最終話 晴れ時々、狐に嫁入り

<やおさま なによんでるの~? やおさま なによんでるの~?>

<また しょうじょ まんが? また しょうじょ まんが?>


 再び畳に寝っ転がって本を読んでいる八尾に鬼火達が戯れる。


「違う。寄生虫学の本」


 八尾は珍しく眉間にシワを寄せて不機嫌な顔をしていた。


 エキノコックス症とは、寄生虫であるエキノコックスの宿主となったキツネが主な感染源となり糞便内にエキノコックスの虫卵ちゅうらんを排出され、人はその虫卵が手指、食物、水などを介して口から入ることで感染する病気らしい。


「絶対にどう考えてもあやかしがかかってるわけないでしょ!」


<ないでしょ~ ないでしょ~>

<おこってる やおさま れあ~ おこってる やおさま れあ~>


 鬼火達が囃し立てるので、八尾はさらに「むぅ」と不機嫌になった。しかしながら、少女漫画で得た浅知恵で千月を怒らせてしまった自分が悪いことには変わりないので、妖狐がエキノコックスの寄生虫の宿主じゃないことは事態の改善にあまり関係がないことだ。


「ああ、もう。本当にどうしよう」


 開いた本を顔の上に乗せて、途方にくれた八尾は盛大に溜め息をついた。



◇◇◇



 あの日以来、常夜とこよに行かなくなって二週間が過ぎた。何度思い出しても恥ずかしくて顔から火を噴きそうになる。八尾のことは、お父さんとお兄ちゃんを足して二で割ったような存在だと思っていたのに、どうして急にあんなことを。


 そう思って八尾を責めてみたけど、自分が本当に彼を「お父さんとお兄ちゃんを足して二で割ったような存在だ」と思っていたのか急に疑問になった。だって、私、彼といる時、安心と同時にドキドキもしてた。家族に普通はドキドキなんてしない。


 じゃあ、何があんなに嫌だったんだろう。


『そういうのはがするものよ!』


 自分が苦し紛れに彼にぶつけた言葉が蘇る。そうだ。私、八尾から「好き」とか言われてないもん。


 居間のソファーでクッションを抱きしめて、独り不貞腐れる。


 その時だった。庭につながる窓からカシャカシャと変な音がした。放し飼いしてる隣の家の猫だろうか。レースのカーテンを開ける。


「へっ!?」


 そこには白い狐が爪を立てて、窓ガラスをひっかいていた。もしかして、八尾?


 私が気が付いたのがわかると、白い狐は口に咥えた木の枝をポトリと庭に落として、私が窓を開ける前に、ふいっといなくなってしまった。


 窓を開けて、木の枝を庭から拾い上げる。枝には、紙が結ばれていた。手紙かと思って紙を広げてみると、それはなんとだった。


 意味がわからず、とりあえずその「おみくじ」の文面に目を通す。


『大吉

 願望:千月が許してくれる。

 恋愛:本当にごめんなさい。二度としません。

 待人:待ってます。

 病気:エキノコックスは持ってません。』


 そのおみくじ風の手紙に、私は思わず吹き出してしまった。


「もう、しょうがないなぁ」


 そう私は独り言を口にしてから、ニヤニヤ笑いがこぼれてしまう。「フフフッ」と声に出して時折笑ってしまいながら台所に立つ。甘い油揚げにお餅をつめた。


 そこで自分が部屋着のままなことに気が付いて、慌てて着替えに自室に向かう。電子レンジにお餅を入れる前で良かった。


 身支度を整え、餅巾着を十個作り終わるとタッパーを入れた。そして、玄関で靴を履いてから、目を閉じて願いを込めて手首の鈴を鳴らす。



 ……。ん。もう着いたかな? 恐る恐る目を開けると、部屋の真ん中で寝っ転がって、こちらに背を向けている八尾が見えた。


 いつもと違って、私が来たことに気が付いてないみたい。そっと靴を脱いで縁側から、部屋に上がる。



「ああ~もうダメだぁ。絶対ダメだよ。もう。つらい。無理」


 八尾はなにやらブツブツ言いながら、畳のイグサをほじっている。彼の上を舞っている鬼火達が私に気が付いたので、私は人差し指を口の前に立てて「シーッ」とポーズをする。彼らは意図を理解したのか、上下に動いて頷いてくれた。


 彼の後頭部の近くに静かに立膝をする。そして、私はイタズラをした。


 八尾の大きな狐の耳にフッと息を吹きかけると、彼は飛び上がって素っ頓狂な声をあげた。


「どわぁああああ!! 何!? 何!? え? 千月? へ?」


 この異界に連れてこられて以降、驚かされてばかりいた私は立場が逆転して、これはこれでちょっと気分が良い。


 私の前に正座して、しょんぼりと耳を下げて、尻尾に元気のない八尾にタッパーを差し出す。タッパーの蓋を開けて巾着餅を見せると、彼はおずおずと上目遣いで私を見た。


「許してくれるの?」

「私も口で言わずに叩いちゃって、ごめんね。仲直りしよ」



 それから、縁側に座って、お月見をしながら二人で巾着餅を食べた。


「ねぇ。八尾」

「んー。なぁにぃ?」


 八尾はすっかり元気になったみたいで、目を糸みたいしながら「みょーん」とお餅を伸ばして楽しそうに巾着餅を頬張っている。


「おみくじに『二度としません』って書いてあったけど、私と恋人同士になる気はないの?」


 私は精一杯の勇気を出して、そう口にした。怖かったけど、八尾の様子を見ようと首を回すと、彼はお餅を「みょーん」としたまま固まっていた。なんだか神社のお稲荷様の石像みたい。しばらくしたら、彼はモグモグと口だけ動かしてお餅を飲み込んだ。


「……僕は妖だから、すごくすごく長生きなんだ」


 なんだろう。だから人間とは恋人になれないってこと? なんかモヤモヤするけど、黙って続きを待った。


「僕は絶対によ」


 私の方を向いた彼の銀髪が月夜に照らされて輝く。



「だからずっと一緒にいよう? 好きだよ、千月」



 ずっとずっと我慢していた涙がせきを切ったようにボロボロと頬を伝う。みんなみんな私を置いていなくなってしまった。


「わっ! わっ! 泣かないで、千月。えっと、そんな今すぐにじゃなくて、千月が現世あちらでやりたいこと終わった後だよ、もちろん!」


 慌てたように八尾が訂正した。


「……今すぐは一緒にいられないの?」


 喜んだも束の間に悲しいことを言われて、思わず声に出てしまう。


「え? ……あれ? そうじゃなくて……。え? あれ? おかしいな。違う! 今すぐ一緒にいられます!!」


 混乱して慌てふためく八尾を見てたら、悲しくて泣いてたくせに面白くなってきてしまった。私は八尾といると泣いたり笑ったり忙しい。彼の腕に抱き着くと、顔を埋めた。


「約束ね。ずっと一緒にいてね、八尾」


 彼は「うん」と言って、もう片方の手で私の手を包んでくれた。


<なかなおり~? なかなおり~?>

<えきのこ なおった? えきのこ なおった?>


「エキノコックスには元からかかってません!」


 八尾が鬼火の言うことにムキになってて可愛い。鬼火達がクルクルと私たちの周りを舞う。お祝いしてくれてるみたい。


 その日は、残りの巾着餅を食べて、二人で飽くまで月を眺めた。 



◇◇◇



 稲荷山に立ち並ぶ沢山の赤い鳥居を紋付袴と白無垢を着た一組の夫婦めおと行燈あんどんを持って一つずつくぐりながら登っていく。白狐びゃっこ達はそれを見上げた。


「あらぁ、白狐頭びゃっこかしらの八尾様じゃないか。今度、天狐てんこに格上げされたって聞いたけど、ようやく奥方様とのご婚姻を認めて貰えたのかね」


 白狐の一人がそう言うと、別の白狐がそれを否定した。


「いやいや、ほら。奥方様は御人おひとだったから、正式なご婚姻は奥方様の天寿のあとでと、お待ちになっていたみたいだよ」

「はぁ。天狐になるような方は、やはり徳が違うねぇ」


 八尾と千月が鳥居の階段を上りきった時、またまた別の白狐が驚きの声をあげた。


「こりゃたまげた!」


 なんと常夜とこよに日が昇った。稲荷山は太陽に照らされて、青々と茂る木々の葉と赤い鳥居が光り輝く。



「千月、君の名字『日照ひでり』だったろう? ウカ様がそれを聞いてご祝儀にと、かの方に太陽を借りてくださったんだよ」


 八尾はそう言ってから、ふいっと妖術で行燈を赤い番傘に変えると、それを開く。そして、千月と二人、相合傘をした。すると、それが合図だとでも言うように今度は雨が降り注ぐ。白無垢を着た千月は、晴れたまま雨を降らす空を見上げる。


「ふふっ。狐嫁入りじゃなくて、狐嫁入りなのに」


 幸せそうに笑う千月の横顔を八尾は心行くまで眺めた。



――これからも、ずっと一緒にいようね。千月。



(おわり)


***

参考サイト:厚生労働省『エキノコックス症について』

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/0000154886.html 

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狐唯恋奇譚 ―妖狐に愛されすぎて困ってます― 笹 慎 @sasa_makoto_2022

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