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 マティアスも「うんうん」と頷く。


「カイがしたことは、確かに悪いことだけど、でも、状況とかいろいろ……仕方なかったところもあるんじゃないかって、俺も思うよ。殿下に言われたことだって、気にするなよ。シュルヴィちゃんのこともさ。お前なら、もっとほかに、良い女の子がいっぱいいるって!」

「……マティアスくん。最後の励ましは、適していないと思いますが」

「えっ! 俺、間違っちゃった!?」


 すべての竜晶を拾い終わり、カイは銀の細い腕輪を手首に通した。


『カイ。わたし、あなたに救われたわ』


 ポルミサーリ邸でのシュルヴィの言葉が、脳裏を掠める。


「……先に救われたのは、俺のほうだよ」


 囁くように独りちてから、カイはニーナとマティウスに近づいた。花竜クッカ水竜ヴェシーの竜晶をそれぞれ手渡す。


「シュルヴィがさぁ。前に、言ってたんだよな」


 カイは、蒼玉サファイアまる銀の腕輪を見つめた。


「なんで竜が好きなのかって訊いたら、『叶うはずのない願いが、叶う気がするから』って」


 腕輪の蒼玉が輝き、円陣の中に流星竜リンドブルムが召喚された。カイは流星竜に飛び乗る。


「お前たちは、先に学園に戻っててくれ」


 カイを乗せた流星竜が、ふわりと高く飛び上がる。


「え? おい、カイ? 待ってよ!」


 マティアスの声に構わず、カイを乗せた流星竜は蒼穹の彼方へ消えていった。ニーナが空を仰いだまま言う。


「行っちゃいましたね……。カイくん、いきなりどうしたんでしょうか。いったいどこに」

「そんなことよりさ。俺がいま、一番気にしてることは」

「はい?」

「カイの飛竜なしで、どうやって学園に帰ればいいのか、ってことだよ!」

「……あ」


 二人は顔を見合わせた。


   ×××


 五年も続いた大きな戦争は、大陸全土を巻き込み、戦死者の数も百万を超えた。けれど戦線から遠く離れた山間やまあいの地であるリーンノール村は、呑気なもので、シュルヴィにとっては戦争などまるで実感がなかった。


 最後まで抵抗した旧レピスト王国の地は、いまは荒廃し、流れ者たちの吹き溜まりと化している。戦時中、レピスト国王は、負ければ失われたすべての命が無駄になると、国民全員に我慢をいた。一家の父が兵士として駆り出され、父が戻ってこないうちに兄が出兵を命じられる。自分たちすら満足に食べられていないのに、戦線に食料を送る。子や老人など、弱者から順に餓死していった。最後の一人まで戦うことが尊いのだと、すべての国民が考えていた。疑問を抱くことさえなかった。他国はすでに降伏し、資源面でも勝ち目のない戦いだという事実を、国民は知らなかった。当時は情報が操作されていた。すべてを知ったのは、戦争が終結してからだ。


 戦争は王国の総力戦となり、兵士だけでなく、一般市民も攻撃対象となっていった。ゆえに、賛成意見圧倒的多数により、覇王ヴィルヘルムの最大の偉業と称賛される、レピスト王国最終侵攻作戦が実施された。後世に、『竜の九日間』と語られる。


 侵攻作戦で、竜は、命じられて町を燃やした。人を食い散らかした。兵士たちは逃げ惑う人々の背中を刺し殺し、持ち主を失った人家からは、食料や金品を奪った。家を建てるために、そして畑を実らせるために、どれほどの時間と労力が割かれたか。思い出も何もかも、すでに人の感覚が麻痺した兵士たちは、考えることすらしない。女や子ども、老人しかいないような村でさえも攻撃対象だ。殺戮さつりく蹂躙じゅうりんし、略奪し、そしてまた殺戮する。すべてが失われるまで、彼らが手を止めることはない。捕虜にするには、自国の思想に染まり切ったレピスト国民たちは、あまりに危ういと判断された。もう立ち上がる気力も起きないくらい、確実に国力を削ぐためには、命を奪うのが確実で、速かった。大した抵抗もできないまま、国民たちは殺されていった。


 降伏の果てにあるのは苦しみだけだと教えられ続けていたのに、敗北の後に訪れたのは、平穏だった。これまでの我慢や飢餓きがが嘘だったかのように、ゆっくりと、だが確実に生活は豊かになっていった。カイと出会ったばかりだった頃、シュルヴィは、彼が旧レピスト王国出身で、降伏宣言がされるほんの四日前に村が襲撃を受け、家族全員を亡くしていることなど、知らなかった。


『どうせ降伏するなら、あと何日か、早くしてくれたら良かったのに』


 そう、カイがぽつりと話してくれたのは、リーンノール邸で一緒に暮らし始め、長い月日が経ち、互いにずっと打ち解けた、後のことだ。


   ×××


「――領主さま、やっと捕まえました! このガキですよ。最近、村で盗みを続けてた奴は!」


 真夜中だった。邸の扉が、強く叩かれた。


 その頃、リーンノール村では、空き巣被害が連続し、村民たちが困っていた。酒宴があり、夜が更けてから家へ帰った村の男が、自宅を物色する少年を発見したという。


 父アードルフと村の男たちのやりとりに、目を覚ましたシュルヴィは、そっと玄関口を窺った。縄で捕らえられた少年は、十一歳になったシュルヴィと同じくらいの年頃に見えた。少年の、周囲の人間すべてを憎んでいるような目が、印象的だった。


「村外れの廃材小屋に潜んでたみたいなんです。生活していた後がありました」

「そうか……」


 アードルフは、憐れみを瞳の奥に宿し、薄汚れた少年――カイを見下ろす。カイの処遇について話し合っている途中、カイは突如、拘束する村の男の手を噛んだ。男が反射的に手を離し、その隙に、カイは縄で後ろ手に縛られたまま逃げ出そうとする。


 だがすぐに追いつかれ、カイは殴られた。男は数発殴った。見ていたシュルヴィは、顔を知る大人が憤る姿に、扉の陰で身をすくませた。


「くそっ、こいつ! 性懲しょうこりもなく、逃げようとしやがって!」


 土の上に倒れているカイを、男は噛まれた手をさすりながらさらに蹴る。もう一度蹴ろうとしたので、アードルフが止めた。


「その辺りでいいだろう」


 怒りはまだ冷めやらぬようだったが、暴力は止まる。もう一人の村の男が提案した。


「明日、隣町の屯所に連れていきましょう。今夜は、俺たちで交代で見張ります」

「まあ待ちなさい」


 アードルフが止めた。


「まだ、子どもだ」

「反省しているようなら、こっちも考えますがね。こいつは、謝る素振りも見せやしない。自分がしたことを、悪いなんて思っちゃいないんですよ。こういう奴には、一度しっかり教え込んでやらないと」


 アードルフは、うずくまるカイを見やった。切れた唇に血を滲ませ、必死に痛みに堪えている。アードルフはもう一度男たちを説得した。


「ひとまずは、私に預からせて欲しい。こうして一度捕まえたのだから、屯所へ突き出そうが出さまいが、この村では、もう盗みはしないだろう」


 男たちはしばらく反対していたが、アードルフが譲らないので家に帰っていった。


 カイを邸へ入れ、玄関扉を閉じたアードルフは、警戒するカイの縄を解こうとした。シュルヴィは心配になり、アードルフに近づいた。


「お父さま」


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