23、引き篭もり皇子は明日から本気出す。たぶん

 皇城は皇都の北側にある。

 

 ディリートがエミュール皇子を訪ねたとき、通されたのは寝室だった。『明日から本気出す』という張り紙が扉に張られた寝室は、蜜のような甘い香りが漂っている。時計の針は窓から見える時計塔の時刻と同じ昼下がりを指していた。


「遅いじゃないか。待っていたんだぞ、私のジャンヌ」 

  

 室内の壁の一部をくぼませて出来た空間を寝台に活用するアルコーヴベッドにちょこんと座るエミュール皇子は、ベッド脇の小さなテーブルにサンドイッチを運ばせた。

 

 近くには未決済書類の山や本が積まれていて、いかにも『ベッドの周辺で暮らしてます』といった雰囲気だ。

 最近『引き篭もり皇子』という通称が付いたと語るエミュール皇子は、ディリートを近くに手招きした。


「私のジャンヌ。愚痴を聞いてほしい。なんか最近良いことがないのだ。婚約者には子供扱いされるし、毎日健康に良いものを摂取して身長を伸ばそうとしてるのに背が伸びないし」

「まあ、殿下……」

 

 足元には、手書きの詩が落ちていたりする。

 

『工事をしてくれなければ税金を払わない、と民が騒ぐではないか? 税金を払ってもらうために工事をしないといけないではないか? 工事代が足りないから代々大切にしていた庭園の樹を材木に変えて金を作らないといけない、と臣下が相談してくるよ? 婚約者なんて「お金がないなら宝石を配ればいいじゃない」と言うのだ。世の中ってめんどくさいなあ。……エミュール心の詩』


 エミュール皇子は鬱々とした胸の内を打ち明ける。

 

「どうも微妙に体調が優れないせいか、前は全然笑い飛ばせていたことが笑えないのだ。何を見ても気持ちがどんよりして、怠くて仕方ない。どうしたんだろう、私は。歳かな? 死ぬのかな……こほっ、こほっ」

 

(本当にどうしちゃったんですっ?)

 ディリートは驚いた。それほど顔を会わせた回数は多くないが、この皇子はほがらかな人物という印象があったのに。

 

 同伴するランヴェール公爵を見ると、公爵はいつも通りの無表情だった。

 『これが我らの皇子ですが、何か?』といった気配だ。


「私のジャンヌ、こほんこほん。私のジャンヌ……もっと近くに。ひざまくらとかしてくれてもいい。もぐもぐ」

 

 エミュール皇子はこほんこほんと咳をしながらサンドイッチを食べている。食欲はあるらしい。


「この距離で十分でしょう」

 ランヴェール公爵はすげなく拒絶して、椅子を入り口まで遠ざけてディリートを座らせた。すると、エミュール皇子は少し楽しげになって、まとう気配を明るくした。


「私の臣下が冷たいではないか? それは独占欲かい? こほ、こほっ。私はサンドイッチを『あーん』とかしてほしい気分だな。臣下が愛妻にちょっかいだされて嫉妬してるのを見たら楽しくて健康になるかもしれない。こほっ」


「殿下、意外とお元気そうで安心しました」


 ――これはどうもイタズラなのではないかしら? 咳はなさっているけれど。思えばこの皇子殿下、初対面でも「イタズラ」と仰っていたじゃない?

 

 ディリートは半眼になりつつ、サンドイッチに目を留めた。何か気になる匂いと色なのだ。


「いや、ちょっと揶揄からかったけど、怠くていまいち鬱々うつうつとしてしまっているのは本当なのだよ、ははっ、こほっ……咳も出るし。ほんとだよ? 演技じゃないよ?」 


 エミュール皇子は言い訳するように言って、笑っている。

 

 その声と同時に脳裏によぎるのは、ランヴェール派の夫人たちがおしゃべりする楽しそうな声だった。

 

『お花は、とても良い香りのするお花なのですって。綺麗な紫色なのだとか』

『わたくしの実家にありますが、蜂が多く寄ってくるのが欠点なのですわ』

『その花木を植えた近くの蜂の巣は、蜂蜜の色が薄い紅色や、紫に変わっているのですって』

 

 サンドイッチには、薄い紅色の何かが塗ってある。

 苺やベリー系のジャムに似ているが、果肉のような粒は見当たらず、とろりとして透明度が高い。


「あ……」

 ディリートの背筋にゾクッとした悪寒が走る。

「殿下……? 恐れながら、このサンドイッチに塗られているのは、蜂蜜だったりしますでしょうか?」


 ディリートはそっと問いかけた。


「うん。そうだよ。こほっ、医者にすすめられたのだ。普通の蜂蜜よりも栄養があるらしくてね。こほ、こほっ。……これ、とても貴重な蜂蜜らしい。食べてみるかい?」

 

「医者に……? よ、よりによって医者に?」

「うん。他国で技術を学んで帰ってきた優秀な医者なのだ。才能ある者は取りたてないとね! 私は優秀な人材が大好きなのだ! こほ、こほっ」

 

 ディリートはエミュール皇子の腕にチラリとのぞく金属の輝きがとても気になった。

 ゆったりとした白い袖が揺れたとき、その下の腕に何かとても見覚えのある装身具が見えた気がしたのだ。


(あーっ!? 私が一度目の人生ではめられた腕輪じゃないの!!)

 

「エミュール皇子殿下。腕輪をはめていらっしゃるご様子ですね? そのう、……見せていただいてもよろしいですか?」

「ああ。いいよ。この腕輪は試作品らしいのだが……健康によいらしい。これはランヴェール公爵名義で届いていたかな」


 エミュール皇子は、健康に良いものが好きらしい。しかし、これは。

 ディリートは夫が否定する声を耳にした。

 

「私は贈っておりませんが?」

「見舞いの花と一緒に入っていたよ」 


(……イゼキウスの仕業に違いないわ!)

  

 ディリートはゾッとする思いで立ち上がった。

 そして、ベッドに近付いてサンドイッチと腕輪を取り上げた。


「我が君、エミュール皇子殿下……この蜂蜜と腕輪は、敵陣営があなた様を害そうとして贈ったものです!」


「ええっ!?」


 未成熟な幼さの残るエミュール皇子の顔が、ショックを受けている。

 

 説明すると、エミュール皇子はすぐに納得して、医者を拘束させた。そして腕輪の性能について調べるのだが、「はめている者が死亡したとき、対になっている腕輪をはめている同性に属性が引き継がれる」効果はないようだった。


(考えてみれば、あの時イゼキウスは『開発中』と言っていたかしら)


 イゼキウスが水魔法使いに腕輪をはめて次々殺しては「失敗だ。次!」とターゲットを変える姿が簡単に想像できてしまい、ディリートは戦慄した。


(やはり、あの男は危険……エミュール皇子には勝利していただかないと)


「で、殿下。こちらを……」


 ティファーヌが持ちだした首飾りは、涙型をしたルビーがトップに輝いている。これが聖剣を抜く鍵なのだと伝えると、エミュール皇子は不思議そうな顔をした。

 


「これで聖剣を抜けって? どうやって? 抜けるなら抜くけど……」



 エミュール皇子は医者に囲まれて薬を服用しつつ、ひとまずやる気を出した様子で「皆の者、聞くがいい。私は聖剣を抜くぞぉ。明日。たぶん」と周囲にアピールした。

 

「殿下のご発言、確かにこのアシルが拝聴しました。当たり前のことですが、皇族の発言には責任が伴うものです。よもや明日になってから『やっぱり今日はやめる』とは仰らぬでしょうね」


 ランヴェール公爵はそう言って嫌がるエミュール皇子に『明日聖剣を抜きます。宣言通りにしなかったら違約金を払います。エミュール』という誓約書を書かせたのだった。

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