ガラスペンになるということ

ミナガワハルカ

ガラスペンになるということ

 ガラスでできたペンがある。

 ペン先から軸までのすべてがガラスで作られており、ペン先は筆の穂のように膨らんでいる。穂には幾筋もの溝が彫られていて、ペン先をインクにつけると、毛細管現象によって溝にインクがたまり、筆記することができる。

 インクが切れるたびにペン先をインクにひたさなければならないのは手間であるし、ガラス製であるため壊れやすい。ちょっとぶつけるだけで簡単に欠けてしまうもろさは、実用にあってははかなさよりもわずらわしさのほうが先に立つ。

 しかし、美しさにおいてはどんなペンもかなわない。最高級の万年筆でさえ、精緻な細工に輝くガラスペンの前ではかすんでしまう。その美しさと、様々なインクを手軽に楽しめるという特性により、ガラスペンは一部の人々に深く愛されている。

 私がガラスペンの存在を知ったのは、「有隣堂」のYouTubeの動画によってだった。

 横浜に本社を置く大手書店「有隣堂」は、自社のYouTubeチャンネルで、文房具をはじめ、いろいろな商品を紹介している。MCのキャラクター「ブッコロー」とスタッフの掛け合いが受け、チャンネル登録者も多い。

 その動画で紹介されていたガラスペンは、たいそう奇麗だった。一本一本、様々な細工がなされ、あるいは青、あるいは桃色、あるいは透明と、まるで飴細工のようにきらきらと輝いていた。

 動画の中で、有隣堂の岡崎さんという女性スタッフがガラスペンの魅力を熱心に語っていた。一言ずつ丁寧に、しっかりと語るその様子は、本当にガラスペンを愛していることが伝わってきて、素敵だった。

 私は、ガラスペンになりたいと、思った。


 ガラスペンになって、ほかのガラスペンと一緒に、有隣堂のショーケースに並びたい。

 そして、有隣堂の岡崎さんに紹介してもらうのだ。

 それは、どんなに素敵なことだろう。

 私は、何色のガラスペンになるのだろう。

 私は、紅が好きだ。

 深い深い、紅。

 血を思わせるその色は、ぬくもりがある。だが、赤は情熱の色でもある。

 私はどちらかというと、情熱に乏しいほうだ。世の中を諦観ていかんし、流れに身を任せることのほうが多い。ならば、青のほうがふさわしいのではないか。

 青はよく、赤と対になって用いられる。

 情熱の赤、冷静の青。

 そういえば、私はさっき紅を血の色に例えたが、一般的に動脈は赤、静脈は青色で表される。ここでも赤と青が対になっているのは興味深い。

 酸化アルミニウムの結晶からなるコランダムという鉱物は、ちょっとした違いによって、赤になったり青になったりする。赤いものをルビーと呼び、青いものをサファイヤと呼ぶ。いや、まあ、厳密には青色以外にも、黄色や茶色、緑にもなり、赤以外はすべてサファイヤなのだが、それはこの際無視しよう。とにかく、赤と青はコインの表と裏のように対になっているのだ。そして、私にふさわしいのは青色だろう。

 私は、青色のガラスペンになる。

 ガラスペンになった私は、念願かなって、有隣堂のガラスケースの中に並べてもらうことができた。

 しかし、もともと容姿の優れていない私は、ガラスペンになっても、とりたてて美しくはなれなかった。軸は完全にまっすぐではなく、細工もどこかいい加減で、精緻とは言い難い。穂と軸の間に設けられた球は、よく見るといびつに歪んでいる。

 そんな私は、なかなか買い手がつかなかった。

 ほかの美しいガラスペンにまぎれて、来る日も来る日も、ただじっと買ってもらえる日を待つ。

 たまにはケースのふたが開き、スタッフの手が伸びてくることもある。私が手に取られるのかと思い期待して身構えるが、スタッフは隣のガラスペンを持ち上げる。私は、うらやんでそれを見上げる。

 そんな日々が続いた。

 しばらくすると、私にはうっすらとほこりが積もる。

 初冬のある日、朽ちた倒木に、粉雪が積もるように。

 粉雪はいつしか本格的な雪になり、倒木をすっかり覆い隠してしまう。醜いものは、純白のベールによって覆われ、なかったことにされてしまう。私もいつしか、なかったことにされるのだろうか。

 しかし、そうなる前に、私の埃は岡崎さんが払ってくれた。

 岡崎さんは、醜い私も、ほかの美しいペンと同じように愛してくれる。

 美しいと、言ってくれる。

 私は、それだけで幸せだった。


 ある時、ついに私にも買い手がついた。

 買い手は、品の良い、中年の紳士だった。紳士は私を包装するように注文した。

 私は箱に入れられ、奇麗な紙に包まれ、リボンを掛けられた。まるで嫁入りのようで、晴れがましい気分であった。

 私を箱に入れてくれたのは、やはり岡崎さんだった。私は、この人に送り出されるということが心からうれしかった。

 彼女は私を丁寧に箱におさめ、蓋をしてくれた。蓋をする前に、彼女は目で、別れの挨拶をしてくれた、ように思う。

 私は紳士とともに、有隣堂を去った。

 ずいぶん長いこと紳士のカバンの中で揺られたと思ったら、私が連れていかれた先は、倉敷であった。紳士の家はここにあった。

 私は紳士に使用されるのかと思っていたのだが、違ったらしい。私は、娘への贈り物であった。

 紳士が家の扉を開け、帰宅したことを告げる。

 出迎える、母と娘、そして娘の弟。

 娘は帰宅した父に、お土産を買ってきてくれたか、尋ねる。

 父は得意げに私を取り出し、広げて見せた。

 娘は初めて見るガラスペンに目を輝かせ、しげしげと眺めた。横から弟が覗き込む。

 娘はそれを制し、父親へのお礼もそこそこに、自室に私を連れてゆく。

 さっそく机に座り、ノートを広げる。そして、インク壺を取り出した。

 インクは、桜色だった。

 私用に、買い調ととのえておいてくれたのだ。私がこの家に来たら、すぐに使えるように。

 娘は壺のふたを開け、慎重に私を浸した。

 私はガラスペン。全身がガラスでできている。金属でできたような鈍感な奴らとは違う。私は繊細なのだ。私の先を壺の口に当てたり、壺の底に当てたりすれば、すぐに欠けて使い物にならなくなってしまう。私は脆く、傷つきやすいのだ。

 娘は、そのことをよくわかっていた。

 インクに浸された私は、桜色の液体を吸い上げる。

 私はそれまで、ただずっと陳列されていた。私は、使用されるのは初めての体験だった。いつかはこの日の来ることを覚悟し、期待もしていたが、今日ついに、その時を迎えたのだ。

 私の体に刻まれた筋を、桜色の液体が這い上がる。

 私の体は初めて、濡れることを知った。初めて、満たされることを知った。

 湧き上がる幸せに、私は充足を覚えた。

 娘は私を紙の上に持っていき、そっと押しつけた。

 私を満たしていた桜色の液体は紙の上に滑り落ち、そこを濡らした。

 娘が手を動かすと、淡い桜色の筋が、私の軌跡を示していく。

 あるいは細く、あるいは太く。

 手の動きに合わせて。

 自分でも、うまくできたと思う。

 紙の上には、娘の氏名が書き上げられていた。

 娘も満足そうに、うっとりとした吐息を漏らした。

 私も、これからさらに練習を重ねれば、もっと上手に書けるようになるだろう。

 私と娘、二人で歩む日々が、始まったのだ。


 それから娘は、しばしば私を使用してくれた。

 そもそも文字を手書きすることが少なくなった昨今、ボールペンやマジックなどの便利なペンではなく、自分で言うのもなんだが、面倒極まりないガラスペンを使用するというのは、酔狂なことだ。でも、娘は私を使ってくれた。

 友人への手紙や年賀状。

 誕生日のメッセージカード。

 なんてことはない、日常のメモ書き、落書き。

 日記を通して共有したことは、二人だけの秘密だ。思春期に差し掛かる少女の、楽しかったこと、辛かったこと。親への感謝や不満、好きな友達、嫌いな友達。バレずにすんだ失敗。そして、あの人への、淡い恋心。

 すべては、私と彼女だけの秘密だ。

 私は、ずっと彼女と一緒に生きていくのだと、そう思っていた。

 しかし。

 終わりはあっけなく訪れた。

 ある日の昼下がり。

 娘はまだ学校から帰っていない。

 娘の机の上には、私が出したままになってあった。

 初夏の日差しを受けて、私は輝いていた。美しかったとおもう。

 階下からただいま、という声がする。弟が帰宅したらしい。

 しばらく、どたどた、音がしていたが、ふいに、大きな音を立てて娘の部屋の扉が開いた。弟が、無断で娘の本を借りに来たのだ。

 弟は無遠慮に侵入し、棚から目当ての本を取り出し、出ていこうとする前に、私に気づいた。

 私をしげしげと眺める弟。

 そして彼は、もっとよく見ようと思ったのか、私に手を伸ばし、つかもうとした瞬間、手を滑らせ、私を取り落してしまった。

 私はゆっくりと回転し、落ちてゆく。

 自分で言うのもなんだが、日の光を受け、回転する私は、それは奇麗であったろうと思う。それは小さなシャンデリア、あるいは小さな回転木馬。

 しかし、その美しさは、儚さと表裏一体で、一瞬のものであった。

 地に堕ちた私は、身体を強く打った。

 次の瞬間。

 私の体はぽっきりと、穂先のところで真っ二つに折れてしまった。

 私の意識は、遠のいていく。

 目の端に、慌てて部屋から飛び出していく弟の様子が映った。

 あとにはただ、静寂が残った。

 少しずつ、視界が暗くなっていく。私は深い、深い眠りへと堕ちていった。

 私は、幸せだった。


 部屋の床に、折れたガラスペンが横たわる。

 ペン軸のところで、ぽっきりと折れてしまっている。

 次の瞬間、その断面から、紅い、どろりとした液体が流れ出て、床に広がった。




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