6.メリー・クリスマスは事件の後で 前編④

 降神日こうしんびを数日後に控え、さしものヴァーミリオン家も慌ただしくなっていた。この日になってようやく孤児院へ贈るプレゼントが揃ったのは仕方のないことだった。そもそも発注が遅かったのだ、日数の無い中で、よくやってくれたと言えよう。リリアンはそのように商人に感謝して、問題なくプレゼントを贈ることができそうだと喜んだ。

 ルルのいた孤児院はもとより、その近隣の院の子供達にも贈り物をできないかと、リリアンのその申し出に二つ返事で許可を出したアルベルト。百よりは少ないが、それなりの数を揃えるのにヴァーミリオンの名は大いに役立った。それでリリアンが喜んでいるので、アルベルトは嬉しくて仕方がない。にこにこと満面の笑みを湛えている。先日宝石店で仏頂面であった時とは雲泥の差である。

 当日はリリアンが孤児院を訪れてプレゼントを配る手筈になっている。アルベルトは無論同行するつもりだ。この時期アルベルトは仕事をする気がないし、その間にリリアンの外での活動を拝んでおこうという腹である。慈愛に満ちたリリアンの、子供達に接する一幕はアルベルトの心のアルバムに必要不可欠だ。だからもう、何よりも優先される決定事項として組み込まれている。その後は家族で晩餐の予定だから、それを遂行しようとあちこちに手を回しているのだが、それはリリアンの預かり知らぬことである。

 ただ、プレゼントを贈ることにした孤児院全てを回ることはさすがに無理だった。ルルのいたところと、そこから近い二か所、計三か所訪問することになった。それ以外の場所には、商店から直接プレゼントが運ばれる。そのおかげで、屋敷にある贈り物は少量で済んでいた。昨今は包みが工夫されている物も多いから、綺麗に梱包されたそれらを、ルルとシルヴィアと一緒になって見るリリアンは楽しげだ。あれが綺麗、それも素敵と小箱を掲げている。


(楽園……)


 それは、天使が花咲く野で遊ぶ姿に酷似していた。目についた、お気に入りの草花を摘み集め、楽しげにそれを見せ合う。そうして天使の遊ぶ野は、天上にあるのだという。常春の、この世のありとあらゆる花が咲くという天上の野原、それは楽園を敷き詰めている。アルベルトには、リリアンの周辺にだけ、その楽園が見えていた。

 まさに感無量というような表情でそれをじっと見つめていたアルベルトだったが、控え目に呼ぶベンジャミンの声に、渋々視線を動かした。


「なんだ。今いいところだったのに」


 むう、とむくれるアルベルトに、ベンジャミンは呆れの声を漏らす。


「いい歳こいてむくれんで下さい。……先程知らせが。例の盗賊ですが、いまだ尻尾を掴めていないと。被害も広がっていますので警戒するよう通達がございました」


 それにアルベルトは、ふうん、と答えた。まったく興味が無さそうであるが、事実どうでもいいのでそれ以上の反応ができるはずもない。だがベンジャミンの表情を見るに、ただ事ではないと思われた。かなりの規模で人員が割かれていると聞いている。その上で捕縛どころか尻尾も掴めていないとなると、なるほど警戒せよとお達しが来るはずである。はじめ聞いた限りでは大した事のない小物であろうと思っていたが、随分とやるようである。

 とりあえずベンジャミンの心労を解消してやるのがいいだろうと、アルベルトはヴァーミリオン家から人員を出す事を決めた。

 指示を出すとあからさまにほっとして見せたので、アルベルトは肩を竦める。


「その様子だと、通知したのは陛下か。心配性なことだ」

「陛下からでもなければ動かない者がいるだろうと、そう判断されたのでしょうな」


 どこぞの誰かのように、と続いたベンジャミンの言葉は無視した。確かにアルベルトは、ただ中央の騎士団からの忠告だったら何もしなかったろう。

 まだ何か言いたげなベンジャミンからは視線を外すと、リリアンが硬い表情でこちらの様子を伺っていた。


「お父様」


 案じるようなその声色に、アルベルトは努めて明るく振る舞った。


「リリアン、心配することはない。この屋敷には絶対に入ってこられないから」


 アルベルトの言い分はその通りだった。ヴァーミリオンの屋敷に不届者が忍び込むのは不可能に近い。リリアンの暮らす場所が安全でない、なんて、アルベルトが容認するはずないからだ。設備も護衛も万全、それは間違いない。

 それがわかっているから、リリアンは首を横に振った。


「もちろん、それはわかっています。だってお父様がそのようにして下さってるはずだもの」


 そうでしょう、と微笑むリリアンに、アルベルトは感無量で頷いた。リリアンが、アルベルトの行動を理解してくれている。それだけで報われる。感激で涙が溢れそうになった。最近涙もろくていけない。


「そうではなくて、わたくしが心配なのはお兄様のこと」


 リリアンは憂いを表情に乗せる。


「きっと、マクスウェル様と一緒に駆り出されているんでしょう? お忙しいでしょうし、それに、もし危ない目にあったりしたら」

「リリアン……」


 リリアンの不安はもっともである。怪我人は今のところ出ていないようだが、いつ何があってもおかしくない身の上だ。怪我のひとつやふたつあるかもしれない。だが、万が一、というのは多分無いだろう。マクスウェルもレイナードも、そんじょそこらの悪漢に遅れを取るほど柔ではない。まず間違いなく返り討ちにできる。

 とは言え一般的には、やはり身内が危ない目に遭うのは避けたいものだ。本人達はどうにかするだろうから、アルベルトが気に掛けるべきはリリアンの心のケアである。だから、極めて明るく、そして真面目に提案をした。


「私がなんとかしようか。大抵のことはどうにでもできるぞ。ヴァーミリオンの名前があれば」


 その言葉にリリアンは答える。


「お兄様は真面目にお役目を果そうとしているのですから、それはだめです」


 きっぱりとそう言われて、アルベルトはがっくりと肩を落とした。

 これではどちらが子供なのやら。ベンジャミンは、はあ、と溜め息が漏れるのを止められなかった。



◆◆◆



 トゥイリアース王国王都のとあるアパルトメントの一室で、今王都を騒がせている盗賊『インビジブル』は、にやけた顔を突き合わせていた。


「はっは! 順調だな」


 堪えきれないとばかりに声を上げるのは、リーダー格のドゥランだ。盗品の中で一番気に入った指輪を手の中で転がし、摘み上げる。うっとりとそれを見つめる彼の向い、妖艶な美女が、はん、と鼻を鳴らす。


「最高じゃないのさ。連中、アタシらを捕まえる気があるのかしらね。こんなにあっさりと、これだけのものが手に入るだなんて!」


 じゃらりと鳴ったのは、山積みになった宝飾品の数々。眩いそれらをひとつひとつ手に取って、彼女もまた目の上に掲げる。ランプの灯りで様々な色の宝石が煌めくのが堪らなかった。ダイアモンドを連ねたネックレスが彼女の首元を飾る。


「やめろアンジェ、盗品を軽々しく着けるな」

「なんだいトロワ。いいじゃないのさ、少しくらい」


 トロワと呼ばれた男は、アンジェをじろっと睨んだ。


「未使用のほうが都合がいいんだ」

「分かってるわよそれくらい。でもこれはいいの。手放すつもりなんてないんだから」


 アンジェの言葉に、ちっ、と舌打ちして、トロワは机を叩いた。


「お前達、わかってるのか。ここにあるものが見付かれば、俺達はあっという間に御用になるんだぞ。盗品はできる限り隠しておいたほうがいい」


 トロワは、ドゥランとアンジェの二人と比べると慎重な性格だった。念には念をが信条で、もしものことがあるのなら徹底的にその事柄を排除する性分だ。だから迂闊に盗品を出して鑑賞する二人を厳しい目で見る。

 実際のところ、作戦の内容はドゥランが立てるが、その下準備やなにやらはトロワが担っていた。トロワの慎重さが作戦の成功に繋がっていたのだが、運が味方したのか、彼らはほとんど失敗することなくここまでやってこれた。そのせいも存分にあるだろう、疑り深いトロワとは違い、ドゥランとアンジェは浮かれているのだ。


「お前もつまらん男だな、トロワ」


 ドゥランの言葉に、トロワは眉間に皺を寄せる。


「そんなだと女にモテないぞ。少しはほら、宝石でも見て愉しんだらどうだ。俺達の目的は『美しい物を手に入れる』ことだろう。成果を確認することは悪いことではあるまい?」


 そう言って、ドゥランはトロワの左肩に手を乗せ、目の前に耳飾りを翳してみせた。ゆらゆら揺れる石はエメラルド、大きさも色も一級品で、間違いなく相当高価なものだ。

 だがトロワは、そのエメラルドごとドゥランの手を払いのけた。耳飾りが吹っ飛んで、アンジェが悲鳴を上げる。


「ちょっと! 何やってんだい!」


 傷でも付こうものなら価値は激減する。慌てて耳飾りを拾い上げ、欠けが無いかを確認した。幸い何事もなかったが、それでもアンジェはきつい目つきでトロワを睨み付けた。


「あんたねえ、扱いには気を付けな!」

「お前らは、俺の扱いに気を配った方がいいと思うが?」


 トロワは、小馬鹿にするように、ふん、と鼻を鳴らす。机の上の地図をとんとんと叩いてみせた。


「お前らの下調べの情報を元に、侵入経路と退路を組んでるのは俺だ。道具を揃えるのも俺、金庫の鍵を破るのも俺。俺がいなければ、ここにある宝石全部、手に入れられなかったんだ!」


 そもそもトールゲンから何事もなく脱出できたのも自分のお陰だと、トロワは続けた。


「軽率なお前らでも確実に盗みができるよう、作戦を立ててるんだぞ。それが分かってるのか、お前らは?」


 トロワが苛立っているのはそこだった。事前に危なげなく事が進むよう組んだ作戦を、アンジェとドゥランは軽々しく変更することが多かった。ここトゥイリアースに入ってからはそれが顕著で、つい先立っても直前でターゲットを変更したり、余分な物を盗んできたりしたばかり。これ以上作戦を勝手に変えられては、いつか破綻すると、トロワはその不安材料を抱えたままなのだ。

 その危険性を分かっていなそうな二人が腹立たしい。トロワの怒りはもっともだった。

 アンジェは言い分を聞いてもなお眉間に皺を寄せ不満げだった。


「今までは上手くいっていたじゃない」

「今までは、な。今後もそうとは限らないだろう」

「失敗するとも限らないでしょう!」

「なら、失敗しないという確証を、俺の前に出してくれるか。それがあれば俺ももう止めない」

「そんなの、どうやって出せってのよ!」

「二人とも、落ち着け!」


 ヒートアップする二人の間に、ドゥランは割って入った。殴り合いなんかにはならないだろうが、それでもこれ以上言い争うのは今後の行動に影響が出る。


「トロワの心配事は分かった。上手く行きすぎていて浮かれていたのは認めよう。一度ここらで気を引き締めるとする。アンジェもだ、分かったな」


 ふん、とアンジェはそっぽを向いた。認めたくないが、指摘は適切であったから引っ込みがつかないのだろう。やれやれとドゥランは首を振った。


「それでトロワ、鍵の方はどうなんだ」


 ドゥランの言葉にトロワはすっと視線を外した。


「……調査中だ、まだ」

「まだ? もう時間がない」

「それは分かってる!」


 強いトロワの言葉にドゥランは肩を竦めた。

 鍵というのは、この国に流通している最新式の鍵のことだ。それよりも旧式のものは解錠できたが、この最新のものはなかなか手強かった。

 そもそも、これまで何事もなく宝石店に忍び込み盗みを働くことができたのは、トロワが様々な鍵という鍵を突破してきたからだった。一流の鍵師、それが一転悪行に手を染めれば、この通り不可視の盗賊の出来上がり。だから鍵開けの技術というのは秘匿されるものだったが、どこにでも我流で技術を磨く者が出るものである。

 幸か不幸かトロワには才能があったらしい。あちこちの鍵を開けまくって、更に難解な鍵を求めているうちに美術館に忍び込んで解錠を試みていたところ、偶然盗みに入っていたドゥランとかちあった。解錠できたらすぐに元に戻すつもりであったトロワはその腕を買われ、そのままドゥランの仲間になった。

 それからはもう、トロワにとって堪らない日々だった。宝石店ともなれば、その辺の鍵とは比べ物にならないくらい複雑なものばかりだった。夢中になってその構造を調べ、それを破った時の快感と言ったら!

 ドゥランとアンジェは性格こそいい加減だったが、盗みの腕のほうは確かなようで、行く先々で確実にターゲットを手にしていた。それはトロワの作戦のお陰でもあったが、二人の実力があってこそだ。気の合わないこともあるが、なんだかんだでこの三人組は噛み合ったいいチームだったのだ。

 だが、今回の最難関とも言える最新の鍵。これは、今まで数多の鍵を開けてきたトロワでもまだ解錠できずにいる。というか仕組みからして理解ができない。普通の鍵のように、鍵穴に適合する鍵を差し込めばいいだけのものなのだが、どういうわけか、毎回開け閉めする度シリンダーの内部が変化するようなのだ。

 差し込んだ鍵は、形に変化がない。だから鍵を複製してしまえばそれで開くはずである。けれど複製した鍵を差し込んでも開くことがない。どうしてなのかと分解してみたら、鍵を差し込んだ時、内部で驚くべき変化があった。奥まで鍵が差し込まれたと思った瞬間、鍵本体が淡く光ってぐにゃりと形を変えたのだ。そしてそのまま回すと、かちっと音を立てて鍵が開いた。

 まるで魔法のような光景にトロワは目を見開いた。そう言えば、この国には高名な魔法使いがいると聞いた。その人物は様々な道具、魔道具まどうぐの開発にも携わっているそうだ。だからこの最新式の鍵は、その技術を用いて作られた魔道具なのだとわかった。

 それと同時に一気に盗みの難易度が跳ね上がった。なにしろ普通の道具と違って魔道具は、魔力の籠められた奇跡を起こすものだからだ。魔力を扱えない人々の為に、人工的に魔法が起こせるように開発されたものだが、使う分には簡単だけれどそれを解析・分解しようとなると話は別だ。工学は元より魔法に精通していなければ、その道具がなにを起こそうとするものなのか、それの把握すらできない。

 トロワは構造の方はなんとかなっても、魔法の方はさっぱりだった。だから正直なところ、この鍵の解析は不可能であった。

 それを言うと、アンジェは露骨に顔を顰めた。


「なあに? じゃあ、忍び込んでも無駄じゃないさ! どうするのよ、もうこんな時期なのよ」

「うるさいな。そんなこと分かっている!」


 トロワの苛立ちも焦りも知らなかったアンジェに、これ以上文句を言われる筋合いはないと、トロワは叫びに近い言い分を述べる。


「だから今、どうにかして俺が解錠せずに済む方法を探してるんじゃないか」


 器具を使っての解錠が叶わない以上、他に方法が無い。トロワは自らが侵入して鍵開けに挑むのを断念して、今は別の方法を模索していた。

 金庫が小さければ、金庫ごと運び出してどこか安全な所で壊すなりなんなりして中身を取り出せばいい。けれど宝石店は、部屋を丸ごと金庫のようにしているものだった。壁も厚いし、部屋を運び出す、なんて世迷言もいいところだ。確実で可能な手段が見つからなくて、それもトロワを焦らせる要因になっていた。


「じゃあ、鍵を盗み出せばいいじゃない」


 言ったのはアンジェだ。短絡的な彼女のことだから、そう言い出すのは予想の範囲内だった。


「それができればな。鍵がどこにあるのか、お前知ってるのか?」

「そんなの、アタシがちょっと聞けば」

「言うと思うか? 多分、最高機密として取り扱ってると思うぞ」

「……」


 アンジェは悔しそうに唇を噛む。色仕掛けでぽろっと金庫の鍵の在処を喋るような人物だったら、そもそも鍵の管理を任されたりしないだろう。


「そもそも、金庫までに、いくつ、どの程度の鍵が必要になるのかも分かってない」


 その指摘は、内部状況を確認するドゥランとアンジェの落ち度だった。それで二人は分かりやすく言葉を詰まらせた。

 最終目的の店は、あのヴァーミリオン公が来ていた宝石店だ。盗みをするなら、人気の薄くなる時間帯であろうという、常識の裏をかくつもりの三人は、ある一点のタイミングを狙っていた。それまでに、店舗のどこに金庫があって、そこまでの通路がどうなっていて、どんな警備がされているのかを確認するはずだったが、これが上手く行っていないのだ。事前の準備が不可欠となるが、そのせいで準備にも充分に取り掛かれていない。

 辛うじてわかったのは、金庫に至るまでに鍵付きの扉がいくつかあるということ。それと、金庫を開けられるのは一部の人間だけだということ。


「ほとんど何もわからない状態で盗みに入るんだぞ。それで気楽にしているほうがどうかしている」


 冷たく言い放って、トロワは腕を組む。

 確かに今回は、いつになく不透明な事が多い。これまでだったら、この状態であれば計画の中止だってあり得るくらいだ。だからこそ、盗品を見て喜ぶ二人の様子が信じられなかった。


「た、確かに、あの店の情報は少ないけど。でもほら、これまでにこんなに収穫があるんだよ。なんだったら、これだけでもいいんじゃないの」


 アンジェはそう取り繕った。アンジェの手の中にあるのはどれも大きな石が嵌められた宝飾品。しかも色だって形だって最高だ。きっとすごい値がつくものばかりだろう。

 だが、それでは駄目だと、トロワは言う。


「これまでだってそんなのはさんざ盗んできただろう。けどお前達は見たんだろ? あの店にあったのは、どれもこれも、これ以上の物だと言ったのはお前らだ」


 それは、と溢してアンジェは俯いた。その通りだ、あの店で見たルビー、それにダイアモンドも何もかも、ここにある物とは比べ物にならなくらい品質の良い物ばかりだった。確かに、あれらを盗まずに、この国を出るというのは考えられなかった。アンジェはあの時見たヴァーミリオン公の方が印象が強くて、ルビーの輝きなんて覚えていなかったが。

 だが、あの美しい男が求める宝石は、一体どういうものだろうかと思うと、ときめきが止まらなかった。地上の何もかも、あの美貌の前には霞んでしまうだろう。あれを飾るのであれば、きっとダイアモンドはいくつあっても足りないし、ルビーにサファイア、エメラルドだって輝きが足りない。どんな宝飾品であっても、きっとあの男の方が美しい。

 だからこそ興味がある。あの男が欲した宝石に。

 それはドゥランも同じなようだった。だからこの状況にあっても、諦めて国外に出るという判断はしなかった。

 それでアンジェはドゥランに視線を向ける。実質的な一行のリーダーはドゥランだった。彼がこの後どうするつもりなのか、それを問うつもりだった。

 けれどドゥランは考え込んだ様子で、顎に手をやり地図を見つめていた。


「ドゥラン、何か考えでも?」


 ドゥランはすぐには返事をしなかった。が、ややあってから、静かにアンジェとトロワを交互に見た。気障ったらしい普段の様子とは違うドゥランに、アンジェとトロワの二人は険悪だったのを忘れて顔を見合わせた。


「……なんて事だ。俺達ときたら、思い込みをしていたらしい」


 その言葉に更に困惑して、なんのことかとアンジェは首を捻る。


「なんのこと? ドゥラン、アタシ達にも分かるように言ってちょうだい」


 ドゥランはすっと顔を上げると、どうしてだか一転して笑顔になっていた。


「そうだ。そうなんだ。……そうすれば良かったんだ。ああ、嫌になる! なにも固執する必要はなかったんだ!」


 その言葉にますます意味が分からなくなり、アンジェはいらいらと声を荒らげる。


「ドゥラン! 分かるように言ってったら!」

「ああ、そう怒鳴るなアンジェ。今から説明するから」


 そうしてドゥランはいつものように、どこか芝居かかったような気障な動きで椅子に座る。アンジェとトロワにも腰を下ろすように言うと、おもむろに机に置かれた鍵を手に取った。


「これ。こいつが俺達の行く手を阻んでいるわけだ。だからどうあっても、こいつをどうにかしないと、お宝には手が届かない」


 何を当たり前のことを、とトロワが毒付く。


「そうだ。だからどうにかしようと考えてる」

「そこだよ、トロワ! なにも俺達がこれを突破する必要なんてないんだ!」

「……どういうことだ?」


 分からないかなあ、とドゥランは言う。よほど思い付きに自信があるのか、にやにやしているのが憎たらしい。トロワは怪訝そうな顔でドゥランを見る。


「じゃあ、教えてくれ。お前は一体なにをしようとしてる?」


 ドゥランは、その言葉に口の端を吊り上げた。


「どの道ここが最後なんだ。ひとつ派手にやってやろうじゃないか」


 アンジェと、それからトロワは、何を言っているのかわからなくてぽかんとする。それを見渡してドゥランは、いいか、と呟いた。机に肘を乗せ両手の指先を打ち付ける。


「実に伝統的な手段さ。なあに、俺達なら必ず上手くいく。いいか、まずは……」


 そうして己の考えついた作戦を、ドゥランは披露した。

 降神日こうしんびまであと三日。三日もあれば準備なんて完璧に整う。ドゥランはそう確信して、仲間達を鼓舞するのだった。



◆◆◆



「連中、このまま諦めたりしないかな」


 執務室で紅茶を啜るマクスウェルは、自分の希望を隠さずにそう言った。少し渋いお茶が目を覚ましてくれて有り難い。熱めなのも非常に好みだった。これを淹れてくれた功労者は、いつも通りなんの感情も見えない顔で答えた。


「いや、それは無いだろう」

「だよなあ……」


 マクスウェルは、レイナードの言葉に目を瞑る。

 ちまたを騒がせる盗賊『インビジブル』が現れてからというもの、最大限に駆り出されて忙しい。それはいつものことだが、今回被害額がどんどん増えていくのでマクスウェルは困っていた。

 どうやら貴金属、それも特に高価な物ばかり狙うとわかってからは警備を強めていたが、どうにもそれがうまくいかない。狙いが分かっても事前に防げず、駆けつけるのは犯行後のタイミングになってしまうので逮捕には到っていない。この数日はなりを潜めているようだが、これは巡回が厳しいからではないかと思う。おそらく連中はまだ犯行を繰り返すだろうと、警戒を続けている。

 そんなのがひと月くらい毎日続いているから、そろそろ疲労が溜まってくる。それでどうしても呆けてしまうから、マクスウェルは渋くて熱いお茶を淹れるようレイナードに言ったのだった。


「あー、美味い菓子が食いたい」


 渋いお茶に味覚を刺激されたのだろう、マクスウェルがそう溢した。


「それなら、これ」


 言ってレイナードが取り出したのはこんがりと色付いたマドレーヌだ。どこから出したのかは分からなかったが、形よく焼かれた菓子を前にはそんなこと些細なことだった。実にマクスウェル好みのマドレーヌに勢いよく飛び付く。


「お、いいのか? んじゃ遠慮なく」


 丁寧に個包装されたそれに、ラベルは見当たらない。リボンを解いて中身を取り出し、齧り付くと、舌に優しく甘みが広がる。


「うまいな」

「そうか。なら良かった」


 もぐもぐと平らげていると、レイナードの雰囲気が少し柔らかいのに気が付いた。彼もまた嬉しそうにマドレーヌを口にしていたので、ちょっと珍しいなとマクスウェルは思う。

 もう一つ失敬して、マクスウェルはレイナードに笑いかける。


「なんだ、レイ、珍しいな。菓子を前にして嬉しそうにするなんて」


 これ好物だったっけか、と続けると、レイナードは首を横に振った。


「いや、そういうわけじゃないけど」

「んじゃなんだ?」


 乱雑に次のマドレーヌを口に放り込むマクスウェルに、お茶のお代わりを出して、レイナードは答える。


「これ、ベルの手作りなんだ」

「ふぐぅん!」


 危うく吹き出しそうになったのをぎりぎり堪えたものの、気道に破片が入ってしまったらしい。マクスウェルは盛大に咽せた。

 何をやっているんだと言わんばかりのレイナード。だがマクスウェルは咽せながらその顔を睨み付けた。


「おま、ゲフン、そう言うことは先に言え!」

「なんで」

「婚約者からの贈り物だろうが! 大事にしろ!」


 レイナードがベル、と呼ぶのは一人しかない。クラベルという名前のその人はレイナードの婚約者で、今は王都にいると聞いていた。婚約者から贈られた物はなんでも大事にしないといけないと、身をもって知っているマクスウェルは、だからほいほい菓子を分けてよこすレイナードのことが信じられなかった。

 だがレイナードは首を傾げて不思議そうにしている。


「ベルが、小腹が空いたら食べるようにって渡してくれたんだ。マクスにもどうぞ、って」

「……それならそうと早く言え」


 マクスウェルの婚約者とは違って、レイナードの婚約者はずいぶんかなり懐の広い方のようだった。菓子のひとつやふたつで騒ぎ立てる方もどうかと思うが、それも仕方がないのだ。なにしろマクスウェルはこの国の王太子であるし、レイナードは有力な貴族の嫡男。贈り物のひとつやふたつで、周囲を含め立場が変わってしまうことがある。マクスウェルの婚約者はそれを警戒しているのもあると思う。婚約者から贈られた物を別の誰かに渡す、それはつまり、婚約者からの贈り物は自分には必要ない、どうでもいいからくれてやるよと周囲が受け取るのだ。勝手に不仲を印象付けられるきっかけになってしまう。

 あとは、自分がマクスウェルの為に用意したものを、勝手に誰かに渡されるのは嫌だ、と思っているのもあるだろう。その気持ちは男女で変わらないと思う。その点で言えば、レイナードとクラベルのカップルは合理的に見えた。今も贈り物を大事にするより、おやつを必要としているマクスウェルに差し出した方がいいと判断している。個包装のお菓子という性質もあるだろうが、これは贈り物というより、軽食を準備したという、そういう側面の方が強いようだ。

 マクスウェルは残ったマドレーヌを頬張る。しっとりとしていて、甘みはしつこくなくて丁度いい。バターの香りも良く、焼き目も完璧だ。


「クラベル嬢は料理が得意なんだな」


 レイナードはその言葉に視線をあげる。


「お菓子を作るのが好きらしい」

「ふうん」


 マクスウェルは紅茶を一口啜った。


「売り物みたいだな」

「ベルは凝り性だから。うまく作れないのが悔しくて相当練習したらしい」

「ああ、それで」


 凝り性と同時に、負けず嫌いなのだろう。やっているうちに上達して、パティシエ並みの技術を習得したらしい。

 レイナードの方も、器用だがなんでもできるという程ではない。天才肌の彼の父親とは違って、勉強に苦労していた。けれど極めて勤勉で、それでいて努力家だったから、優れた秀才に育った。そんな性分はきっと、クラベルと同質のものに違いない。情熱的だとは聞いたことはないが、それでも彼らなりにうまくいっているのだろう。先週は疲れた顔をしていたレイナードだったが、意識して見ると、今日はなんだかふんわりとした雰囲気があった。


「ほー。なんだ、お前も男だったんだなぁ」

「……? なんのことだ?」


 にやけるマクスウェルに、レイナードは首を傾げた。

 マクスウェルはにやにやした顔のまま、うぷぷと笑い声を上げる。


「隠すな、隠すな。この間クラベル嬢に会って来たんだろう? それでだいぶ調子が良くなったみたいじゃないか。彼女と会うのが良かったんじゃないのか。いやあ、安心したよ。お前はそういうの無縁だと思ってたから」


 どうしてだか上機嫌で、レイナードの背中をばしんばしんと叩くマクスウェル。どうしてそんなに機嫌がいいのか分からないままだったが、それでもレイナードは、先日クラベルと会った時のことを反芻していた。

 それでふと、頬が緩んだ。マクスウェルはレイナードの珍しいその表情に、おお、と声を上げる。


「お前でもそんな顔をするんだな!」


 マクスウェルは、レイナードが愛しい婚約者を想って頬を綻ばせたのだと思ってそう言った。だが、続くレイナードの言葉に、すっと表情が消える。


「ベルが、三段のケーキを作って、リリーに見せるんだって張り切っていて。ベルならきっとリリーが満足するものを作るだろう。それを思うと僕も嬉しくて」

「……あ、そう」


 そういえばそうだった、とマクスウェルは思い出した。アルベルトやレイナードだけでなく、ヴァーミリオン家に関わる者全てが、末姫リリアンの虜となっていることを。

 レイナードの婚約者クラベルも例に漏れず、むしろ勢い込んでリリアンの為にと行動することが多かった。年末の、この贈り物をする時期を逃す手はないだろう。心行くまで渾身のプレゼントを準備するチャンスなのだから。

 はあ、と息を吐いて、マクスウェルはあらぬ方を向いた。


「そうだったな。お前らはそういう奴らだったな……」

「なんなんだマクス、さっきから」

「うーん。何でもない」


 温くなった紅茶を一口飲み込む。ちょっと楽しかったお茶の時間は終わりだ。これから残っている仕事を片付けないといけなくて、マクスウェルは気が重くなる。机の上の書類の束が憎らしかった。


「降神日は帰れそうにないけどな」

「父上が晩餐会をしたがっていたから、なんとか帰らないといけないんだが……」


 レイナードの言葉に、はは、と渇いた笑いが漏れる。


「諦めろ。晩餐会は翌日にしておけ」


 マクスウェルは残ったマドレーヌを口に放り込んだ。鈍色の空、雪が落ちるのは時間の問題だ。寒い中の巡回は御免被りたい。できれば降らないで欲しいなと、そう思った。



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毎日の更新はこれで最後となります。

次回更新は4月26日(水)の予定です。

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