06.

 手分けして探すのは危ないということで、あたしと紫乃は二人して道を探した。

 お天道さまはとうに沈み、辺りはもうすっかり暗くなっている。


「これ、道かな」


「恐らくは」


 ようやく樹々の間に道らしき隙間を見つけた。

 そこの地面は、周りに比べると平坦になっている。

 根は這っているが、道だと言われれば道に見える、といった具合だ。

 ともかく行く手に凹凸の少ない地面が続いていて、そちらに向かって緩く上り勾配がついているとなれば、行ってみるしかないという結論に達した。


 二人してそちらへ進むと、上り勾配はすぐになくなった。

 またも平坦な場所に出てしまい、あたしはいよいよ疲れを覚えた。

 隣では、紫乃も黙りこくったまま肩で息をしている。


 お互い何も言わず、辺りを探索する。

 しかし、どこにも上っていく道は見当たらない。

 四方八方、何れの樹々の隙間も、下り勾配の地面しか見せていない。

 暫く歩き回っていると、元来た道も分からなくなってしまった。


「ねえ、紫乃。あたしたち、どっちから来たっけ」


「……え?」

 紫乃は力なく声を出すばかりだった。

 顔を覗き込むと、目は虚ろで、すぐ目の前に見えているはずのあたしの顔にすら焦点が合っていないのがすぐに分かった。


「紫乃、ここで休もう」


「ですが」


「あたし、疲れちゃった。ほら、ちょっとだけだから。少し休んだ方がその後で素早く動けるでしょ」


 あたしはそう適当なことを言って腰を下ろした。

 太い木に背中を寄せると少し落ち着く。


 少しして、紫乃もあたしの隣に勢いよく座り込んだ。

 ゆっくり腰を落とすだけの力がないようだった。


「紫乃。救助を呼ぼう」


「でも」


「こうなっちゃったら仕方ないよ。ただの迷子だと何か申し訳ないけどさ、もうすっかり夜だし。これは遭難よ、遭難」


 有無を言わせぬよう言い切ると、紫乃は何も言わずにスマホを取り出した。


「……電波がありませんわ」


「え、電波ってどこにでも届くもんじゃないの!」


「山の中は別ですわ」


 刹那、碌でもない光景が脳裏に浮かんだ。

 もの言わぬ身となり、島に帰るあたしと紫乃。

 無表情であたしたちを連れ帰る白金兄さま。

 あたしたちに取りすがる金子姉さま。


 あたしは千切れるほどに首を振り、脳みそから縁起でもない心象を投げ捨てた。


 樹冠の間隙からは漆黒の夜空が垣間見える。

 そこに月は見えない。


 そういえば明日は朔日だ。

 今日も月は細く薄いだろう。

 ただ木の陰になっているだけなのか、雲に隠れているのか、薄きに過ぎて目にそれと見えていないだけなのか、何れにしても空に月はない。


「銀子。ごめんなさい」

 紫乃が呟いた。


「こればっかりは仕方ないよ」


「もっと怒ってください! 責めてください! そうしないと、申し訳が立たなくて」


「そんなこと言われてもね」

 あたしは鼻の頭を指で掻いた。


「紫乃がいなかったら、あたし今ごろまだ町中歩いてたよ? 絶対道に迷ってた。三日かけても高尾山なんか絶対辿りつけなかったね。まさかこんなにも遠いとは思ってなかったわ。徒歩十時間ってなめちゃ駄目ね」


「銀子、でも、わたくしの判断ミスで」


 鼻をすする紫乃の肩を抱く。


「紫乃だけの責任じゃない。あたしにも責任がある。あたしも判断したから。あたしは紫乃に判断を委ねると判断した。だって、自分じゃ何も分かんないんだもん。だからこれはあんたとあたしの責任。いい?」


「……ええ」


 紫乃が黙ると、あたしたちを取り囲む音が耳につくようになった。

 蛙の声、虫の声、風に揺られる草木のざわめき。

 山の奏でる音楽は絶え間なく一定の律動を保っている。

 それらに加え、時折枝の折れる音や石の転がるような音がする。

 うごめく何ものかの気配が神経を刺激する。


 あたしと紫乃は身を寄せ合った。

 恐怖ばかりがその理由ではない。

 五月とはいえ夜は冷える。


 どれほどの時間が経っただろう。

 暗闇の向こうであたしたちを囲む種々の音は、あたしたちの神経を少しずつ、少しずつ蝕んだ。


 絶え間ない緊張はいつまでももたない。

 視覚も聴覚も触覚も嗅覚も、次第にこの環境に慣れていった。


 身体と心が、眠りを求めた。

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