第二章 サンシャン・トーヤーの話

 ル・フェルブール王国の王都、フレンネスブールの高等法院法務官、ルシャトリエ・ディートリック・アンナ=マリー・ド・ルティエールは、王国宰相、ゾーシン・ド・アベルーヤ=マグチーを殺害した罪を以て、その犯人である、サンシャン・トーヤーに60年の懲役を言い渡した。


 これは王国中に大きな波紋を広げる。

 王国宰相アベルーヤ=マグチーは現国王アルトウィックⅢ世からの絶大な信頼を背景に、財政難に陥った王国の再建に、10年近く指揮を執って来た。財政改革に着手した前任ともいえる財務大臣カローニや、財務総督ネスケールのような者達が、1年にも満たない任期であったのとは対照的であり、王はこの宰相を非常に信任していたのであった。

 だが長期に渡る執政により、賛否も多くあり、熱烈に支持する者達と、またその反対の者達を生んだのである。


 そう言った者たちより、法務官ルティエールは、裁判中、常に圧力を受ける立場であった。

 宰相支持者達からは、トーヤーを必ず死刑にしろと言われた。


 それに対してルティエールは、個人の特別な思い入れにより、何者かに肩入れする等と言う事は出来ない。人格や行いをどのように判断するかは個人の視点に委ねられてはいるが、法による責務を負わせる際は、法と言う名の人物の視点によって見るべきである。職務に服している間はわたしは、法の目と耳と口でしかないと。


 また、宰相の反対者たちからは、犯人の命を救うように署名も出された。助命の嘆願が出されたのには、その犯人の数奇な運命も関わっていたのである。


 宰相を殺害した犯人、サンシャン・トーヤーは40程の男であった。

 当初は隣のシン帝国、宰相は思想強制主義の隣国を非難していたのだが、その差し金による暗殺も疑われた。だが憲兵によって捕らえられた犯人への尋問が始まると、その内容は余りにも個人的な内容であることが判明する。もちろん、そう言った犯人の性質を煽り立て、このような凶事に手を染めさせるべく、扇動した者がいるのではないかとも疑われたが、結局の所、その証拠は出ず、現在は犯人の供述がそのままと解されるようになった。

 

 その供述の中で、ある教団の名前が登場する。

 その教団とは、先の大戦、奥州類国植民地大好戦争おうしゅうるいこくしょくみんちたいこうせんそう、これは、世界各国で争われた大戦で、最大の激戦地、大陸の奥まった所に多い、ハンと呼ばれる者が治める国の連合体、アーウェトゥ列ハン同盟の植民地、大好タイコウから名前が取られたものなのだが、その戦いの反省から、人類の罪を糾弾し、心を正せと唱える教団、〝戦犯国民からの贈物〟であった。

 その教団は、本尊を古代の聖王、カンデト・デワンの神獣鏡とし、主神と崇める格上神かくじょうしんはそこに宿っていると言った。神への金銭の支払いと、神の作った世界で争いを起こした事による、反省と謝罪を人々に要求していた。

 特に前大戦の膨大な数に上る侵略国の一つであるル・フェルブール王国の臣民には、かつて侵略、または併合した地域に対して、神像、海の資源、領有する島々、研究開発した食物の種子、武術、技術、文化の起源の明け渡し、歴史の事実を放棄しての、聖なる意志にて創造された新たな歴史の受け入れこそが最大の徳であると説いたのである。またそれらのものを勝手に利用し、元々は自身のものであったと喧伝した。

 信者達は、喜んでこれらの物を教団に提供し、受け入れた。

 また教団も、これに従わないものにはその者の家に、鏡を使って太陽光を照射する、カンデト・デワンの裁きと称する嫌がらせをし、従順でない者達をも従わせたのだった。

 これに関しては、元信者と教団の間で裁判も起こっているが、教団側は祭祀の最中に、元信者が鳥の真似をして、乱入。鳥の羽ばたく動作をして、そこにいた人達に接触ぎりぎりまで体を寄せて威嚇すると言う、俗にいう威嚇非行と言う嫌がらせをして来たと逆に申し立てたのである。


 トーヤーの供述によると、この教団の信者の一人が家族だったのである。

 この家族は、教団に言われるがままに財物を貢ぎ、やがては一家が生活出来なくなる程に寄進を行ったのである。

 その家族の子トーヤーは、その為に、家族の生活苦に依る自死を経験し、人との接触を避けるようになる。籠り気味で口数少なく、自らの事を聞かれる事を恐れ、日々怯えるように過ごすその行動は、周りからは奇異にみられた事だろう。それを面白がられ、甚振られて育った青年は、やがて教団への恨みを育てていく事になったのである。

 だがその教団と、王国宰相の殺害とは、一体どんな関係があったのだろうか。


 宰相も他の多くの政治家の例に洩れず、あらゆる業界、あらゆる人々との接触を持っていた。

 これは宰相に賛同する者であろうとなかろうと、政治に携わる者であるなら、みな同じである。政治とは思想、利害の異なる者達をまとめる仕事でもあるのだから、好き嫌いに関わらず、多くの者と接点を持つのは必然の事であった。

 また、そう言った接点の中から援助が得られる事もある。条件の精査は必要ではあるものの、望む体制の実現の為には、それらを利用する事も当然にある。害悪の度合いにもよるが、それを受け入れ利用する事もあるのだ。そうして得られたもので人を救う事も殺す事も出来るのである。

 受け入れる事、受け入れない事、どちらをした方がより良しとする割合が大きいか、これは政治でなく個人の生活でも言える事だろう。見誤る事ももちろん有り得る。政治も生活の延長の中にあるのだから当然である。清濁は常にあり、総合においてより有益に働くのはどちらなのかを計算するのも人の生活、そして政治である。

 ただ公の利益よりも自身の利益を取る者がいるのもまた事実である。人は人としての限界に立ち向かう事が出来るのかの大いなる問いではあるのだ。


 宰相はこの教団からも、多くの援助を受けていた。その返礼なのか、教団の集会で演説する姿を、トーヤーは見たのだった。

 彼は思った。憎むべき本当の対象ではないと。だが、教団の活動は、王国の中の多くは興味を持って見ていない。そうであるなら、その重鎮を殺した所で、単なる殺人事件として扱われるだけで何も変わらないのではなかろうかと。だが、自身が教団の行いを理由として、王国内で誰もが知るこの人物を殺したらどうなるだろうか。多くの人々の注意を惹き、本当の意味で憎むべき教団を破滅させることが出来るかも知れないと。

 元々終わってしまった人生。これからどうなろうとさして未来に変わりはない。ならば、この犠牲を以てして、自身の憎しみを果たそう。そうしても果たせる事はないだろうが、望む目的の一つはきっと叶えられるだろう。何かを成せば、きっと自身も何かが変われるはずだ。そしてあの男も全く無関係ではないのなら、するべき理由がないとは言えないのではないか、と。


 くして彼は宰相を撃ったのであった。


 彼を擁護する者達の言い分はこうだ。生まれてよりこれまでの境遇、そしてその苦しみから生まれた憎しみ。狂わされた人生へのどうしようもない絶望の中で、必死にもがき、生きて来たのは、本人の必死な努力と、その真摯さの証であると。そしてその苦しみの果てに、その対象となり得る人物にこのように事を成したのは、悲劇であると。そう言った、心の痛みを鑑み、減刑すべきであると。

 またこうも言っている。こう言った状況に陥ったのは、このような教団を野放しにしていた政府の責任でもあると。実際、一時解散させようと言う動きはあったのだが、政府の一部の者により、この動きは撤回されている。その流れを宰相は見過ごして来たと言うのだ。

 実際、宰相は多忙な仕事であった。宰相がどこまで把握していたのか、していなかったのかは、今となっては不明である。だが治安の維持も責務であると。


 政治と言えども、人のやる事。すべてが完全にとはいかない。また優先順位もある。それが多くの命を預かるものの場合、命に順位をつける事もあるのだ。そんな事をする人間は、そんな職に就くべきではないと言う人がいるならば、その人がその職務についてみればいいのだ。また古来より、何事も完全に、全員を充足させる事が出来た者が、一人としてあっただろうか。


 ルティエールはそう言った者達に対して、判決後にこのように語っている。

 そもそも、犯罪を起こす者には、何らかしらの悲運の重なりはつきものであると。

 擁護する者達が、何故、他の犯罪者に対しても同じようにしないのか、それはひとえに、トーヤーが考えていたと語った〝多くの人々の注意を惹く〟に集約されているとの事だった。

 多くの者は、目についた一部にのみ同情し、隠れている悲運を見殺しにするものであると。そして、一つの同情が、他にどのような影響を及ぼすかを考えていないと言うのだった。

 また、冷徹な判断と言う、汚れを背負う可能性があるものには、自ら進んで志願せず、その判断をしない事を前提として、ただ個人の感情の発露だけをするものであると。

 ルティエールはトーヤーの身の上には同情しつつも、あの者も悪いのだからこちらがしても仕方ない、を許せば、すべての事がそれで済まされてしまうと。

 家で虐待され、外で甚振られたとしても、その鬱憤を晴らす為に、他者を害する事を正当化する理由にはならないと言ったのだった。


 今回の件に関しては、トーヤーも宰相が本当の憎しみの対象ではないと認識していた所が重要だと言った。確実な、トーヤーへの仕打ちの根源の一つとしての確証もないまま、宰相の名声とその命を利用しようとする意志があった事は、悪辣であり、人命の軽視であり、情状酌量の余地はないと言い切った。また政府の対応がどのようなものであったにせよ、この行いをし、そこに至るその思考については罰を課されるのが適当であると。



 これを聞いた弁護士のマルタン・デ=ロワ・フロレンティーヌ・オクシティエーヌは自身のパンフレット、〝ルーシのウラジミール爺や〟で、ルティエールを人の心のない悪魔と書き立て激しく批判した。

 貧困と重税にあえいでいた民衆の、宰相に不満を持っていた一部は、この批判にその他の関係ない批判までも載せて騒ぎ立てたのであった。



 宰相には多くの批判があった。例えば、宰相は北方に閉じ込めた蛮族や、隣国への警戒の為、軍備の拡張を行おうとしていた。力と言うものが、安定と平穏を守る、何よりも必要な根源である事をわかっていたからであった。

 力、武力と言うと、この言葉を聴いただけで嫌悪感を示す者達がいるが、その者達はいかに自身がそれらに守られていて、普段から恥知らずにも、当たり前として受け入れ、利用しているのかを理解していないのである。何故犯罪に脅かされずに生きていられるのか、何故船が安全に航海できるのか、当たり前と言うものが、いかに当たり前でないかと言う事を知らず、特異な環境で生まれ、育ったが故に、周りの見えない、特異な人種を生み出してしまったいい例である。


 そうした者達はこのように言った。

 先の大戦をまた起こそうとしている。

 いらぬ刺激を隣国に与えている。

 そのような事に金を使うのなら貧困を是正せよと。


 貧困の対処も大事な事だが、それとこれとは別である。物事は何もかもが同時に起こっており、それに同時に対処しなくてはならない。だがそれを理解する知能に達していない者達は多く、ただ嫌いと言うだけで、真に論じねばならない事も、論じ合いではなく、相手をなじる為の言葉遊びの場所と捉え、論じる正道をそれ、繋がりのないものも繋げ、話しを大きくし、矮小な自身を大きく見せ、卑屈な自己の優越感を得るに必死になるばかりなのである。


 そんな者達の指摘とはいえ、中には過去であれば幾つかは的を射たものになっていたものもあったかも知れない。だが情勢は変わるのだ。時代の流れを読めない国がどうなったか、互いに足を引き合う内情が続けばどのような事になるかは、古の国々の存亡を見れば明らかな筈だが、そもそも多くの者達は歴史を子供の楽しむおとぎ話か何かと思い違いをし、その意義を知ろうともしないのである。

 シン帝国のある地で使われていることわざ、666国を亡ぼすのは666国である。

 これはシン帝国のタイファ時代、内部で相反し、力を合わせて何事も出来ずに内憂外患に共に対処出来ずに滅んで行った国々を指す言葉で、以後この数字は悪魔の数字と忌み嫌われる事になるのである。


 人を信じない、話し合いの大切さを解さないやり方だと非難する者達もいるが、信義とは、相手の心の内がわかったとしても、心変わりが何時起きるかわからないもの。またこれも歴史を見れば、力あるものがその約束を最後まで守り切った例が、その逆に比べ、どれ程の数になるかを思い起こしてみればわかるはずである。そうでなくとも、日々の人々の営みを見ていればわかろうものだ。


 政府が国益と言うように、個人で在っても利己を第一に置く事が、人のさがなのだろう。そうであったとしても、大局を見据えず、やがては自らの首を絞める事になる行いであったとしても、多くの者の目は、自らの手の届く範囲程にしか届かない。事の重要性を理解しない者は多いのである。


 こういった人々の間では、ルティエールは人民の敵とされた。そしてその判決への反対運動を起こしたのである。

 このような声は、宮廷の一部の者達をも動かした。トーヤーの判決が出て、一月もしない内に、多くの請願が王の元へと届けられた。そして一部の宰相反対派や、日和見な廷臣達の声に押され、国王アルトウィックⅢ世は、トーヤーの特赦の王令を発したのだった。


 だがルティエールは、王令を発効させる為に必要な帳簿への登記を拒絶した。

 これに抗議して、フレンネスブールの高等法院前には民衆が集まった。人々は口々に、ルティエールの人でなし。記入権の乱用者、涙のない法務官と叫んだのである。

 これに対して、ルティエールは沈黙を貫くばかりだったが、事の重大さを見て、アルトウィックⅢ世は、ルティエールを宮廷に召したのである。


 宮廷に召喚されたルティエールに対して、アルトウィックⅢ世は何故そう強情を張るのかと、ルティエールに問うた。それにルティエールはこう答えたと言う。

 ここに参る前に、多くの者に、何度も申し上げたのではありますが、ついに、陛下のお手を煩わせるに至り、臣の無能を心よりお詫び申し上げます。わたくしは、30余年に渡り、陛下と、その王国に、粉骨砕身して尽くして来た所存でありますが、至らぬ事多きに及び、その点に於いて責めを負うのであれば、これは誠致し方ない事でありましょう。

 ですが、今回の件に於いては、また別のお話しでございます。この件に於きましては臣の一身では済まず、王国の基礎たるものを揺るがす大事ゆえかしこくも、陛下より戴いたお言葉を、あの帳簿に記す事は出来ないのでございます。

 王は言った。あれ程民衆がいかっているのである。そなたの意見も聞いており、それは多分に頷けるものではあるが、民の心を安んじるのも王の務めであると。民たちの声には、幾分道理に合わぬ事があるとは言え、聞くべき所もあるのだ。人が人として生きて行くには何事も道理だけでは進まぬのだと。

 だがルティエールは見誤ってはならないと言ったのだった。退くべき時と、退いてはならぬ時、その二つがあり、今は退いてはならぬ時であると。

 ルティエールは続けた。この世には善も悪もなく、人は何を以ても許され、許されないのです。そんな所から、善と悪の光明を見出し、古の人々の叡智がその線引きを示すもの、すなわち法を作り出したのです。この施行にあっては、過剰であってはならず、不足していてもならず、ただ適当を以て是と成す事こそが基本であり、この基準を見失った時、法の意味は消え失せます。即ちそれは、長年に渡り人々が積み上げて来たものを、今回だけであったとしても、突き崩してしまう危険な一振りとなるのです。陛下、どうかお考え下さい。人の心がいかに流れやすいものかを。人の視野がどれだけ狭いものかを。私は、わたくしの責務は、そうした一個人の視野に留まらず、王国全体を広く見渡す視野を以てして成すべきものであり、その視野に立てば、個人の視野に基づく意見をかえりみる事こそ危険と見る事が出来るのであります、と。


 結局アルトウィックⅢ世は、ルティエールを翻意させることに失敗したのである。


 そして、ルティエールの帰りの途でそれは起きたのだった。

 フレンネスブールのマルタン街の街路は暗い事で有名だった。まだガス灯が配備されていず、不穏な輩の潜む地として有名だったのである。

 その外縁を、ルティエールの馬車が通りかかった時だった。既に日は暮れ、馬車の前に吊るされた二つのカンテラだけが道の前を照らしていた。その馬車の前に突然数人の男が躍り出たのだった。みな長ズボンを穿いており、その身分が卑しいものである事は直ぐにわかった。御者は驚いて手綱を引くと、馬は大きく嘶いて大きく前足で空を掻いた。途端、町の暗がりから、何人もの男達が慌ただしく出て来ると、馬車を取り囲んだ。男達の手にはマスケットが握られており、みな一様に馬車に狙いを定める。

 囲んだ者達の中から一人の男が進み出ると、ルティエールの馬車かと大声で御者に尋ねた。

 老齢の小柄の御者は、ぶるぶると体を震わせて、首を動かす事すら出来ないようだった。

 その時、馬車の扉が開き、そこにルティエールが姿を現した。ルティエールは状況を見て取ると、表情を険しくさせ、周りの者達に大声で言った。

「わたしがルティエールである。諸君たちがどのような事を思ってこのような事を成しているかはわからぬが、国王と、王国に弓引く行いであるは確かである。このような行いが戦いや犯罪に繋がる事を何故わからん」

 一瞬、囲んだ男達は気圧された感があったが、誰かがこう叫んだ。

「ルティエールの人でなし。記入権の乱用者、涙のない法務官」

 そしてその声に、一つ、二つの声が続き、やがて大合唱となった。

「本当の裁きを俺達がしてやる」

 誰かがそう言って、持っていた銃の引き金を引いた。

 初めの銃弾は、ルティエールを逸れて、後ろの馬車に当たっただけだったが、その勢いに呑まれ、他の者達も、一斉に銃を撃ち始めたのである。

 この一件で、ルティエールやその御者、馬車を引いた馬達も殺され、仲間の外れた銃撃に当たって、馬車を囲んだ男達の中にも、4名の死傷者を出す事件となった。

 駆け付けた憲兵により、早々に犯人が捕まったこの事件に世間は冷ややかであった。一部の過激派の暴虐事件と、そして同時にその被害者にも冷ややかであったのである。

 オクシティエーヌはそのパンフレット〝ルーシのウラジミール爺や〟で、ルティエールの死を天罰が下った、とまで書いたのであった。

 その死は、トーヤーの処遇に直ちに影響を与え、王令により釈放された。

 トーヤーは一部の者達からは英雄視されたのである。

 これ以後、法秩序は大きく後退し、王国に革命が起きて、王まで処刑される事態になるのであったが、それはまた別の話である。

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