第27話 輪回転

 休憩室を出たエディは、前に指南書を借りに訪れた場所へと戻ってきていた。


 ディグリは一緒ではない。彼女はエディからもらった課題を吟味すると言って、休憩室に残っている。よって今のエディはひとりだった。


 樹木が生み出す不可思議な道を辿り、本棚の隙間を練り歩く。


 本の背表紙を流し見しつつ、首を巡らせていると、見つけた。本棚の高いところにしがみつき、片手で本を読んでいる巨大なゴキブリの姿を。


 だが、彼はこちらに気づいていないようだ。エディは以前、大いに驚かされた意趣返しをしてやろうかと思ったが、相手の位置が高すぎるので、諦めて普通に声をかける。


「おーい、ゴキブリ野郎! まーだ指南書探してんのかよー?」


「……チッ、また来たのかよ、素人め」


 フランは舌打ちをすると、本棚から手を放して身を投げた。


 着地音は意外と重たい。ビクッと体が跳ねかけるのを、虚勢を張って隠し通し、エディはフランを見上げる。


「なんかいいの見つかったか?」


「お前こそ、今度は何を探しに来たんだ? 絵描き歌の本か? それとも塗り絵か?」


「蟲語の本でも、と思ってさ」


 ふたりの間で、空気がガサつく。フランはしばらくして、鼻を鳴らした。


「ディグリから何を聞いた?」


「ま、色々とな。お前の話は本題じゃなかったらしいけど」


「あいつ、ついでのように人の事情を言いふらしやがって」


「もしかして、みんな知ってるのか?」


「さあな。それこそ、俺には知る由も無い。で、お前は、そのことでわざわざ冷やかしに来たのか?」


「そこまで暇じゃねえよ」


 エディは肩をすくめると、フランの黒々とした目を真っ直ぐに見据えて訪ねた。


「なあ、登場人物の作り方の本とか知らない?」


「知ってたら、なんだ? 見繕えってか? 言ったはずだぞ、そんなもの、お前には必要ないってな」


「じゃあ、どうやって作ればいいんだよ」


「お前……いや、いい。二度と俺のとこに来なくていいように、今度はキッチリ説明してやる」


 フランは体の向きを変えると、エディを手招きする。


 移動する彼に着いていくと、いくつもの本が積まれた大きな机に辿り着いた。


 向かい合って腰を下ろしつつ、エディは積まれていた一冊に手を伸ばす。


 どれもこれも、物語を書く時の指南書や、感情移入のさせ方の本だった。


 エディは目蓋を半分落として、フランに批判的な目を向ける。


「先輩、前も思ったんだけどさ、こういうのって、初心者こそ読むもんじゃねえの?」


「俺も最初はそう思ってたがな、結局やらねー奴はなに呼んだってやらねーんだ。実際に行動に起こす奴は、何かに強く感化されて、自分で必要なものをそろえてスタートを切って、下手でもなんでもひとつ完成させられる奴だ。こういう指南書はな、少なくとも、最初の一歩を踏み切った奴が、次のステップに上がるために読むものなんだよ」


「じゃあ、あたしが読んだっていいだろ? あたし、一応小説を一作完成させたんだし」


「お前が? どんな話を書いた? 原稿は?」


「ん、まあ、報われなかった孤児みなしごの話だよ。原稿はヨサ先生が持ってる」


「ほお……」


 フランは顎を指で擦りながら、まじまじとエディを見つめる。エディは居心地の悪さと、ちょっとした恥ずかしさを覚えて目を逸らした。


 完成させたと言っても、原稿用紙一枚の二次創作だし、ヨサ先生には駄作の一言で切って捨てられたものだ。


 努力はした。下手でもなんでも、恥ずべきことではない。そう思うのに、何故か座りの悪さを感じてしまう。


 フランは無言のまま、視線をこちらに向け続けている。その沈黙が落ち着かなくて、エディは噛みつくように言った。


「な、なんだよ! とにかく一作は書いたんだから、いいだろ読んでも!」


「ひとつ訊いていいか? お前、今までに何本小説書いた? ヨサ先生に出したっていう奴は除いて」


「……ぜ、ゼロ。ヨサ先生に渡したあれが、初めての……」


「長さはどのくらいだ?」


「原稿用紙、一枚分」


 躊躇いがちに告げると、これ見よがしな溜め息が返ってきた。


 フランは背中を反らして虚空に息を吐き出し、机から身を乗り出してくる。


「おい、野ネズミ。お前、そんなんでいっちょ前に書き上げましたって言うつもりか?」


「わ、悪いかよ。書いたことは書いたんだから、いいだろ!?」


「良くねえよ! お前が何年生でもな、時期と学院ここに入ってくる連中のことを考えりゃ、そんなもん物の数には入らねえんだよ!」


 フランはどっかりと腰を落として、滔々と説教を始めた。


 作品を発表するペースは、生徒ごとに異なっている。しかし、学院に籍を置き続ける以上、最低でも一年に一回は自身の成果を提出しなければならない。


 その一回に全てをかけて創作に励む者もいれば、いくつも作った作品の内ひとつを提出する者だっている。少なくとも、来年度の在学がかかっているのだから、誰もが相応の作品を出すこととなる。


 つまり、入学から半年も過ぎて、原稿用紙一枚きりの小説を渡す者は―――その短さに明確な意図がある場合を除き、存在しない、ということだった。


「そもそもな、人生でなんも作ったことのない奴が、入れるような場所じゃねえんだぞ、ここは。入学試験はどうしたんだよ?」


「受けてない。学院長が、面白そうだからうちに来いって言って……」


「は? お前、学院長と知り合いなのか? 親戚?」


「違う。そもそも、あたしは親の顔だって知らないし」


 エディは両手を見下ろして、あの日のことを思い出す。


 ある日エディが、ぼろぼろになりながら、食べられそうなゴミを持って住処に戻った時、彼は既にそこにいて、エディが虫や鼠の手から必死に守っていた本を読み漁っていた。


“ここは、君の家かね。この本の山は、どこから持って来た?”


“読めるのか、これら全て。失礼を承知で言わせてもらうが、とても読み書きが出来るようには見えない”


 手元のゴミを奪われまいと、後生大事に抱えて、野良猫のように威嚇するエディに、学院長はそう問いかけてきた。


 鼠にかじられて、穴の空いてしまった木箱に腰かけた彼に大して、エディはなんと言ったのだったか。たった半年と少ししか経っていないのに、思い出せない。


 けれど、エディの返答を聞いた学院長は、立ち上がって手を差し伸べてきた。


 面白そうだ、学院うち入学い、と。


「それで、まあ、入学試験受けずに入ったんだ。あたしも、いまだにちょっと信じられないけどさ」


「フゥン……」


 フランは頬杖をつき、胡散臭そうにこちらを見つめてくる。


 彼はしばらく考え込む素振りを見せると、やがて口を開いた。


「学院長も酔狂だな。道理で素人臭いと思ったんだよ」


「匂いでわかるのかよ」


「言葉の綾だ。ともかく、お前に指南書は早い。読むのは、もっと後になってからだ」


「後になってからって、具体的にいつだよ?」


「自分の成長を感じられなくなった時だな。目安として、まあ、五十本ぐらい書いてからか?」


「五十って……」


 エディは険しく顔をしかめた。


 原稿用紙一枚を埋めることすら大変だったのに。原稿用紙を何枚も使った小説を五十本書くのに、どれほどの時間がかかるだろう。想像しただけで、気が遠くなりそうだった。


「そういうあんたは、何本書いたんだ?」


「俺か。具体的な数字はちょっと覚えてない。何せ、失敗作もたくさん作ったわけだしな。ただ、大体一か月で短編八つ、三か月で長編ひとつぐらい考えると……今は入学して三年目だから、百ぐらいか」


「ひゃ、百……」


 絶句したエディの口から、掠れ切った言葉が溢れる。


 作家歴の都合もあるのだろうが、それでもエディにとっては途方もない数字だった。続けて、筆の早い奴は俺の三倍は書いてる、と言われてさらに絶句した。


「つまりはそういうことだ。指南書が本当に役に立つタイミングっていうのはな、いわゆる次のステップに進むためのとっかかりを掴めない時。イチから書き方を見直す必要がある時なんだよ。お前はまず、がむしゃらに書くべきだ。指南も何もかも振り切ってな」


「けど、それじゃあ書けないんだよ! 世界観とか、登場人物とかさぁ……」


「ド素人に世界観なんていらねえよ。まずは、お前が今いる現実に目を向けてみろ。身の回りにいる奴を観察してみろ。物語なら、そいつらが既に織りなしている。面白いか面白くねえかは別としてだが」


 エディは立ち上がりかけた腰を下ろした。ベル先輩が言っていたことと、おおかた同じことを言われている。


 まるで成長していない。自分ではない自分に、そう言われている気分だった。


 ―――でも、それで書いたって、面白くないんじゃ……。


 ―――いや、待てよ?


 今度は、エディが考え込む番だった。急に黙り込んでしまったエディの前で、フランは積み上げた本を読み始める。


 もう興味などない、と言った態度で、彼は頭を掻きながら独り言のように呟いた。


「事実は小説より奇なり。だが、奇を衒うのは作家の役目だ」


 エディは顔を上げたが、フランがそれ以上話しかけてくることはなかった。

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エディ・ラナウェイの創作論 よるめく @Yorumeku

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