6日目 月曜日

雛祭さんは楽しみたい 1

 いよいよ、今日から修学旅行。クラスの陽キャたちは「待ちに待ってた」などと、はしゃいでいる。

 以前のおれだったら、「待ちに待ってた」などという陽キャどもなど、「大げさな」と、鼻で笑っていただろう。修学旅行などというレアイベント、陽キャだけで騒いでおけばいいのだ、と。

 だが、今のおれは違う。雛祭さんといっしょに行く修学旅行だぞ。

 楽しみだ。めちゃくちゃ楽しみだ。

 この修学旅行で、また一歩、雛祭さんと距離を近づけれたら―――って、何考えてんだ。キモい願望を考えるのはやめろ。いっしょに行けるだけで満足しろよ。これ以上の高望みは、破滅フラグを生むぞ。学べ、おれ。

 修学旅行が何事もなく、無事に平和に安定的に、終わればいいだろうが。

 朝七時、学校に集合。二十分後、バスに乗って、一時間ほどかけて空港へ向かう。

 おれの隣はたしか、快人だったか。到着まで、うるさくなりそうだな。


「はーい。じゃあ、乗ってくださーい」


 水木先生にうながされ、順番にバスに乗りこんでいく。おれの席は、右側一番後ろから二列目だ。快人に窓際をゆずってもらったので、心置きなくそちらへと座る。

 あれ? 後ろから快人が着いて来てたはずだが、どこ行ったんだ?

 きょろきょろしていると、水木先生に指導されたのか、いつもより長めのスカート丈がひらりとひるがえり、おれの隣に座った。


「空港まで、よろしくー。大知」

「……どした、みくり。お前、別の席だろ」

「快人がやっぱ窓際がいいっていうからさ。変わったんだよねー」

「はあ? なんだ、それ」


 あわてて快人のやつを探すと、みくりとよくつるんでいる山際りんねの隣に座っている。でれでれしやがって。あいつ、けっきょく誰でもいいんじゃないのか。

 なんて思っていると、山際さんのほうもまんざらでもなさそうな顔をしている。まじか。

 たしかに快人はモテたい一心の男だから、高一のときよりはずいぶん垢ぬけたが、根っこはガチオタクだ。そこは、いくら垢ぬけたとて根深いぞ。


「りんねさあ、隠れ腐女子なんだって。最近、カミングアウトされてさ。オタク方面に話題が豊富な快人のことが気になってたらしいんだよねえ」

「いや、山際さんが腐女子って嘘だろ」

「マジだよ。家に行ったら、カーテンがかかった本棚があってね、そこに」

「うん、それ医女はいい。わかった。信じる」


 山際さんのような、ずばぬけた垢ぬけ女子までもが、腐女子とは。世の中、何もわからん。


「ちなみに山際さんの推しカプ、聞きたい?」

「おれの知ってるコンテンツだったら気まずいからいい……」

「コンテンツじゃないよ」

「ど、どーゆーこと……?」


 みくりはにやりと笑うと、おれの耳元にくちびるを近づけ、ひそひそと耳打ちしてきた。


「美土里×秋田―――だって」

「おーーーーーーい」


 おれは、叫びだしそうだったのを必死でこらえ、ささやき声でみくりに抗議する。


「三次元かよ、というか! 〝ここ〟だろ、それは!」


 そのふたり、うちの学校の教師だろ!

 山際さん、かなり濃厚な腐れぐあいで、ゾッとしてしまった。今日から見方、変わっちゃうんだが……。


「そろそろ出発しますよー。一時間ほどなので、とちゅうでお手洗いとかいわないでくださいねー」


 水木先生が先頭の座席に座ったところで、バスの扉が閉まる。

 いよいよ、修学旅行に向けて、出発だ。

 雛祭さんは……ずいぶん前の座席に座っている。

 こりゃ、沖縄に着くまで、会話はないかな。


「気になってる? 雛祭さんのこと」


 バスが走りだした。

 通い慣れた通学路も、バスの高さから見下ろすと、何だか別の景色に見える。

 みくりは、少しだけ真剣な顔をして、おれのことを見ていた。


「気になるだろ、そりゃ。まだ記憶も戻ってないし」

「じゃ、なくてさ」

「何だよ」

「―――すきになったんじゃないかなってさ。雛祭さんのこと」

「おれが?」

「うん」

「……なんで、そう思うわけ?」


 おれは、うつむいた。

 みくりが急に、変なことをいいだしたから。

 まるで心臓を、ぎゅうっとつぶされているような気分になる。


「だって、あんなに自分のこと、陰キャだからっていって、今まで女の子と接触してこなかった大知が……雛祭さんとはふつうに会話して、隣に立っていっしょに歩いて、いっしょに食べたり飲んだりさあ……」


 ふてくされたような、すねたような声で、みくりはおれから視線をそらした。

 そうだ。これまでのおれは、そんなだった。

 自分のことを陰キャだからとイイワケをして、女子との、いや、他人との接触を、極力はぶいてきた。

 おれが何かをいって、誰かを傷つけるくらいなら、他人との関係なんていらないと思ったからだ。


「―――小学生三年生のとき、グループ研究で作った新聞のイラスト。大知はめっちゃ上手なナスを描いて、二三人の女子が褒めてくれたよね。そしたら、同じグループの男子が『おれが描いたんだぞ』っていいだした。男子は、大知の手柄を横取りしようとした」


 そうだ。そいつは、いっつも嘘をついてみんなを困らせてた。

 だから、その時もいつものことだって、スルーすればよかったんだ。

 でも、そいつがしつこく『おれが描いたのに』、『お前はもっと絵が下手だろ』とずっとケンカ腰で、女子たちが困ってた。

 だから、おれは。


「大知は、その男子に『お前は盗作犯だ』って強めにいった。そうしたら、その子は泣きだして、先生にいいつけにいったんだよね。クラス中が見てたけど、その子は泣き止まなくて、けっきょく先生は、大知に『謝ったら?』って、いってきた」


 そんなの、おかしいって思った。

 おれは、そいつに責められた側なのに、どうしておれが謝るんだよって。

 でも、クラスの連中は、「早く謝って、終わらせてくれ」という顔で、おれを見てくる。

 おれは、折れた。おれのほうが、折れた。

 そいつは泣き止むと、おれが描いたナスの下に、自分の名前を描いた。

 クラスの連中も、教師も、何もいわなかった。おれも、何もいわなかった。

 おれの言葉で、傷つけたのは間違いないから。

 そいつは今、成績トップしか行けない美術系の高校に通っている。バリバリの陽キャとして。

 小学校時代の虚言キャラを知らない連中がいる高校に行き、爽やかな青春を送っているのだ。

 かたや、おれは面倒な人づきあいを避け、ミノムシのようにぬくぬくと『陰キャなので』という言葉にくるまりながら、教室のすみっこにいる。

 まあ、そんな人生でいいだろ、おれみたいな男の人生なんて。


「でもさ。あたしだけは、いってたよ。謝らなくていいって」


 十分ほど走ったところで、バスのなかのざわめきは、いっそう強まる。

 みくりの声は、耳を澄ませないとよく聞こえないほどだ。

 おれは、無意識に距離をつめた。みくりにバレないていどに。


「大知の絵なんだから、謝らなくていいって」

「そう……だったっけ」

「あのころは、まだ気が小さくてさ。声が小さかったから。聞こえなかったよね、あはは」


 そういえば、そうだったか。今は声のデカい陽キャにしか見えないが、小学生のころのみくりは、買ってもらった風船がわれただけで、大泣きするような小心者だった。声も小さくて、引っ込み思案な性格だったよな。

 今では、とうてい信じられないようなことだ。

 たった数年で、人って変わるんだな。


「大知、あたしはあのころから、変わってないよ」

「ん?」


 みくりはおれのそばによると、そっとささやいた。


「大知のことしか、見てないから」


 みくりは、少しだけ照れたように笑った。

 それはたしかに、小学生だったあのころと変わらない、おれだけが知る、みくりの笑顔だった。

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