第三話 オカルト好きな同級生

 通学路の途中に小さなお菓子屋がある。その店の窓がカラフルなポスターで埋め尽くされたら、夏が来た合図だ。

 小学生の頃はよく店の前で、一番に食べたいソフトクリームはどれかを友達と論争していたっけ。あの頃は出来なかったけど、今ならお小遣いさえあれば帰宅途中に買い食いができるから、僕も成長したものだ。夏だからと無邪気にはしゃいでいた日々が、つい昨日の事のように思える。

 あれから僕もだいぶ背が伸びたので、見える世界はすっかり変わったけれど、変わらないものもある。

「テストなんか嫌いだ」

「同感。俺はこの暑さも嫌いだよ。早く学校にクーラーをつけてくれ。夏休み前にどうにかなりそうだよ」

 僕は返却されたテスト用紙から目を逸らして、僕の机に日焼けした腕を下にして頭を伏せている友達の旋毛つむじを凝視した。彼は右巻きのようだ。

「確かに、七月でこの暑さは参っちゃうよなあ。でも委員長は野球部だし、炎天下の日々には慣れっこなのでは?」

「だからこそだろ。常日頃から灼熱地獄にいてたまるか。今時はな、高校だって冷房があるのが常識だぞ」

「それ僕たちの学校はまだ先だよ。僕らの県は冷房設置率が一番低い都道府県だって知ってた?」

「ちっきしょー! 冷房が効いた教室で補習授業を受けようと思っていたのに! けっきょく暑さと葛藤しなきゃかよ!」

 テスト返却中で周りも騒がしいとはいえ、授業中にギャーギャー騒ぐ元気があるなら、彼はきっとこの夏も乗り切れるだろう。なにせ彼は学級委員長だし、野球部の四番打者だし、頭も良いし、イケメンだ。

 僕にないものを全部持っている委員長は、夏の暑さにも負けない強靭きょうじんな身体も、何事にも打ち勝つ強運だって持っているに違いない。

「委員長、冷房設置と謎の解決は君に任せるよ」

「廣之、お前は俺を神様か何かだと思っていないか? あと、謎って何?」

 教室はまだ騒がしい。先生の解説は当分先みたいだ。

 僕は何となく声をひそめて、委員長に祖父の件を話してみた。

「ここだけの話だよ。実は、僕の身内で不思議な事を言っていた人がいるんだ」

「何それ。ミステリー体験談?」

「そんな感じだよ。自分だけが、周囲の人間と記憶のズレがあったんだ。僕はその謎を解明すべく、ヒントを探している最中なのさ」

「ふーん……。その話、なんか難しそうだな。たぶん俺は協力できそうにないけど、あいつならその話は得意分野だと思うぜ」

「あいつ?」

 委員長はそう言って、斜め向かいのクラスメイトを指差した。

山近煌希やまちかこうきさ。あいつはオカルトとか、SFとかが好きなんだ。煌希ならその話も興味ありそうだし、協力してくれるかもな。良かったら、次の休憩時間に一緒に頼みに行こうか?」

「いいのか?」

「ああ、いいぜ。俺、あいつと小学校から高校までずっと同じなんだ。お前たち、ふたりだけで話した事なさそうだし、俺もいた方がお互いに話しやすいだろ?」

「ありがとう、委員長。君は性格までイケメンだったのか。委員長がモテる理由がよくわかったよ」

「よせやい。本当の事を言うなよ」

 委員長はふざけてそう言うと、照れ隠しのように自分の坊主頭を撫でた。

 彼に人望があるのは、こういう気取らない性格だからこそなのだろう。


「煌希、このクラスで身内にミステリー体験をした人がいるってさ。謎の解明に協力してやってくれないか?」

「……どんな体験をしたんだい?」

 休憩時間になると、委員長はさっそく読書中の山近に声をかけた。

 山近は興味を惹かれたらしく、カバーがついた本から目を離して自分は座ったまま委員長を見上げている。横にいた僕に気が付くと、山近はぶ厚い眼鏡越しで何かを探るように、じっと僕を見つめた。

 何とも言えない居心地の悪さを感じた僕は、山近にできるだけ普通に挨拶をした。

「やあ、山近。一応、自己紹介をしておくよ。僕は藤城廣之だ」

「もちろん知っているよ。君、いつも委員長と仲良さそうに話しているから」

 山近は黒縁の眼鏡をクイッと押し上げて、細い目を僕に向けている。言っちゃ悪いが、彼はそういうジャンルが好きそうな、いかにもな風貌だ。何となく近寄りがたい雰囲気だからこそ、僕は今まで彼と話す機会がなかったのだ。

 これも何かの縁に違いない。

 僕は亡くなった祖父の謎について、ふたりに簡単に説明した。特に、祖父だけが桜の木が急に椿の木に変わったと言っていた話を重点的にしてみせると、山近はポツリと何かを呟いた。

 拾った言葉に対して、先に反応したのは委員長だ。

「ごめん、煌希。さっき何て言ったんだ?」

「マンデラエフェクトだよ」

「まんで……何だって?」

 委員長が山近に聞き返してくれたけれど、聞き馴染みのない単語を言われて僕は一度で認識できなかった。英語が苦手な僕にとって、カタカナの単語は天敵だ。

 山近はそんな僕に呆れた様子も見せず、僕の目をしっかりと見て、丁寧に説明してくれた。

「マンデラエフェクト。それは不特定多数の人が感じている記憶の違和感を指すんだ。例えば漢字の表記や歴史的事実、有名人の死亡時期など、その記憶違いは多岐にわたるのさ」

「難しい名前だな。覚えにくいや」

 僕が早くも理解できない素振りを見せると、山近は親切な提案をしてくれた。

「名前の由来を教えようか。ネルソン・マンデラという人物が死んでいるという記憶を持つ人々と、生きているという記憶を持つ人々が混在している事について名付けられた現象なんだ。例えば、僕のいた世界線では、レオナルド・ダ・ヴィンチのウィトルウィウス的人体図の手足が、三本からニ本になっていたよ」

「うーん……。悪いけど、俺には現実味がなくて、正直よくわかんないわ。他はないか?」

 委員長が首を傾げて山近に質問をすると、山近は机の中から一冊のノートを取り出して白紙のページを開いた。

「一番わかりやすいのだと、そうだね……。藤城くん、〈勉強〉という漢字を書いてみてくれ」

「どうして?」

「平行世界がある事を証明してみせよう」

 また知らない単語だ。平行世界とは何なのだろうか。どんどんオカルトちっくな話になっていて、僕は頭が混乱してきていた。最初から怒涛の情報量だ。

 戸惑う僕に山近は「とりあえず書いてみて」とかすように言うもんだから、僕は言う通り山近から借りたシャープペンシルでノートに漢字を書いた。

「なるほど。やっぱり、君もそう書くんだね」

「どういう意味だ?」

「じゃあ次に、この携帯電話で〈勉強〉と入力してみてくれ」

「あ! 煌希が携帯電話をちゃんと預けていない! いけないんだー!」

「委員長、これは前に使っていた携帯電話だよ。今使っているスマートフォンは、きちんと朝に預けたさ」

「煌希は真面目だな。普通、メインで使っているスマートフォンを手元に残すだろ」

 委員長は信じられないものを見るような目で山近を見たが、山近は特に気にする様子もなかった。

 僕の学校では、生徒が使用している携帯電話を、毎朝担任の先生が回収して職員室に持って行っている。授業中に携帯電話を使用するのを禁止にしているからだ。委員長が言っていたみたいに、たまにもう使用していない携帯電話をわざと預けて、今使用している携帯電話をこっそり休憩時間に使っている切れ者もいるけれど。

「それはわかったけどさ。何だよ、山近。君は不思議な指示が多いな」

「いいから、ほら。藤城くんが書いた文字と、その携帯電話で入力した文字に違いがあるはずなんだ。どこか分かるかい?」

「馬鹿にしているのか? 僕は漢検三級にギリギリ合格した男だぞ」

 僕は委員長の「ギリギリかよ」というツッコミを無視すると、今度は山近から差し出されたガラパゴス携帯を手にして指を動かした。

 ノートと携帯電話の画面を何度か見比べるが、違いはなかなか見つからない。そんな僕を見ていた山近が、ノートに書かれた"勉"の文字を指差して言った。

「ヒントは部首さ」

「……あ! わかったぞ! 〈勉〉の文字の右側が違うんだ! 僕は〈ム〉と書いたのに、〈力〉になってる!」

「その通り。僕も君と同じで、〈ム〉と教えられた記憶があるよ」

「すっげー! 本当だ! 俺、こんな細かい違いなんて気付かなかったぜ」

「僕もだよ。というか委員長、君はちゃっかり自分のスマートフォンを持っているじゃないか」

「やばい。バレた」

 僕の指摘に舌をペロッと出して笑った委員長は、〈勉〉の部首の文字が違う事を自分のスマートフォンで確認したらしい。委員長は「内緒で頼むよ」と言って、顔の前で手を合わせた。

 まあ、委員長には僕と山近の仲介役になってもらっているので、ここは見なかった事にしておこう。

「話を戻そう。この〈勉〉の文字は、同年齢の大人でも〈ム〉と書くのか、〈力〉と書くのか分かれるそうなんだ。すなわち、〈ム〉と書く世界と、〈力〉と書く世界が同時期に存在していたと考えられる。このように、自分の記憶と世界で起こった事との間にズレが生じる事を、〈マンデラエフェクト〉と言うんだ。つまり、このマンデラエフェクトによって、平行世界へ移動した事が証明できるのさ」

「平行世界って?」

「パラレルワールドの事だよ」

 パラレルワールドなら僕でも知っている。特にSFの物語でよく聞く言葉だ。

 パラレルワールドとは、時を同じくして平行に進む現在と似て異なる世界──つまり、別世界の事だ。漫画や映画なんかだと、何かの拍子に主人公が時空を越えて、過去や未来ではなくパラレルワールドへ入り込んでしまう展開はよくある話だ。

 人生は選択の連続だ。そのあらゆる選択の数だけ、選択を違えた『もしも』の世界が存在しているとか。

 まさか、それじゃあ、祖父は……。

「そうだ! 〈勉強〉だ!」

 僕はそう叫んで、自分の机から急いで脳トレ本を出した。急にどうしたのかと問うふたりを差し置いて、僕は付箋が付いたページをめくる。

「ふたりとも見てくれ! 爺ちゃんがちょうど〈勉強〉の文字にマーカーを引いていたんだ!」

 僕は脳トレ本を大きく広げてふたりに見せた。そのページの〈勉強〉の文字には、確かに黄色の蛍光マーカーが引かれている。

「本当だ! ここにもあるぞ!」

「この漢字は〈辻〉だね。これは、しんにょうが変わったのさ。昔はしんにょうの点がひとつだったはずだよ。このページの〈謎〉の漢字も同じだね」

「〈謎〉にもマーカーが引かれているぞ! じゃあ、廣之の爺さんも俺たちと同じ記憶があったのかも! これだけ同じ記憶を共有しているなら、単なる記憶違いって訳でもなさそうだな」

 委員長は腕組みをすると、考え込んだ様子でノートをじっと見つめた。

「藤城くん、これは何だい?」

 山近は後ろのページに挟まっていた、黄色く紅葉したイチョウの押し葉の栞を取り出した。

 それは、僕が小学生の頃に行った課外授業のお土産だった。それを山近に話すと、山近は栞の裏表をささっと確認した。

「なんの変哲もない栞だけど……。君は、お爺さんにとても大切にされていたんだね」

「え?」

「付箋が貼ってあるよ」

 ──十一月十一日、廣之から修学旅行のお土産。

 その文字を見た瞬間、僕は全身にブワッと鳥肌が立った。

「……違う」

「え? 何が?」

 委員長が何の気無しに僕に聞き返す。

 僕は震える唇で何とか声を出した。

「それは修学旅行で取った葉じゃない……。僕が修学旅行に行った時、まだ半袖だったから行ったのは初夏ぐらいだ」

「え? 本気まじか?」

 返事の代わりに頷く。

 修学旅行の時期が初夏だったのは確かな事実だ。だから、まだイチョウの葉は紅葉していないはず……。

 僕の額には、暑さからくるものじゃない汗が滲んでいた。

 驚くふたりをよそに、僕は話を続ける。

「その栞のイチョウは、たぶん自然教室で取ったものだよ。あの時は紅葉の時期だったから。小学五年生の時に林間の宿泊施設に泊まって、初めてキャンプファイヤーとか登山を経験したんだ」

「廣之の爺さんが勘違いしただけじゃないのか?」

「いや、それぞれお土産を渡すついでに思い出話をしたから、間違えようがないよ。それに、爺ちゃんは僕の目の前で文字を書いていたし」

 思い出した。僕が自然教室の思い出話をする前、先に祖父へあの栞をプレゼントしたんだ。

 祖父は渡されてすぐに「忘れると困るからな」と嬉しそうに笑いながら、付箋に文字を書いていた。

「藤城くん、君が付箋の文字を見たのは確かかい?」

「うん。爺ちゃんはすぐに『これで忘れねべ?』って、僕に付箋が付いた栞を見せてきたから」

 確かに祖父は付箋に書いていた。

 〈自然教室のお土産〉と──。

「なるほど……。通常、マンデラエフェクトという現象は、ある世界線から集団的にパラレルワールドを移動してくるんだ。この集団的なパラレルワールドの移動が記憶違いを生み出し、不特定多数の人々が同じ記憶違いを共有するのさ。でも、君のお爺さんの場合は、ひとりだけ違う記憶を持っていた」

「それって、つまり?」

 僕の一言で、隣の委員長がゴクリと唾を飲み込んだ。騒がしい教室のこの一角だけに、妙な緊張感が走る。

 山近は静かに告げた。

「君の話から推測すると、お爺さんはひとりだけ平行世界へ飛ばされたと考えられる。だけど、これは空想科学の世界の話だ。あくまで一つの可能性として考えてほしい」

「だけどもし、それが本当に起こっていたとしたら……?」

「そもそもマンデラエフェクトは、単なる記憶違いや、記憶のすり替えなのかも解明されていないんだ。ひょっとしたら、もっと何か恐ろしいものが潜んでいるのかもしれないね」

 一瞬だけワクワクした顔付きを見せた山近だったが、すぐに元の冷静な顔付きへと戻った。

「藤城くん。君がこの謎を解き明かす事が、お爺さんの無念を晴らす事になるかもしれない。お爺さんは途中まで、自分の記憶は間違っていないと訴えていたんだろう?」

「うん……。きっと、爺ちゃんは周りの人にちっとも相手にされなかったから、どこかのタイミングで諦めたんだと思う。たぶん、きっかけは椿の木が桜の木に変わった事だよ。爺ちゃんは特に、椿に思い入れがあるような感じだったから」

 今でも祖父の悲しそうな、寂しそうな顔が忘れられない。家族写真を撮る前に、桜の木をそっと撫でた祖父の姿はあまりにも弱々しかったのだ。

 まさか、平行世界の移動なんて現象が、こうして現実で起こり得るなんて僕は思いもしなかった。

 そこで僕はハッと気付く。

「じゃあ、この赤点ギリギリセーフな僕の答案用紙も、平行世界の僕だったら百点満点なんだね!」

「もしかしたら、その世界で君はギリギリ赤点かもしれないよ」

 どうやら、山近も普通に冗談が言える奴だったみたいだ。

 僕は大きな期待を抱いて見せびらかしていた答案用紙を、そっと折りたたんで胸ポケットにしまった。その事への同情なのか、祖父の事への同情なのかは知らないが、委員長は励ますように僕の肩に優しく手を置いてくれた。

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