第一話 後半 『長吉 恩を返す』

 今を遡ること一年ほど前。

今より幼い長吉の姿は「叶え稲荷」のこじんまりとした境内にあった。


 おっ母さんが髪結いの帰りに、出会い頭に大八車とぶつかって利き腕に大怪我をしたのがその七日ほど前のこと。

長屋のヤブ医者は、もう腕は使えないだろうなんてことを言う。

おっ母さんは右手に添え木をして布でぐるぐる巻きにされ、熱を出して寝込んでいる。


 お父つぁんは、そりゃぁ昔は腕のいい大工だったが、一番下の弟三吉が生まれた頃に屋根から落ちて手と足を悪くしてもう仕事はしていない。

下戸だったのが幸いして変に荒れることもなかったが、すっかり影が薄くなってしまった。

今では家でおっ母さんの商売仲間の道具の手入れを細々ぼそぼそとやっている。

 

 お父つぁんもおっ母さんも四六時中家にいて5才の仁吉と4才の三吉は嬉しそうだったが、7才でお勝手を預かる妹の糸はさすがにこの先を心配していた。


 大黒柱のおっ母さんがこんなことになって、この先どうやっておまんまを食っていけばいいのか?

糸が河原っぱたから野草を摘んできて味噌汁に入れた朝、長吉は我が家にもう銭がないことを知った。

糸に泣き付かれた長吉は、悩んだ末になんでも願いが叶うという「叶え稲荷」の話を聞いて、はるばるやって来たのである。

 

 「お稲荷様、お稲荷様

どうか、オイラに出来る仕事をください!

米も明日には無くなります。

このままだとオイラたち飢えてしまいます。

どうか、どうか、お願いです!」


 幼い長吉が一心に祈るのを見ていたオサキキツネは、花房山稲荷の媛神様にはかった。

媛神様おひぃさまは『よし。』と申された。


 翌日のこと。

長屋の住人の口利きで、長吉は跡取りのいない豆腐屋の老夫婦の早朝仕事の手伝いをすることになった。

その翌日には別の長屋のおかみさんから、近くの商家の下男の手伝いを夕方だけいいからしてくれないかという話しも舞い込んだ。

朝は七つに豆腐屋に行って仕込みを手伝い、職人たちが出かける八つには家に帰る。

昼間は家の手伝いをして、弟たちの面倒を見る。

夕方は七つに商家に出向き、暮れ六つには家に戻る。

願ったり叶ったりで、まこと「叶え稲荷」様々だと家族で喜んだ。


 どちらの仕事場でもいろいろ失敗して怒鳴られもしたが、長吉はおっ母さんのためお父つぁんのため弟たちのためと、腐りもせず小さい体で惜しまず動いた。

そしてその1ヶ月後、また長吉の姿は「叶え稲荷」のやしろの前にあった。


 「どうか、どうか!

おっ母さんの腕を治してください!

オイラの稼ぎだけではおまんまを食うのがやっと。 

おっ母さんの薬を買うこともできません。

おっ母さんの代わりに頑張っていた妹が昨日倒れちまいました。

お父つぁんはここんとこ毎日泣いています。」


 長吉の真摯な頼みに「花房山稲荷」の媛神様おひぃさまは再び『よし。』と頷かれた。


  ・ ・ ・


 「と、こういうことがあったのを、お前さんは覚えていなさるかね?」


 ワシは吉兵衛長屋の裏で長吉を捕まえると、「花房山稲荷神社」に連れて行ってそう尋ねた。

ワシのかいつまんだ話しに長吉は驚いた顔をしていたが、思い当たるらしくその通りだと云うようにウンウンと頷いた。


 もちろんワシは人間に化けている。

耳も尻尾も隠して、その辺の町人姿である。

小噺にあるように葉っぱを頭に乗せてドロンなどという泥くさいやり方なんかじゃねえよ。

そのへんの角を曲がるように、ふいと小粋に変化へんげするのさ。


 「でだ。

おっ母さんの腕はその後どうなった?」

「は、はい。

おかげさまであれから日に日にようなりました。」

「ほうほう。

それは、ようござんした。」

「はい!

さすが霊験あらたかな『叶え稲荷』様と日々感謝しております!」


 ――そうか、そうか、「叶え稲荷」に「恩」は感じているようだ。 

何はともあれ、そこに気づいてもらわねばワシらの仕事ははかどらんので、助かった。


 「ならば、だ。長吉よ。

そろそろ『恩返し』しても、いいんじゃないかねぇ。」

「え?『恩返し』?」

「そうさな。

借りたものは返すが道理ってもんだろ。」


 頭を傾げていた長吉は、腑に落ちない様子でこちらを見た。


 「どうやって『恩返し』したらいいのですか?」

「それは、おメェ。

長吉が考えなくちゃぁ、なんねえよ。」


 うーん、うーんと唸っていた長吉は、急にパタパタと自分の袖やら帯やらを触り始めた。


 「おい、どうした?」

「へぇ。銭でも出てきたらお揚げさんを買って供えようかと。」

「おいおい、長吉。

それじゃぁ、『恩返し』にゃぁならんだろう。」

「でも、お稲荷様の好物は油揚げだと。」

「お前さんなぁ。

相手の好物をやったらそれで『恩返し』になるのかえ?」

「ならないんですか?」

「ならねぇよ、普通は。」


 またしばらくうーんうーんとうなっていた長吉は、ポンと手を打って言った。


 「オイラ、もっと大きくなったら今手伝ってる豆腐屋を継ごうと思ってんです。

そうして頑張ってお金を貯めて、お稲荷さんに赤い鳥居を差し上げます。」


 あんまりキンラキンラした目で言いやがるもんだから、ワシは

「それは『お礼参り』で『恩返し』とはちょいと違うぞ」と言いそびれた。


 「毎年1差し上げます!

毎年、毎年、ずーっと毎年!」

「い、いや、いや!

待て、待て、長吉。

そんなにはいらねえと思うぞ。

見てみな、ここん稲荷はそんなに広くねえ。

いやはっきり言って狭めえ。

毎年鳥居をもらっていたら、参道どころか境内いっぱい鳥居だらけになっちまうだろ。」

「ああ、そうかぁ。」


 長吉はあからさまにがっかりした顔になったが、わかってくれたようで安心した。

毎年鳥居の奉納なんて、またオサキ様になんていわれるか。

『オマエ!伏見の稲荷大社様に喧嘩を売る気かえ?

そんな馬鹿なことをしでかしたら、親指と人差し指でプチンと潰しちまうよ!』

幻聴まで聞こえて、隠している尻尾がぶるると震えちまったぜ。


 どうにも思い付かないらしい長吉は、ウンウン唸りながらやしろの前の石段に座り込んでしまった。

いくらなんでもそんなところで座られては、居ないようでそこそこ居る参拝者の邪魔になる。 

ワシは長吉をひょいと抱えてやしろの脇に連れて行った。

そこには古い大きな藤があって初夏になると見事な花を咲かせる。

これが不思議なことに、白い花房と紫の花房二色の房が下がるものだから叶え稲荷の名物となっていた。


 長吉はそこで相変わらずウンウン唸りながら、目についたらしい草を手当たり次第引抜き始めた。

「花房山稲荷」のやしろの正面は参拝者も多く手入れもよくされているが、それ以外となると草ぼうぼう。

宮司の親子はほかの神社と掛け持ちで忙しく、周りの手入れまで行き届かないのである。


 小半時後、やしろの脇はすっきりさっぱり綺麗になった。 


 ――いや、ワシだって手伝ったさ。

ちいさい子どもが草引きしてるのを、いい大人(化けてるだけだがよ)がそばで立って眺めてるだけなんてよ、みっともねぇじゃないか。


 「おんや、坊。ありがとよ。

すっかり綺麗になったねぇ。」 


 ひとしきり草引きが終わったころ、竹筒に入った清水を持ってオサキ様が現れた。

もちろん子ども相手なんで、顔までちゃんと人間に化けている。


 長吉はやしろ脇がすっかりきれいになったのに驚いたような顔をした。

どうもそのつもりもなく草引きをしていたようだ。

それから嬉しそうな顔をして、オサキ様の差し出す竹筒の水をごくごく飲みほした。


 「女将さん。ごちそうさまでした。」

「どういたしまして。

ああ、草が無くなってすっかり風通しが良くなったねぇ。

藤の花も映えるだろう。

媛神様おひぃさまもお喜びだ。

いい『恩返し』になった。」


 長吉が何か言いかけるのを遮るように、オサキ様が言った。


「坊、そろそろ夕刻の手伝いの時間じゃないのかえ?」


 長吉ははっとして捨て鐘に耳を澄ましたあと、オサキ様とワシにぺこりとお辞儀をして境内から駆け出していった。

折しも近くの寺の七つの「時の鐘」が聞こえ始めていた。


 それから毎月最初の戌の日に長吉が家族を連れて参拝に来るようになった。

毎回家族と一緒にやしろの周りを綺麗にして、油揚げを供えていくのだ。


 長吉がまっ赤な鳥居を1基「叶え稲荷」に奉納するのは、それから二十年近くたった年のことであった。


  ◇ ◇ ◇ 


「願ひごと かならず叶う 花房の 稲荷の神のいかに尊き」



*******************


明け七つ

今の時間で言うと、おおよそ午前5時くらい。

(江戸時代までは不定時法なので、だいたい日の出前の一時間くらいを指す)


明け八つ

おおよそ午前8時くらい。

職人たちが出勤する時間。


夕方七つ

今の時間で言うと16時くらい。


暮れ六つ

おおよそ18時くらい。

職人は仕事を終得て帰宅、商店は店じまいする時間。

吉原の顔見世が始まるのもこの時間である。


捨て鐘

時を告げる鐘を打つ前に、これから始まると教えるために三回打っていた。

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