31、別に助けたわけじゃねえぞ

 皇帝は、返事をする代わりに音楽家に合図をした。

 

 和やかな雰囲気を演出するように、楽器の演奏に合わせて赤いドレスと青いドレスが対照的な二人の歌姫が華麗な声を響かせる。


『♪大地は火精霊が統べていた。海は水精霊が統べていた。神は、我ら人間に大地で生きよと許された』


 帝国民なら誰でも知っている聖歌だ。最初は二人が声を揃えて。

 

『♪神は人を受け入れよと大地に仰り』

 赤いドレスの歌姫が情熱的に声を響かせて。


『♪人のよき隣人であれと海に告げられた』

 青いドレスの歌姫が可憐に声を続かせて。


『♪大地は火精霊、海は水精霊……二精霊と親交を結んだ人は、魔法を知った』

 再び二人で声をそろえる。


 そんな中、エミュール皇子は皇帝に告げた。


「彼は私を暗殺しようとしました。しかもランヴェール派を操ることで、争いの火種を残そうとしたのです。ゼクセン派との関係も、悪化させようとしました」

  

「ランヴェール公爵夫人に恋文を贈り、教会で関係を迫ったのです。ついでに、ボヤ騒ぎを起こしたとか聖域に侵入したとか」


「ナバーラ国の黒太子と協力して、有毒な外来花を国内で流行らせようとしました」


「レイクランド卿の愛娘を人質に取り、わざと戦いに負けさせようと計画していたのです」

  

「それに、私に毒を贈りました。それも、ランヴェール公爵が贈ったと偽って。妙な試作品の腕輪もです」


「極めつけに、ランヴェール公爵夫人を拉致して国外逃亡しようとしたのです。レイクランド卿に暗殺者を手配したという言葉も、報告されています……」


「エミュールよ」

 皇帝は眉を寄せた。

「祝宴の場である。楽しい場に水を差すのは、やめよ。そなたがそのようだと、臣下も楽しめないではないか」


 皇帝は第一皇子より甥に味方しているのではないか――皆がそう思った。


「父上……」

「そなたが『罪人は裁くべきだ』という感性を持ち合わせている点は、理解した」

「それは、罪人だと認識しておられるというご発言ですね、父上?」

 

 皇族席の端でイゼキウスが「俺は関係ない」といった顔でゴブレットを傾けている。

 皇帝はそんな甥に無感情な視線を送ってから、なんとディリートを呼んだ。


「ランヴェール公爵夫人とは初めて話すが、噂はよく聞いている。なるほど、我が甥が心を奪われるのも頷ける美しさ。傾城けいせいという言葉が似合うのではないかな」

 

 傾城とは、とても美しい女性を表現する言葉だ。権力を持つ男たちが夢中になってしまい、国が傾くほど、というのである。

 

(こ、皇帝陛下……!)

 

 皇帝は、一度目の人生では雲の上としか言いようのなかった存在だ。気付いたら崩御ほうぎょしていた。そんな縁の遠い存在だった。

  

「おお、ランヴェール公爵。そう警戒するでない。そなたの妻の美しさを褒めているだけではないか」


 皇帝は柔らかな声を響かせる。


「我が甥イゼキウスは美しい女性の魅力に参ってしまって、理性を蕩けさせてしまったようだ。もちろん、甥が悪い。しかし、色恋に我を忘れてやらかしてしまうというのは、まあまあ、若いうちにはありがちであろう?」


 皇帝は、はっきりとイゼキウスが悪いと言った。その上で、イゼキウスを庇った。

 

「ランヴェール公爵はイゼキウスより年長者でもあることだし、ここはひとつ大目に見て過去を水に流してやってくれ。それが高位貴族の余裕というものであり、年上の紳士として年下の未熟な若造に向ける優しさというものであろう」


「……高位貴族の余裕。優しさ……」


 ランヴェール公爵がぽつりと呟く。皇帝は猫撫で声で言葉を続けた。単なる色恋沙汰にしようとして、さらに被害者である公爵の機嫌を取ろうとしているのが、誰にでもわかった。


「ランヴェール公爵は実に人として好ましく、帝国紳士らしい、誰もが認める模範的な高位貴族であるな。己を律し、感情を表に出すことなく、主君に忠実であり、愛妻家でもある。そうだな? 諸君?」

 

 聞いている貴族たちは「模範的でしょうか?」「その公爵を模範にするのはいかがなものでしょうか?」という顔をしていたが。


「人として好ましく、帝国紳士らしい、誰もが認める……」


 ランヴェール公爵の無感情な声が皇帝の言葉を繰り返す。ディリートの目には、夫が皇帝の言葉を気に入ったように見えた。


(これは……どう解釈したものかしら? 皇帝陛下は、ただの色恋沙汰だということになさりたいの? 罪を許せと? ……あれだけのことをして、無理があるでしょう?)

 

 強い権力を持つ皇帝が事実を歪めて「許せ」と言っても、許されるものだろうか?


 皇帝は戸惑うディリートに、世間話でもするように母の話を聞いた。


「そなたの母ユーディトも美しかった。よく似ておる」


 皇帝の視線が意味ありげに『客人』に向かう。

 正体不明の客人は、浅黒い肌につややかな黒髪をしている。目元には、仮面をしていた。

 

「若い頃、私も恋慕の情には困らされたものです。理性でいけないと思っていても情熱が燃え上がってしまうもので」

「ははは。困ったものよな。かくいう私も皇妃には今でも夢中なのだ」

「まあ、あなたったら……」


 和やかに語り合う声に、ディリートは首をかしげた。

 『客人』の声に、聞き覚えがあるような気がしたのだ。


「ランヴェール公爵夫人は、母親からの形見の品などは持っていないのか?」

「えっ……」


 ふいに皇帝が尋ねるので、ディリートはドキリとした。

 

 亡き母ユーディトは、世に二つとない国宝級の魔法の指輪をディリートに遺してくれた。

 その指輪が、処刑されたディリートを過去の時間に戻して、やり直しの機会をくれたのだった。

  

「指輪を持っているか?」

 

 皇帝は、形見が何なのかをハッキリわかっている様子で問いかけた。『客人』もじっとディリートを見つめている。

 

「……ございません」

「ないのか」

 

 皇帝は、表情には出していないが、落胆したようだった。『客人』もまた、がっかりしている気配だ。


「……はい。もう、ございません」

 

 この二者は、母の形見を求めていたのだ。

 ディリートはそう思った。


 そこに、イゼキウスが声を挟む。

 

「ないものは仕方ないよな。俺もママの形見をどこかに失くしてしまって、探したけど見つからなくて諦めたことがある。そういうのは本人が一番悔しいんだ。周りは神経を逆なでしないで黙ってろ、くださいプリーズ

 

 プリーズ、はこの国でするときにつける言葉である。

 

 イゼキウスは皇帝に気を使う様子で「プリーズ」を足しつつ、ヘラヘラ笑った。

 

 その雨に煙る森のような色をした瞳が、ディリートと出会う。緑色の瞳は、「別に助けたわけじゃねえぞ」と言っているようだった。


「第二皇子を祝うんだろ? さっさと祝おうぜ、叔父上、プリーズお願いします?」

 

 皇帝は「そなたは反省の色が見えぬゆえ、困る」と呟きつつ、「魔法披露会」の開始を宣言した。


「そなたらの皇帝は争いは好まぬ。よいな」

 

 皇帝は念を押すように言って、ランヴェール公爵を見た。会場中の視線が自然と集まると、公爵は「なぜ私に確認するのでしょうか」と不思議そうにしながらゆっくりと頷いてみせた。

 

「それでは、順に魔法を披露するがよい」


 火魔法の使い手は火で。

 水魔法の使い手は水で。

 皇族は両方で。

 

 ――第二皇子のための見せ物が始まる。


 これは、エミュール皇子の発案であった。

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