6.メリー・クリスマスは事件の後で 前編②
そうして訪れた工房では、工房長が表情を無くして固まっていた。
「ええと……ティアラを作り直すと聞いたのですが」
その言葉にアルベルトは頷く。
「ああ、そうだ」
「…………」
工房内はしん、と静まり返った。
ヴァーミリオン家は筆頭公爵家、その上当主が王弟ともなれば、下手なものを納めるわけにいかない。使われる素材は最上のものでなければならないし、職人だってそうだ。十分な技術を持った職人でなければ繊細な細工は作れない。そして装飾品となればデザインだって重要になる。まず、このデザインを起こすのだって随分な手間なのだ。それをこの、年末の一ヶ月しかない中で、どのように作り直せというのか。
そう喉まで出かかるが、それをそのまま言うわけにもいかず、工房長は黙りこくるしかない。
だがアルベルトはそれには構わずに、そのまま話を進める。
「とにかく、まず石を決めようと思うんだ。今手元にあるもので構わないから出してくれ」
工房長は、アルベルトが本気なのかどうかわからなかった。本気で別のものを誂えるのか、と何度もその顔を見るが、口元に笑みを履いたままのご尊顔は彫刻のような美しさのまま変化がない。それでどうやら本気のようだ、と思ったが、あまりにも時間がないから、理想の石が無ければ諦めるかもしれないと、工房長は仕方なく奥へ引っ込んだ。
工房の奥、金庫の中からいくつかの宝石を持ち出す。質のいい物から抜き取って、ひとつひとつアルベルトの前に並べていく。
「首飾りと耳飾りは」
「今は変えようとは思っていないな」
「では、サファイアのままですね。合わないものは除外しますか」
「いや。とりあえず、それは考えなくていい。いい石を全部出して貰えるか」
「……わかりました」
どうなることやら、と工房長は言われた通り、上質のものを片っ端から持ち出した。途中、ベンジャミンもそれを手伝った。ずらりと高価な宝石が机の上にならんで、眩く光る。
ルビーにエメラルド、色の入ったダイアモンド、琥珀に翡翠、なんでもある。
元々ティアラは他の装飾品と合わせる予定だったので、首飾りと耳飾りにもサファイアが使われた。そのサファイアは非常に透明度が高くて色も濃い、大粒で極上の石だった。だが、大きすぎて高価だったため買い手が付かず、とある宝石商の倉庫に眠っていた。
それを買い取ったのがアルベルトだった。彼は、娘の装飾品に使う為に購入したのだという話だ。それを、装飾品が出来上がってから別のものを作るというんだからどうかしている。工房長は売上げよりなにより、これからの納期を思って胃を痛めていた。
様々な彩りの宝石を眺め、アルベルトは目を閉じる。
(どの石もいい物であることは間違いない。リリアンはきっとどれでも可憐に着けこなすだろう。……だがそれでは足りない。リリアンの神々しいまでの輝きには不足する)
そう。リリアンの輝きに、石の輝きが劣る。それではだめだ。リリアンを引き立て、更に高めるためのものでなければ、リリアンを飾るのには不適切である。
だって、石の輝きがリリアンに劣るのなら、それを着けてもリリアンは輝かない。そんなものをリリアンが身に着ける必要はない。あくまで、さらにリリアンを高める物で無ければならないのだ。
だがそれを探すのが困難なことであると、アルベルトは身に染みて知っている。あのサファイアだって、あちこち探してようやく見つけたものだった。この工房長が噂話を持ち出さなければ倉庫に眠ったままだっただろう。どこかの国の王家が、あれを手にしたのをきっかけに財政難に陥って手放したというくらいだったからさすがに値が張ったが、出来上がった装飾品を纏ったリリアンは素晴らしかった。
それを今瞼の裏に思い描いて——やはり違うと、アルベルトはそう感じた。
(淡いグリーンのドレス、それにサファイア。ダイアモンドで光を散らして輝くリリアンは美しいが、まだだ。神々しさが足りない)
アルベルトだってさすがに、今から装飾品を変えるのがどれだけ大変かわかっているから、ドレスの変更までは考えていない。首飾りと耳飾り、これもセットで仕上げているから変更は難しい。
ただティアラだけは、この三点と組み合わせてもいいようにとサファイアをあしらっただけだった。だから変えるならここだろうと、そう思ったのだが。
(どの石もぱっとしないな)
やはり国宝級のサファイアとはどうしたって見劣りする。当然である。
リリアンの銀髪と、母ソフィア譲りの紺碧の瞳、その両方に合う色。それにリリアンの気高さに相応しい石の種類、石の色。その全てをクリアする物というのはそうそう無い。無理に新年の装いに合わせる必要はないから、あえてまったく違ったものでもいいかもしれない。そう思って、いったん色のことは考えないでみようかと、全体を眺めた時だった。アルベルトの目に、とあるものが入る。
「……これは」
ごく自然な色だった。蝋燭の光を返すことは無いけれど、明かりの中で柔らかに佇むそれは、どうしてだか存在感がある。輝きで言えばダイアモンドの方が遥かにあるが、視線を捉えて離さない。アルベルトはそっとそれを手に取った。
それは大粒の真珠だった。ただ、その色合いは純白ではない。白を内に秘め、どこか陽の光を思わせる——黄金の、その輝きを纏った真珠。
それを認めた瞬間、アルベルトの脳裏のリリアンが美しく微笑んだ。そのリリアンの頭部に美しい髪飾りが見える。
「これだ、これにする!」
アルベルトの頭の中にはその髪飾りが鮮明に映し出されている。真珠は色味ごと、いくつか種類があるのが、更にいい。いくつも連ねてグラデーションにできそうだ。アルベルトは真珠を見た瞬間、リリアンに相応しい髪飾りのデザインを瞬時に想像し、詳細に脳裏に思い描いたのである。
アルベルトが「紙!」と叫ぶとすぐさまベンジャミンが紙とペンを差し出す。それにアルベルトはサラサラとデザインを描き起こす。この男、わりとなんでもできるのである。
ものの数分で描き上がったそれを目を丸くしている工房長に突きつけた。
「これでいくぞ! すぐに制作に入れ、いいな!」
んへぇ、と驚きの声を上げる工房長。受け取ったデザイン画を見て、更に変な声を出す。
「おおん!? お、おぉ……おおぉ!?」
そしてがばりと顔を上げ、アルベルトを血走った目でみる。
「こ、これは……良い、良いじゃねえですかい!!」
興奮のあまり、思わず訛りが出てしまった工房長にアルベルトは頷いた。
「リリアンの為のものだからな、当然だ。繋げるには金を土台にしたダイヤを使いたいんだが」
「それが良いでしょう。あとはこの辺り、あえてチェーンにしてみるのも手ですぜ。デザインにメリハリが出る」
「細かなところはそちらで直して貰えるか。大まかなシルエットはこのままで」
「任せてくだせえ。明日にでも仕上げてデザイン画だけでも届けさせやしょう。あとは色味か。どの辺りがイメージに合いますかね」
「この辺りだな。豪華なものにしてくれ。だが品の無いものはだめだ」
工房長はひとつ頷いて、弟子に不要となった石を片付けるよう指示を出す。サファイアだけはイメージの確認のためかその場に残し、メモを書き加えたデザイン画と並べた。
「費用は度外視でいいですかい?」
「もちろん」
にこりと笑むアルベルトの隣、ベンジャミンだけは渋い顔をして、首を横に振った。国土の南東、最大の港から入ってくる南国の真珠。国内でも生産はあるが、純白のものばかり、大きさも大粒のものは稀だった。それとは違った趣のゴールデンパールは、独特の光沢から貴婦人に愛されていたが、希少価値が高く非常に高価だ。それも、ここにあるものは存在感のある大粒のものばかりである。
「先端に雫状の石を下げたいな」
そこに揃いのドロップを付けるとなると、いったいどれほどの価格になることか。財源はどうにでもなるだろうが、屋敷の警備を再考慮したほうがいいだろうかとそう思った。
そんなわけで軽く打ち合わせを終え、アルベルトは満足気に工房を後にする。工房長は、それを見送る為に表に出たが、そこへ巡回の騎士がやって来たから何事かと幾人かの職人も顔を出した。
「うちの工房に、何か用ですかい」
工房長は顔馴染みの騎士にそう尋ねる。壮年の騎士は、渋い顔で頷き、もう一人の騎士から受け取った一枚のビラを差し出した。
「最近のことなんだが、他国で盗みを働いていた連中が国外に出たという話があってな。この国にすでに紛れ込んでいるかもしれないから、その忠告に巡回しているところだ」
ビラには泥棒の大まかな特徴が書かれていた。男二人、女一人の三人組、もしくは協力者がいるかもしれない、とその程度の情報だった。
「なんだこりゃあ。大した情報じゃないじゃないか」
「そうなんだ。だから厄介でなあ」
騎士は、渋い顔のまま、うーん、と唸る。
「宝石店を狙うのが主な手段のようだ。こっそり忍び込んで、従業員を縛り上げて逃げ出す。高価なものから盗んでいるらしいから、そういうでかいものを取り扱ってる場所に忠告に回ってるんだ」
「そうなのか」
「巡回を増やすが、各々でも警戒して貰いたい」
「ああ、わかった」
工房長がそう答えると、何かあれば駐留所へ連絡するようにと言い加えて、騎士の二人は去っていく。まだビラが束になっているから、これから順番に回るのだろう。
そのやり取りを眺めていたアルベルトは、ふうん、とビラを覗き込む。
「コソ泥か」
ベンジャミンも同じビラを受け取っていたようでしげしげと眺めている。
「被害が連続しているようですね。それもずいぶんと高額なものを狙うようです」
「くだらん連中だ」
ふん、と鼻を鳴らすが、用心に越したことはない。アルベルトは工房長に、ヴァーミリオン家からも騎士を派遣することを告げた。普段はリリアンの護衛を務めることの多い彼らだが、腕は確かだ。人数もそれなりにいるので問題ないだろう。
「そいつはありがたい」
「見知らぬ人間には気を付けるんだな。戸締りも」
「ええ、承知しました」
そうして工房長とは別れ馬車に戻ると、ビラを折り畳んで内ポケットにしまい込み、ベンジャミンは神妙な面持ちでアルベルトに向き合う。
「リリアン様の装飾品を作り直すのは反対しませんが、屋敷の警備を強化したいところですね」
「そうか?」
「ティアラはそのまま引き取られるのでしょう?」
その言葉に、ああ、とアルベルトは声を洩らした。
「そうだな。今回使わないというだけで、あれもリリアンの為だけに作ったことだし」
リリアンの為のものを購入しない、という選択肢はアルベルトにはなかった。ましてやもう代金の支払いは済んでいるし、何よりもあのティアラはリリアンによく似合っていた。
「屋敷の警備が整い次第引き取るか」
「それが良いでしょうね」
正直言って、ヴァーミリオン家の宝物庫ほど、この国で安心できる場所はない。宝物庫の鍵、これはもちろん最新の魔道具を組み込んだものだし、中でも高価なものは更に強固に施錠されている。アルベルトがちょっと改造を施して、特定の魔力にしか反応しないようにしたものだ。それは基本的にアルベルトと血縁関係にある者しか解錠ができない。それでも警備に騎士を置くのは、完全な無人にすると抑止力がなくなるからだ。ヴァーミリオンの屋敷に忍び込める者がいるとは思えないが、備えておくに越したことはないと、警備形態を見直した方が良さそうだった。
「このまま店に回って、その辺りを調整しよう」
「畏まりました」
アルベルトがそう言ったからには、しっかりと対策をするだろう。ベンジャミンはほっと胸を撫で下ろし、ようやく安堵の息を吐く。
「あのくらいのものは他にもあるだろう。そんなに心配か?」
ふっと笑う主人に、ベンジャミンはとんでもないと顔を歪める。
「金額の問題だけではないのですよ。あれほどのものを所有している家が、生半可な対策をしてはいけないのです」
そう、国宝級の宝石を、適当に保管しておくわけにはいかないのだ。体裁というのは大事である。それくらい警備が厳重であれば箔がつく。ましてや天下のヴァーミリオンがそれだけ厳重に保管しているということ、それ自体が価値になるのだ。それに、宝物庫に国宝級のものがずいぶん増えた。これからはリリアンの成人も近付くことであるし、もっと宝飾品が増えるに違いない。そうなると宝物庫の拡張も必要になるだろう。まず無いとは思うが、紛失や盗難があっては困る。その対策を考えると気が重いのが正直なところだ。それから管理も。やることは多い。
アルベルトはそういうものかと、ふうん、と視線を窓の外に向けた。
リリアンに似合っていれば、そしてリリアンが望んだものなら、価値の高いものでなくても問題はないとアルベルトは思っている。なので本当は箔がつくとかどうとか、そういう事には関心が無い。作り直す髪飾りに使う石を厳選したのは、単にアルベルトがこれがいいと思う石がなかったからだ。リリアンが欲しいと言えば、極端な話イミテーションでもアルベルトは反対しない。
だが、国宝級のものを不適切に扱っていると、ヴァーミリオン家が——リリアンがそう思われてしまうのはいただけない。
「よし。この機会に倉庫を一新しよう」
「は」
ベンジャミンは、なんのことかとアルベルトを見た。
「それはどういう」
アルベルトは一人、うんうんと何故か納得している。
「手狭になったことだし改装しよう。それと鑑賞しやすいようにしたいな、今は少し色気がない。その方がリリアンも楽しめるだろうし」
「…………」
ベンジャミンは黙って、目を閉じた。改装にどのくらいの時間が掛かるか分からないが、その間宝飾品をどこか安全な場所に保管する必要が出るだろう。費用はどうだっていいが、場所の確保の手間を思うと頭が痛い。安全面だけなら屋敷の一部屋に纏めて、アルベルトに一日中籠って貰うのが手っ取り早いが、そうもいかない。
「……まあそれは、新年が過ぎて落ち着いたら、計画しましょう」
「そうだな」
年明けからなかなかの仕事が始まりそうで、ベンジャミンはこっそり溜め息を吐いた。
◆◆◆
「トゥイリアースの交易は広いと聞いたが、素晴らしいね。これほどの品揃えは近隣では一番じゃないのかい?」
年末のセールを目当てにやって来たという、国外の貴族の男性に、対応していた店員はにこりと営業用のスマイルで答えた。
「有難うございます。仰る通り、他国との取引が多くございますので、これだけ様々な石を取り揃えることができるのです」
へえ、と男性は眉を上げる。
「じゃあやはり、噂は正しいんだ。とんでもないやり手のお方が居て、その方が販路を切り開いたって話」
それに店員は、曖昧な笑顔で「ええまあ」と言った。
十数年前、とあることをきっかけに、宝石の加工と採掘が急速に発達した。国内ではほとんど採れなかった石が採れるようになって、一気に市場は活気付いた。同時に値崩れが心配されたのだが、今までにないカットが施されたそれは、他国に高値で飛ぶように売れた。それから加工技術が向上して細かな細工ができるようになると、ますます取引が多くなった。今ではトゥイリアースの職人に加工を頼むのが近隣の国ではステータスになっている。そのお陰で良質な宝石が国内に入ってくるようになった。新しいブランドがたくさんできて、腕の良い職人も増えた。現状の土台となったのは十数年前のきっかけを作った人物であるのは間違いない。やり手であることも間違いないが、別段販路を切り開くつもりではなかったろう。ただ結果としてこうなっただけだということを、この店に勤めて長い店員は知っていた。すごい人で、すごいことをやる人であることは知っているけれど、その人物が、そうしようとしてやったはずがないのだ。
そんなことを考えていたが、男性の隣、妻らしき女性が「ねえ」と声を上げたので、店員ははっと意識を戻した。
「そんなことよりも、もっと色々見せて貰える? そうねえ、ルビーがいいわ」
「おいおい、ルビーは先月買ったろう」
「いいじゃない。そのルビーに合うアクセサリーが欲しいのよ」
やれやれ、と男性は首を横に振る。
「君、悪いがルビーを出してくれるか。ネックレスがいいかな」
「畏まりました。少々お待ち下さい」
そうして店員がその場を離れると、貴族の男はふう、と息を吐いた。
「おい、打ち合わせ通りにしたまえよ」
用心に用心を重ねて、周囲に聞こえないよう、小声で話す。
「今日は様子見だけだと言ったろう」
「ちょっと見るくらい、いいじゃない。それにどの程度のものがあるのか確認するチャンスよ」
女は足を組み直し、ふふ、と笑んだ。
「いい店じゃない。やっぱり、ここね」
「まあ、そうだな」
男——ドゥランはにやりと笑みを深めた。
「ちょっと着飾ればあっという間に貴族だ。老舗のくせに身元確認は不十分、警備もほとんど無し。いい店だよ、本当」
「店だけじゃなくて国もね。こんなに簡単だなんて、心配になっちゃうわぁ」
ドレスを着たアンジェも、扇子を広げて笑う。大国がこんなに容易に忍び込めていいのかしらと、そう思わずにいられなかった。
手配書を出されてからすぐに行動したのが良かったのか、出国も入国も問題なく済み、滞在する部屋まであっさりと借りられた。その頃になると、自分達が件の国から出ていることが周辺諸国に知られたようだが、変装の甲斐もあってか何も詮索されず、こうして仕事の下調べができているのだから、順調と言うしかなかった。
彼らのターゲットは「特に価値の高いもの」だ。それで必然的に宝飾品が多くなるが、宝石の輝き、金銀の煌めきは実に彼らの好みだった。それでいつからか、宝石店を集中的に狙うようになった。
盗みに入る前に、こうして客を装い訪れ、観察する。これが大事な作業になる。この日は、王都でも有名な老舗の宝石店にやってきた。衣装を整え、堂々としていれば、意外と怪しまれないものだ。
ドゥランはそうして、なんてことないように他の客を眺めていた。
ドゥラン達のように、国外からの観光客がいるようだが、大半は国内の貴族のようだ。誰もが高級な衣装で、しかも華やか。着けている嫌味でない程度の装飾品は、目利きのドゥランもつい目を奪われるほど良質な物ばかり。治安が良いと聞いていたがこれ程とは思わなかった。貴族の移動は馬車になるとはいえ、スリや強盗に奪われることが無いのだろうと想像がつく。
これは実に仕事がやり易そうだ。と同時に、能天気な金持ち連中に苛立ちを覚える。これだけの貴金属を持っていても安全でいられて、それが当然なのだと言わんばかりなのが気に入らなかった。
(ふん、お貴族様は気楽なものだ)
だが、そのお陰でこうして楽ができるのだから、せいぜい利用させて貰おう。そう思ってドゥランは視線を戻したが、隣のアンジェの様子がおかしいのに気が付いた。
「おい。どうした?」
アンジェは一点を見つめて、ぼうっとしている。声をかけるドゥランのことなんか意識に無いようだ。
それでドゥランは、アンジェの視線の先を追った。そこはどうしてだか、中央を空けて一定の間隔が保たれている。ドーナツ型にできた人垣の向こう、中央の人物に注目が集まっており、アンジェもどうやら同じ人物を見ているようだ。
(なんだ? 有名人か?)
これほどの注目を集めるからには、かなりの大物のはずだ。どれどれ、と中央の人物を見て、ドゥランは驚愕に目を見開いた。
(嘘だろ、王族じゃないか!)
そこに居たのは、銀髪の上背のある男だった。あらかじめ仕入れた情報では、この国で銀髪なのは王家に関係のある者だけということだった。だから、混じり気のない銀髪をしているこの男は、間違いなく王家に連なる者であるはずだ。
それに、恐ろしく整った顔立ちをしている。西の国で見た、大陸一と言われる舞台役者なんか目じゃないくらいの美形、男前にも程がある。よく見ると、人垣を作る人々が皆同じように頬を染め、彼を見ている。異様としか言いようがないがその気持ちはよく分かる。どれだけ見ていてもまだ足りない、もっと眺めていたいとさえ思える美貌は、人のものとは思えなかった。もっと近くでよく見たいという欲求からか、ふらふらと彼の方へ皆近付いていく。が、相手が高貴な身分が故か、誰もが一定のラインまで行くとそこで足を止め、そこから眺めるだけだった。どうしてだろうかとドゥランは思って、そして自分が立っている場所が変わっていることに気付き驚いた。さっきまで、自分はショーケースの前に居たはずだった。それが、他の人間と同じようにふらふらと彼に近付いていたらしい。自分も人垣の一部となっていたのだ。あまりの出来事に思考が戻ってこなかった。
(こ、この私が魅せられていたということか……!? そんな……)
ドゥランはこう見えて結構美形で、色男として通してきたから、それなりに容姿に自信があった。が、そんな自分を見ている者は、今この場にはいない。誰も彼も、銀髪の男しか見ていないのだ。
呆然とするドゥランだったが、近付いてくる人の気配に、そちらに視線を向けた。さっきまで対応してくれていた店員だった。
笑みを絶やさずやってくる店員に、ドゥランは密かに訊ねた。
「あの方は?」
店員は、ああ、と頷いて答える。
「国外の方にはお分かりにならないですよね。あの方はヴァーミリオン公であらせられます。当店をよくご利用頂いておりまして」
「ヴァーミリオン公!? あの方が?」
ドゥランは驚きの声を上げる。周囲の人に注目されたが、それには構わなかった。
(なんてことだ、超大物じゃないか!)
この国のことをざっと調べるにあたり、真っ先に出て来たのがその人物だった。なんでもいくつも事業を立ち上げ、その全てがとんでもない財を産み出しているとか、そういう情報が次から次へ出てきた。なんとも羨ましいものだと思ったが、それ以上に特筆すべきこととして記述があったのだ。曰く「はちゃめちゃに美しい男である」、と。
それを見て思ったのだ、随分と盛っているなあ、と。
だが本物を前にして、それが誇張でもなんでもないのだと知った。まず、顔が整っているとかいうレベルではない。最も美しく作られた骨格の中、一番美しく見える位置に適切に収められた切れ長の目。その瞳は宝石かと見紛うほど澄んだ青。その瞳がちらりと見た先で黄色い悲鳴が上がった。だがそれにまったく動じた様子はなく、表情は変わらない。すっと通った鼻筋と、これまた形の良い唇はきっちり結ばれていて彫刻のようだった。実際、陶器のような肌のために、彫刻のようだというのは的確な表現だ。彫刻家にしてみたらとても作り甲斐のある被写体であろう。美が実体を得て顕現したかのような彼は、そもそもどうしてだか高貴な雰囲気を放っており近寄り難い。仕事柄宝石をよく見るが、その時こういった雰囲気に触れたことがあるから、ドゥランにはそれがなんなのかわかった。稀にあるのだ、独特の雰囲気を持つ特別な宝石が。輝きが違うとかそういう程度ではなく、あまりの気高さ、触れ難さに気圧されるのだ。その気圧される感じがあるから、誰も彼もが一定の距離から近付けないのだろうと、そう思う。
彼は着ている服は上質なものだが、宝飾品は着けていなかった。それなのに、どうしてだか輝いて見える。それは彼の持つ美しい銀髪のせいなのかもしれないが、それだけではない気がドゥランにはした。
見れば見るほどその美しさが目から離れないが、これはチャンスだと思った。これほどの大物が利用する店ともなれば相当なものがあるに違いない。が、警備の方も相当だろう。ここは一旦引き上げて出直そうと、アンジェを呼ぶべく彼女の姿を探した。だが、どうしてだか、さっきまで隣に居たはずの彼女の姿が見えない。どういうことかと視線を少し動かすと——なんと、あろうことか、アンジェがふらふらとヴァーミリオン公に近付いていた。
(おいおいおい! 何してる!?)
ドゥランが驚いているうちに、アンジェに触発されたのか、幾人かが歩み寄るのがわかった。動揺を必死に堪え、彼らの少し後ろについて行く。まだ正体が知られていないとは言え、なにかあったら仕事ができないだけでなく身が危うい。アンジェが何かしでかさないよう監視するつもりだった。
二人の他にも数人が同じように人垣から出てくる。六人ほどの塊になったことで気が大きくなったのだろう、アンジェは堂々とした歩みでヴァーミリオン公に近付き、頭を下げた。
「ご機嫌よう、素敵なお方。初めてお会いできたこの機会に、ご挨拶させて頂いて宜しいでしょうか?」
その声に、彼はちらりとアンジェを見た。が、すぐさま視線を戻してしまう。挨拶を返すに値しないと思われたのだろう。見ず知らずの人間が接触したためか、執事らしき男が、彼の後ろでこちらを警戒していた。それらを一切気にせずアンジェは頭を上げて続ける。肝の太い女だ。
「わたくし、トールゲンから参りましたの。この国には不慣れなものですから、宜しかったらどこかご紹介頂けませんか?」
ドゥランはごくりと唾を飲んだ。初対面の、しかも公爵に尋ねることではない。胸を腕でぐいぐい寄せ上げてアピールしているのはいつものアンジェの手口だが、こちらを見てもいない相手には通用しないだろう。この状況でいつも通り振る舞える胆力は凄いが、今発揮して欲しくなかった。
アンジェの普段の役割は、単純に言えばハニートラップを仕掛けるものだ。色仕掛けで男を引っ掛けて情報を引き出したり、注意を逸らしたり。勝ち気だがそれなりに整った容姿と豊満な胸で落とせなかった男は居ない、と豪語している女だ。実際、仕事となればターゲットを的確に虜にしていた。だが、ここで彼に声を掛ける必要はなかった。今やろうとしているのはただのナンパだ。そして客観的に見て、成功するとは思えない。相手があまりにも彼女に無関心すぎる。
止めるべきだとは思うが、この場に割って入ればどうしたって目立つ。そうすると後々困ったことになりかねない。アンジェがすでに注目を集めてしまっているので手遅れかもしれないが、悪目立ちするわけにはいかない。とりあえず様子を見て、あまりに酷い場合には強引にでも引き離して店から出るしかなさそうだ。
どきどきと固唾を飲んで見守るが、あれこれポーズを変え話題を変え言い寄るアンジェを、ヴァーミリオン公はやはり相手にしない。そもそも会話をして貰えないので進展しないようだ。けれど頬を染め、うっとりとその横顔を見るアンジェは、一歩も引かない。
アンジェと一緒に公爵に近付いていった連中も似たようなものだった。紅潮した顔からのぼせ上がっているのがわかる。
こんなに取り囲まれて、それぞれに勝手に話しかけられ続けたらさぞ鬱陶しいことだろうに、公爵は一切表情が変わらなかった。ドゥランはそれを眺めていると、どうしてだかひんやりと薄ら寒い思いがした。
ドゥランの預かり知らぬことではあるが、実際、アルベルトはこういった事態には非常に慣れていた。彼の美貌にどうしても人々が群がるのだ。そして全員が全員、アルベルトの気を引こうと次から次へと話題を投げかける。それにいちいち反応していたらきりが無いし、そもそもそういう連中に興味が一欠片も湧かないから、アルベルトは相手にすることはしない。というか、相手にする必要が無いのだ。なぜなら、彼らの存在はアルベルトにとってなんの価値も無いから。アルベルトにとって価値のある者とは、リリアンのためになる者である。リリアンに益をもたらさない者をアルベルトが認識してやる必要はないのだ。だからここにいる者は、どうしたってアルベルトの話し相手にはなり得ない。
そんなこととは露知らず、一同からの声が止むことはなかった。一瞥もされないのにこれだけよく付きまとえるな、とドゥランは感心してしまう。話の内容を聞く限り、半数ほどがドゥラン達と同じく観光で訪れた者で、残りはこの国の貴族のようだった。同じ貴族とは言え、公爵とは滅多に会うことができないから、この機会に縁を結びたいのだろう。伯爵家の者だという若い男が、ヴァーミリオン公が手掛ける事業のいくつかを褒めそやしていた。
「と、そういうわけでして、ぜひともその手腕の秘訣を教えて頂きたいのです。いかがでしょう? 我が家にお招きしたいのですが」
だが、あまりに長い間取り囲んでいたためか、それともその招待が不味かったのか。公爵の後ろ、執事らしき男の表情が険しくなった。
がっしりとした体躯は、どこか軍人のよう。鋭い目つきは隙がない。その目でできうる限り、こちらの情報を捉えようとしているように見えた。主人に付き従う姿は年季の入った従者そのものだ。あくまで主人に従うという姿勢でいるようだが、なにか異常事態があれば前に出て、盾なり剣なりになるような、そういう凄みを持った男だった。
その彼が、鋭い目つきのまま、伯爵家の男に言った。
「アルベルト様がそのような招待に応じることはございません。お引き取りを」
それにドゥランは息を飲んだ。あまりにはっきりと言うから、というだけでなく、とても驚いたからだ。なんというか、歴戦の武将のような強い声色だったのだ。
伯爵家の男はドゥランと同じように驚いた顔をしているが、すぐさま口をひん曲げて抗議した。
「なんだ、君、いきなり無礼じゃないか。いくら公爵家に仕えているとはいえ、使用人風情が」
だがその執事は態度を変えることなく続ける。
「申し訳ございません。この場には私しかおりませんので」
「何を言っている。だから、ヴァーミリオン公に話を」
「アルベルト様が直接断ったほうがよろしいですか? 公爵家当主、王弟として」
「……!!」
執事の言葉に、ようやく心得がいったようで、伯爵家の男も息を飲んで黙った。
(王弟……そりゃあ、執事に断られたほうがましってものだ)
ドゥランは緊張でひりつく喉を鳴らして目を瞑る。公爵本人が動くより、執事の一存で申し出を断られたということのほうが、まだ周囲から説明を求められた際に言い訳がつくだろう。どう見ても乗り気でない人をしつこく誘った挙句怒らせた、それも王に次ぐ身分の人物を。そんなこと知られたら、誰になにを言われるかわかったものではない。
執事は、依然厳しい目つきで伯爵家の男を睨みつけている。それだけではない、ヴァーミリオン公を取り巻いている一同を、端から端まで見たのだ。これは、貴族位の者達に対したものだろう。「お前達はどちらに断られたいんだ?」と、言外に伝えているのである。
そうして、自分達の行動が軽率だったとようやくわかったのか、一同の中で目配せをして、気まずい表情で引き下がる者が出始めた。一言、ヴァーミリオン公に騒がせたことを詫びる言葉を残して、一人二人とその場を後にする。
ドゥランはこの機会を逃さなかった。人が減ったから近くに寄れると思っていたらしいアンジェの腕を強引に引っ張ると、その場を離れた。残った数人は、もしかしたら二度とヴァーミリオン公の前に出ることができないかもしれない。そういう無作法の者は許さないような、そんな雰囲気があの執事からはしていた。
冷や汗を自覚しながら、ドゥランはとりあえず距離を置けたことに息を吐いた。
だがアンジェはそんなドゥランの手を振り解き、「ちょっと!」とドゥランに詰め寄る。
「どうして連れ出したのよ!」
ドゥランは、そんなアンジェに顔を歪ませて舌打ちする。
「お前な、なんてことをするんだ! 明らかに無礼だろう、しかも、今後の計画に支障が出るかもしれないような行動をしたんだぞ。何を考えているんだ!」
アンジェはフッと鼻で笑うと、腕を組んでそっぽを向く。
「なによそんなこと。見たでしょう、あのご尊顔! あんたも多少は整っちゃいるけど、あの方と比べたら月とクズ石よ。あんなイケメンとお話しができるんだったら、多少の計画の変更なんて些細なことだわ!」
「な、なんだと!」
ドゥランは思わぬ言葉に声を上げた。その後で周囲の視線を集めてしまったことに気が付いて、慌てて柱の影にアンジェを引っ張り込む。
「なんて馬鹿なことを言うんだ!」
「なによ、だってすんごいイケメンだったんだもの、しょうがないじゃない」
「そんな理由で計画を変更できるか!」
「いいえ。計画を変更しても惜しくないくらいのイケメンなんだから、アリよ! ドゥランも見たでしょう、あの素晴らしい顔を!」
「ぐっ……た、確かにあれは……あれはすごいが……」
「でしょう!?」
鼻息の荒いアンジェに、ドゥランは苦々しくだが同意せざるを得なかった。彼らは元々、価値の高い物を盗む盗賊だった。それが次第により価値の高い宝石や貴金属を狙うようになるが、その過程で「美しいもの」を求めるようになったのだ。その点で言えばヴァーミリオン公、彼は完璧だった。あれほどの美が実在するのかと、そう思える程だ。
だが、彼は盗める「物」ではない。なによりあの執事は怖い。ヴァーミリオン公本人だってどうだかわからない。取り付く島もないことであるし、彼とお近付きになることは無理だろう。
ドゥランは息を深く吐くとそう言って、アンジェに落ち着くよう言った。思うところがあったのか、口篭って、アンジェは俯く。
「確かにあの方には一度も見向きもされなかったけれど……」
「だろう? 諦めろ、あれはもう、私達とは次元の違うものなのだよ」
それより、とドゥランは声を潜める。
「公爵家の当主が自ら出向くような店だぞ、ここは。相当なお宝があることは間違いない」
公爵、とアンジェは口にする。そう言えば、あの麗しい男のことは、どんな人物なのかを知らせていなかったなとドゥランは思った。だが、言ったら余計なことをしそうな気がしたので、そのまま黙っておこくことにした。
ドゥランはちらりと店内を見る。公爵の周りにいた者は今はもう散り散りになっていて、店の者が彼と会話をしているようだった。おそらく彼は店の責任者だろう。それ以外の人物が公爵当主とやり取りをするとは思えない。
さっきまでドゥランの相手をしてくれていた店員が、こちらの方を見ているのを見つけ、ドゥランはアンジェを連れてそちらに向かうことにした。品物を見る必要はもはやなかった。王弟が出入りするような店、半端な物を取り扱っているわけがないからである。あとは、できる限り警備体制や保管の状況を把握する必要があった。何よりもおかしな客として認識されるのはまずいので、店員には普通の客として最後まで接する。
その結果わかったのは、やはり品物は最上級揃いだということだった。頼んだ通りルビーのネックレスがいくつか出ていたのでそれを見たが、そのどれもが深い紅色をしていたのだ。デザインも洗練されており細工も細かい。職人の練度も相当であるだろう。
肝心の警備だが、客の居る時間帯でも要所要所に警備の者が立っているし、金庫のあるであろう扉はさらに厳重だった。その先もきっと厳しいだろう。それだけのものがここには揃っている。
この場は来たばかりで他の店も見たいからと購入はせず、ドゥランとアンジェは店を後にした。最後までアンジェは公爵が気になっていたようだが、至近距離であの顔を拝めただけ儲けものだと諭して、二人は拠点へ戻った。
狙いは定まっていないが、あの店以上に良いものを取り揃えている場所はないだろう。ドゥランはそう確信して、そのことを深く胸に刻みつけた。
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