世界線β・被験者「山近煌希」の受難

最終話 後悔の手記

 あの世界線を生きる「僕」がこの先、一生知り得ない事がある。それは、あの結末に導いてくれた親友の苦悩と、「僕」が記憶していた祖父の自宅にある椿の木が、実は白い花を咲かせる事だ。こちらの世界で僕がその事実を知ったのは、白椿が花開いた十一月の事だった。僕はてっきり紅い椿の花が咲くものだとばかり思っていたけれど、開花の時期から推測すると、どうやら僕が元いた世界とは椿の種類が違うらしい。

 つまり、あちらの世界の僕もまた他のみんなと同じように、祖父とは違う世界を生きる人間だったのだ。

 それじゃあ、あの世界には元々誰がいたのか。平行世界が複雑に入り乱れている状況では、僕らにそれを知る術はない。

 僕はそれ以外の事実を全ての黒幕から中途半端に教えられた。悪夢を通して僕に接触してきた奴の話では、世界が狂い始めたのは夏休み前の六月からで、きっかけは僕の祖父の死ではなく、僕の友人が人間に扮した奴に出会った事だった。

 ──何かに縛られているのは君たちだけではないよ。我々も知りたいんだ。時間という制約から解放される方法を。地球はその実験場さ。

 何食わぬ顔で僕にそう語った黒幕は、僕の友人にある取引を持ちかけたそうだ。それは、奴らのシナリオ通りに事が運ぶよう手助けしてくれたら、友人が何としてでも変えたかった過去を思い通りに改変させてやる、という内容だった。

 奴は取引が成立した証として、僕の友人に人間の生体電場を乱す装置を渡した。それこそが、僕の意識を電気ショックで奪った、ノック式ボールペンだった。友人はそれを使って第三階段の踊り場で僕を襲った。襲う直前まで、彼は制服の袖の中に装置を隠していたらしい。だからあの日、彼はまだ暑かったのに長袖を着ていたんだ。

 僕を裏切ってまで、彼が成し遂げたかった事とは何だったのだろうか。黒幕は友人の目的すらも知っていた。

 ──詳しく聞かなかったけど……。彼、別の友達に何かの恩を強く感じているみたいだったよ。まあ、恩を仇で返す結果になったけどね。

 口の端で長くて細い炎のような赤い舌をちらつかせ、奴は僕らをあざ笑った。

 僕は奴の話を聞いて友人の目的を悟った。彼の悲願。それは、いじめに遭う事を抜きにして、委員長と親友になる事だったんだ。どうやら彼は自分の悲劇を無かった事にしたかったらしい。

 ──人間は自分の都合良く、運命を変えられないんだ。ましてや、他の人間の行動や意識だって変える事ができない。彼も今回の事が教訓になっただろう。君もそう思わないかい?

 僕は友人を憎めなかった。同情すらしている。というのも、こちらの世界の彼は悪事に加担した後悔の念からか、精神を病んでしまったからだ。彼ほど運命に翻弄された人物は他にいないだろう。

 全ての黒幕は、僕の目の前で歪んだ冷ややかな笑みを浮かべていた。奴の服装は、電車の悪夢で現れたアイツと全く同じだった。

 ──過去を変える……つまり、時空を歪めるには、相応のリスクを負わなければいけないんだよ。今回、彼は大切な人との出会いをやり直したかった。その代償は彼の運命だ。彼が他人の運命に干渉するのならば、宇宙我々も彼の運命に干渉する。悪いが、これは宇宙全体の決まり事なんだよ。人間が言う、ことわりってヤツさ。

 奴の縦にある瞳孔が開かれる。僕は脅されている感覚と同時に、動きをじっと観察されているような気がした。

 ──君たちは、我々に絶対に逆らえないんだよ。

 奴は自分を「宇宙意志」と名乗った。

 誰かが自分の思い通りに宇宙の改竄かいざんをしようとする時、それを実行しようとする人物を排除する作用が働く。例えば、タイムマシーンで過去に戻って歴史を大きく変えたとしても、予想もしないところで別の事件が起きて元々あった出来事と似たような流れになるという事だ。

 ──そう悲観しないでくれ。我々は地球の侵略者ではない。人間に試練を与えるただの試験官さ。受験者はランダムに選ばれた君たち地球人だ。

 僕は胸底で舌打ちした。どこかで似たような話を聞いた事があったからだ。恐らく僕の友人は黒幕から、事実に微量の嘘が混ざった話を聞かされてきたはずだ。彼は見事に餌に釣られたらしい。

 ──むしろ略奪者は君たち地球人だ。どこに行っても戦争や競争を続けていて、醜いったらありゃしない。歴史を辿ると、君たち日本人だけでも侵略者と原住民の血が混じっているんだ。君たちは選択肢を残された意味と、選択肢を消された意味、それぞれについて自分の頭で考えなければいけないよ。決定権と実行力があるのは自分だけだからね。

 宇宙意志は最後、僕に大事なメッセージを伝えた。

 ──君たちだって宇宙の一部だ。醜い欲望からの解放こそ、この宇宙の本望だよ。


   *


 僕の友人は間違った情報を教えられていた。そして、僕はそんな彼が伝えてくれた情報を鵜呑みにしてしまった。僕が彼を信用したのは、彼が僕のクラスメイトで、人望がある委員長の友人で、知識人だったからだ。僕はそういう先入観を利用されていたらしい。

 ひょっとしたら、今も僕の洗脳は全部解けていないのかもしれない。それでも、僕は彼を救いたいと思った。彼が僕にかけてくれた優しい言葉の数々は本心じゃなかったのかもしれない。けれど、僕は彼の心に残っていた優しさに触れる事ができたような気がする。彼からもらったたくさんの言葉で僕が救われてきた事実こそが、その証拠だ。

 外の世界と他人がいるのは、自分の潜在意識に耳を傾けるためだ。僕らは宇宙の一部であり、創造主は僕ら自身である。迷ったら自分の潜在意識に問いかければいい。全ての答えはそこにあるのだから。

 ──僕は……この物語のゲームチェンジャーになろう。

 胸の奥で淡い光が灯る。それは憎しみの炎ではなかった。

 今思えば、この騒動の謎を解き明かせるヒントは要所要所に散らばっていた。友人の仮説がやたらと具体的だったのも、黒幕と協力関係にあったと考えれば不思議じゃない。それに僕が見た目覚まし時計の悪夢だって、僕の生体電場が狂っていた事を暗示していたに違いない。

 彼は巨悪に利用されていただけだ。僕がそれに気付くチャンスはいくらでもあった。その後悔を、僕はここにつづろうと思う。


 僕らはこの世に生まれついてから何かしらのシステムに組み込まれ、やがてそのシステムを動かす歯車となる。年齢を重ねる度に複雑な歯車の部品は増えていき、思考停止の状態が長引けばプログラミング教育は終了だ。僕らは一生、その狂ったシステムを疑う事はない。つまり、隠された真実は疑わないと見つからないのだ。

 だからこそ、この物語を読んでくれた「あなた」にも、ぜひ調べてもらいたい事がある。それは、ユリとヒマワリの花言葉だ。特にユリの花の色は、黄色を想定している。というのも、僕の友人は中学生の頃、嫌がらせで黄色のユリの花を机の上に置かれたらしいのだ。

 「あなた」だからこそ、できることがある。どうか、彼と過ごした大切な記憶が日増しに風化していく僕の代わりに、選択を間違えて心が壊れてしまった友人に思いを馳せてほしい。いずれ僕のこの気持ちも、この世界に蔓延はびこる宇宙意志に溶けて消えてしまうだろうから。

 この物語の主人公は僕であって、僕じゃない。こちらとは違う世界線を生きていて、宇宙意志に従うか否かの選択に迷っている僕の友人だ。彼を襲った悲劇の結末を知り、僕はどこかの世界線でこの物語を創作している。僕は自分の記憶がある内に、観察者効果を使って全ての世界の結末を変えるべく、「あなた」も含めたみんなでこの世界を俯瞰的に眺めていくつもりだ。これは、見えない何か──運命に対する僕たちの創造による戦いだ。

 歴史は変わる。未来での自分の生き方によっては、自分を含めた誰かの過去が変わる。向こうの世界の僕が平穏な世界に戻っていない事を知らずに生きていくのか、そして向こうにいる友人が僕を騙している事に心苦しさを感じたままでいるのか。はたまた、こちらの世界の友人のように、全ての人間関係が崩壊して正気を失ってしまうのか──。それは、「あなた」がこれからする行動によっても変わっていくはずだ。

 どうか、僕の大切な友人が幸せになれる選択肢が必ずある事を、どこかの世界の誰かが伝えてくれますように。

 これは、僕があなたに最後の希望を託した物語だ。

 この物語を僕の亡き祖父と、僕の親友である山近煌希に捧げる。


  二〇一四年 十二月

                    藤城廣之

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

語るに乏しい僕の祖父 藤崎 柚葉 @yuzuha_huzisaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ