桜嫌いのロボット女子と愛の深いクールな王子さま

久里

桜嫌いのロボット女子と愛の深いクールな王子さま

氷室ひむろって、いつも一人で残業してるよな。他の事務職は、とっくに全員帰ってるのに」

「あー。ヒムロボの仕事はスピーディーかつ正確だからなぁ。頼みさえすれば嫌な顔一つせずぜーんぶ引き受けてくれるし、完全に、困ったときのお助けロボットだよ」

「ヒムロボ……?」

沢渡さわたり、同期なのに知らねえの? あいつのあだ名だよ、有名じゃん。氷室とロボットをかけてヒムロボ。ほら。氷室って全く笑わねえし、仕事が生き甲斐ですって顔してるし、ぴったりすぎるあだ名だろ?」

 当人たちは声を潜めて会話をしているつもりなのだろうが、全て本人――氷室ひむろ里帆りほの耳に入っていた。

(聞こえなかったフリ、聞こえなかったフリ。あんな会話に気を取られてる場合じゃない、目の前のやるべきことに集中するんだ里帆!)

 氷室里帆、二十九歳。

 もう若手とは言えない入社八年目の事務職員だが、まだ聴覚が衰えはじめる年齢ではない。あの社員は、里帆にはなにを言っても傷つかないとでも思っているのだろうのか。たしかに可愛げもなければ愛嬌もない自負はあるけれど、人権まで失った記憶はないのに。 

 里帆は、再びデータ入力の作業を再開した。

 デスクの脇に積まれた書類の山を、一刻も早く片付けるためだ。

 これも、元はと言えば、里帆の仕事ではなかった。

 定時の三十分前頃になって、『せんぱ~い。あたしー、今日はどうしても定時で上がりたいんですけどぉ、まだここまでしか終わってないんですぅ』と舐めた口ぶりで相談してきた後輩社員の新田にったに押しつけられたのだ。

(それにしても、もうすこし早く報告できなかったのかなぁ……)

 内心ため息をつきたくはなったが、実際にそれを顔に出したところで、仕事が片付いてくれるわけでもない。

 空気を悪くするぐらいなら、自分で引き受けるのが里帆の性格だ。その方が気が楽だし、早くて正確な処理ができるから後々になってトラブルが起きる確率も低い。

『分かりました。後は私がやっておきますから、新田さんは定時に帰って大丈夫ですよ』

『氷室先輩、やさしーーー! ありがとうございまぁす』

 そんな風に人の仕事まで背負いこみ、無表情を貫きながら、毎日のように残業する日々がもう一年近く続いている。

 こんな里帆とて、なにも仕事が生き甲斐というわけではない。

 仕事は、生活をするために、淡々とこなしているだけだ。

 結婚をする予定はない。今時は結婚していても共働きが当たり前となっているが、里帆には、いざという時に経済面を支えてくれそうなパートナーもいない。

 正確には、いなくなってしまった。

 ちょうど、桜の舞い散る一年前頃に。 

 一人で生きていくと決意した以上、仕事は必要不可欠。それに、仕事に救われている面もあった。忙しくなればなるほど、余計なことを考えなくて済むから。ロボットのように心を無にして目の前のやるべきことに取り組んでいれば、日々はあっという間に流れていく。

(明日は絶対に定時に帰りたいし、今日は多めに終わらせとくか)

 里帆は、気持ちを切り替えるようにしてブラックコーヒーを口に流しこみ、後輩の残していった仕事を高速で処理していった。



「氷室さん、まだ余裕あるよね? この仕事もお願いしたいんだけど」

「ごめんなさい」

 相手の、すでに里帆に仕事を手渡そうとしていた手が、ぴたりと止まった。

『あれ、今日はいつものヒムロボと反応が違うぞ。エラー反応か?』とでも言いたげに、大きな瞳をパチクリとさせている。

 里帆は、仕事を頼んできた先輩女子社員に、丁寧に頭を下げた。

「申し訳ないですが、今日は、どうしても定時で帰りたいんです」

「あー……あはは。そっかぁ。氷室さんも、そういう日ぐらいあるよね」

「はい」

「わかったわかった。これは、あたしがやっとくから気にしないでー」

 彼女が愛想笑いを浮かべながら自分の席に戻っていくと、どこからともなくヒソヒソ話が蔓延しはじめる。

「ヒムロボが仕事断るなんて、珍しーーー。明日は雹、いや、槍でも降るかな」

「もしかしてぇ、ヒムロボにも、ついに春がやってきたんじゃないですかぁ?」

「えー。デートに、あのクソ地味な格好で行くのはないわー」

 地獄耳の里帆には全て聞こえているけれども、鉄壁の無表情で受け流す。格好については、眼鏡に一つ結びにしただけの髪で出社している以上、なにも言い返せないし。それよりも、今の内に、残りの仕事を片付けてしまわなければならない。

 定時まで、あと一時間。

 定時が来るのがこんなに待ち遠しいと思うのは、いつぶりのことだろう。


「お先に失礼します」

 内心の浮き足立つ気持ちを顔にはおくびにも出さずに、颯爽と事務所を退散。

 なんといっても今日は、待ちに待った、大好きな乙女ゲーム続編の発売日。

 現実での恋に失望した今の里帆にとって、乙女ゲームは日々心に潤いを与えてくれる大切な趣味である。

(アインス様、いまお迎えしにゆきます!)

 推しの尊い笑顔を思い浮かべつつ、本当は駆け出したい気持ちを抑えながらオフィスを出る。

 駅の方へと向かおうとしたところで、意外な人物に引き止められた。

「待て、氷室」

 グラスに氷がぶつかったような、よく通る、涼やかな声。

 振り返れば、同僚の沢渡が立っていた。

 いつ見ても、彫刻のように整った容貌だ。道ゆく人も、彼の冴えざえとした美しい顔立ちとモデルのようなスタイルに視線を奪われている。

「なんですか?」

 沢渡は、三ヶ月前に異動してきた入社八年目の営業職で、里帆の同期でもある。四半期ごとにトップクラスの営業成績をあげる彼は、顔が良いだけでなく、仕事もできる男だ。彼の欠点といえば、やや不愛想なところぐらいで、それすらも社内の女性社員たちからは『クールなところも素敵!』と崇められている。

 しかし、そんな完璧男と里帆との接点は業務以外にほぼ皆無のはずだが、一体何の用だろう。

「これ、氷室のだよな」

 差し出されたのは、見覚えのありすぎる携帯。

 里帆のものだ。

 驚いて、石のように固まっていると、沢渡は淡々と状況を説明してきた。

「デスクの上に置きっぱなしだったのが目についたから、追ってきた。携帯がないと困るだろうと思って」

 恥ずかしい。携帯も忘れていくほど、浮かれていたなんて。

「……わざわざ、ありがとうございます」

 必死に動揺を押し殺し、澄ました顔で受け取る。

 しかし、用が済んだはずの沢渡は、一向にこの場を離れようとしない。

(なに? もしかして、私の顔になにかついてる……?)

 互いに無表情のまま、見つめあうこと数十秒。

 沢渡は、形の良い唇を開いて、沈黙を破った。

「氷室は、今日これからデートでも行くのか?」

 ………………。

(は?)

 デート? 

 聞き間違えただろうか。仕事と乙女ゲームのやりすぎで混乱した脳が、現実世界の同僚の台詞まで変換して聞いてしまったとか? 

 里帆が、目をかっぴらいて、あまりにも間抜け面をさらしていたからだろう。

 沢渡は、クールな態度を崩し、やや焦ったように言い募った。

「……いきなり、ヘンなことを聞いてしまってすまない。ただ、珍しいと思ったんだ」

「珍しい……?」

「普段、誰からどんな無理難題を押しつけられても涼しい顔をして全てを引き受け、夜遅くまで残業しているお前が、今日だけは取りつく島もない様子で断っていた。さらには定時になった瞬間にダッシュで退社するなんて、よほどその用事を楽しみにしているのだろうと思った」

 呆けて、沢渡の、麗しい顔をまじまじと見つめてしまった。

 他人――少なくとも、社内の人間には全く関心のなさそうな彼の目に、自分の姿がそんな風に映っていたことがかなり意外だったからだ。

(沢渡くんにまで、浮かれてるように見えてたんだ)

 羞恥心で言葉に詰まっていると、彼はさらに衝撃的な言葉を放った。

「それほどまでに氷室を夢中にさせているものがなんなのか、気になった」

 心臓を、素手で触られたように、ドキリとした。

 彼の、切れ長の瞳にとらわれたようになって、目を離せない。緊張と得体のしれぬ高揚とがない交ぜになって舌の根までかわいてくる。

「お前のことを、もっと知りたい」

「どうして」

「この際だから、はっきり言おう。オレは、氷室のことが女性として気になっている」

「なっ……!?」

 手渡された携帯を、うっかり落とすところだった。

 こんな聞いただけで恥ずかしくなるような台詞を、二次元のキャラクターからゲームの画面越しにではなく、現実世界で職場の同僚から聞く日がやってくるなんて! しかも、社内で『クール王子』だと騒がれているこの男から!

 顔が熱くなるのを、どうやっても止められない。

 これは、夢か。

 そうじゃなければ、何かの間違いに違いない。

 なにせ、社内での今の自分は、女として終わっている方に特大級の自信がある。

 まず、陰口でも言われていた通りで、容姿には一切気を遣っていない。化粧は最低限だし、服装もシンプルなワイシャツに地味なフレアスカートを制服のごとく着まわしているだけだ。

 おまけに、立ち振る舞いも、可愛さからは無縁。

 里帆以外の女性社員には、多かれ少なかれ愛嬌というものがある。

 重い荷物を運ばなければならない場面や、難しい仕事で行きづまる場面など、みな負担になりすぎない範囲で男性社員にうまく頼っているものだ。彼女たちの小さなお願いが迷惑等ではなくむしろ歓迎されていることは、頼られて嬉しそうな彼らの顔色を見れば一目瞭然。どんな無理難題を押しつけられても顔色一つ変えず、全てを一人で解決してしまう里帆とは大違いだ。

 里帆には、可愛げもなければ、愛嬌もない。

 そうだ、好きになる要素がないじゃないか。 

 考えれば考えるほど、沢渡の発言は、正気ではないように思えてくる。

 里帆は、ジェットコースター級に高速回転する思考を一度切断すると、まじまじと自分の顔を見つめてくる沢渡に努めて冷静に言い返した。

「沢渡くん。正気ですか?」

「ああ。オレは、正気だ」

(って、顔色の一つも変えずに、のたまられましても……!)

 呆けて口をパクパクとさせることしかできない里帆に、沢渡は頭を下げた。

「急いでいたところを引きとめてしまってすまない。なあ、氷室。明日の花見に、お前は来ないのか?」

(お花見……。そういえば、昨日、所長がみんなに呼びかけてたっけ)

 里帆は普段から社内行事に積極的ではない。それでも社会人として必要最低限には出席しているが、明日の花見には絶対に参加したくない理由があった。 

「……行きません。桜は、嫌いなので」

「嫌い?」

「携帯を届けてくださって、ありがとうございました。失礼します」

 里帆は頭を下げると、面食らったような顔をしている沢渡に背を向けて、再び駅を目指した。



 楽しみにしていた乙女ゲームを無事に手に入れて帰る道すがら、桜の花びらがはらりと目の前を横切った。見上げれば、街路の桜が見事に咲き誇っている。

 その光景を目にした瞬間、苦い唾が、喉の奥からこみあげてきた。

(もう、あれから一年か)

 里帆が、桜を嫌う理由。

 一年前。

 里帆は、会社の上司である長田おさだと付き合っていた。

 彼とは、前の支店で知り合い、今の支店に異動となった社会人五年目の頃から付き合いはじめた。

 彼の、優しくて、絵文字付きのメッセージがかわいくて、ほわほわと笑うところが好きだった。交際したてのころは週末になるたびにデートをしており、次第に、彼の家に泊まるようになって半同棲状態となった。違う支店であったが、社内の人間にはバレないように徹底して隠していた。『結婚したら、みんなに言おうね』と柔らかく笑う彼を、ひたむきに信じていた。

 しかし、長田が里帆と結婚する気などなかったということを、里帆は桜の咲き誇る一年前に知ってしまった。

『梅支店の長田さん、二年目の事務の子と結婚するらしーよ。デキコンだってさ』

『えー! 梅支店の事務の子って、めちゃくちゃ可愛い子ですよね!? てか、長田さんって三十過ぎでしたっけ。ちょっとロリコン入ってません?』

『んー。中学生と大学生って聞いたらアウトだけど、大人になったら、別に良いんじゃない?』

『うーん、それもそっかぁ。長田さんてー、なに言ってもゆるしてくれそうでー、いかにも誠実そうですよねぇ。結婚する子が羨ましいです』

 いつもは聞き流す給湯室での噂話に、里帆は、メドゥーサに睨まれて石像にされてしまったように動けなくなった。

 梅支店の長田は、一人しかいない。間違いなく、彼のことだ。

 今の噂話が事実であることは、長田本人に聞かなくても、察せられた。

 最近、連絡が途絶えがちだったのも、『休日出勤するから、今週末は会えない』という週が続いたのも、社内の人間には絶対に言うなと口止めされていたのも、全てそういうことなのだろう。

 それでも、目をそらし続けていた。彼に、恋をしていたから。

 仕事をひたむきに頑張って、一途に想っていれば、いつか彼の方からプロポーズをしてくれる日がくると馬鹿みたいに信じ続けていたのだ。

 最後のダメ押しで長田本人にメッセージで確認を取ったところ、観念したように、『ごめんね、里帆』と絵文字の一つもない返信がきた。

 二年にわたる交際の終わりは、桜が散るように、本当にあっけないものだった。

 その日、里帆は社会人になってから初めて、当日朝の連絡で仕事を休んだ。

 すでにオフィスにまで来ていたが、里帆の幽霊よりも青ざめた顔を目撃した社員たちはみな心配して、誰も何も言わなかった。

「……あー、もぉー……。私、ほんとにバカだなぁ」

 ふらふらとゾンビのように歩いて辿りついたのは、大きな桜の樹がある公園。

 吸いよせられるように公園内のベンチに座って、一人、目を真っ赤に腫らしながら泣き続けた。身体中の水分が干上がるのではないかと思うほどに、泣いた。

 舞い降りてくる桜の花びらは、美しいけれども儚くて、現実の恋のようだと思った。

 あの日に、里帆は誓ったのだ。

 もう、現実で恋はしない。一人で生きていくのだと。

 また誰かに心を丸ごと預けて、手酷く裏切られるのはもう沢山だ。鋭い刃で心臓ごと抉られるようなあんな思いは、もう、二度としたくない。

 桜は大嫌いだ。

 桜を見ると、誠実そうな顔をして本当は不誠実極まりないあの男を信じていた、馬鹿な自分を思い出すから。

 


(あー……。全然、終わらない)

 午後七時のオフィスに、里帆以外の人間は残っていない。

 みんな定時に上がって、花見に向かってしまったのだ。

 里帆も誘われはしたが、桜を見に行くなどありえないので速攻で断った。すると、新田が待ってましたとばかりに『じゃあこの仕事もお任せして良いですかぁ?』と聞いてきたので、了承したというわけだ。

 本当は、早く帰宅して、昨日手に入れた乙女ゲームの続きを意気揚々とプレイする予定だったのだけど。

(なんでだろう……アインス様のデレ発言に、そこまでときめけなかった)

 それよりも、昨日、沢渡の宝石のような瞳に見つめられたときの方がよほど――

「花見にも行かずに、仕事か? 氷室は、ほんとに仕事が好きだな」

「うわっ!?」

 ――突然、頬に押し当てられた冷たい缶の感触と、耳に心地よく響く低音ボイスに肩を大げさに跳ねさせてしまった。

「これ、やる。いつもブラックだったよな?」

 沢渡だ。なぜ、彼がこんなところに。花見に向かったのではなかったのか。

 里帆は、途端に忙しなくなりはじめた鼓動を落ちつかせながら、答えた。

「なぜ、沢渡くんが知っているんですか」

「いつもお前のことを見ているからだ」

 出た。心臓ど真ん中めがけて放たれる、沢渡のドストレート攻撃。

「あと、氷室が、差し入れで買ってきた菓子類に手を伸ばしているのを一度も見たことがない。甘いものは苦手なんじゃないか?」

「えと……よく、人のことを見ているんですね。流石はトップ営業マン」

「違う。気になっている女のことは、自然と目で追ってしまうものだ」

「……っ」

 この男、昨日から、攻め方がえぐい。

 真顔で心臓に悪い言葉を炸裂させてくるのはほんとにやめてほしい。

「お花見に行くんじゃなかったんですか?」

 今頃、『クール王子がいない!』と女性社員たちが血眼になって探しているんじゃないだろうか。こんなところで悠長に里帆と話していると知られたら……想像しただけで身震いがした。

「やめた。氷室が行かないなら、行く意味がないからな」

「……ええと、沢渡くん。私のことをからかってそんなに楽しいですか?」

 好意を純粋な気持ちで受け取れず、つい、棘のある言葉を吐いてしまう。我ながら、本当に可愛くない女だ。

 しかし、沢渡は、動じない。

「からかう? オレは、至って真面目だが」

「どうしてですか……? 沢渡くんも、知ってるでしょ。私は、そんな風に思ってもらえるような人間じゃ」

「氷室は、かわいいよ」

 間髪入れずきっぱりと言いきった彼に、唇がわなないた。

 瞳の奥が熱くなってきて、目の前の彼の端正な顔がうるうると揺らいだ。

 これ以上、心を揺らすようなことを言わないでほしい。

 もう、誰かと恋をするのは、懲り懲りだから。引き返せないほど好きになって、また裏切られたら、今度こそ里帆の心は砕けてしまう。

「私のこと……何も、何にも、知らないくせに。勝手なことを言わないでください」

「そうだ。オレはお前のことを、ほとんど知らない」

 瞳を伏せた沢渡は、ぽつりと呟くように言った。

「一年前。桜の樹の下で、お前が泣いていた理由も知らない」

「っ!」

 ひゅっと心臓が縮んだ。

 見られていたのか。

 みっともなく泣いていた姿を、黒歴史の一端を、目の前の彼に目撃されていたことがあまりにも衝撃的で、言葉を失う。

 沢渡は、そんな里帆を気遣うように、瞳を伏せた。

「……思い出したくないことを思い出させてしまったなら、すまない。あの日は偶然こっちの支店に用があったから、あの公園も通りかかった。お前のことにも気がついたが、同期といってもほとんど関わりがなかったし、話しかけるのはためらってしまったんだ」

「そう、だったんですね……」

「それで印象に残っていたが、同じ支店に異動してきてからは、さらに気になるようになった。ここでのお前は、全く笑わないし、泣き言もいわない。仕事はいつも丁寧で、他人への気遣いに溢れている。他人に頼ることができず、一人にしたら際限なく頑張ってしまう。そんな、強くて弱いお前から、どんどん目が離せなくなっていった」

 沢渡は、ふっと口元をゆるめた。

 胸が、とくんと高鳴る。

 彼が、あまりにもやさしい顔をして、見つめてくるから。

「オレは、お前のことをもっと知りたい。お前の笑う顔が気になるし、頑張りすぎないように甘やかしたい。そう思うこの気持ちは……迷惑だろうか? 氷室には、好きな人や、付き合っている人がいるのか?」

 顔から火を噴きだしそうなほど、身体中が熱くなる。

 現実で、また恋をするのは、とても怖い。

 だけど……不安そうに瞳を揺らして聞いてくる彼に、どうしようもなく心揺らされていることも事実で。

「……昨日、私が定時で退社したのは、楽しみにしていたゲームが発売する日だったからです」

 沢渡は、切長の瞳をぱちぱちと瞬く。

「ゲーム……?」

「ゲーム屋に寄りたかっただけで、好きな人も、恋人もいません。だから……その」

 里帆は、勇気を奮うべく、ごくりと唾をのみこんだ。

「迷惑だとは……思いません」

「……そうか」

 沢渡の瞳に、光がにじむ。

 心の底から嬉しそうな顔をする彼から、ずっと目が離せない。

「なあ、氷室。これから、桜を見にいかないか?」

「えっ」

 思わぬ提案に、瞬きをしたら。

「もちろん、誰にも邪魔されないように、会社の人間はいないところへ行く」

「でも、花見は……」

「オレは、桜の季節が来るたびに、氷室が暗い顔になるのが嫌なんだ。少しでも楽しいものになるように、その忌まわしい記憶を塗り替えにいきたい」

 沢渡は、苛立たしげに眉をしかめて、唇を尖らせていた。なんだか今日は彼の意外な表情ばかり見ている気がする。

 それに。

 大真面目な顔をして里帆の苦い思い出に憤ってくれる沢渡に、胸が苦しいぐらいに締めつけられて仕方がない。

「……もう、充分です」

「ん?」 

 これからは、桜を見るたびに、たった今目の前の彼がくれた言葉を胸の高鳴りと共に思い出すだろうから。

 里帆の頬は、恋をしはじめた乙女のように、ほんのりと桜色に染まっていた。【完】

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