心の証

 服や道具を買い歩いて、屋台の料理を食べ歩いて。私はアレクシスは街を巡り、日が西へ傾く頃、工房に帰った。

 戻ったアレクシスは、いつもにも増してやる気をみなぎらせているようだった。帰ってくるなり紙片を広げ、機能分割作業の続きに取り掛かり始めた。呪式を書き写す羽ペンの動きが、明らかにいつもより速い。オリジナルの呪式のうち、分割できてない部分はあと二割くらい残っているけど、この調子を維持できれば、思ったより早く作業完了できそうだ。

 私もがんばらないとな――と思った矢先、工房のドアをノックする音がした。お屋敷のメイドさんだった。


「ダミアン・アーレント卿と奥方様がお呼びです。アレクシス様の客人と、お話をされたいと」


 ダミアン・アーレント卿。アレクシスのお父さんだ。位の高い魔導騎士だとは聞いているけれど、直接会ったことは一度もない。なんの用事だろう。アレクシスは来なくていいとのことだったので、私ひとりがお屋敷の本宅に招かれることになった。

 本宅は、当たり前だけど工房よりずっと大きい。細かな彫刻が施された大きな玄関扉を開けると、豪勢な刺繍が施された絨毯と、つやつやに磨き上げられた床板が出迎えてくれた。客間に通されると、壁には細かな装飾のタペストリーが何枚も掛かっている。これ、一枚でも東京に持って帰ったら、私の年収くらいの値段にはなると思う。

 布張りの椅子に座って待っていると、ほどなく金髪碧眼の中年男性が現れ、対面に座った。見た瞬間、トランプのキングを思い出してしまったほどに、威厳ある風貌の人だった。傍らに座る奥方様も、やわらかな金の巻毛が優雅な、穏やかそうな女性だった。

 あからさまに身分の高そうな人を相手に、どう挨拶すればいいんだろう。ここ一ヶ月、交流があったのは主に街の人たちや施設管理部の人たちだったから、位の高いお貴族様と話をするのはこれが初めてだ。


「はじめまして……ミツイシ・フミカです。姓がミツイシ、名がフミカです。遠方の地トナイで、機械術師をやっております」


 無難な自己紹介を終えると、アレクシスのお父上は、ご自分の豊かな髭をゆっくりと撫でた。


「ひと月ほど前から、アレクシスに招かれて工房に滞在しているのは知っております。異国よりの客人、我々としても歓迎いたします。が――」


 お父上が意味深に言葉を切った後、被せるようにお母上が言葉を発した。


「単刀直入に申し上げます。アレクシスに異国の技術を伝えるのは、お控えいただければと」

「え!?」


 頭の中が真っ白になる。

 ここ一ヶ月、アレクシスのがんばりを、私は傍で見てきた。夜遅くまで呪式の機能分解をして、バグ取りをして。そして口癖のように言っていた、「眼鏡と工房をくださった父上母上に、御恩を返したい」って。

 どういうことだろう。研究をさせたくないのに、工房を与えるなんてことがあるんだろうか。

 いや、ひょっとしたら別の理由かもしれない。異界の技術がよくないとか? でも元いた東京から、私はなにひとつ持ち込んでいない。せいぜい着ていたパンツスーツくらいだ。それも初日以外着ていない。


「……すみませんが、意図がわかりかねます。よろしければ、理由をお聞かせ願えませんか」

「あれは、居てはならぬ子なのだよ」


 相変わらず髭を撫でながら、お父上が言う。


「生まれながらにして、ほとんど物が見えなかった。平民の家に生まれたなら、口減らしされるか物乞いになるかしかなかったであろうな……だが名誉ある魔導騎士の家で、生まれた子を棄てる罪が許されようはずもない。だが魔導騎士の家として、戦いもできぬような虚弱な男児を表に出すわけにもいかん」

「ですので私たちは、あの子に工房を与えました。生涯そこだけに籠り、外へ出てこぬように」


 頭の中が真っ白になる。

 何か言わなきゃ、と思いつつも、言葉が出てこない。アレクシスがあれだけ、父母の愛の証と思っていた工房は……実質、彼を閉じ込めておくための座敷牢だったのだ。


「だが、あやつは外に出ようとした。いつのまにか、屋敷に出入りする役人と繋がって、出仕の伝手つてを作っていた……魔導騎士にとって、誓約は絶対のもの。家門の名に懸けて、いちど取り付けた約束を反古にするわけにはいかなかった」

「それゆえ、私たちは働きかけました。できるだけ表に出てこない、華々しい成果に決して結びつかない閑職を与えるように」

「すべてはうまくいっていたのだ。八年の間、あやつは魔導人形ガラクタと戯れながらおとなしくしていた……異邦の客人よ、あなたが来るまでは、な」


 どうしていいのか、本当にわからない。

 私が何か言うことで、アレクシスの立場を悪くしちゃいけないとは思う。けど、ここからさらに立場が悪くなることなんてあるのか、と、脳内の別の所が叫んでくる。


「私たち両名より、お願いいたします。どうか、あの子を放っておいてはいただけませんか」

「眼鏡なしで物も見えぬような弱き者が、我らが家名を背負うべきではない。魔導騎士は誰よりも強く、誇り高くあらねばならぬ。それができぬなら、強き者の庇護のもと、己をわきまえておるべきなのだ」


 そこで、ご両親の言葉は切れた。

 入口の扉が開き、メイドさんが飲物を持ってくる。熱い紅茶を一口啜り、私は息を整えた。

 己をわきまえる、ってなんだろうか。強くない人間は、この世に居ちゃいけないっていうのか。

 あれだけがんばってるのに。あれだけ、両親に恩返しをしたいとはりきってるのに。


「申し訳ありませんが、そのご依頼はお断りします。ちょっと、聞き入れるわけにはいきませんね」

「客人よ。我らとしては、依頼のつもりはありませぬ。ここはアーレント家の屋敷。あるじとして、望まぬ客を放逐することはいつでもできるのですぞ」


 命令だ、ということか。従わなければ出ていけ、と。

 私はさらに一口、紅茶を啜った。温かいものが喉を下っていくと、ほんの少し胸の奥が落ち着いてくる。

 なにか、打開策はあるはずだ。この人たち、異様に「騎士の名誉」にこだわってるようだ。だとすれば、そこを突けば――


「……現在、私たちは施設管理部と協力して、魔導人形の配備を進めております。戦闘用もそうでないものも、街のいたるところで……それなりに成果を上げておりますし、市民の皆さんにも好評です」

「決まり切った動きしかできぬようなガラクタが、まともに戦えるとは思えませんがな」

「戦いだけが用途ではありませんので。種火や水源の管理には、十分役に立っておりますよ。で――」


 私は目を細めて、お父上をにらみつけた。


「――今のこの状態で、魔導人形の配備が中止されたとしたら。しかもそれが、アーレント家のさしがねによるものだとバレたら。市民感情はどうなりますかねえ?」


 お父上が、息を飲む音が聞こえた。

 よし、期待通りの反応だ。追撃、入れよう。


「あなたがたが、望むと望まざるとに関わらず……事態は動いてしまってるんです。いまさら、元へは戻せませんよ」

「あやつは……そのような器ではない」


 お父上が、うめく。


「工房に籠り、何の役にも立たぬ研究を続けておればよかったのだ。あの弱き者に、できるのはそれだけだ」

「……彼、優秀ですよ」


 私は残りの紅茶を飲み干し、ひとつ息を吐いた。


「私が頼んだことは、確実にやりとげてくれます。言われたことを、ちゃんとやってくれてます。『言われたことを、その通りにできる』技術者って、貴重なんですよ」


 私はもう一度息を吐き、お二方を見回した。

 お父上もお母上も、それ以上、何も反論できないようだった。


   ◆


 工房へ戻ると、机一杯に並ぶ紙片の向こうで、アレクシスが満面の笑みを浮かべて迎えてくれた。


「おかえり! 何の話だった?」


 目を輝かせているアレクシスに、本当のことを言うわけにもいかない。


「……別に何もないよ。無難な顔合わせというか、ご挨拶というか」

「そうなんだね。こっちはフミカが行ってる間に、呪式二枚仕上げたよ」


 声が弾んでいる。

 やりがいに満ちてた、新入社員の当時を思い出す。あの頃の希望とやる気が、日々の業務の間ですり減っていったように、アレクシスのこの表情も曇る日が来るんだろうか。考えたくはないけれど。


「外、ちょっと暗くなってきたね。ランプ点けようか」


 ペンだこのできた手が、オイルランプに火を入れる。橙色の灯に照らされて、瓶底眼鏡がきらりと光った。

 眼鏡。アレクシスが、両親の愛の証と思い込んでるもの。よりどころ。

 ……本当のことを知ったとき、彼のよりどころは何が残るんだろう。何を頼りに、彼は生きていけばいいんだろう。

 胸の痛みを感じながら、工房の隅の椅子に腰掛ける。と、その時、ランプの光にきらりと輝くものがあった。赤、青、緑、黄色……色とりどりの魔導石が、箱に雑多に詰められていた。スイカほどの大きなものから、親指の先ほどの小さなものもある。

 ふと思い立って、アレクシスに訊いてみる。


「魔導石って綺麗だけどさ。これ、アクセサリーにできたりしないかなあ」

「危ないよ。使い方によっては爆発したりするし……前に種火塔が吹き飛んだのだって、魔導石に何か細工がされたのが原因だそうだよ。悪意のある呪式で、魔力が暴走して爆発した可能性が高いって」

「でも別に、呪式を足したりしなきゃ大丈夫だよね?」

「まあ……確かに。でも、なんでそこにこだわるの?」


 私は、親指ほどの大きさの石を二つ取った。ひとつはルビーのような深い赤、ひとつはブルーサファイアのような澄んだ青だ。


「揃いのペンダント、作りたいなって思って。普通の宝石より、こっちのが技術者らしいでしょ」

「考えたこともなかったよ。……けど」


 私の手の中を、アレクシスはじっと見つめる。眼鏡の奥の青い瞳が、楽しげに細められた。


「それも、面白いかもしれないね。僕たちらしいといえば、僕たちらしい」


 翌日、私は街の宝飾品工房に行って、揃いのペンダント一組の制作を依頼した。魔導石の加工なんてしたことがないと、最初は渋い顔をされたけれど、石自体は切ったり削ったりせず金具にはめるだけ……という条件で折り合いがついた。

 数日後、見事なペアペンダントができあがってきた。赤い石には金の、青い石には銀の、揃いの金具がつけられていて、細い金属の爪がしっかりと石を包み込んでいる。これなら、石が外れて落ちることはないだろう。鎖が通る部分には、小粒のダイヤモンドもさりげなく光っている。

 工房に持ち帰り、青い方をアレクシスに渡した。私は、赤い方を自分の首にかけた。


「これは、私の信頼の証だからね。……トナイのSE様が、あなたを一人前の技術者として頼っている証拠だよ」


 はにかんだ笑顔を浮かべ、アレクシスは青い石のペンダントを身に着けた。濃紺のローブの胸元で、青い魔導石が静かに輝く。


「二人で、これを着けているかぎり……私はあなたの味方だからね」


 願わくはこれが、アレクシスのよりどころになってくれますように。

 もしも彼がすべてを失った時、私の心を、ほんの少しでも思い出してくれますように。

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