神竜戦争 儚き愛の狭間に… 心優しき暗黒神の青年と愛する少女達の物語

第3話 男を受容れる器

　陽の暮れる少し前、所謂（いわゆる）黄昏（たそがれ）時という時間帯にリンネが水浴びから戻ってきた。

　ヴァイロは家中の古文書やらを引っ張り出し、ブツブツ何かをぼやいている。

　読み終わったのかどうかも定（さだ）かでない、開きっぱなしの本が、床の至る所に散らばっていた。

「た……ただいま……」

「…………」

「た・だ・い・まっ！」

「ああ、おかえり」

　小声で帰宅を告げたリンネであったが、ヴァイロの返答がないので声を張って言い直す。

　頓着（とんちゃく）せずに如何（いか）にも取り合えずな声が返ってきた。

「全く……まだ竜の事を調べてるの？」

「そ、とにかく森の女神（ファウナ）で竜に関わる伝承（でんしょう）を探してんだけどさ。これというのが見つからん……」

　ベッドに寝転（ねころ）がりながら調べ物とは、とても身が入っている様子ではないのだが、これが彼にとっての通常運転。

　リンネはその姿に最早（もはや）呆れる事すら諦（あきら）め、彼の代わりに本を勝手に片付けてゆく。

　因（ちな）みに森の女神（ファウナ）とは、ヴァイロが暗黒神としての魔法を構築するに辺り、参考にした神の事だ。

「俺は皆を……いや、そりゃあ言い過ぎだな。せめてお前達だけでも絶対に守れる圧倒的な力が欲しいんだ」

「ふーん……でもさ、貴方が本気で魔力を振るえば、カノンですら守れるんじゃなくて？」

　仰向けで読んでいた本を顔の上に載せ、頭の後ろで手を組んで枕にするヴァイロ。どうやらその本にもお目当ての記事はなかったらしい。

「それじゃあ駄目だ……」

「どうして？」

「確かに皆を守りたい。けれど戦いたくはないんだ」

「………何よそれ？　意味が判らないわ」

　リンネには彼の言いたい事がまるで理解出来ない。それに彼女にしてみれば、そんな事より気づいて欲しい現実（自分）がある。

「戦ったら皆が傷つくだろ。俺は……俺自身は、何なら恐怖の対象ですら構わない……」

「ハァ……成程ね。要は暗黒神ヴァイロ様と黒いドラゴンの組合せがいれば、戦いを挑（いど）む相手すらいなくなるという訳ですか」

　リンネの喋り方があからさまにおかしい。女言葉に敬語、実に彼女らしくない。さらに本人的には普段より艶（つや）のある声を出しているつもりなのだ。

　なんであのミリアみたいなことを自分はしているのだろう。丁寧（ていねい）に、そして如何にも女性らしく喋（しゃべ）るのは普段のあの子だ。

　…………正直息が詰まりそうだと感じる。

　けれどそれに気づいて欲しい当人は、全く違う事に頭を囚（とら）われている。昨夜見た悪夢。

　暗黒神と黒いドラゴン、その完全無欠が揃（そろ）っていたのに戦いは起こり、一番守りたかった連中が虫ケラの様に蹂躙（じゅうりん）されていた。

　予知夢が見られる程、自分が万能だとは思っていない。だけどあんなものを見せられては、流石に何かせずにはいられない。

　そして弟子のアズールが描いてきた黒い竜。にわかに信じ難（がた）いピースを持ってきたと感じた。

　傍目（はため）には玩具を貰った男の子の様な燥（はしゃ）ぎよう……裏腹にはそんな考えもあったのだ。

　そんなヴァイロの上に突然、リンネは覆（おお）い被さると、頭の上の本を払いのけた。

　細いヴァイロの目が一際（ひときわ）大きく開かれる。両腕を伸ばして彼のマウントを取っているリンネはタオル一枚。

　その最後の砦（とりで）すらはだけた全身が飛び込んできたのだ。

　顔を真っ赤にしているリンネ。けれどその目には、後に引く気がない決意に満ちている。これが彼女が気づいて欲しかった現実（自分）なのだ。

「な、何のつもりだ！？」

「み、見れば幾（いく）ら鈍感な貴方でも判るでしょうっ！　さ、誘っているのよ……好きなのよっ、貴方がっ！」

　流石に恥ずかしいリンネ。しかしこの何かが変わりそうな黄昏時（たそがれどき）と、やがて入れ替わる満月の夜をモノにしてみせるという気概（きがい）は、決して揺るがない。

　突っ張っていた腕の力をゆっくり抜いて、その肌を密着させる。耳の辺りから聞こえる自分の脈打つ音は、勿論作りものなんかじゃない。

「わ、私……もう此処に来て４年になるのよ。こ（・）ん（・）な（・）の（・）わざわざ見せなくても充分に大人だって知ってる筈よ」

「し、しかし……」

「言わないでっ！　俺は２５って言うんでしょ？　そ、そんなの関係ないの……そ、それに……」

「………？」

　リンネの緑の眼（まなこ）から、水がヴァイロの胸へ流れ落ちる。さながら木の葉に降り注ぐ雨が、地面へと沁（し）み込むのが必然であるかの様に。

　ヴァイロという黒い大地は、森の精霊（リンネ）のしなやかな身体を受け止めながら、次の言葉を待った。

「それに私、ミリアには……あの子にだけは絶対に負けたくないのよ……」

　遂に本音を明かしたリンネ。こんなやり方は卑怯（ひきょう）だ。自身そう思いながらも、せずにはいられなかった。

　３つも歳下のミリアに女としての自分は負けている……彼女の焦（あせ）りの正体がそこに存在した。

　後は、ただひたすらに涙する。雨がたとえ降らなくても、私はこの大地（男）を潤（うるお）してみせると告げているかの様に。

　ヴァイロがリンネの頭を撫（な）でながら、ようやくこの現実を受け入れた。

（確かに大きくなったな……４年前は本当に子供で、妹が出来たというより、まるで娘を貰った心地だった。だが…ガキは俺の方だったらしい）

「判った、俺も男だ。女に恥をかかせる様な真似はしない。増してや同（・）棲（・）しているお前だけには」

「ヴァイ……」

　初めて同居ではなく同棲という言葉を彼は口にした。その重みの違い、互いの理解が一致する瞬間である。

「でも良いのか、こんな俺を本当に許容出来るのか？」

「それは貴方も同じ……」

「違うな。女は男を受容（うけい）れる言わば器（うつわ）。酷だが常に強（し）いられる存在だ。差別とか言われようがこれだけは譲れない。こんな男だから経（・）験（・）はあっても、一人に恋慕（れんぼ）するのはお前が初めてだ」

　リンネの涙を拭（ぬぐ）いながら、この４年間で一番の真剣な眼差しを向ける。これからは女の子としては見れない。自分の愛する大人の女性像を正直に白状した。

　そして次は口元を緩（ゆる）めると、加えて注文をつける。

「あとその口調は元に戻してくれないか。そちらの方が俺の好みだ」

「わ、判った……」

　リンネは少しだけ仏頂面（ぶっちょうづら）になったが、涙は止まった。後は彼氏の成すがまま、互いの上下を反転させると、そのリードに全てを託した。

　彼は普段の優しさと比べると意外な程に荒々しく彼女を求め、幾度（いくど）となくそれをぶつけた。まさに器に足るかを試しているかの様に。

　初めてのリンネにこれは少々酷であったが、歓喜（かんき）が小さな彼女を支えてくれた。

　器として大いに彼の希望に応えてみせたのだ。彼女にとって、それは幸せに満ち溢（あふ）れていた。