03.

「そういえば、あなた朝から大さわぎだったんですって?」

 と、紫乃がたずねてくる。


「そうよ、朝から大金星だったんだから。聞きたい? その話、聞きたい?」


「いいえ! これっぽっちもですわ!」

 ふん、と顔を背ける紫乃。


 自分から話を振ってきたくせに。

 いいわ。心ゆくまで自慢してくれる。


「何と龍涎香よ、龍涎香! 年に一回見つかれば御の字だっていう大金星よ!」


「……」


「龍涎香があって、うちには霊薬師の兄さまと姉さまがいる。これでもう大黒審判もばっちりね!」


「……」


「大変だったのよ? 龍の腰かけで採取してたら突然の嵐で波にさらわれちゃってさ」


「……もう結構ですわ」


「そしたらね、現れたのよ、龍神さまが! 海の底から! あたしをお背なに乗せてくださって!」


「だから、もう結構ですって!」


「そのまま空を飛んだんだけどね、あれは怖かったなあ。雷に打たれるかと思ったわ」


「……そのまま黒焦げちりちり頭になっていればよかったのに」


 紫乃がどうにも聞き捨てならないことを言い出した。


「きっとよくお似合いですわ。浴衣に、ランドセルに、ちりちり頭。なんて素敵なコーディネートでしょう! 龍神さまも鼻でお笑いになりますわ!」


「……ほほう、お紫乃さんや、ひょっとしてあたしに喧嘩を売っていらっしゃる?」


 こちらへと向き直り、肩にかかった髪をわざとらしくかき上げる紫乃。


「あら、売っているのはあなたの方ではなくて? 先ほどからつまらぬ口上をごちゃごちゃと。売り込みならばもっと面白いお話をお聞かせ願いたいものですわ」


 耳の辺りで何かが切れる音がした。


「ようし、この喧嘩売った!」


「お安くしておいていただけます? あなたの価値に見合ったお値段にしてくださいな」


 あたしがずずいと身を乗り出すと、紫乃もあたしを睨んだままこちらへ顔を突き出してきた。


 両手をがっしり組み合う。

 おでことおでこがぶつかり火花があがる。


「がるるるる!」

「ぐぎぎぎぎ!」


 野生には掟がある。

 一つ、手を離したら負けである。

 一つ、目を逸らしたら負けである。


「こんにちは。よっこいしょ。誰もおらんのかね?」

 と、そこに折悪しくお客さまのご来店である。


「……っ! いらっしゃいませ!」

 気づいた紫乃は、あたしの手を振り払い、それまでより数音は高い声でご挨拶をした。


 紫乃は、店先の椅子に腰かけたおじいさんの元へと小股で駆けより、あたり一面にお花が咲き乱れそうなつくり笑顔をうかべ、深く深くおじぎを決めた。


「おや、きみはお店の子だったのかい。そちらのお友だちはいいのかな?」


「はい、もちろんですわ!」

 もちろんときたか。


「それでお客さま、本日は何がご入り用でしょう? わたくしでよろしければなんでもお申しつけくださいまし」


「おやおや、可愛らしい店員さんだ」


 その可愛らしい店員さんはつい先ほどまで歯ぐきを剥きだしにして唸っていたけどね。


「近頃うちの家内がね、足の関節が痛むとひぃひぃ言っておって、それで、何か楽になるようなものはないかと思ってね」


「まぁ大変! それでしたら奥さまのご容態に合わせたものを調薬いたしましょう。なに、うちの者に言いつければすぐですわ」


 自分ではできないのだ。


「おお、そうかいそうかい。どうもね、市販されているものよりも、こういうところでつくってもらったもののほうが効く気がしてね。本当なら家内も来られればよかったんだがな」


「あら、ご無理をなさるものではありませんわ。しかし、奥さまがお羨ましい限りです。旦那さまにこんなにも大事にしていただいて! 何て素敵なんでしょう! わたくしも将来そんな心優しい方と添いとげたいものですわ!」


「いやいや、そんな大したことじゃあないさ」

 お客さまはもうめろめろである。


 紫乃も通り名を持っている。

 その名も『島に咲く一輪のすみれ草』。


 長い。

 しかも間違っている。


 島には他にも花が咲いている。

 金子姉さまや、あたしや、あたしなど。


 あたしは『腹黒のお紫乃』と呼んでいるが、これがなかなか浸透しない。

 間違いなくこちらの方がそぐわしいというのに。


 こいつの座右の銘ときたら酷いものである。

「一に愛想、二にお世辞、三四がなくて五にワイロ!」

 薬のことなどこれっぽちも考えていないと自ら標榜しているのである。


 ふと気づいた。

 こちらに背を向けた紫乃は、腰の辺りで小刻みに手を動かしている。

 手を振って『しっしっ』。

 外を指さして『帰れ』。

 お客さまには満面の笑みを浮かべながら、これである。


 ま、為すべきことはもう為した。

 紫乃のお愛想を見ていると目が腐るし、とっと帰ることにしよう。

 

 お客さまに軽く一礼。

 そして弁天楼を後にする。

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