第13話

「最近、毎週帰り遅いけど……どこか行ってるの?」

 家に帰って早々、姉さんに問いただされてしまう。猜疑というよりは、不安げな視線を隠さずに。まるで俺が、悪いことでもしているような目線だ。

 遂にこのときが来たか、と思うけど、姉さんにとっての説得材料はもう持ち合わせがあるのだ。

「友達と一緒に出かけてるんだよ」

「ともだちと」

 復唱される。そもそも友人の実在を疑われていたのだろうか? まあ、嘘をついているわけでも、誤魔化しているわけでもない。速やかに言い切ってしまう。

「そいつのなくし物を探しているんだ。それだけだよ。姉さんが心配するようなことはないから」

「ほんとのほんと?」

「……本当だって」

 俺の返事を受けて、姉さんは、大きくため息をつく。

「それならそうと言ってよぉ。変な子たちとつるみ始めたらどうしようって、失敗しちゃったもん。それで、友達っていうのはこの前に話してた子?」

「……そうだけど」

「もしかして、女の子?」

「いや、まあ、そうだけど。姉さんが勘違いするようなことはないからね、本当に」

「なーんだ。つまんなーい」

 口では残念がりながら、どことなく嬉しそうな顔をしている。

「本当に何もないから。変な事を期待されても困るよ」

「いや、そりゃニヤニヤもしちゃうよ、やっとアキちゃんの良さがわかってくれる子が出たんでしょ。まったく、やればできる子なんだから」

 口ぶりは、どうにも本心から。本当に、信じているのかいないのか。

「それにしても、なくしものをさがしてるのね……それだったら、タイムリーな話があるよ。題して、えびす目石」

 適当に聞き流してしまおうとしていたのに、えびす、という単語に少し意識が引っかかってしまう。最近話したばかりの、普段の生活では使わない単語。今日打ち上げられていた鯨。頭の中の夢見がちな場所が意味を見いだして、関連付けて興味を持ってしまう。

「その話、詳しく聞いてもいい?」

「お、気になるんだ。珍しい」

「そういうのはいいから、早く」

 俺の催促に、姉さんは何故か嬉しそうに続ける。

「この前、話したでしょ。この辺の子達に怖い話とか聞いてるって」

「……言ってたっけ?」

「言いましたー! ……いや言ってないかも。ともかく、このへんのいろんな場所で聞いた話で、共通してえびす目石ってものがハナされているみたいなの。場所によっては縁結びに使えるとか、なくし物を見つけてくれるとかって用量用法は違うんだけどね」

「……それ、どこにあるの?」

「お、気になる気になる?」

「まあ、それなりに」

 とは返したけれど、単なる興味以上の気持ちが湧いていた。

 聞きおぼえが在るというか、妙に引っかかるものがある。

「それがぜんっぜんわかんなくて!」

「この流れでわからないんだ……というか、場所も分からないのに噂になってるのも、変じゃない?」

「そう! そこが変なの。噂になっているなら、せめてそれっぽいものくらいはありそうなのに、誰も知らないの。不思議じゃない? 私も仕事でちょーっと探してみたんだけど、全然それっぽいのも出てこなくって」

「ふーん」

「あ! 露骨に興味なくなった素振り! つめたい! 晩酌を要求しまーす!」

「俺ちょっと今日疲れてるから……明日でいい?」

 疲れてるのは本当だ。なにせ、一度海に落ちていたのだ。どことなく風邪っぽい気もする。

 それでも、一杯くらいはいいかと付き合う。捜し物を見つけてくれる石。その言葉に、どこか引っかかりが残っていて、いまいち眠れそうになかったからだ。

 覚えていないのではなく、欠落にひっかかっている、そんな感覚。それがあるときは大抵、事故に遭う前のことに関連している。

 記憶は独立して存在していない。連続体だ。一度途切れた頭では、どうにも接続が悪い。

「アキくんの学校でも流行ってるみたいだけど、アキくんは学校で聞いたことはないの?」

 学校。クラスの中では耳にしたことはない。

 けれども、高校以前であれば。それこそ中学生や小学生の頃であれば。

 熱っぽくなる頭のまま、潜るように、ぼんやりと不覚へ意識をむけていれば、

「……あ。俺、知ってるかも」

 頭がに結びついたように、心当たりに一つだけ至る。




「鳩羽くんは、学校だと話して欲しくないんじゃなかったのかしら」

「もう二度も三度も変わらないだろ」

 月曜の昼、学校の中庭で、イサナと再び肩を並べていた。

 ほとんど諦めみたいな感じで話す。実際、実害はそんなにない。告白の仲介をして欲しい、だとか言われたりする程度。いま告白するのは得策じゃない、とだけ話していなせば、引いてくれる程度の熱量だ。

「行きたい場所があるんだ」

「……別にそれだけなら、メールでもいいのに」

「電話で連絡するの、慣れてないから苦手なんだよ」

 理由は友達がいないせいで、経験が無いから。電波越しでは、相手の表情が分からないのも理由の一つだ。イサナは元々分かりにくいのはさておいて。

「それで……行きたい場所って言うのは……笑わないで欲しいんだけど」

 目線を逸らす。

「失せ物を見つけてくれるって噂のある石がある……みたいなんだ。探すのを一旦終わりにしようとするんなら、せっかくだし、やっておけることはやりたいだろ。神頼みとか。どうだ?」

 なんとなく、気恥ずかしくなって言い訳のように続けてしまう。どうして俺は、こんなことを言っているのか、自分で自分が分からない。いきなり言われても、不思議に思うだけだろうに。

「いいわよ」

「え?」

「だから、行くって言ってるの。せっかくだし、今日の授業が終わったらそのまま向かう? あそこならバスも出てるし、そんなにかからないでしょ」

 二つ返事で承諾して、おまけに当日決行と来た。

「……イサナって、結構すんなり受け入れるっていうか、すごいよな」

「珍しく鳩羽くんがやる気を出してくれたんだもの」

 俺の賛辞に対してにこりとも笑わずにそう返してくる。




 放課後のバスに揺られていた。バスはいつもと違う景色を映している。普段と逆方向のバスに乗るのは、レールから外れているようで、どこか足下が落ち着かない心地がする。

 隣には、イサナがいる。何をするでもなく、目を瞑っている。

 有言実行。話したその日のうちに向かっていた。平日だからだろうか、終点である停留所で降りるのは、俺たちしかいない。

 海の近くの丘を、イサナと二人で歩いていく。海浜公園と名付けられているその場所は自然が多く残されている。

 人の手で整えられた道の、その途中。記憶を頼りに、たぶんこの辺だろうとあたりをつけて、草木を分けていく。すると、記憶の通りに道が現れた。

 生い茂った草で隠れた脇道。通れるといえば通れるけれど、ほとんど獣道みたいになっている。まるで、道そのものが忘れられたみたいだった。

「……ここ、入っていいのかしら」

「まあ、今更じゃないかな」

 進んでいけば、立入禁止とは書かれていないが、黒と黄色のロープがあった。たわんで地面についている。それを苦もなく乗り越えて、進んでいく。悪いことをするのは、今更だ。方や窃盗罪。方や脅迫。いまさら道の一つや二つ、勝手に通ったって訳もない。イサナも、遅れることなく俺の後ろについてくる。

 途中、木が倒れていた。立入禁止のロープがあったのは、これのせいかもしれないと予想。

 一分もかからない距離を歩いた先で、開けた場所に出た。

「……本当に、あったのね」

 イサナが呟くのも、無理はない。

 丘の上の海を望む平原に、それは鎮座している。

 ぽつんと、背の高さほどの大きな石が、ひとつだけ。ただそれだけの光景だ。どう見ても場違いなそれは、ここに元からあるわけではない異物のように映って見える。

 噂や信仰の対象になってもおかしくない、そう思わせる雰囲気があった。

 ここが、葉擦れと波の音が聞こえるくらい、静かな場所だからかもしれない。人通りが多いところから、特別離れている訳でもないけれど、神社のように周囲から隔絶されているような気配がある。

「……話を聞いても、本当にそれがあるのか半信半疑だったわ」

「その心理で、よくその日のうちに行こうとか言い出したな」

「鳩羽くんがひと気のないところに私を連れ出す口実だと思ってた」

「その懸念は今更すぎるだろ」

 これまで散々一緒にいたくせに何を言ってるんだ。なんて鋭く目を向けても、イサナは悪びれた様子もない。

「冗談よ、鳩羽くんがそういうことをする人じゃないって、もう分かってるから」

「……そうかよ」

 人畜無害と舐められているのだろうか、どこか釈然としない気持ちはあるが、置いておく。

「それにしても……まるで、何かの目玉の化石みたいね」

「名前はそのまんま、えびす目石、だってさ。まあ、これだけ大きいと、確かに鯨かなんかの目みたいだよな……」

 多少は岩らしくごつごつとしているが、ほとんど球形を形作っている。

 目玉と呼ばれていることも、どこか腑に落ちる気がした。それに、縁や失せ物のひとつくらい、これだけ大きな目玉なら見つけてくれるのだろう、なんて単純な連想ゲームが浮かんでしまう。

「願掛けの方法は……目玉に背を向けて、海に向かって二礼二拍手、目を閉じて祈って、目を開けて一礼。これだけだよ。まあ、普通の神社とかと、あんまり変わらない感じか」

「……海の方に願掛けするの? 結構、不思議な気もするわね。この辺だと有名だったりするの?」

「いや……どうだろう。最近小学生の間で流行ってるらしい。俺の時も、たしか小学生の頃に聞いてた……気がする」

「ずいぶんと曖昧ね」

「いや、ちょっとその辺の記憶の立て付けが悪くて。見つかったってことは覚えてるんだけど」

 願掛けして何かを見つけた、という体験は覚えている。ただ詳細ともなると、一切と言っていいほど思い出すことが出来なかった。

「まあ、俺のことはいいだろ。ほらせっかく来たんだし、祈って行けよ」

「……鳩羽くんは、しないの?」

「一人祈れば十分だろ」

 ここに来たいと思った最たる理由は、記憶が正しいか、という確認だ。つまりは、単なる気まぐれで来たようなものだ。

 信心深いわけでもない。単なる石に祈ったとして、見つかると思っているわけでもない。

「わざわざここまで来たんだから、自分のことでもお願いすればいいのに」

「つってもなくし物なんて……」

「ないはずないでしょ。生きていれば、落とし物くらいいくらでもするわ」

「いくらでもと言う程にはしない気がする」

「いいから、ほら」

 言われて、しぶしぶ歩を進める。

 海を前に背筋を伸ばす。二礼、二拍手。

 自分より遙かに大きなものに手を合わせて祈る。

 いつかのなくし物が、どうか見つかりますようにと。

 手を合わていせる間、仏壇に線香をあげた時間を想起した。

 死者への祈りは、生きている人のためだと聞いたことがある。

 それに賛同も異論もない。俺は手を合わせているだけでしかない。

 妹を探すことは水瀬のこれからには必要なのだろう。だから付き合っていた。

 俺が目を開くと、イサナは手を合わせて目を閉じたままだ。

 祈る姿を見られたくないから、俺にも一緒にやれと言ったのかもしれない。なんとなく、ばつが悪い。見なかったことにして、形だけ手を合わせ、目を閉じる。

 こうしていつもと言えるほどに肩を並べるのも、あと少しの間だけ。




「私、夢を見たの」

 帰りのバスに乗っている中で、イサナは話し出した。

「夢の中で、妹がこの街を歩く夢。それが、ずっと続いたある日に、見覚えのアルコンビニに入って、いなくなったの。だからもしかして、ってコンビニに向かったら、鳩羽くんの悪行が撮れた」

「悪行て」

 事実なので言い返せない。けれど、イサナはどこか機嫌良さそうに言う。

「妹の夢を見て、普通じゃないことが起きた。だから、鳩羽くんと一緒なら、妹を見つけられるんじゃないか、って思ったの」

 あっさりと告げられたそれが、俺を脅した真相だったらしい。

「……あいにく、俺は超能力者じゃないんだ。悪いな」

「知ってる。でもそのままの鳩羽くんが、手伝ってくれた。それだけで、私は十分よ」

 妙に素直に、イサナは話す。まるで今生の別れみたいだ。

「だから、今日は……」

 言葉は途中で急停止。イサナが手を伸ばし、バスの降車ボタンを押す。

 俺は乗ったまま帰路につく。イサナは降りて乗り換える必要がある。

 待てども、イサナの言葉の続きはやってこない。

 水瀬がバスを降りる直前、振り返る。

「また明日、鳩羽くん」

「……おう、またな」

 俺は片手を上げて応じる。

 降りて、バスを乗り換える。

 流石に、もう自覚はある。水瀬と一緒にいる時間を、楽しいと思っている。終わることを、名残惜しいとも思っている。

 脅迫から始まった関係なのに、どうかしている。自分でも笑えてしまう。

 恋慕でもなんでもない。共通の隠し事が生んだ錯覚だ。あるいは似た境遇が産んだ、不格好な友情かもしれない。

 錯覚だっていいのだ。それを、楽しんでしまえるのなら。

 同時に、楽しいと思ってしまうほど、終わりを感じずには居られない。

 何か起こればいいと、思ってしまう。

 起きるはずがないとわかっていて、それでも祈るのだ。




 その日の夜、大きな魚の姿をした何かに食われる夢を見た。

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