第十一話 明るい場所に向かって《前編》

 いつの間にか、僕の涙はすっかり引っ込んでいた。山近はさっきから極端な意見ばかりだ。

 今の僕は恐怖よりも、この現象の正体を明らかにしたいという思いに突き動かされていた。

「そんな……。じゃあ、誰がこんな事をしているんだ? 僕と爺ちゃんが狙われる理由なんてないはずだ」

「藤城くん。前に駅前の喫茶店で皆川さんと話をしただろう? あの時に皆川さんが話してくれた説が一番有力だと思う。僕らは未知で巨大な力を持った奴らに、何らかの基準で選別されているんだ」

 山近は僕の疑問に表情を一ミリも変えず、淡々と自分の意見を述べる。

 一方の僕はというと、頭ではわかっていても、山近の突拍子もない考えをまだ受け入れたくなかった。

 僕は呼吸を整えて山近に訊く。

「だから、その奴らって誰の事だよ? それに、その説の根拠があるのか?」

「逆に聞くけど、藤城くんは委員長が自分の意志で平行世界へ移動したとでも思っているの? それこそ、何のために? どうやって?」

「委員長の話は今していないだろ」

「ふたりとも、ちょっと待ってくれ。いったん話を整理しよう」

 動揺していた僕にはどうしても、微妙に話題からずれて好き勝手に話す山近の態度が気に障る。真剣だからこそ少し熱くなった僕が語気を強くさせると、皆川さんが僕と山近の間に入って場をしずめてくれた。

 皆川さんは咳払いをして一呼吸置くと、落ち着いた様子で山近に尋ねる。

「山近くん。君は藤城くんとお爺さんこそが、何らかの理由で選別された人間じゃないかと考えているんだよね? つまり、本当に記憶違いが起こっていたのは、藤城くんとお爺さんのふたりたい、他の人たちって事かな?」

「うーん……少し違いますね。要するに、僕らはこれまで藤城くんのお爺さんひとりだけが、この平行世界に飛ばされたと思っていました。ところが、本当はそうじゃない」

 山近がぶ厚い眼鏡を押し上げる。僕らはそんな彼の一挙手一投足に、全神経を尖らせていた。

 その山近が沈黙を破って口を開ける。 

「実は藤城くんとお爺さんで、椿の木のような記憶の共有ができていたという事は……。ふたりは同じ世界の住人だと証明されたわけです。これはまず間違いないでしょう。それに気付くきっかけになったのが、記憶エラーでした。もしも、この記憶エラーが何度も起こっていたとしたらどうでしょう?」

 普通ならここで、僕と祖父のふたりがこの平行世界にやって来たと考えて区切りをつけるところだけど、山近の持論は意外な方向へと進む。

 前者に引っかかりを感じた僕は、どんどん突き進む山近に待ったをかけた。

「山近、待ってくれ。君は僕と爺ちゃんが同じ世界からやって来たと言うけど、爺ちゃんとはイチョウの葉の栞について意見が違う。山近も栞に貼られた付箋の字を見ただろう? 爺ちゃんの記憶だけが正しかったって言うのか?」

 前も山近に話したけど、僕はイチョウの葉を採ったのは初夏だった記憶がある。だけど、祖父の記録では僕が十一月の修学旅行で採ったものだった。

 僕の記憶は間違いない。そう思っていたのに、山近の発言でたちまち自信がなくなる。

「藤城くん。君がイチョウの葉を採ったのは初夏の話かい?」

「嘘なんかじゃ……!」

 一瞬、店内に流れていた音楽が大きく乱れる。張り詰めた空気を引っ掻いたその出来事は、僕の思い出の上に塗られていたコーティングを剥がしていく。

 頭の中で浮かび上がったのは、男子生徒用の冬服に身をまとった誰かが紅葉したイチョウの葉を拾う映像だった。どう考えても、これは僕の視点だ。

「……あれ?」

「やっぱりか。イチョウの葉も記憶エラーだったみたいだね。本当はお爺さんの言う通り、十一月の修学旅行で採ったものだったんだろう?」

「そんな……」

 僕は今までどれくらい偽の記憶に騙されていたのだろうか。

 ショックで言葉を失う僕に構わず、山近は皆川さんの名前を呼んだ。

「皆川さんに祭りの記憶があった事を考えると、元々この世界では土崎港曳山まつりが行われていたはずです。だけど、僕の友人である委員長を始めとする人々からは、その記憶が消えてました。ちなみに、マスターは土崎港曳山まつりをご存知ですか?」

 全員の視線がマスターに集まる。

 マスターはいぶかしげな表情で山近を見つめ返した。

「ああ、もちろん知っているとも」

「でも、今年は祭りが開催されなかったんですよね?」

「確かにそうだが……」

「この世界から祭りが消えた。すなわち、土崎港曳山まつりの存在は、こことは違う平行世界に置き去りにされているんです」

「まさか……」

 皆川さんの呟きと重なるように、僕の隣からカウンターテーブルにグラスを置いたような音が聞こえた。

「皆川さんとマスターで話が合うようなら、あなたたちは同じ世界の住人だと考えていいでしょう。そして、祭りが存在している世界は、藤城くんとお爺さんがいた世界にも当てはまる話です。だけど、マスターとお爺さんはビル・エヴァンスが秋田市に来たかどうかで、意見が食い違っていました」

 順序立てて説明してくれる山近だけど、僕にはそれが非常にもどかしい。

 結論を急かす僕に同調するように、握ったグラスの表面から発生した水滴が僕の手を伝う。山近の声音の方がまだ冷えていそうだ。

「つまり、平行世界であるここに移動してきたのは、お爺さんと藤城くんを中心とする全ての人間だった。恐らくこれが真実でしょう。だから、皆さんの記憶と違ってこの世界には祭りがなかったり、お菓子屋の看板の文字が黒かったり、桜の木が藤城くんのお爺さんの庭にあったりするんです」

 山近以外の全員が吃驚きっきょうして固まっていた。

 あらゆる世界から集められた僕らは、知らぬ間に触れてはいけないものによって、日常をおかされていたのだ。

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