雛祭さんは楽しみたい 4

 美ら海水族館は四階から、スタートだ。そこから三階の入り口より入館、二階、一階へと進路が続く。まるで、深海へと潜っていくような体験ができる造りになっているらしい。

 そんなわけで、おれたちはさっそく、みくりが見たいといった、一階の『深海への旅』にやってきた。順路は違うだろうがお構いなし。見たいところから見たほうがお得だ。

 ここの展示では、深海に住む生物たちが約百五十種ほど、見ることができるらしい。薄暗い水槽のなかで、ゆうゆうと泳ぐ深海生物たちを、みくりがうっとりと見上げている。まるで、星空を見あげているようなロマンチックな表情をしているが、ここは深海の海なんだが。なんでそんな表情で見れるんだよ。どう見てもグロテスクな見た目の生き物でしかないが、どこがそんなにかわいいんだ、とつい水槽を確かめる。

 ここにいるのは、オニキホウボウとかいう甲冑に目ん玉がついたようなのとか、ホヤの仲間だという茎にナマコみたいなのがついたのとかばかりだぞ。さらに目が青く発光している魚が大群で泳いでいて、なかなかにゾワリとする。

 奇妙で不思議で、そこが面白いんだろうけど、決してうっとりするようなものではない。

 みくりは、キャラクターものがすきだから、同じような感覚で、深海生物のことも見ているのかもしれないな。


「ねえ、大知。ちゃんと見てる!?」

「え、何を?」

「水槽! 展示!」

「見てるけど」

「ほんとにー? ほら、見て、あそこ! 変なのが泳いでるよ」


 みくりに手を引っぱられ、強制的に水槽の前に立たされる。ふと、雛祭さんのほうを見たら、快人といっしょに別の水槽を見あげていた。


「今、どこ見てた?」

「どこって、ここには水槽しかないだろ」

「なにその、返事。どういう気持ちで、それいってんの?」

「……なんだ? 何いいたいんだ?」

「ごめん。あたし、すごく面倒なこと聞いてるよね……」


 畳みかけるようにいってくるみくりに、つい強めにいい返す。すると、みくりはしょぼんと肩を落としてしまった。


「違う。そういうつもりでいったんじゃなくてだな」

「……めんどーなやつって、思ったよね」

「んなこと思うほど、人間性終わってないつもりだけど」


 清く正しい陰キャ、という肩書きだけは、捨てていないつもりだ。


「……大知、さっき雛祭さんのこと、見てたよね」

「ああ。はぐれてないかなあ、ってチラッと確認したな」

「ふーん」


 不服そうに視線を水槽に戻す、みくり。おれの返答が気に入らなかったみたいだ。どう返せばよかったんだ……。

 みくりが望んだであろう返答を想像してみるが、しょせんはおれの脳内レパートリーでまかなうしかないため、じゅうぶんなクオリティのものが生成できるはずもなく。完ぺきな「みくりの望む答え」を創造することは叶わなかった。

 いや―――みくりの本当の気持ちが、おれにはわかるはずないんだ。

 だが、わかろうと努力することはできる。今のみくりの顔を見て、察しようとすることはできる。小さいころからいっしょにいるんだ。それくらい、わからなくてどうするんだよ。


「みくり」

「……何?」

「みくりが、最初のバスのなかで、おれにいってくれた言葉だけど……」

「大知のことしか、見てない……っていったやつ?」


 二回もいわれ、おれは耳まで顔を真っ赤にさせてしまう。くそ、こういうのいわれ慣れてないんだよ。

 しかも、幼なじみにいわれて、素直に真っ赤にさせるとか、かっこわるすぎるんだが。


「ねえ、顔真っ赤だよ」

「うるせえな。耐性ないんだよ、こういうの。平気で二回もいうな」

「……あたしがいったから、真っ赤になったんじゃないんだ」

「あのな。おれは、恋愛ごととは無縁の男なんだよ。お前が一番、わかってるだろ」

「はは……あたしが一番、大知の近くにいた女の子だもんねえ」

「幼なじみは、お前しかいないよ。だけど、女子とのそっち方面の縁があったのか、といわれれば、ゼロだ」

「『そっち方面の女子』が、あたしになることはないわけ?」


 みくりの顔が、ぐいっと近くなる。お互いの鼻先が触れあいそうになり、あわてて一歩引こうとしたが、みくりのあたたかな手が、おれの手に重なった。

 思わず「ひえ」と、情けない悲鳴をあげてしまう。


「あたし、大知のそっち方面の女の子になれないの?」

「えーと、それ……どういうつもりでいってんの?」

「もー。わかんないふり、ダサいよー」

「こんなところで、何いってんだよ」

「水族館なんで、かんぺきなデートコースじゃん。ロマンティックのかたまりだよ」

「ここ、深海だぞ」


 薄暗い水槽で、ゆっくりと奇妙な魚たちが、流れにそって泳いでいる。水色や赤に発光した深海の光がおれたちの背景として、夜空の星のように点滅している。

 ロマンティックで、ムーディーで、奇妙な海の底で、おれはみくりに手を繋がれている。

 これは、夢か。

 おれは、みくりに、何をいわれているんだ?

 これって……告白、でいい、のか?


「大知……あたし……大知と……」


 みくりの指が、おれの指にからまる。みくりの瞳のなかに、深海色の光の屑が、ちかちかと光っている。水気がたゆたい、ふわふわとゆれ、そのなかにうっすらと、情けないおれが映っているのが見えた。

 みくりのなかに、おれがいる。おれは、こんなにせっぱつまったみくりを見たことがなかった。

 おれの知らないみくりは、おれの知らない女の子にしか見えなかった。


「おれ……みくりのこと、ずっと……みくりだとしか思ってこなかったよ……」

「何それ。天野川みくりって……大知にとって、それ以上でも以下でもないってこと?」

「……以上とか、以下とかもない。みくりは、みくりなんだ」

「ふーん……そーなんだ……」


 みくりは、短く息を吸って、ゆっくりと吐いた。なかでたまっていたものを、すべて吐き出すように、長く、長く。

 おれの心臓は、今にも口から飛び出しそうなほどに暴れまわっていた。ゆっくりと泳ぐ、名前も知らない深海魚に反逆するように、どくんどくんと忙しくはね回っていた。

 正面にいるみくりを見るのが、なぜだか申し訳なくて、そっと顔をそらそうとしたら、ぎゅっと手を握られた。

 どくん、とまた、心臓が一段とはねた。

 おれは、くちびるを震わせ、目の前の幼なじみから逃れようとする。しかし、そんなおれの手を、みくりはがしりと捕まえる。


「逃げないでよ、もう」

「逃げようなんてしてない」

「大知っていつも、予想外のことが起きると、それから逃げるよね」

「おれはそんなに、いつも情けないのか」

「情けない陰キャで、あたしの幼なじみなのが、あんたじゃんか」


 ジッと、おれのことを見つめてくる、みくり。

 なんでそんなにまっすぐに、おれなんかのことを見られるんだよ。これだから、陽キャは嫌なんだ。

 いくじなしで、情けないおれのことを、見逃してくれないから。


「大知に質問」

「なんで、こんなときに……」

「あたしって、雛祭さんに、どれくらい負けてる?」


 真剣な表情で聞く、みくり。


「そんなの……」

「あたし、本気で聞いてるよ。ちゃんと答えて」

「……あのさ、みくり」


 おれは、今度こそみくりの目を、しっかりと見つめかえした。

 すると、今度はみくりが動揺したようで、そわそわと落ち着かなくなる。


「だから、さっきもいったけど……勝ってるとか、負けてるとか、そういうのないから」

「でも、あたしよりもすきなんでしょ。雛祭さんのこと」

「……例えば、気持ちが数値化できたとして、おれの感情がみくりのいうとおりだったとしてそれでも、それを勝ち負けでくくろうとは思わないんだよ」

「あたしは負けたくないよ。だって、大知のことすきなんだもん」


 泣きそうな顔でいわれ、おれは戸惑う。

 目の前で女の子が、おれへの気持ちを必死に伝えてくれている。夢みたいなシチュエーションだ。

 だが、現実はそんな甘いものではなかった。胸が苦しいくらいに締めつけられていて、どうしたらいいのかわからなくて、おれはただただ辛かった。

 みくりにどんな言葉をいったらいいのかわからなくて、頭のなかが真っ白だった。


「みくり……おれは、お前とずっといっしょにいたいんだよ」

「なにそれ……なんでそんなこというの……! ひどいよ……」

「本当の気持ちだからだよ」

「でもさ……それって、幼なじみとしてってことでしょ」


 そういって、みくりは目のはしに涙をためながら、へらっと笑った。


「ずっといっしょにいたい、なんていわれて、嬉しくないわけないじゃんね。ばか、大知のばか……あたしもさあ……本当にばかだよ……」

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