第56話 映画鑑賞


 武蔵くんのおすすめのお店を回ってから昼食は思ったよりも時間がギリギリになってしまったから、手早くラーメンで済ませた。トイレにだけ立ち寄ってから急いで映画館に向かうと、まだ少し時間に余裕はありそうだった。



「ごめん、時間10分間違えてた」


「大丈夫。遅くなっちゃうより良いから。時間もあるし、飲み物買ってくるね。武蔵くんは何か飲む?」


「いや……あ、俺も行く」



 武蔵くんも何か飲みたいものがあったらしい。冬季限定のココアかな。なんてこっそり予想をしながら、まだ比較的空いている売店に2人で並んだ。



「聖夜は何飲みたいんだ?」


「うーん、ホットティーかな。武蔵くんは?」


「ホットココアにしようと思う」



 当たった。ワクワクしているらしく口元が緩んでいる武蔵くんを見ながら、つい笑いが零れた。



「どうした?」


「いや、うん。予想が当たって嬉しかっただけ。武蔵くんのこと、少しは知ることができてるんだなって」


「そっか」



 武蔵くんはくしゃりと笑うと僕の頭をポンポンと撫でた。大きくて温かい手のひらの感覚が嬉しくて、離れて行ったその手を見つめた。


 できるだけ長く触れていたい。なんて思っているのはボクだけかもしれない。それに周りの目だって気にしなくてはいけない。そう分かっているけれど、触れたい欲求が抑えきれそうになくて舌を噛んだ。



「お次のお客様どうぞ」


「先良い?」


「うん」



 武蔵くんに先を譲ってその背中を眺める。大きくて、しなやかな背中。


 ……抱き着きたい。


 いつもは思わないような衝動に駆られて、だけどその欲望も抑え込む。普段ならそんなこと思わないのに、今日のボクはどこかおかしい。



「お次のお客様?」


「あっ、はい!」



 ボーッとしていて気が付くのに遅れた。慌ててカウンターに駆け寄って注文をした。お金の支払いでまたもたついてしまったけれど、紅茶が出来上がるまでにはなんとか終わらせられた。



「ありがとうございました」



 ホットティーを手に持った店員さんに、にこやかに微笑まれる。けれどお財布を持ったままで受け取ることができなくて慌ててしまう。



「ちょ、ちょっと待ってください、えっと……」



 焦るほどうまくお財布のチャックが締まらなくて、後ろからイライラしている雰囲気を感じてさらに焦る。目の前が歪んで見える気さえしてきたとき、ポンっと肩に手が置かれた。



「受け取ります」


「あ、ありがとうございます」



 武蔵くんは店員さんからカップを受け取って、自分のカップを置いていたトレーに並べて置いた。2人前以上買ったときに貸してもらえるトレーだ。きっとボクのために借りておいてくれたんだろう。


 なんて驚きながらも嬉しくなって、動くことを忘れていた。武蔵くんは空いている方の手でボクの手を引いた。



「こっち」



 人の少ないところまで連れて来てもらうと、手を離した武蔵くんはトレーを映画広告を流す電子掲示板の下、少し飛び出たところに器用に置いた。そしてボクの手からお財布を抜き取って、映画のチケットだけ取り出してからチャックを締めてくれた。そういえばそこに仕舞ったっけ。



「ありがとう」


「これくらいはな」


「これだけじゃなくてさ。今日、まだ半分だけしか一緒にいないのに、ずっと助けてもらってるから。ありがとう」



 武蔵くんは少し面喰った顔をしたけれど、ポリポリと頬を掻くだけで特に何か言うことはなかった。



『入場開始時刻となりました』


「行こっか」


「ああ」



 案内に従ってチケットを確認してもらうときも武蔵くんが2枚一緒に出してくれて、無事に中に入ることができた。



「えっと、席はどこだっけ?」


「ああ、着いてきて」



 ボクのカップも持ってくれたまま前を歩く武蔵くん。見やすい位置と言っていたからてっきり真ん中の辺りが取れたのかと思っていたけれど、最後尾の中央の席を取っていたらしい。



「俺はこっち。聖夜はそっちな」



 武蔵くんが言った通りのところに座ると、ボクの席の方がちょうど真ん中に当たる位置になっていた。


 それにいつもは右のドリンクホルダーを使うけれど、今日は無理。それを分かってくれた上で武蔵くんがボクの左側に座ってくれている。武蔵くんはトレーを穴に差し込んで、2人とも同じ肘掛けを使えるように考えてくれたんだ。



「ありがとう」


「いや、後ろが良かったのは俺のわがままだし。これくらいはな」



 映画自体は公開から多少日数が経っているから観客は満員とまではいかない。とはいえ中央の1番見やすい辺りには人が詰まっている。武蔵くんは人混みを避けたかったのかもしれない。それもきっとボクのためだろうというのは分かってきた。


 予告映像が流れてしばらく経ってからもボク達が座っている列には誰も来なくて、それは本編が始まってからも変わらなかった。


 映画が始まってすぐ。突然の爆発音に驚いて肩が跳ねると、隣でも武蔵くんが飛び跳ねていた。暗闇の中で目が合って、お互いに声を殺して笑った。


 暗闇だから。そんな言い訳をして、そのまま武蔵くんが腿の上に置いていた手に自分の手を重ねてみた。温かい。触れるだけ。そう自分に言い聞かせていると、武蔵くんの手がすり抜けていった。


 それもそうだ。今日は映画を観に来たんだ。触れていたいなんて思ったら、伏線を見逃してしまうかもしれない。


 ゆっくり自分の手を引っ込める。自分ばかり求めてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいで、泣きそうになる。武蔵くんはずっとボクのために気遣ってくれたのに、ボクは自分のことばっかりだ。


 小さく、長く息を吐いてスクリーンに集中する。そうでもしないと涙が溢れそうだった。自業自得なのに、武蔵くんを困らせたくない。


 映画はオープニング曲が流れ始める。視界がぼやけた瞬間、ズボンの裾を握りしめていた左手が穏やかな温かさに包まれた。何が起こったのか分からなくて恐る恐る確認すると、武蔵くんの手がボクの手に重なっていた。


 気を遣わせてしまっただろうか。


 謝らないと、そう思って武蔵くんを見上げた瞬間、視界が真っ暗になって唇を塞がれた。ラブコメを見に来たわけじゃないのに、温かいドキドキで一気に胸がいっぱいになった。


 唇が離れたと思ったら、武蔵くんはグイッとさらに近づいてきた。



「逃げんな」



 それだけ言って武蔵くんは離れていく。ボクが理解が追い付かなくなって口をパクパクしていると、武蔵くんは照れ臭そうに視線を彷徨わせてそっぽを向いてしまった。ボクも顔を逸らして熱さを冷まそうと努力する。


 その間もボクの手に武蔵くんの手が重なっていて、それはゆっくり形を変えて指が絡まった。世に言う恋人繋ぎだ。冷まそうとした顔がさらに熱くなった。


 ボクの方からもそっと握り返して、ただそのまま手を繋ぎ続けた。映画の内容なんて頭に入って来ない。もちろん2人で同じものを観て感想を言い合う時間も捨て難い。だけどこんな素敵な時間を無駄にはしたくない。


 ボクは悶々としながら目だけは映画に向け続けた。すると不思議なもので、あっという間に映画の世界に引き込まれていった。


 大きな音がしたり主人公が突然後ろから肩を叩かれたりすると、お互いの手に力が入る。その瞬間に「手を繋いでいる」という言葉が電光掲示板の文字のように流れていくだけで、あとはずっとそこにある手の温もりを感じつつも映画を楽しめた。


 ボクの予想通りに犯人が明かされて、すぐエンドロールが流れていく。それもあっという間に終わってしまった。誰もが早く帰ろうとする流れの中で、ボクたちは少しゆっくりしていた。どうせ周りに人はいない。話をするチャンスだ。


 そう意気込んだは良いけれど、やっぱりこの時間を大切にしたくて。他のお客さんがみんないなくなってしまうまで、ボクたちは静かにそこに座っていた。



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