『不老非死と新たな秩序』

エテルナ(旧おむすびころりん丸)

『不老非死と新たな秩序』

前回は『最近の若者』と『老害』の険悪な関係性が、延々と繰り返されることについてお話しました。


若者と年寄りの間の溝は、技術の加速と共に開いていきます。技術の進化に頭打ちが見えない以上、溝が埋まることは永遠にないのでしょうか?


ですがなんと、この溝は互いを引き離していたはずの『技術』がまわりまわって埋めてくれます!


関係という言葉は字の如く、二つ以上のものが関わり合い系を成します。

つまりは老人が消えてしまえば、関係性はおのずと瓦解してしまいます。

ただし、老人は自害しろなどと物騒なことを言うつもりは毛頭なく、答えは至極単純です。


老人が若返ってしまえばいい!


現在、医療技術は飛躍的に進んでおり、例えば免疫系を使ったがん治療や、アルツハイマーの要因発見など、これまで多くの人を苦しめた病の克服が視野に入りつつあります。

加えてゲノム編集技術を使った人工臓器、意志を読み取り動くロボットアーム、ブレインマシーンインターフェースを利用した全盲の方への視覚回復など、最先端技術を使えば古い肉体の代替もできるようになります。


現時点ではあくまで、難病や障碍を抱える人の為に進められている技術ですが、しかし健全な人にも応用は可能でしょう。

例えば認知症を治す薬を使えば、健全な人の記憶力をアップさせることもできるかもしれませんし、有機的な四肢より強靭な手足を手に入れることもできるでしょう。


「いやいや、医療技術が健康な人まで使えるようになるかは疑問だよ」


そう思われる方、首を傾げたくなる気持ちも分かりますが、今現在も既に医療用だったものが、健全な人に使われるケースは多く存在してます。

成形手術はもともと顔面を破損した人の為の技術でしたが、しかし今では健全な人が美人になる為の整形手術として利用するのが一般的になりました。

興奮剤や睡眠薬もそうでしょう。病に伏せる人だけでなく、日頃から常用している方が多くいます。


最先端技術が若返りの為に使われるようになれば、早ければ2050年。人によっては2100年とか2200年など言われてますが、恐らく人は死を克服してしまいます。

依然として事故死のリスクは抱えていますので、不老不死とまではいきませんが、病や老衰といった死因は抹消され、晴れて不老非死へと到達するのです。


けれど見た目の差がなくなったところで、固有の思想までもが変わる訳ではないのだから、若者と元老人の諍いや認知の差は無くなりはしないのでは?

そう疑問に思う方もいるでしょう。


ですがここで登場するのが、『新たな秩序です』


今現在、国籍や人種や肌の色、性別や障碍やLGBTなど、あらゆる面での差別が取り払われようとしています。

1960年代にはマーチン・ルーサー・キングが黒人解放運動を起こしていました。KKK(クー・クラックス・クラン)という最悪の白人至上主義結社が、黒人を猛烈に差別し、とんでもない私刑を下していた時代です。

もちろん今でも差別は残るものの、たったの5~60年で見違えるほど改善されていきました。

猛烈な差別の時代を生きていた人は今でも多く生きており、つまりは子供の頃は平然と差別を目にした時代から、許されざるタブーになるまでの時代を経験しているのです。


ならば、今わたしたちが当たり前だと思っている秩序が、このさき数十年も続く保証などどこにもないことが分かります。

そして恐らく不老非死の時代に生まれるタブーは、年齢に関するものでしょう。


現在でも女性に年齢を聞くのは失礼だ、程度のモラルはありますが、しかし年代別データを集めたり、年代ごとに区分けしたり、年功序列や年上好き年下好きが存在したりと、年齢に触れることは絶対不可侵のタブーではありません。

しかし現状では当たり前に語る年齢も、いつかの未来には肌の色や人種、障碍や性別のように、口にしてはいけない文言に成り果てる可能性があるだろうと予測できます。


その理由として、差別や偏見の排除はキング牧師などの活動家の働きかけによるところが全てでなく、何より大事なのは、活動が効果を為す土壌が作られていることであり、それが科学の発展だからです。


王侯貴族やカースト制度のように、神の意志や神の部位による生まれなど、身分差があることに正当性が示されていた時代には、差別や偏見は覆し難いものでした。

しかし科学が進歩し、生命の構造がつまびらかになると、奴隷と貴族の間、黒人と白人の間、女性と男性との間に、神話に見るような差異など存在しなかったことに気付きます。

ゆえに正当な根拠を持ち、公然と戦えるようになったのです。


科学が進歩するこれから先の時代には、更にそれが続きます。


科学が進歩し、人口臓器や人造肢体が普及すれば、障碍者と健常者の違いはまったく無意味なものになります。

それは侮蔑だけに限らず、障碍者への配慮とか優しさとかパラリンピックとかすらも含めて無くなってしまうのです。

その時はじめて、障碍者への差別も区別すらも不当なものだという秩序が成り立ちます。


続いて同性婚問題。これも同様に科学が進めば、同性であろうと子が作れるようになります。

IPS細胞さえ使えば男性から卵子、女性から精子が作れ、これはラットの実験で既に成功済みです。

となればもはや、生産性がないなどと口が裂けても言えないでしょう。


今では批判されがちなヴィーガンを語る活動家も、科学が進歩し人口肉を作れるようになってしまえば、それが安価で実際の肉より旨くなってしまえば、彼らの方に正当性が傾きます。

牛や豚を一歩も歩けぬ狭い檻に閉じ込めて、生後数年で殺す必要もなくなります。卵を産めないオスのヒヨコをシュレッダーで切り刻むこともなくなります。


そして不老非死が実現すれば、容姿や肉体的な年齢の差は皆無となり、人種や性別のように戸籍登録程度には残るかもしれませんが、あえてそれを口に出す必要はなくなります。

となれば年齢を示すワードは看護婦にウェイトレス、めくらに精神分裂、黒んぼに部落と同じように、不用意に発言できない言葉になります。

若者・老害・ジジイ・ババア・オッサン・オバサン・ガキなどが、差別用語に割り振られるのです。


となれば、若者と元老人の認知の差はあれど、結局そこに触れることはできず、最近の若者や老害ではなく、ただただ個性として認められていくことになるでしょう。




どうしても人間は現状維持を望み、大きな変革が訪れることを望まない性質にあります。そんな将来訪れる訳ないと、未来予想を否定しがちです。

ですが電気の登場や電話にパソコンの発明しかり、はじめはみな、そんなものが何の役に立つ? 普及する訳がないと言い続け、その度に予想を覆されてきました。


無論、予想の敗者の方が多いので、当てにできない理由も分かります。

ですが科学の進歩と時代の流れを見ると、これは存外当たってくれるかなぁと思ってます。

しかしまあ、恐らく筆者が生きてる内には見れない世界でしょうから、当たっていればあの世でガッツポーズすることにしましょう。

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『不老非死と新たな秩序』 エテルナ(旧おむすびころりん丸) @omusubimaru

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