第17話 旅立ちの日

「私達の前に二度と姿を見せるな!」


 そう捨て台詞を吐いたオンズロー夫妻は、書類を手に意気揚々と帰って行った。


 オンズロー家に対して謝罪の気持ちなどない。

 アレイシアの本当の謝罪は、これからだ。

 ずっと一緒にイシュの街を盛り上げてきたのに、裏切ったのはアレイシアだ。ギルドの人達に許されるとは思っていない。分かっているけど、謝罪もせずに出て行くことはできない。


 ギルドへの迷惑は最小限に抑えられるように手を尽くしたつもりだけど、実際に損害を被った彼等にとってはそんなのはどうでもいいことだ。

 アレイシアが裏切ったという事実。彼等にあるのは、ただそれだけだ。

 罪悪感に締め付けられて悲鳴を上げている胸が痛い。どんなに苦しくても、それは当然の報いなのだとアレイシアは耐える。

 苦しんでいる暇はない、アレイシアにはまだ謝罪が済んでいない。

 自己満足であっても、罵られようとも、余計に憎まれようとも、最後にちゃんと謝りたい。


「両親から逃れるために、自分のためだけに、イシュの皆さんのことを裏切りました。許してもらえるとは当然思いませんが、私にできることはさせて下さい。今まで報酬として頂いたお金は置いて行きます。損失の補填に当てて下さい。本当に、ごめんなさい」


 額が膝につくほどに、アレイシアは頭を下げた。

 これでは足りないと土下座をしようと床に膝をつくと、ギルド長がため息を吐くのがすぐ横で聞こえた。

 静まり返った部屋に、失望が漏れ出る音が響いた。アレイシアがビクリと両肩を震わせると、ギルド長がその肩を掴んで立ち上がらせる。

 てっきり殴られると思ったアレイシアは、両眼を閉じて歯を食いしばって張り手を待った。

 しかし、待てど暮らせど、張り手も罵声も飛んでこない。


「おいおい、シアはギルド長に殴られると思ってるぞ? どんだけ怖い思いさせたんだよ?」

「シアをビビらせるなんて、最悪だな! やっぱりあの馬鹿親はぶん殴るべきだったんだよ!」

「そうだよ、あれだけ自分に不利な契約させられたことに気付かない馬鹿なんて、殴ったって気づかねぇよ!」


 ギルド長が責められるような、揶揄われているような言葉が飛び交っている……?

 おかしいと気づいて開いたアレイシアの瞳に映ったのは、さっきまでの殺伐とした怒りと恨みに満ちた顔ではない。いつもの明るく優しい顔をしたギルドの面々が映った。

 驚きすぎて隣に立つ紗和子を見上げると、紗和子も細めの目を見開いて「全然気づかなかった。完全に騙された……」と呟いた。




「ギルド長が馬鹿みたいに『領主様と同じ気持ちです』しか言わないから、俺は笑いをこらえるのに必死だったぜ?」

「あの馬鹿領主相手に言葉を尽くすなんてもったいないだろう? 一言だけで十分だ! それだって、言いたくなかった!」

「ギルド長の顔は、引きつっていたからな。いつ『もうやめた!』と言い出すかヒヤヒヤした」

「シアのためだ。最後までやり遂げるに決まっているだろう!」


 そう言ったギルド長は、とてもとても優しい表情で、アレイシアの頭を撫でた。

 オンズロー家が忌み嫌った黒髪を、イシュの人達は嫌がらずに受け入れてくれた。

 初めてギルド長に頭を撫でられた時は驚いて、「魔女みたいな黒髪に触れるのは、気持ち悪くないの?」と聞いてしまったくらいだ。ギルド長が「シアのことを魔女なんて言う奴は、糞以下だ」と言って笑い飛ばしてくれたのは、アレイシアは一生忘れない。

 その日以来、イシュのみんなは、事あるごとにアレイシアの髪に触れてくれた。その度に、胸が温かくなってアレイシアは泣きそうになるのだ。


(大切なその温もりを失うのかと思うと、悲しかったのに……)


「なによ! 先に言っておいてよ! オンズローのバカ夫婦を嵌めるための罠だったって訳ね! やるじゃない、ギルドの猛者共!」


 アレイシア以上に大号泣の紗和子は、そう言ってギルドの面々の肩を叩いて歩いている。

 アレイシアだって紗和子と同じように嬉しいけれど、後ろめたい気持ちもあって上手く笑えない。


「シア、そんな顔をするな」

「今回の件、イシュへの影響が小さく済むように手を尽くしてくれたのは俺達だって分かってる」

「ここまでの規模で自由貿易をしていること自体が違法だとは、俺達だって分かってた。今の状態で進めるのは、もう限界だったんだ」

「本当なら、とっくの昔に領主が正すべきだったんだよ」

「罰金と訓告程度で済んで、オンズロー家は喜ぶべきなんだ」

「あいつらは商売のことも、領地のことも何も分かってないからな。本当に目先のことしか見えていない馬鹿だ……」


 ギルド長の言葉に、全員が一斉に神妙な顔で「うんうん」とうなずいている。


「『智の精霊』のご利益のおかげで、国内でも随分と儲けられるようになった。自由貿易でなくなった方が、販路も広がる。だから、シアは何も気にせずに前に進め」

「本当はもっと早くに俺達が、シアを解放しないといけなかった。シアの力を借りたくて、シアといるのが楽しくて、ついつい手を離せなくなっていた。本当に、悪かったな」


 狡猾に商売をこなすおじさん達が、神妙な顔をしてアレイシアに頭を下げる。

 陰に隠れるように何とか生きていたアレイシアを太陽の下に連れ出してくれたのは、ギルドの面々やイシュの人達だ。色々な場所に連れて行ってくれて、たくさんのことを教えてくれた。


「私も、みんなとずっと一緒にいたいと思ってた。でも、私には目標があるから、そのために自分勝手なこと……」


 また謝ろうとするアレイシアを止めたのは、ギルドのみんなの温かい笑顔だ。


「俺達がシアに気をつかわれて、やりたいことをさせてやれないような能無しじゃないって知っているだろう?」

「イシュのことは俺達に任せて、シアは自分の道を進め!」

「シアと関係を断ったのは、オンズロー家だけだ。イシュの街の誰もが、今まで通りシアを迎えるよ。だから、いつでも帰っておいで」


 年相応の子供と変わらずに声をあげて泣くアレイシアを、男達は大いに甘やかした。

 もっと責め立てられ残酷な終わりを迎えると思っていたのに、まさかの大団円だなんてアレイシアも紗和子も予想外だ。予想外過ぎて、みんなの優しさが嬉しすぎて、涙が止まらない。

 紗和子もずっと大号泣で、「王都からずっとご利益を送り続けるからね~」と誓っていた。




 数日後にアレイシアがイシュの街を旅立つ日は、多くの者が集まって別れを惜しむ光景が広がっていた。餞別が馬車に乗り切らず、誰のものを持っていくかで揉めたほどだ。

 そして数カ月は、みんなが涙に暮れて仕事にならなかった……。


 アレイシアが研究者として頭角を現すのはすぐのことだ。

 王都でも一目を置かれ、カレイド国だけでなくイグネルト国でもちょっとした有名人となった。

 イシュの人々は誇らしげに、そんなアレイシアの成功を喜んだ。

 そして、オンズロー家がアレイシアの名声にあやかろうとするのを、イシュの人達は決して許さなかった。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

本当に嬉しいです!

これで、第一章が完結です。

話の本筋や流れ影響はないのですが、いただいた助言を活かして、出だしの数話分を少し改稿しようと思っています。

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スマホを持った精霊と、愛し子の奮闘記 渡辺 花子 @78chan

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