桜の花びらはふわりと恋におちて

菜乃ひめ可

恋のはじまり

初恋とは。

 生まれて初めての、恋。


初恋とは。

 人生における初めての、恋。


初恋って?

「私はそういう気持ちに

    なったことが、ない」


*✧*


 四月の始め。お気に入りの場所である並木道は今、大好きな花が咲き誇る。途中立ち寄ったカフェで買った温かい珈琲を片手に、可愛い桃色の桜アーチを、ゆっくりお散歩。


「ふぁ、風が心地良い」


 ぽかぽか春の陽気に気持ち良くなった私は、のびのび深呼吸をした。


 見上げた空。春風に吹かれてよろこぶ桜の花びらは、楽しそうに舞い踊る。そこは一面、あわい春の絨毯じゅうたんの世界。


「「綺麗だぁ」だな」


「「えっ?」」


 美しい景色に思わず呟いた声が、誰かと重なる。

 驚いた私はゆっくりと、横を向いた。


「――ぅ」

(っわぁ……すごく綺麗な人)


 隣には満開の桜が似合う美しい人が立っており、そのつやのある金色こんじきの髪は木漏れ日にキラッと光り、なびく。


(まるで物語の世界から、出てきたみたい)


きみ……」


 心奪われ言葉を失う私はその人が発した声でハッと、我に返った。


「綺麗、だ」


「エッ? あぁ、ハイッ! とても綺麗な桜……」


 スッと伸びる美しい指先が、髪に優しく触れる。


「――っ!!」


 それからフワッと微笑びしょうし「花びらが髪に」と言葉少なに言い、去って行った。


「し、心臓が、止まるかと」


 それは人がいて驚いたのではない。出会ったその人が陽の光を浴びて微笑む“天使”のように見えたからだ。


(あんなに綺麗な人が、この世にいるなんて)


「夢……かな?」


 それから家に帰ってからも。お風呂に入っていても、眠ろうと目を閉じてみても。私の頬は熱くずっと、ずーっと脳裏から離れない“天使みたいな人”。


 花びらを取ってくれた時の表情が忘れられない。


「そして……眠れない」


 カーテンの隙間から見える星を見ながら、あの美しい指先が触れた髪を自分でも手櫛で撫でてみる。


(なんだろう、この変な気持ち)


「ん……」


(胸がきゅーッと、痛むみたいな)

――今でも考えると、ドキドキしちゃう。


 これは私、夢咲ゆめさきふわりが大学三年の春に、生まれて初めて経験した、不思議なやまいである。



 桜の花が散り、若葉が出始める頃。

 私は日常に戻ったことをふと、嘆く。


「春休みって、あっという間だよね」

「え? まぁ、そうだけど。フフ」


 ルームシェアをしている同じ大学の友人、実乃里みのりちゃんが、朝食に作ったホットケーキにハニーシロップをかけながら、私の顔を見てクスクスと笑っている。


「ちょっと実乃里さぁん? なぜ笑うのかなぁ?」

「だって。ふふっ、あれでしょ? ふわりは春休み中に“輝く金色髪の天使様”に、もう一度会いたかったんでしょ?」


「うッ……そ、それはぁ」

(そうだけど)


 気付けば私は、お気に入りの並木道へ通うようになっていた。しかしその道を通ると自宅マンションから大学まで遠回りになる。それが毎日となればさすがにおかしいと思った実乃里ちゃんから「どうしたの?」と聞かれた。


 それであの日に出会った“天使のような人”の事を話したのである。


――また、あの人に会えないかな? なんて。


「でもさ、もし会えたらどうするつもりなの?」

「ふぇ? どう……え~、どうするんだろう」


 その答えに実乃里ちゃんは「初々しすぎる!」と、お腹を抱えて笑う。


「もぉー笑いすぎ!」

(だって、自分でもよく分からないんだもん)


 ただ、自分の顔が真っ赤なりんごのようになっているのは、見なくてもよくよく分かっていた。


「あは! まぁまぁ、それより自由科目決めた?」

「またぁ、上手く話を逸らすんだ」

「そんなんじゃないって! それで決めた?」


(こうしていつも、みのりんペースに持っていかれるのだ)


「うーん、一応ずっと興味あった社会心理学の講義に……ってぇーわぁ!!」

「ねぇねぇ! それ、ホント!?」

「んぇ~? 痛たたぁ、もぉ。本当……だけど」


 顔をグイっと近づけられ尻もちをついてしまった私に、キラキラ期待の眼差しを向け聞いてくる友人に、たじたじである。


✧✧


 私の通う大学では必修科目の他に自由選択科目が幅広く開設されている。五月から選択できる自由科目は四月中、体験で様々な講義に出られると聞いた私たちは、事前確認をするために先生のもとを訪れた。


「先生、本当に必修科目と関連のない学科でも良いのですか?!」

「え? えぇ、体験期間ですし。そもそも自由なので良いで――」

「ホントにホント?! よし、このチャンス逃すまい!」


 きゃははっと大はしゃぎで喜ぶ実乃里ちゃんの姿に、先生すっかり気圧されている。その後も、苦笑いをしながら質問に答えていた。


 その後、私たちは予定通り社会心理学を選択。実はそこからさらに学科分類され、その中で自身の選択する学科を決めて受講するのだ。


 私が(というより実乃里ちゃんに誘われ)選んだ学科は――。


「実乃里ちゃん。それって」

「お願い! 合わなかったら変更も出来るから」

「そう、なんだ。じゃ」

「ありがと~ふわり! よし、決まりーッ」


 返事を言い終わる前にガシッと手を掴み、満面の笑みで喜ぶ友人。


「あ、でも実乃里ちゃん。ど」

「えーなになに? はぁ~楽しみぃ」

「ぃぇ……何でも、ない、デス」


 本当は聞きたかった。


――どうして、選んだ科目が『恋愛心理学』なのぉー!?


✧✧✧


 二日後、講義に体験参加する日がきた。


「ふわりぃ! ワクワクだねぇ」

「うん、そうだねぇ……」

(なんだろう、この気持ち。なんだかそわそわしちゃって、緊張する)


 私が感じたこの不思議な気持ちは、これから起こる椿事ちんじへの、知らせだったのかもしれない。


「はーい皆さん、揃いましたか? 時間ですので、始めますよ」

 程なくして、心理学科担任の先生が話す声が聞こえてきたのを合図に、ザワザワとしていた教室は空気がピシッと引き締まり、静かになる。


「では本日の講義は、心理学研究所の方を講師でお招きしています」


 ガラガラ――。


「キャ! 綺麗」

「まだ若いよね?」

「髪色、見て!」


(本当だぁ。キラキラしてて、すごく――)

「……ぇ」


「ふ、ふわり! あの髪色、もしやのもしや!?」


 コクン、こくっ、コクッ。

「キャーん!? ふわり!! なにこれぇ、運命的じゃんッ」


――嘘、信じられない。

「ぅん……会え……た」


 扉を開ける音と同時に舞い込んできた、柔らかな風のような雰囲気。今、自分の視界で一体何が起こっているのか? と、突然の出来事に私はそれ以上言葉が出ず、実乃里ちゃんの問いかけにも、ただ頷くばかり。


「はいはいッ、皆さんお静かに! まったく。こちら本日の講師をして下さいます。恋愛心理学の研究をなさっている、城ヶ崎じょうがさきこころ先生です」


(お名前、“こころ”さんっていうんだ)


 少し重い教室の扉を軽々と開け颯爽と中へ入ってきたその姿は、皆の視線を釘付けにする。


「城ヶ崎だ、よろしく。最初に言っておくが、講義で話す内容は決して、一般の考えを君たちに押し付けるものではない」


 ざわっ……。


「この世に生きる人の数だけ、その想いや考えは、多種多様にある」


「あー、えーと。その……城ヶ崎さん?」


 挨拶の言葉にざわついていた生徒たちの声は一瞬で消え、ピタリと静かになった。心理学科担任の先生だけはあたふたと、しかし控えめに声をかけるが、しかし――そんなの心先生は、お構いなしだ。


「これから話す内容は、あくまでも人の心が感じる思いを表現した場合に、どのような説明になるのかを“言葉”という“目には見えない形”に具現化したものであるに過ぎない」


「「「……」」」

 教室中が先生の流暢りゅうちょうに話す様を戸惑う瞳で見つめる。


「さて、前置きが長くなったが、僕が本日こちらの大学から依頼を受けた講義内容について――」


「ふぇ? いま……」

(「僕が」って、言いましたぁ!?)


 頭の中でずっと“天使のような人”という感覚しか持っていなかった私は、先生が男の人だということに、この時初めて気が付く。


 長くなったと言いつつ、さらに十五分程の「前置き」を話し終えやっと、本題の講義が始まる。


「初恋とは、相手の事に興味を持ち『もっと知りたい』と思うこと。特定の人物とすれ違うと目で追い、目が合えば頬を赤らめ、そして話すだけで鼓動が――」


 今ここにいる生徒の八割は女の子(担任の先生も女の人)だ。


 そんな中、これだけ素敵な天使様……もとい、が目の前で『恋愛』について説明をしているのだから落ち着いていられるわけがない。キャッキャッと可愛い声が教室の所々から聞こえる。


「何も手につかない、という精神状態が起こり――」


 今日初めて心理学科の講師として呼ばれたという心先生は今、教室中のハートを掴み、キュンとさせていた。


「はぁ」

 ふと、溜息がもれる。


 改めて見ると先生はとても背が高く、細身の身体はスラッとしている。なのになぜかがっちりとした印象。髪型はウルフカットで残した長めの後ろ髪は緩く結び、これがまた良いのだ。


「感じ始める相手への好意は、家族などに持つ感情とは違う――」


 低すぎない潤った美声が響き、優しい雰囲気が耳を包み込む。


「はぁぁ」

 ホワイトボードに滑らかに文字を書く指先は細く長く、美しい。


「ねぇ指先見て! めっちゃ細い」

「やぁ~ん、しかも美文字」

「確かに! キュンとしちゃう」


 皆がキャッキャと話す度、私の胸はなぜかギュッと締め付けられる。それでも私の視線は先生から離れない。


――でも。

「あの指先を近くに感じたのは、きっと……」


(やだ私、何考えてるの!)

 ふと呟いた内心、「この教室では私だけだ」なんて考えてしまった。


「……ということだ」


 文字を消す先生の背中で揺れる髪。光が当たると艶が増し金色こんじきに輝く。


みたい。可愛く見えてきちゃう)

 思わずフフッと笑みが零れる。


「さて、ここまでの説明で君たちからの意見や質問は?」


(こっち向いた!)

 見惚みとれていた私は振り返る先生と目が合った気がして、ビクッと肩を上げた。


「では、続きを。生まれて初めて持つ感情に戸惑い、その思いを抱く間。つまり相手を好きだと想う期間。それが初恋だと気付かない者も少なからずいるであろう」


「び、びっくりしたぁ……」

(良かった)

――笑ったの、気付かれてないみたい。


 私は今まで、こんなに眉目秀麗びもくしゅうれいな男の人を見たり会ったりしたことがない。それくらい先生は綺麗だ。


「はぅ」

 あともう一つ、先生の素敵さを押し上げるアイテムがある。


「――と、初恋とは無意識に始まることが多い。そして」


(それは、眼鏡。心先生、似合い過ぎです)

 先生から見つめられたら、例え男の子でもドキッとするのではないだろうか?


「はふぅ」

 もはやこれは溜息ではない。心の内から溢れでる私の“想い”。


「誰よりも輝いて見え、頭から離れずに――」


 先生の声が私の心身に沁み入り、ぽかぽかする。

(そう、初めて出会った日のお陽様のように)


 あの桜を思い出し、ぼんやり夢見心地。もちろん講義はしっかり聴いている(はずである)。


 コツ、コツ。


「初恋。それはあわい感情」


――まさか、私。

(心先生の事……いや、そんな)


 コツ、コツ、コツ。


「そして、純粋な想い」


――でも、もしこれが“好き”って感情だとしたら?


 自分でもよく分からなかった感情の正体が見え始め、急にドキドキが止まらなくなる。それから私の思考回路は停止、あの美文字をうつろな目で見つめていた。


『キャッ……ちょっと』

『先生近くに来てる!』

 すると周囲が急にひそひそ声になったのに、ふと私は気付く。


(熱があるみたいに、なんだかぼーっとして)

「あれ? 先生が近くにいるような……」


「ふわりってば!!」

「ぅん、え、ふぇぇぇッ?!」


――目の前に、金色髪の天使様がぁ!


 あの日と同じように微笑する先生は、ゆっくりと眼鏡を外して、花びらを取ってくれた時と同じ表情で私の髪に触れ、優しく撫でた。


「初恋、とは」


――『何歳いくつで経験するかなんて、決まっていない』


 耳元で囁かれた、声。


 ドキッ……ン――――。

 一回だけ大きく高鳴った、心臓。


 私は、その身体中に響いた音に驚き、紅潮する頬を両手で隠す。


「「「きゃぁぁーッ♡」」」

「じょ、じょー、城ヶ崎先生?!」


 歓声にも似た皆の声と、心理学科の先生が真っ赤な顔で震えながら「何をやっていらっしゃるんですかぁー!?」と上擦うわずり怒鳴る声が、教室中に木霊こだましていた。


✧✧✧✧


 講義が終わり、さすがに呼ばれる心先生は、心理学科の先生へどこかへ連れられていく。生徒たちはキャーキャーと冷め止まぬ熱を残しつつ、教室を後にする。そんな中、私は硬直し動けずその場に残っていた。


 実乃里ちゃんはそんな私の気持ちを察して「後でランチ食べに行こう」と先に出て行くと、一人になれる時間をくれた。


「はあぁぁ」


 どれくらいの時間が経っただろう。突然に、重い扉が開く音が教室に響いた。私は項垂うなだれていた頭を上げると一瞬で、胸が躍る。


「こ、ここ、ろ……先生ぇ!?」

(戻ってきたぁ! って、嬉しいけど、なんで!?)


「うん、僕は――」


 ふわぁ。

「え、あぁ、あの……」


 突然、私の腰を引き寄せる先生。

 その温かい手に、また心臓がドキッと大きく高鳴る。


「心理学研究者であり、恋愛心理学が専門。よって理論を説明するのは造作もないこと」


「ん、と。あの、は、ふぁぃ」


「しかしながら、僕は生まれてからの二十六年間。一般的に恋と呼ばれる感情を、持った記憶がない」


 ぎゅっ。

「だ、抱き、だ……」

(私、抱きしめられてるー!?)


「桜まとう君と、出逢うまでは――」

「ふぇ……?」


 嬉しいのか恥ずかしいのか、訳も分からずに、私の瞳は潤んでいく。


「あの日、僕が言った『綺麗』とは、君を見ての言葉だ」


 でも、唯一分かっているのは、今私の心はとても幸せだということ。


「僕は、生まれて初めての恋である“初恋”を、君にしている」


「あ、あの、えっとぉ」

(嘘ッ!? こんなことって!!)

――身体中が、とろけちゃう!


「あぁそうか。やっと会えた君の事が、あまりにも愛おしく。僕とした事が、一方的な行動を……君の許可なしに、抱き寄せて――」


 恐らく謝ろうとしてくれていた言葉を、私もギューッと抱きしめ返し遮ると、初めて感じて、“気が付いた”自分の気持ちを、心先生へ。


「わ、たし……こ、心先生に。私も、わたし……」

――生まれて初めての、“恋”を。


「同じ想いで、とても嬉しい。ありがとう」

「……」


 恥ずかしすぎて「私もです」という言葉が出てこない私は、先生の胸に顔をうずめながら、初めて感じるふわふわとした想いを、ぎゅーっと抱き締め伝えた。


「君と出逢った桜並木道。来年の春は一緒に、歩いてくれないか」


「……は、ひ。喜んでぇ」


*✧*


「ふわりさん、今日はどこをお散歩しますか」

「え? あの……心さんとでしたら……どこでも嬉しいのです」

「えぇ、僕も。ふわりさんとだったら、どこにいても幸せですよ」


 少しだけ触れ合った指先が、まだ手を繋ぐことを恥ずかしがる。それでもいいとふたり見つめて、微笑み合った。 



 これは私、夢咲ふわりが生まれて初めて経験した初恋のやまい、そして素敵な天使様……もとい、天使のような彼と、これから紡いでいく。


――――素敵な恋の物語である。



おしまい♡

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