谷「ど、どうすると言ったって、、」

「過激派の女をどうにかしないと、、」

「どうにか、と言っても、、電話は使えないから病院に連絡が出来ないし、、、」

相談しているうちに、ヘリコプターの上昇音が聴こえてきた、

庭に出て空を観ていると茂みの向こうから音大きくなってきた、

双眼鏡を持ってヘリの姿を追う残された男たち。

 ゆっくりと上昇するベル47型ヘリコプターだが二人乗りの席に無理に三人乗りこんだため助手席の二人は、シートベルトは出来ていない、新谷の山荘から観ている双眼鏡には、コウモリ山荘の屋根を破り外に出てライフルでヘリコプターを狙い撃とうとする過激派青年二人の上半身が見えている、、ヘリを警察が乗っているのだと思っているのだ。

山崎がおもわず

「そっちは危ない、狙い撃たれるぞ、、そっちは、、」声を出して叫ぶが聴こえるわけがないと自分で気付く、新谷は別の方向を双眼鏡で見ている、そこには装甲車の影から、その過激派を狙撃しようとする機動隊員が二人、狙撃銃を構えている、、そのかなり後方は、複数の社のテレビ局の中継車の屋根に据え付けられている望遠レンズでテレビカメラが撃ち合うスクープ映像を撮ろうと生中継をしている、、速度を付けようとコウモリ山荘の屋根すぐ近くまで飛び、Uターンしようとしたヘリ、過激派と狙撃手の間にゆっくりとヘリが侵入、先に過激派二人のライフル銃の銃口が火を噴いた、ヘリに命中!ヘリのバブルキャノピーに穴が開く、操縦士が撃たれた、内側に飛ぶ血しぶき、古田社長、操縦席の横から手を伸ばして機体を戻そうと訳も分からず操縦かんを握る、機体が回転し傾いたままゆっくり落ちていくヘリ、横から女の金切声

「キャーァァァ!」

機体が傾き、ドアが開き、座席からすべり落ちる花田真砂子、何かにぶらさがろうと手で探る、絶叫する古田、「落ちるな!何か掴まれ!」、一年前まで存在していたキャメラを据えつける土台が無い、何もつかむところが無い、ドア下部、かろうじて、スキッド(着陸脚)に片手は掴めたが、花田の手から拳銃がこぼれ落ち機動隊のテントに落ちていく、メインローターの風で周りのテントも跳ねあげ、中の机や椅子も風で吹っ飛んでいく、慌てふためいて逃げていく機動隊幹部たちが古田の目に映る、そして地面も、、ヘリコプター、墜落!地響き!地面に当たったローターが折れ、跳ね飛ばされた土や小石と一緒に金属片になって宙に舞うのが新谷たちの山荘から肉眼でも見えた、そして土煙が舞い地響きが遅れてこちらの新谷のいる山荘に伝わる、落ちた場所をテレビカメラがアップで映している、数人の機動隊が花田真砂子に近づく、起き上がろうとする、顔が血だらけの花田、割れたプレキシグラスの分厚い破片が顔に突き刺さっている、破片を素手で抜こうとした素手も血だらけ、周りを取り囲んだ機動隊が持っているジュラルミンの盾に写る自分の真っ赤に染まった顔を虚ろな目で見た、絶叫する花田真砂子、

「顔が!私の顔が、私の顔が、ギャアア、ア!!」そのまま後ろに倒れる、、たった三分間ほどの出来事、その光景を、口を開けたまま、山荘の庭から双眼鏡で眺めて驚愕している新谷、秋山、山崎、、肉眼で観ている錠前師の二人。数分後、ヘリの燃料タンクが爆発し、巨大な黒煙が空高く上昇する、、その時コウモリ山荘から雄たけびが聴こえた、、煙が、、爆発の煙が、大きな狼煙のように上空に昇っていく、これから起こる人民革命の成功を祝うかのように、、。



    一九九〇年 八月 新谷の山荘



 新しい道路がすぐ前を通り、中学生だろうか修学旅行生徒を乗せた観光バスが三台通って行く、その先に見える革命記念館の駐車場に停まった。

ハンディスピーカーから聞こえてくるバスガイドの声

「はーい、皆さん、いいですかー、昨日施設で鑑賞した“過激派と呼ばれた男たち”の映画で描かれていたのが、今からちょうど十九年前、実際に立て籠もりがあった、コウモリ山荘ですー、ここで、当時の革命闘士たちと、旧政府の機動隊との攻防戦が一週間に渡って行われました、、フランス革命のバスチーユ牢獄と同じように、ここから市民革命の火ぶたが、切られたのですー。」

バスから降りた中学生の集団を山荘の庭から見ている四人の男、、過激派の女を助けたことで新政府に拾われ、今では国営映画社の代表をしている秋山誠二と、旧コウモリ山荘に作られた革命記念館の館主をしている山崎明、ハリウッドでプロデューサーをしている新谷、そして錠前師菊池、が実に十九年ぶりにここで再会し、防空壕の中の封印庫のゼンマイが切れて扉が開くのを今か今かと待っている。

新谷「賑やかですなあ、、」

山崎

「修学旅行のバス、昔はよく来ていましたが、ここ数年はあまり来んようになりました。今日は久しぶりです。」

秋山

「二十年か、、あっという間だった、日本も大変だった、、あの時、花田真砂子がヘリコプターから落ちた時、テレビ局が過激派の女だと間違って映して放送してしまったがために、世間の流れが変わった、、落ちたヘリコプターは機動隊が撃ち落としたと国民は思い込んでしまい、マスコミは反政府体制になり、国民はそれに煽られて政府は倒れたのだからな。」

新谷

「あの時に山崎さんが助けた女が、今じゃ新政府の二代目首相ですし、立て籠もり犯の過激派たちが全員、政権の閣僚をやめずにずっと続けているのですからなあ。錠前屋さんは今どうしているのです?」

菊池、

「えぇ、私は、独立して、今は一人でやっています。」

「あの時の師匠のほうは?」

「あの時、新谷さんから戴いた古式錠から心を刺激されましてね。京都の山科で骨董品屋を経営していますよ。そろそろ金庫、いや、封印庫の様子を観てきます、では。」

「ああ、私たちも後から行くよ」

秋山が新谷に言う、

「君は運が良かったなあ。アメリカで成功して。」

「ええ、日本の革命前夜にアメリカに戻りまして、うちの父が残したあらすじのメモから創った脚本が映画会社に認められ、制作会社に入れてもらい、ほとんどの作品はヒットしました。それとあの時に古田さんから聞いたことがハリウッドでも、役に立ちましてね。」

「君が製作に関わったという映画は日本じゃあ海賊版ビデオでしかみられんが何本かは観たよ、いやあ君が羨ましい、あの時、君と一緒にハリウッドに渡り、映画を制作していたら、と、ふと思うこともあったがな。」

秋山が二十年前に山荘に置いたままで帰った、社のカメラを懐かしそうに触っているのを見た新谷が言う。

「秋山さん、、そのキャメラを触るのも久しぶりでしょう、置いたままで、あの時撮った中のフィルムはそのままじゃないですか?」

「そうだ。この中には、革命前の時代そのままだろう、フィルムは劣化して現像は出来きゃしないだろうがね、ふぅ、この君の山荘も、眺めも何もかも、、懐かしい。後ろの冷蔵庫の氷が落ちる音もなぁ。そして金庫室に置いたままだったあの箱、ええと、ヒュミドールと言ったか、葉巻を入れる箱も懐かしいよ、」

「あ、あのお、そのことですが、、こんなことをロスアンゼルスの老舗のタバコ屋の主人から聴いたことがあります、、タバコの葉を餌にする特殊な害虫がいる、その虫の卵が葉巻に付いたまま、葉巻を入れる箱、“ヒュミドール”に長時間入れておくと、孵化して幼虫になり、葉巻は喰われてしまう、と、、ですから秋山さん、、あの、私の父の書いた脚本の原稿用紙、って葉巻の香りがついていましたよね、金庫の中に残っていた父の手帖に虫の喰った後があったのは、それではないかと思うのです、」

「タバコの葉と間違えて虫が食ったと言うのか?」

「そうです、ですから、これから出てくる原稿用紙は葉巻と一緒に入っていると、封印した後に、卵が孵化し、幼虫は、もしかすると葉巻を食べつくした後の次に、原稿用紙を食べてしまっているのではと、、」

話しを聴き終え血相を変えて新谷を睨む秋山、

「、、君、恐ろしいことを平気で言うようになったなあ。」

「はい。映画界にいると、どういう場合でも一番悪い方も考えるようにしております、公開直前に問題発覚で大金を掛けた映画が公開中止になって巨大な映画会社が潰れてきたのも経験してきましたし。」

「、、う、うん、そうだな、、」

「でも、悲観論だけでは生きていけません、楽観論も考慮に入れていないと夢は描けません。。密閉状態で酸素が尽きていれば、虫は早くに死んでいるかもしれません。」

「古田さんには言うなよ。あの元女優の面倒を、この山荘で診ながら、あれから一九年待ち続けたのだからな。」

「あの二人は映画を作りたいだけの執念で、ここで生きてきたのでしょ?」

「ああ、そうだ、、。」

後ろからしわがれた男の声がした、秋山と新谷、会話をやめた、、車いすに座っている花田真砂子を捺している後ろの男、火のついていない短くなった葉巻を口に咥えている古田が庭に出てきた。 座ったままの花田真砂子の顔、大きなサングラスと、頭は洋式の喪服で使用する黒い帽子と紗のベールをすっぽりかぶっているので顔はよく見えない、そして今は倒産して影も形も無いミヤコ映画会社、の元社長、古田英樹は、白髪の老人になり、背も低くなり、右足をすこし引きずりながら、秋山と新谷の前へ車いすを押してきた。

ベール越しに空を眺める花田真砂子、

「はぁー、暑いけど、いい天気ね。これだと、今日の野外ロケはうまくいきそうだわ。」

抑揚のないで答える古田。

「そうだな。」

コウモリ山荘の周りにいる修学旅行の生徒の集団を指さす花田真砂子。

「あそこの人だかり、ロケの見物人でしょ?見物人の整理の人に言って、どけてもらってね、気が散ってしょうがないわ、、」

「うん、わかった。監督に伝えておくよ。」

「じゃあ、そろそろ本を渡してちょうだい。セリフも早く憶えなくちゃなりませんでしょ。」

「ああ、もうちょっとであの唄が聴こえてくる。君のお気に入りの恋愛物の脚本が出て来るさ。」

「今度の映画も私の主演で日本中の映画館は大入り間違いなしね。」

「そうだな。すこし散歩をしようかね。ほらあそこ、百日紅の花がきれいだ、、」

庭を通って裏手の小さな納屋に向かって行った。二人の会話が聴こえないくらい離れてから秋山が新谷に言う。

「花田真砂子のほうは、まだミヤコ映画が存在していて、自分は主演女優で今、映画を撮っていると思っている。朝起きたらいつもあれだ。素晴らしい幻想の中で生きているんだ、、夜には撮影所の中で撮影を終えて疲れたわ、を連呼して化粧を取るしぐさをしている。古田のほうは、頭の中はまともだが、きみのお父さんの書いた脚本で映画製作する夢を未だ捨てられない。社会主義の世になって、他の映画会社は国に迎合して国策会社になったし、逆らって潰された会社は地下に潜って違法成人映画を作りづつけてる、、そんな中で、出資者を集め、もう一度、ミヤコ映画会社を再興できると思っている。」

呆れる顔の新谷

「二人とも、すごい執念ですなあ、、」

秋山

「執念だけで生きているのさ。」

山崎

「あの山荘上空からヘリコプターで墜落しても死ななかった二人ですからね。」

新谷

「そうですな、では、そろそろ 観に行きますか。」

秋山、新谷、山崎、離れ家に行き、梯子を下り、防空壕に入る、封印庫の前に鍵師菊池が居る。封印庫の上の機器から大きな音、、

後ろを振り向く菊池

「ゼンマイが切れます、隙間が空いてきました、凄い正確さですな、さすがスイス製、、開きますよ、」

鍵師菊池、すこし音痴ではあるが小さな声で歌を唄いだす、

「♪ハッピバースデー、ツーユー、、、」

秋山と新谷が思い出す。

「お、君も唄っているのかい、、。」

菊池

「ええ、いつも唄っています。今日は私はなにもしていませんがね、、」

「師匠譲りだな、、」

いつのまにか古田がやってきて後ろに立っている、、鉄と機械油の擦れる音が終わり、最後にガツ、と言う鈍い音、自動的に、封印庫の扉が開いた。

皆が皆、顔が引き締まっている、、


    、、、葉巻の薫り、がしてきた。

      

                        終

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ヒュミドールの香り しおじり ゆうすけ @Nebokedou380118

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