第七話 崩れた土塊と共に

 あたしは、大切な人を裏切り、傷つけた。

 妻となるはずだった。


 ―――誰の?


 ―――カツミの。


 だけど、あたしは。

 

 何をした―――?


「カツ、ミ?」


 周囲が滅びていく轟音と土煙の中、ぶわりと記憶が蘇る。


 それはまるで、死の間際に見るという走馬燈のように。

 流れゆく景色のように。


 『全て』をあたしに見せつけた。


 遠い遠い時代。

 太古の頃。


 今よりも千三百年のいにしえの昔。


 かつて自分がアスカ姫と呼ばれていた頃の事を。

 

 あたしは思い出していた。


 艶やかなる衣装を身に纏い、胸元を玉や勾玉で飾り愛でられていた頃の事を。

 

 深く沈んでいた記憶が蘇る。

 悠久なる刻の中で、確かにあった鮮やかな事実が。


 妻となるはずだった。


 一族の長、その息子カツミの妻に。

 定められた婚姻。

 この時代では当然で。


 だけどカツミは愛してくれた。


 あたしを。

 本当の妻として。


 なのにあたしは―――裏切った。


 恋故に。


 身を焦がし焼き尽くすこの恋故に。


 カツミの従者。

 拾い子であった寂しい……黒い瞳、黒い髪を持つ彼に。


 邸の片隅で一人孤独に、悲しげに佇んでいた『スミ』に。

 身と心を、捧げてしまった。


 裏切りの代償は死。


 スミを切るなら我が身を切れと。

 夫となるはずであった人に請い願った。


 そうしてあたしはカツミに切られ―――最後を、愛しい人に押しつけた。


 その手で『あたし』を殺してくれと。

 残った息の根を、止めてくれと。


 「ああそうか。そう、だったんだね……」


 『今』のあたしが呟く。


 胸には感情の嵐が渦巻いている。

 今の明日香とかつてのアスカ。鏡あわせになった自分の顔が二つ浮かぶ。


 過去と現在の記憶が混在していて、どちらがどちらのあたしなのか、判別がつかなくなっていく。


 だけど、今、はっきりと言えるのは―――


「カツミ!!」


「アス、カ……?」


 カツミが、呆然とした顔であたしを見る。

 かつての名の音で呼ばれるとは思っていなかったのだろう。


 銅剣を手に、永い時を経て再び自分を裏切ったあたしを切らんとしているのは、その昔、夫となるはずだった人。

 頬を流れゆく涙は誰に向けてか。


 手を取れなかった人。


 そして今生でもあたしは、彼の手を―――取れない。


 胸に突き立てられた剣の感触を思い出す。スミの震えが柄から伝わっていたことを思い出す。


 生まれ直してまで、側に居続けてくれた愛しい人と、刻を越えてまで追いかけてくれた人の狭間で胸が砕ける。


「ごめんなさい……! 貴方を、裏切って、こんなところまで、追いかけさせて……っ」


「アスカ、お前、記憶が……っ?」


 今も大切な『義兄』に詫びながら、あたしは墨の腕を振り払い、彼に対峙した。


「明日香っ!?」


 『今』のあたしの名を呼んでくれる墨に振り向かずに、真正面からカツミの視線を受け止める。


 だってスミは悪くない。

 彼はただ応えてくれただけ。


 墨となってずっとあたしを守ってくれた、彼が悪いわけがない。


 全部全部、悪いのは――――


 あの時のあたしも、同じ事を思った。


 カツミに切られるのならば仕方が無いと。

 だからこれは運命(さだめ)なのだろう。


 裏切りの代償は死。


 たとえ生まれ変わっても愛しい人とは結ばれない。

 それだけの事を、あたしはしてしまった。

 

 自分でも、碌な女じゃ無いと思う。


 だけど千三百年の時を超え、それでも変わらないのは。

 あたしが墨(スミ)を好きなこと。


「カツミ……!」


「たとえ生まれ変わったとしてもっ! 許しはしない!! アスカあああああああああっっっ!!!」


 カツミの瞳が赤い激情に染まる。

 彼が振りかぶった青銅の剣が、びゅんっと空を割く。


 それはあの日、目にした光景と同じで―――だからあたしはまた、愛した人に辛い思いをさせてしまうことになるのだと、スミに、墨に申し訳なく思った。


 愚かなのはあたし。

 身の程知らずにも運命に抗い、恋で身を焼いた。

 あたし自身。


 切られるべきは墨ではない。


 『今回も』あたしなのだ。


 そして今度は、あたしは墨ではなくカツミの手で命を終える。


 『あの時』そうすべきだったように。

 今度こそ。


「明日香ぁ―――!」


 墨の声が聞こえた。

 彼が愛したのは、あたしじゃなくてアスカのはずなのに、声は今のあたしを呼んでいる気がして。


 それが無性に、どうしようもなく、嬉しくて。


 二人の人にこんなにも惨い仕打ちをした、かつての自分を胸の内で罵って。


 降りてくる刃を見に受けんと、目を閉じた、その時。


「アスカ、お前はまた、スミを選ぶのか」


 か細い、消えゆくような声がした。


「スミでは無く、お前を切れとまた僕に願うのか。どうあっても、僕を選んでは、くれないのか。……君の転生を、生まれ変わりを、僕はずっとずっと、待っていたのに……」


 泣き濡れた彼の声。


 閉じていた瞼を開けると、土埃と落ちゆく瓦礫の中、ぽつんと佇むカツミの姿があった。

 まるで取り残された幼子のように、カツミは泣いていた。

 長い髪は解け流れて、涙で頬に張り付いて。


 あたしはそれを、彼に近付きそっと指で取り払う。


「カツミ。生まれ変わってまで、求めてくれて、愛してくれて、ありがとう……でも……ごめんなさい。それでも……あたしは、」


「アスカ。僕のアスカ。知っていたんだ。本当は……君の愛情と僕の愛情が、決して同じものでは無かったことを。けど、どうしても、僕は君に、僕の花嫁になって欲しかった……」


 カツミは目を閉じながら、あの時聞けなかった言葉を聞かせてくれた。


 激情のまま、あたしの身を切った後に零したのであろう、心の内を。


「追い駆けて、追い詰めて、ごめん。アスカ……僕の妹。今生では……どうか……幸せにおなり」


「カツミ……!」


 大好きだった『お義兄様』。


 いつでも撫でてくれた温かい手を握り締めながら、嗚咽を零すあたしに、カツミはかつて見た懐かしい微笑みを浮かべていた。


 空いた手であたしの頭を撫でるカツミ。


 手にしていた銅剣は、崩れた土塊と共に、大地へと消えていた。


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