番外編「皇甥がネコチャンまみれになる日」



 皇帝の甥イゼキウスは、ネコチャンの日に際して宣言した。

 

「諸君。俺はネコチャンが嫌いだ」


「いいか、奴らは……可愛い。そして偉そうだ!」


「俺は飼い主だろ? 俺の方が偉いんだ。生殺与奪権は俺にある……」


「だというのにあいつらときたら、全然従順じゃねえ。俺をないがしろにしやがるんだ。そして可愛さを振りまく……すると俺はなぜかあいつらの召使いみたいに尽くしちまうんだ。許せねえ」


「俺が皇帝になったらネコチャンを国中から追放してやるぜ……」


 ひとことでネタバレすると、今回は、そんなイゼキウスがネコチャンまみれになってしまう番外編なのである。





   番外編「皇甥がネコチャンまみれになる日」


 



 花の都とうたわれる皇都に滞在中のディリートは、その日、王冠地区の公園を散歩していた。


 一緒に歩くのは、レイクランド卿の愛娘ティファーヌ。そして仔狼に似た精霊獣プリンスと、護衛のロラン卿だ。後ろに距離をあけて他にも付いてきたりしているのだが、彼らは「自分たちはモブなので」といった顔で気配を消している。実は存在するのだが存在感を薄くするのは、ランヴェール家モブ使用人の得意技なのだ。


 そんな使用人たちの仕事ぶりに心の中で感謝しつつ、ディリートは気付いたことを口にした。

「今日は、ネコチャンを連れた方が多いのね」

 ネコチャンとは、ネコに似た精霊獣である。

 

「奥様、皇都の民は記念日を作るのが好きなのですが、本日はネコチャンの日と呼ばれています」

 

 散歩に付き添う騎士ロラン卿はそう言って、ネコチャンの形をした風船をティファーヌに持たせてくれた。


 この公園は治安も行き届いていて、清潔で広々としていて、景観も良い。なにより、珍しい精霊獣がたくさん見られるので、ティファーヌは大喜びだった。


「ネコチャン!」

 

 ティファーヌが目をキラキラさせて示す視線の先には、ベンチに座る年配のご婦人がいる。ご婦人は、使用人が掲げる日傘の下で縞模様のネコチャン精霊獣を撫でていた。


「ごきげんよう」

 

 挨拶の声はしとやかで、落ち着いている。目元には笑いじわが見えて、ゆったりとした喋り方。発音も美しい。余裕を感じさせる――ディリートは緊張した。

 

「ごきげんよう……可愛らしいネコチャンですわね」


「本日はネコチャンの日でしょう? 夫がこの日のためにネコチャンを買ってくださったの」

 フローラス夫人と名乗ったご婦人は、ホンワカとした雰囲気で惚気をする。

「まあ。素敵な旦那様ですわね」

「あなたのオオカミサンも素敵ですね。綺麗な毛色で……」


 緊張しつつも和やかに精霊獣トークを交わす保護者を背景に、ティファーヌは無邪気だった。

 

「こわい、ネコチャンとともだちになる……?」

「わぅ……」

「こわい、ネコチャンとなかよし〜っ」

「っくしゅ」

「こわい、くしゃみしたぁ」 

 

 ティファーヌがプリンスをぐいぐいとネコチャンに近づけて、仲良しにしようとしている。


「あっ、大丈夫かしら? いきなり近づけて、喧嘩しちゃったりしないかしら」

「あら。精霊獣は賢い生き物ですもの。大丈夫ですわ」

  

 保護者がそんな言葉を交わしたタイミングで響いたのは、ぴぃぴぃひょろろ、という笛の音だった。


「にゃぁ!」


 ネコチャンの耳がピクッと揺れて、にゃっと鳴き声があがる。それも、目の前のネコチャンだけでなく、公園中から。


「にゃあ」

「にゃっ?」

「みゃー」

 

 笛の音を伴奏にして歌うように、ネコチャンたちが騒ぎ出す。


「あら、どなたかが友笛ともぶえを吹いていらっしゃるのね」

 フローラス夫人はのんびりとした様子で「ネコチャンたちの大合唱ね」と微笑んだ。


友笛ともぶえとは、なんですか?」

「精霊獣と遊べる、とっても楽しい笛なのですわ」


 ディリートには馴染みがない単語だが、精霊獣と遊べる笛があるらしい。フローラス夫人は、ぴいぴい聞こえる笛はネコチャンたちを「楽しい気分」にさせているのだと教えてくれた。

 

 ぴるるるる……、と高くさえずる鳥のように笛が鳴る。

 その直後、公園に異変が起きた。


「シャーッ!」

「フーッ!」

 

 ネコチャンたちの不機嫌そうな声が連続して。

 

「うちのネコチャンが逃げたわ!」

「わたくしのネコチャンも!」


 飼い主たちの悲鳴があがる。

 

 なんと、周囲のネコチャンや精霊獣たちが一斉に飼い主から逃げだしたのだ。公園は騒然となった。


 各家の使用人たちが自分のお仕えする家のネコチャンを捕まえようと走り出す中、悠々とした足取りでディリートに近付く男がいる――鮮やかな赤毛と緑色の瞳をした青年皇族、イゼキウスだ。手には酒瓶などを持っていて、微妙に酒臭い。酔っている。

 

「ふっ、ランヴェール公爵の家臣もたいしたことないな。簡単に隙をつくれてしまう……」

 イゼキウスはドヤ顔であった。わかりやすく調子に乗っていた。


「イゼキウス!」

「おじちゃま!」

 

 ティファーヌはイゼキウスを覚えているらしく、無邪気に再会を喜んでいる。

「おじちゃま、ネコチャンとこわいが逃げちゃったの」

「ティファーヌ。元気にしていたか。お土産はない。あと、俺は真面目な話をするからちょっとあっちにいってろ」


 イゼキウスはヨシヨシとティファーヌの頭をおざなりに撫でて、ポケットからチョコレートを取り出して渡した。

 そして、配下にティファーヌを任せると冒頭の本題に入ったのである。


「諸君。俺はネコチャンが嫌いだ。いいか、奴らは……可愛い。そして偉そうだ!」


 諸君というのは、ネコチャンを連れていたご婦人方を指すらしい。

 ご婦人方は「今それどころではないのですが」といった顔を扇で隠しつつ、一応皇族なので敬う姿勢で耳を傾けてくれた。基本、王冠地区にいる奥様方のお心には余裕があるのである。


「俺は飼い主だろ? 俺の方が偉いんだ。生殺与奪権は俺にある……。だというのにあいつらときたら、全然従順じゃねえ。俺を蔑ろにしやがるんだ。そして可愛さを振りまく……すると俺はなぜかあいつらの召使いみたいに尽くしちまうんだ。許せねえ。俺が皇帝になったらネコチャンを国中から追放してやるぜ……」


「殿下。そのお言葉は要するに、わたくしたちの夫に『殿下だけは絶対に皇帝にならないようにしてください』とおねだりしてほしいという意思表明ですの?」

「第一皇子殿下が次の皇帝陛下になると思いますが」

「皆様、これは殿下なりのブラックジョークなのですわよ」

 

 ご婦人方が解釈に困っていると、イゼキウスは「俺はいつも本気だ」と告げた。


「いいか。さっきの笛は俺の配下が吹いたのだ。つまり、ネコチャンは俺が全部預かった。人質ならぬネコジチだ。全員、ネコチャンの命が惜しければ俺を支持するよう夫を説得するように。俺は北風と太陽でいうとバリバリの北風なのだ、ひっく」


 ご婦人方は眉を寄せて、「ネコジチですって」「下品ですわ」「下衆……」とささやきあっている。

 

「にゃあ?」

「みゃー」

「うにゃっ」

  

 ネコチャンの声が戻ってきたのは、まさにそのときであった。


「まあ、我が家のネコチャンが帰ってきましたわ!」

「うちのネコチャンもです!」


 ご婦人方は大喜びでそれぞれのネコチャンを抱っこして、イゼキウスの存在が最初からなかったかのように「よかったですわ」「ええ、ほんとうに」などと和やかムードになっていく。


「あれっ。なんで戻ってきちゃったんだ」

「おじちゃま、ネコチャン撫でて~」


 ポカーンとするイゼキウスに、ネコチャンを抱っこしたティファーヌがトテトテと歩み寄ってニコニコと懐いている。


「おじちゃま、チョコおいしかったの。ありがと」

「おお。お礼が言えて偉いなティファーヌ、ひっく」

「おじちゃま、お酒くちゃい」


 ディリートが完全に傍観者ポジションで見守っていると、ランヴェールの使用人たちがせっせと何かを運んできた。

 今は気配を消さなくていいぞ! って感じでちょっと嬉しそうな使用人たちが運ぶのは、ネコチャンが大量に入った籠だった。


 周囲にニャア、みゃあ、というネコチャンの声があふれる中、彼らの主人であるランヴェール公爵があらわれた。


「ややっ、お前はランヴェール公爵。お前、よくも妙な噂をばら撒いてくれたな」

 イゼキウスが殺気立つ中、ランヴェール公爵は首をかしげた。そして、その手が自分の耳にススッと伸びて耳栓を取った。


 

「これはこれは気高き皇帝の甥殿下、今なにか仰いましたかな。うっかり耳栓をしていて聞こえませんでした。失礼」

 

 特有のスローペースでのんびりと挨拶をしたランヴェール公爵は、使用人に何かを合図した。

 すると、使用人たちは小さな袋からパラパラと粉末のようなものをつかんでイゼキウスにパッパッとふりかける。

 

「なんだ、これは。お前たちは何をしているんだ? 俺に何をかけてるんだ?」

  

「本日はネコチャンの日でしたが、いと高貴なはずのグレイスフォン殿下がまさか泥酔なさってネコチャン泥棒未遂をするとは。殿下はいつも人のものを盗もうとなさいますね。なぜでしょう……このアシル、ただいま殿下の繊細で複雑怪奇なる精神の闇に関して有識者の見解を求めたい気分でございます。なお、そのふりかけはネコチャンがまっしぐらなマタタビという植物でございます」


 何かを察したイゼキウスが蒼褪める。


「お、お、俺はネコチャンが嫌いなんだ! やめろ……?」

「そんなことを仰って、本当は可愛いと思っておられるのでしょう? ……そんな殿下のお心に寄り添い申した結果が、この贈り物でございます。ぜひネコチャンまみれになって喜んでいただきたいと」

 

 ランヴェール公爵は無感情にそう言って、使用人にネコチャンの籠を解放させた。

 

「アッーーーーー」


 にゃあ、みゃあ、と賑やかに鳴き声を合唱しながら、ネコチャンたちはイゼキウスに殺到した。


「このネコチャンたちは、当家の所有する精霊獣です。しかし、うっかり数が増えすぎてしまったので譲渡先を探しておりまして。ご興味のある方はお好きなネコチャンをお選びください。お譲りいたしましょう」


「お、おい、舐めるな! すりすりするな! こらっ、ひっかくな!」

「にゃあー!」

「ごろごろ……」


「殿下も大好きなネコチャンにまみれて楽しそうですね。敬愛する殿下に喜んでいただけて、なによりです」

  

 イゼキウスにたかるネコチャンの周りにご婦人方が集まり、「まあ、わたくしこの黒ネコチャンをいただこうかしら」「ミケネコチャンがかわいいわ~」「殿下、動かないでくださいますか? ネコチャンがお腹の上で眠っていますから」と譲渡会を楽しみ始める。


「おじちゃま、ネコチャンとなかよし!」

 ティファーヌはおかわりのチョコレートをもらいながら、この日いちばんの笑顔を咲かせた。

 


「そなたには、生きているネコチャンよりもこちらを贈りましょう」


 騒ぎから連れ出すように妻ディリートの肩を抱くランヴェール公爵は、ネコチャンのぬいぐるみをディリートに持たせた。


「まあ、可愛らしいですわね」

「私は実はネコチャンがあまり得意ではないですし、……っくしゅん」


 ランヴェール公爵は、微妙に目を赤くしていた。アレルギーらしい。


「……そなたにはプリンスがいるので、ネコチャンに浮気する必要はないのではないかと私は思うのですが、いかがでしょうか」


 そう言って公爵が視線を向けた先には、「この中にプリンスが入っています」ととてもわかりやすく札が貼られた籠を持つロラン卿がいた。


「ええ、公爵様。私にネコチャンを飼う必要は、ございませんわ」


 夫の弱点をひとつ知ったディリートはくすくすと笑い、夫を安心させたのだった。


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