第19話

 ギデオンの遺体は、雨が止むのを待って墓に納められることになっている。でもそれまでは、私が管理することにした。ギデオンだけは、彼女達に渡すわけにはいかない。

 オートマタ達は名前の刻まれた棺にギデオンの遺体を収め、私の部屋へ運ぶ。白い布を丁寧に掛けたあと、白バラの束を置いた。


「シャワーを浴びたら、イアンを殺しに行くわ。動きやすい服を出しておいて」

 血に染まるドレスを脱ぎ捨てて、バスルームへ向かう。ぬるめのシャワーで、まとわりつく血を洗い流す。


――ジョスリン、お前は大きくなったら何になるつもりだ?


 父は、幼い私を抱き上げながら尋ねた。私が左目を失うほんの少し前のことだ。


――まだ決めてないわ。でも、お父様よりすごい人になるつもりよ。


 それはいい、と父は高らかに笑った。自分を超えると言った子供は私が初めてだと。後にも先にも、あれほど満ち足りた父の顔を見たことがない。


 あの夜見た舞踏会の悪夢に、父の遺体はなかった。それは創造主への敬意によるものか、それとも。タイルに散った血を流してシャワーを止め、髪の水気を絞る。

 それは、自分で確かめれば済むことだ。


 引っ掛けていたバスタオルを被り、部屋へ戻る。

 ベッドに準備されていたのは、ダンス用の黒いドレスだった。確かに、動きやすい服だ。生地はよく伸びるしオーガンジーに黒のスパンコールは見た目も美しいし、おまけに音楽が流れたら踊ることもできる。


「いいわね、殺すついでに踊れるわ」

 下着とホルダーをつけ、早速ドレスに足を通す。サイはすぐに背後へ回ってファスナーを上げた。


「イアン様もタンゴがお得意ですし、ちょうどよろしいのではないかと」

「好みが似るなんて最悪ね」

「私は、タンゴを踊っていらっしゃる時のお嬢様が一番好きです」


 初めて聞く話に、レッグシースを装着する手を止める。


「伸びやかで生き生きとなさって、そして」

「高慢ちきで、でしょ?」

「『気高い』と仰ってください」


 サイは訂正したあと、笑う。ナイフをセットし終えて向き直り、覚悟を決めた表情を見上げる。


「私がお仕えする方は、生涯ジョスリン様ただお一人です。どうか、私から生きる意味を奪わないでください」

 少し寂しげに笑むサイに手を伸ばすと、少し屈んで頬で受けた。


「そうね。あなたから太陽を奪う訳にはいかないわ」

 頬を撫でたあと、編み上げた髪を高い位置でひとまとめにする。一息ついてギデオンの棺に声を掛け、部屋を出た。



 今日も今日とて粛々と働くオートマタ達を横目に流し、イアンの部屋を目指す。呼ぶ声に足を止めると、ラジーヴだった。


「ああ、ジョスリン様。いつもに増して、輝かんばかりにお美しい」

「ありがとう、ラジーヴ。イアンを殺すにはぴったりの衣装でしょ?」


 にこりと笑んだ私に、ラジーヴは頷く。


「そのイアン様から、訓練ホールで待つとのご伝言です。やはりお考えになることは同じですね。タンゴのレコードを準備しておきました」

「じゃあ、ラジーヴも見に来る? 最後の殺し合いよ」

「お誘いありがとうございます。ぜひ」


 誘った私に頷き、ラジーヴも一緒に訓練ホールへと向かう。


「ラジーヴに訓練の成果を見せるのは五年ぶりね」

「はい。既にその素晴らしさの一端は拝見いたしましたが、楽しみにしております」

「流れ弾とナイフの処理は各自でお願いね」


 快い返事を受け入れて、小さく笑った。おそらくイアンは銃で攻めてくるはずだ。訓練ホールに備えられた専用のコンテナには、十分な銃と実弾がある。もちろん剣やナイフも、イアンを殺すには事足りるほど準備されていた。


「近距離で向き合うとどうしてもジョスリン様の左が不利になりますが、ハンデは必要ですか」

「いらないわ。イアンにちょうどいいハンデでしょ」

「承知いたしました。ではお嬢様の補充役にサイを認めますので、イアン様の補充役に私をお認めください」

「いいわよ。いちいち取りに行ってケース開けて、ってしてたら流れが途切れるもの」


 私もサイに頼める方が楽だから、そこは公平でいい。どのみち、勝つのは私だ。

 辿り着いた私達に、二体のオートマタが両扉を大きく開く。既に待っていたイアンは銃の手入れをしながら私を見る。燕尾服を着て、格好だけは紳士的だ。靴もよく磨かれて照っていた。


「早かったな。よほど美味い菓子でもあったか」

 下手な皮肉を言いながら銃をホルダーに収め、腰を上げる。上着の前を整えて悠然と歩を進め、私の前に立った。差し出された手に応えて歩を進め、ダンスの姿勢を取る。


 ギデオンの身長が六フィートちょっと、サイが少し足りない辺りだ。イアンはサイよりもう少し低い。


「予想以上にチビだな」

「サイとギデオンには感謝してるわ」


 二人とも何一つ文句を言わず、一フィート近い身長差をうまく利用して踊ってくれていた。流れ始めた曲に、予備歩を取ってステップへ移る。曲が始まってしばらくは、お互いに踊りながら探り合う。その結果、やはり合わないことだけが分かった。


「ちゃんと合わせて踊れよ、下手くそ」

「いつもと違ってごめんなさいね。私、シャドウと踊ったことがなくて」


 優雅とは言えないやり取りを交わしながら、乱れがちなステップを整える。だめだ、このまま続けるとストレスしか溜まらない。


 ステップの乱れに乗じて踵を振ると、靴の爪先からナイフが飛び出す。ターンのステップを踏みつつ腱を狙うが、うまく避けられる。逆に爪先を潰されそうになって避けた。払われた脚を絡めて踏み留まり、外してふくらはぎを蹴る。応えた硬い感触は銃だろう、睨むとイアンがにやりと笑った。脚に一丁懐に一丁腰に一丁で、両袖にマガジンか。


「がちがちね。そんなに私が怖い?」

「試し打ちがしたくてな」


 上半身は崩さず、踊りながら足だけの攻防を繰り返す。蹴り上げては蹴り返され、防げば防ぎ返される。情熱的な旋律を背後に、靴のぶつかり合う音が小刻みに響いた。

 埒が明かない。イアンごときに本気になるのは癪だが、このままだと『赤い靴』よろしく踊り続けるだろう。仕方ない、ダンスは終わりだ。


 ターンを終えてすぐ体を落とし、イアンの腹に一発肘を入れてレッグシースからナイフを引き抜く。立ち上がりながら腹を刺そうとした一手は防がれたが、こちらも銃を抜いたイアンの手を払い弾丸を数発防ぐ。続けざまに撃たれると、さすがに耳が痛い。


「そのうち当たるとでも思ってんじゃないでしょうね!」

 引き金を引く手首を掴んで上を向け、目標を逸らしたところで首を狙う。イアンは寸でのところで私の手を掴み、ぐいと引き寄せた。


「父さんがほんとに死んだと思うか?」

 囁くように尋ねる声に、思わず目を見開く。どうも、思うことは同じらしい。


「思ってないわ」

 掴まれた手を振り解き、向けられた銃を掴んで上に逸らす。また繰り出したナイフの手をイアンは弾き返したあと、銃のマガジンを落とした。袖から飛び出した新たなマガジンを滑り込ませて、また構える。器用な奴だ。


「なら、組まないか。父さんの目的が知りたい」

 ふざけた提案に苦笑し、共闘を呼び掛けているとは思えない銃の向きを手の甲で弾いて逸らす。銃弾が、背後で鋭い音を響かせた。まあ、ラジーヴとサイはちゃんと防いでいるだろう。


「あいにく、相棒は間に合ってるの」

 お前と手を組むくらいなら、死んだ方がマシだ。


 腹の底で湧く積年の恨みを噛み締めて、息を詰める。十秒もあれば十分だろう。

 銃を握る手を蹴り上げて銃を飛ばし、腰の銃へ伸びた指を掴んでへし折り膝を蹴る。ぐらついた懐に入り込んで腹をナイフで刺したあと、腰の銃を奪う。十カウントで追い詰めたイアンはすぐに不利を察し、窓際へと逃げた。


「サイ!」

 叫んで差し出した手に、サイはすかさず手榴弾を投げる。受け取ってすぐにピンを引き抜き、窓から飛び出したイアンを追うように外へ放り投げた。近くにあったコンテナの背後に滑り込んで耳を塞ぎ、口を開く。やがて響いた轟音と揺れが収まるのを待って、ゆっくりと目を開けた。


 埃っぽい空気を扇ぎながら、そっと窓の方を覗き見る。床には砕け散った窓の破片が飛び散り、イアンが飛び出た窓枠は歪んでぶらさがっていた。塗り壁にもひびが入って、一部が崩れ落ちている。


「二人共、大丈夫?」

「はい、問題ありません」


 コンテナの陰に隠れていた二人を確認したあと、姿勢を低くしたまま雨の吹き込む窓際へ向かう。砕けたガラスがじゃり、と音を立てる。壁に張りつきながら外を窺うと、地面が抉れてバラがごっそりと薙ぎ倒されていた。覗き込んだ窓の下にイアンの死体はなかったが、この威力だ。森へ逃げ込んだとしても助からない。そのまま、私を恨みながら野垂れ死ね。


「どうする? 放っておいても死ぬけど、探してとどめを刺す?」

「いえ。もう長くはないでしょうから」


 ラジーヴは外を確かめたあと頷き、イアンの排除を認めた。これまで同様、命が消えたのになんの感傷も動揺も見せない。ラジーヴにとって、守るべき命は唯一つだけなのだろう。一息ついて向き直り、さっきイアンから奪った銃をラジーヴに向けた。

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