04
「ふん…っ」
……シャッ……
まず四畳半間のカーテンを開けて、窓を全開にする。とりあえず埃と忌々しい微醺を外に出してしまいたい。
床に蓄積する埃は粗方拭き清めたが室内の荒れようは凄まじく、微醺の本元はどうやらTシャツがはみ出している衣装箪笥のようだった。
……正直、触りたくはない。しかし、これを
《スチャ…ッ》
予め用意していた防塵マスクと軍手を装着し、ソラは無心に黴たTシャツを始めとした箪笥の中身をゴミ袋へと詰めて一掃した。
「これで大体は片付いたが、問題はあの荷だな」
成り代わったとはいえ、すべきことは山積みである。イスナは有給休暇中だったらしいので、怪しまれないようまずは各所に情報共有をしなければならない。
とりあえず早く荷を解いてしまいたいソラがリビングに戻ろうと踵を反した次の瞬間、ぶつりと唐突に証明が消え、手を触れてもいない入口の扉が勝手に閉まる。
「タダで帰す気は無い…か」
立地的には駅から比較的近く、周辺環境に問題はないのに、破格の安価だった最大の理由……それは、ここが事故物件だということ。
やはり安価というだけで飛び付いてはならない、甘い話には必ず裏があるのが世の常。お約束である。
今さら文句を言っても仕方がないが、そういった存在から好まれるイスナの体質と運の悪さが本当に恨めしい。
しかし、頼る理由があると言うならば話を聞いてやるのがソラの流儀なのだが…今朝感じた視線から始まり、極めつけは先頃の騒霊現象。
………要は、試されている………。
どうやら、此処に居残る「前住者」は随分といい性格のようだ。
(態度にもよるが、ふざけた奴なら消し炭にしてやる!)
ソラの
わざわざ霊的な根回しの末に招かれたのだ。
そう簡単に帰してもらえるわけがない事を逸早く察したソラは、これから起きるであろう接触に身構えた。
「そこに居るんだろ、隠れてないで出てきたらどうだ…」
【あ、そお? じゃあ遠慮なく】
「……今朝からずっと視線を感じていた。それだけ注視されれば嫌でも気づく」
霊魂との接触は、会話から始まることが多い。
返ってくる筈のない返事に相槌まで打ってしまったのだから、尚のことその後が如何なるか等……想像に難くはない。ソラは不機嫌も露わに渋面を作る。
【ちゃんと俺の声が聞こえてるんだよな? ああ良かった。全うな反応返してくれたのって、オタクだけなんだよ〜】
…ぽわん。
シャボン玉の薄膜が弾けるように空気が切り替わる。そして、淡く軽い小鈴の音と共に人の形をした輪郭が浮かび上がった。
「ここの前住人で、間違いないな」
男の容姿は、間違いなくさっき見つけた写真に写っていた、金髪の青年である。
…微妙に昭和臭い背格好なのは、笑っていいのだろうか。
【ご明察。へえ、あんたが次の住人か。仲良くしてくれよな?】
鼻が触れるか触れないかの距離で顔を覗き込まれたソラは、大きな瞳を更に大きく瞠る。
「〜〜〜〜〜〜…っ!!」
今すぐにでも喝を入れて追い出してしまいたいけれど喉の奥に逼塞した声がどうしても出てこなくて、頭の奥が朦と熱を持つ。
後退り距離をとる………そんなソラの様子を見て前住者である青年(霊)は何処か嬉しそうに口端を上げた。
「はあ……」
幽霊とシェアハウス? 冗談も大概にしてくれ。
ほよほよと宙を漂う彼を傍目に、ソラは先から頭痛を訴える額を押さえて屈み込んだ。
【お、おい…どした? いきなり屈み込んだりして、具合でも悪いのか?】
「やめろ…。よせというに。私に、不用意に触るな…」
心配してか、指先が触れようと近づいてくる。
その不用心な行為に苛立ちが湧いて自然、声が荒くなる。
………ゴォ…ッ!!
冷たい気配が触れたその一瞬、慌てて身を翻したが間に合わず、あっという間に青白い焔がソラの全身を包みこんだ。
【な、なあ平気かよ? すっげー燃えてっけど…熱そう。てゆうか、なんなんだ? この火】
いくら霊的な
「これは
【へえ~~~。ゲームでいうバリアみたいなやつ?】
「まあそうだな。だから、私にとっては特に問題はない。……だが君は触れない方がいいね。これは霊体を燃やす」
【こわっ】
「……それに、私は幽霊の類いが嫌いだ。君も今しがた見ただろう、とても仲良くできるとは思えないがね」
【おいおい、んなもん、まだ分かんねえじゃねえか】
背を向けて視界から青年霊の姿を閉め出すソラに対し、構ってほしい青年霊はめげずにポニーテールの先を引っ張る。
それがまた地味に痛く、しかも
「やめてくれ。…好きではないと言わなかったか?」
【んな毛嫌いしなくたっていいだろうが…。幽霊だって元は人間だァ。今まで俺の姿は見えても、声が聞こえる奴なんていなかったから…嬉しかったんだよ…】
「貴様…」
不満げに唇を尖らせる青年があまりにも悲しそうに項垂れるので、ソラは面食らう。
こうして撥ね付ければ大抵の霊は畏れて近付かなくなるのだが、この青年の霊は食らいついて離れない。
……こんな事例は、今かつて初めてである。
「キミ、なぜ私に構う。怖くはないのかね」
【べつに、怖くないって言えば嘘だけどさ…同じ部屋に居るんだし、気になるじゃねえか】
「変わっているな」
【そういうアンタも、な】
眉が下がった情けない顔で笑う青年につられて、つい頬が弛む。
否が応でも気が向いてしまい、これ以上の意地を張るのが馬鹿らしくなったソラは、僅かに警戒心を弛めた。
「ま…まあそうだな。すまない、少し言い過ぎたようだ」
【うあっち! も、燃えるんだろそれ…っ】
対霊用の浄化火を無効化してから隣に並んで座るが、青年は弾かれたように後ずさる。
「…燃えないよ。燃えないようにしたから、平気さ。戻っておいで」
【マジで?】
「ああ、マジだ。ほら」
指先が触れ合い、やがてそっと手が握り合わされる。触れ合う体温は若干低いけれど、質感は生きた人間と変わりはないのがやや悲しい。
【お前、いい奴だな。こんなんでも、ちゃんと触られた感覚は解るんだぜ?】
「此処には、いつから居るのだ?」
【わからねえ…っていうか、覚えてねえんだよ。気付いた時にはここにいてさ、おかしいだろ?】
「そうだな。ならば、自分の年齢や名前も覚えていないのか?」
明確な意識と人格を残して記憶喪失の死霊、そんなケースなどは初めて直面する。
なぜなら、大体の魂魄は死の衝撃で人格が破壊されてしまうのだ。
判別を行う上で必要な手順を踏みつつ、ソラはいくつかの“質疑”を試みることにした。
「おまえ、自身の名を言えるかね…」
【おいおい…流石にそれくらいは覚えてンぜ。
「…そこまで聞いてはおらん。判別の手順として名を訊ねただけだ。正直、貴様の名前などどうでもよい」
【いやいや、それぐらい聞けよ!】
フレンドリーにベラベラ自己紹介を捲し立てる青年霊がウザったくて、ソラは長ったらしい口上をシベリアの永久凍土もかくやの塩対応で寸断した。
「…異論は受け付けない。それに、キミは私の質問に回答すればいいだけだ(ギロリ)」
【ん、なっ、なんだよ…イチイチ憎ったらしい言い方しやがってっ!】
なにも難しいことではないだろう…と言い切る冷徹なソラに、青年霊・啓司はグッと深い怒りを貯めて悸きながら、遂に叫んだ。
もしも啓司が生体であれば、唾が盛大に飛んでいたであろう。
「は? それ以外に必要性を感じなかった、理由はそれに尽きるのだが」
素直に感情のまま雄叫んだ啓司は毅然とソラを睨むが、当の本人はというと“だからどうしたんだ?”と首を傾げている。
【けっ。なんでェ、まったくツンケンしやがってよ…。キレーな顔してても、そんなんじゃお里が知れるぜ】
「ふーーーん、そうか」(ごそごそ…)
【……って、聞いてんのかよ!】
無関心+冷徹なソラの態度に憤慨する啓司だが…本人は聞いているのかいないのか、ダンボール箱の中身を精査している。
「…ふむ、それにキミは(イスナより)年上かね…」
【そうそう。年上なのだよ】
ようやく返ってきたレスポンスに目に見えて機嫌を直した啓司が、調子に乗ってソラの口調を真似て返事をする。
「控えめに見ても、そうは見えないがな」
【はうっ!】
「阿呆め、気を許すよう仕向けてから取り入る魂胆か、だがそうは問屋が卸さない」
調子に乗った青年霊の
【おまっ、辛辣だなぁ…でも諦めないもんね】
毅然と構えるソラだが、唐突な流し目の視線と共に流れてきた啓司の “いかがわしい気配”にゾッと背筋を粟立たせた。
「なんだ……やめろ、気色の悪い」
明らかな
【アンタの名前。まだ聞いてねーんだけど?】
あまり気が乗らないが、名乗るまで彼の熱視線から逃れる手立てはないのだろう。
「貴様の思惑に巧く乗せられたようで面白くないが、背に腹は代えられないんだろうな。……名はソラ」
【へえ、歳は歳は?】
渋々名乗れば「待ってました」とばかりに、啓司は身を乗り出してくる。隠し立てないナンパに、ソラは毅然と向き直った。
「止めておけ…」
おんぼろアパートに住む羽目になり、おまけに部屋にはチャラ男の幽霊つき。どれだけ運がないのだろうと情けなくなる。
今までだって、他の入居者にどんなようにして関わって居たか分かったものではない。
どうせ、顔さえ良ければ何をしても許されると、おかしな思い込みをしているのではないだろうか。
【うへ、ひでぇ言われよう。取り憑いたりしねぇよ】
「人の、心を読むな!」
───ビシッ!!
【ほげっ!?】
思いきり何かに頬を撲たれた啓司は無様な悲鳴をあげて段ボール群に突っ込んだ。
「…霊体で不可抗力とはいえ、その部分は礼儀を持つべきだと思わないか?」
【えっ、なに……ハエ叩き…? え?】
「そうだが? …むしろ逆にこれがそれ以外のものに見えるのか」
しゅん、と風を切るハエ叩き。ちなみに、コレもしっかり呪具である。
それをまるでラケットのように素振りしながら叱責され、今しがた頬を撲ったものがハエ叩きだと、ようやく理解した啓司はザッと青褪めた。
【んぎゃああっ、汚ねえぇぇぇぅええ!!】
「丁度いいところにコレがあったのでな。ああ、安心したまえ。未使用だ」
火に炙られたイモムシの如く見悶える
【そんな情報いらねえええぇぇぇ!!】
「ええい喧しい」
……ぺしぺしぺしぺしぺしぺしぺしッ!!
【痛って! ちょっ、おま…叩くな…ふぎゃっ!】
そんな気休めは要らないと憤慨する啓司を再びハエ叩きで黙殺したソラは、何気なくスマートフォンの時間をみて一瞬だけ硬直した。
存外に長居していたらしく、携帯の液晶ディスプレイの表示は既に翌日を示していた。
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