第六章 車窓

01.

 参宮橋の袂から地下道に入り、大きな道路の下をくぐる。

 道路には乗用車やトラックが引っ切りなしに走り、地下道にもその重さと速さが怖いくらいに響いていた。


 三階建てくらいのビルに挟まれた商店街には『片瀬すばな通り』という案内板が立っていた。

 テレビや噂で名高いコンビニエンスストアというものを初めて見た。

 その隣には、島にあるのと似たようなおみやげ屋さんが店を構えていて、少しばかり安心した。


 しばらく歩くと、道の両端に、黄色と黒の縞模様をした棒が立っているのが目に入った。

 きっと、踏切だ。

 ということはすぐそこに線路があるはず。

 もしかしたら走っている電車が見られるかもしれない。


 と、紫乃は踏切側の小ぢんまりとした三角屋根の建物へと歩みを向けた。

 建物の破風には『江ノ島電鉄 江ノ島駅』と書かれた緑色の看板が掲げられている。


「紫乃、もしかして電車で行くの?」


「当たり前でしょう」


「電車賃もったいないじゃない。歩いて行きましょうよ」


「歩き? 高尾山までどれだけかかると思ってますの!」


「え、そんな遠くないでしょ。さっき地図で見たけど、歩けそうだったよ?」


 紫乃はポケットからスマホを取り出していじり始めた。

 覗き込んでみると、兄さまが使っているものとは違って、画面の意匠は可愛く子どもっぽいものだった。


「……歩いておよそ十時間ですわね」


「ほら、行けるじゃん!」


「行けません! 休まず歩き続けて十時間です! そこから山を登って天狗のひげを採取して、天狗さまに『流星丸』の調薬方を教わって、山を下って、島までまた歩いて帰って来る頃には大黒審判もとっくに終わってしまってますわ! けちも結構ですけどね、時間と効率のためお金を投資するのも商売人の本領ではなくって?」


「……はい」


 紫乃は肩を怒らせながら駅の奥の方へと歩いて行った。

 その行く先には、腰くらいまでの高さの機械が地面から生え、行く手を阻んでいる。

 紫乃は、その行き止まりに向かっていく。

 紫乃は機械の上面にスマホを掲げると、機械はぴっと音を立てて羽根をたたむようにその門戸を開いた。


 慌てて後を追うと、門戸はばたんと閉じ、機械は甲高い警告音を発して辺りの注目をあたしに集めさせた。


「紫乃! 助けて! 開けて!」


 戻ってきた紫乃は、わざとらしいほど大きくため息を吐いた。


「開けられません。電子マネーは……持っているわけありませんわね。そこの券売機で切符を買ってらっしゃいな。藤沢までです」


 紫乃に言われるまま、あたしは壁際の自動券売機に相対した。

 しかし挑戦は無残にも失敗に終わった。

 仕組みが複雑過ぎる。

 島にあるエスカーの券売機はもっと仕組みが単純で分かりやすい。


 結局、大声でああだこうだと言い合っているあたしたちを見兼ねた駅員さんが手助けしくれたおかげで、あたしは切符を買い、改札という難関を突破することができた。


 電車に乗るのは素人には難しい。

 あたしとて電車利用の理論は弁えている。

 しかし経験を伴わない理屈は実践に際して用を成さないのである。


 ホームに登ると、紫乃が「あ!」と声を上げた。

 紫乃の指差す先には、ホームから外れた行き止まりの線路に、黒地に金塗りで牡丹、笹、御所車などが描かれた車両が停まっていた。

 何かと訊いてみると、大黒さま専用のお召し列車だという。


 数分後、線路の向こうから電車がやってきた。

 こちらはお召し列車とは違い、松葉色に卵色の帯をかけた落ち着きのある色合いをしている。

 こちらが一般的な江ノ電の車両あると紫乃が解説してくれた。


 目の前に電車が停まり、自動扉が開いた。

 初めて乗る電車に、あたしは少し躊躇った。

 先に乗った紫乃が黙って手を伸ばしてきたが、それでも今度は一人でちゃんと足を踏み出し、あたしは背中で扉の閉じる音を聞いた。


 江ノ電の車内は学校の教室に似ていた。

 古くて厚い板が敷き詰められていて踏むと少し軋む音がしたし、窓ガラスの隅の方は茶色く汚れている。

 しかし、広さは教室の半分のそのまた半分くらいしかない。

 進行方向に向かって伸びている蓬色の座席は満席だったが、立っている人は少ない。


 ごとん、と重たい音がして電車が走りだす。

 不意の衝撃に思わず紫乃に抱きついてしまった。


 電車の前面はガラス張りになっていて、速度が上がると、外の景色が押し寄せて来るような錯覚を覚えた。

 家も電柱も踏切も、飛びかかってきてはすれ違い、横の車窓に残像を残して背後へと飛び去っていく。

 運転席との間には間仕切りがあったが、これも全面透過ガラスになっていて、そこに張り付くと、前の景色も運転席も直ぐ側に見えた。


「うわあ」


 江ノ電は路地裏を走っていく。

 家と家の間、垣根とブロック塀の隙間、ビルと樹林の境目を走っていく。

 『ご無理ご迷惑は百も承知。ご免なすって、ご免なすって』と手刀を切って人混みの往来を駆け抜けるいなせな若衆のように、江ノ電は町の真ん真ん中を走っていく。

 目に映るあれやこれやを指して「ほら、あれ!」とはしゃいでいたら、「車内ではお静かに」と紫乃に叱られた。

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