兄への反抗

 アレクシスのお兄さん――イザークさんは、涙でぐしゃぐしゃになっているアレクシスを、ぞっとするような冷たい視線で見下ろした。


「探していたぞ。……衛兵隊から、我らもあのガラクタの使用法を学んでおくよう要請があってな。誇り高き魔導騎士が、決まり切った動きしかできぬ玩具に頼らねばならぬ局面など、ありえんと思うのだが」


 アレクシスの肩が、小刻みに震えている。

 このまま会話を続けたら、せっかく芽生えかけたアレクシスの自信が砕かれてしまいそうだ。どうにか遠ざけないと――


「衛兵人形への指示の出し方については、衛兵隊本部に伝えてありますけど。そちらに問い合わせていただけますか?」

「開発者が身内にいるのに、わざわざ又聞きに頼る必要もなかろう。……アレクシス」


 イザークさんは、いやらしく口の端を曲げた。


「あのガラクタの弄び方を教えよ。戦で必要とするわけではないがな、気が向いたら新兵訓練の的にでも、使ってやらんこともない」


 尊大な高笑いが響く中、私はおそるおそるアレクシスを振り向いた。きっとまた、半泣きになりながら震えてるんだろうな――とか思いかけた私の前で、彼は決然と言い放った。


「……この子たちは、的じゃありません」


 顔には涙の跡が残っている。けれど、目に怯えの色はない。背をぴんと伸ばして、胸を張って、頭一つ分くらい背が高い兄を見上げている。


「これら魔導人形は、衛兵隊の正規の備品です。いくら魔導騎士といえど、正当な理由なく毀損することは許されません」

「ほう……?」


 ふん、と、イザークさんが鼻で笑った。つかつかと数歩、アレクシスの方へ歩いてくる。


「言うではないか、できそこない」


 革手袋で覆われた手が、アレクシスの顔に伸びた。

 けど、その指が届くより、アレクシスが眼鏡を外す方が早かった。眼鏡を後ろ手に隠しつつ、アレクシスは凛とした声をなおも上げた。


「僕は、兄さんたちのような出来た子じゃない。けど、そんな僕にさえ……父上母上は眼鏡と工房をくださった。この眼鏡は、おふたりの御心の証です」


 アレクシスの目に、初めて見る力強さが宿っている。

 今、生まれて初めて、彼はお兄さんに反抗しているのかもしれない。


「父母の御心を……兄上は愚弄するのですか? 兄上は、かような不孝の者なのですか?」


 イザークさんは目を丸くして、アレクシスの痛いほどの視線を受け止めている。けれどしばらくして、急に笑いはじめた。……神経を逆撫でする高笑いだった。


「身の程も知らず、言うようになったな。……まあいい。そう思っているなら、そう思っていればよかろう」


 踵を返し、イザークさんが去っていく。……と思ったら、去り際にこちらを一瞥していった。


「己を過信せぬことだ。いずれ全ては、落ち着くところに落ち着くのだからな」


 捨て台詞を残して、今度こそ、尊大なお兄さんはいなくなった。

 革鎧の後ろ姿が見えなくなった頃、アレクシスは糸が切れたように地面にへたり込んだ。すっかり放心状態で、焦点の定まらない目で虚空を見つめている。

 ……きっと彼にとっては、全身全霊を賭けた大一番だったんだろう。私は彼の横に座り、肩を抱いてあげた。肉の薄い二の腕を、無言で撫でる。


「ありがとう。……ありがとう」


 聞こえるか聞こえないかくらいの震え声で、アレクシスが呟く。

 瓶底眼鏡をしていないアレクシスは、普段よりすっきりした顔立ちに見える。目の色もレンズ越しじゃないと、意外に深い青色だったんだな……と、あらためて気づく。


「ずっと、言いたいと思ってたんだ。……でも、なにひとつ成し遂げられてない身じゃ、言えなかった」


 アレクシスは、外していた眼鏡をゆっくりと顔の上に戻した。


「僕だって、父上と母上の大事な子のはずなんだ。でなきゃ、眼鏡も工房も、いただけてるはずがないんだから」


 私の手をそっと外すと、アレクシスはゆっくりと立ち上がり、濃紺のローブから土埃を払った。晴れやかな笑い顔からは、いつもの気弱さが少し薄れているように思えた。


「ようやく少しずつでも、僕は、両親に恩返しができるようになった……ありがとう、フミカ。全部、君のおかげだよ」


 胸の奥の方が、じんわり熱くなる。

 濃紺のローブの肩越しに、衛兵人形が見える。直立不動のまま動かないのっぺらぼうの人形は、それでも、私たちを見守ってくれているように思えた。

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