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 ヴィルヘルムが黙る。カイは鼻で笑った。


「はっ。お前らの家庭事情なんて知るかよ。……シュルヴィを巻き込んでんじゃねえ」

「マルコは、優しい子なのだ。それが一度ならず、二度も三度も女運が悪く、離縁を繰り返してしまったせいで、性格が……やや、歪んでしまった」

「ややどころか相当だろ」

「私は、覇王と呼ばれ、いまも日々称賛されている。この十年、法を整え、孤児院など貧困者の支援に力を注ぎ、償いをしてきたつもりだ。しかしどれほどの数の者を幸せにしようとも、私は、実の弟を幸せにできてはいないのだ。だから決意した。たとえ世界の誰もがマルコを否定しようとも、私だけは、マルコを肯定する立場であろうと」


 本人の評判とは異なる、ヴィルヘルムの弟へのいびつな溺愛の理由が、ようやくわかった。カイは高笑いをした。


「償い、って。さんざん殺しておいて、よく言うよな。あとからどれだけ悔やんだって、自己満足の償いしたって、死んだ人間は戻ってこねえっつーのに」


 やや不要につっかかるカイに、マティアスは「カ、カイ」と制止しようとする。ヴィルヘルムが気を悪くしたふうはない。冷静に返される。


「無論、何をしたところで、私の罪が消えるとは思っていないよ。さて。こちらの事情はすべて明かした。あとは、君が理解を示してくれるのなら、ここから出して、自由にしてあげられるのだが」


 カイはヴィルヘルムを睨む。自分たちの都合ばかりで、シュルヴィ側の事情を無視していることには変わりがない。


「シュルヴィさんは、優しい女性だ。マルコに、同情してくれている。そして彼女は、聡く、忍耐強い。きっと生涯、マルコに寄り添ってくれるだろう」

「弱者側の都合を押し込める身勝手さは、何も変わらねえじゃん。戦争で何を悔いてんのか、わかんねえな」


 ヴィルヘルムは嘆息した。


「理解を得られないのならば仕方がないか。このまま檻の中にいることだ。一生……な」


 ヴィルヘルムはマントを翻らせ去っていった。衛兵の一人が牢の前に残る。ニーナが勢いよく鉄格子にしがみついた。


「えっ! 一生!? 三日間とかじゃなくてですか!?」


 ニーナの叫びに振り向かず、ヴィルヘルムは出口へ続く通路の奥へ消えてしまった。諦めず呼びかけるニーナの声を耳にしながら、マティアスはカイへ怒った。


「カイ! なんであんな喧嘩腰だったんだよ! もっと腰を低くしてお願いしてたら、出してもらえたかもしれないのに!」

「謙虚に頼もうが結果は一緒だって」

「いやいや困りますよ!」


 ニーナも憤慨した。


「これはつまり、奨学金を返さなくてもいいということなのかどうかは、教えてもらわないと!」

「……心配するとこ、そこ?」


 マティアスは気の抜けた声を出してから、床に座り込んだ。カイとニーナも話はやめた。しばらく全員沈黙していた後、マティアスが生気のない声で呟く。


「俺たち、ここで仲良く、おじいちゃんとおばあちゃんになるのか……。人生で一回くらい、女の子と一緒に、サウナに入ってみたかったな……」


 ニーナが目をすがめる。


「なんですか、サウナって。やけに具体的で、いやらしいです」

「し、仕方ないだろ、夢なんだから。男に生まれて、女の子と一度もサウナに入れずに死ぬなんて……ううっ。哀し過ぎる……! カイならわかってくれるよな? 俺たち、仲間、だもんなっ! 恋人と仲良くサウナに入った話を、一方的に聞かされるだけの、つらさといったら……!」

「……夢悔しがるのは勝手だけど、俺巻き込むのは、やめろよ」


 ニーナがぽっと頬を染めた。


「カイくんって、やっぱり……そう、なんですね。あんなに女の子に人気なのに、シュルヴィちゃん一筋とは……。ばかみたいに、竜狩りばかり、してましたもんね」

「あの、ほんと、この話いまここでしなきゃいけない?」


 カイの顔は青い。マティアスは、どこか諦めたように緊張を解くと、でこぼことした石の床に寝転んだ。


「でも俺、皇弟殿下の気持ち、少しわかるかも」


 カイが敵を見る目を向けてきたため、マティアスは軽く手を振ってなだめてから話す。


「兄弟と比べられるのって、結構つらいんだよ。俺も、上に兄貴が二人いて。この二人がまた、できるのなんのって。俺は、何もかもぱっとしないからさぁ。だから親も、最低限様になる肩書き作るために、竜騎士になれって言ってきて……。そりゃあ、実際に大型飛竜と契約して、家業手伝えたらなっては思うけど。でも大型飛竜なんて、とても契約できそうもないしなぁー」

「……マティアスくん……」


 ニーナの寂しげな瞳に、マティアスは笑顔を作る。


「ははっ、ごめん。こんな情けない話、忘れていいから」

「いえ、情けないだなんてことないです。マティアスくんって、お金持ちの道楽で、竜騎士学園入ってるんだろうなって、ずっと気に食わなかったんですけど……ちゃんと、事情があったんですね」

「ニーナはほんと、正直だよな」


 マティアスの苦笑に、ニーナは「マティアスくんほど正直ではありませんよ」と愛想笑いを返す。


「マティアスくんが、自分の事情を話してくれたので、わたしも話しますね。実はわたし、父親に暴力振るわれるのが嫌で、家出をして竜騎士学園に入ったんです。わたしが叩かれてても、母親はまったく助けてくれないし、見て見ぬふりで。ほんと、毎日痛いし苦しいし、この世に幸せなんてないって、ずっと思って生きてきてて。だからいつか、竜騎士の仕事でお金持ちになったら、親たちに仕返しをしてやるんです」


 カイがぎょっとし、マティアスも勢いよく上体を起こす。


「お、重! そんな重い話、いきなり明かされても反応に困るよ!」

「お前……事情と行動が見合ってなくないか……? もうちょっと、勉強とか、がんばれよ……」

「決意はあっても、哀しいことに、人には得手不得手があってですね、カイくん……へへ」


 ニーナがにひるに笑う。何とも明言しがたい気まずい空気が満ちたところへ、通路の出口の方角から、また足音が響いてきた。現れたのは、先ほど颯爽と去ったばかりのヴィルヘルムだった。ヴィルヘルムは、若干決まりが悪そうに、再び牢の前に立った。立っている衛兵に命じる。


「この者たちを出すのだ」


 衛兵は、敬礼をとった姿勢のまま戸惑った。


「え? でも先ほどは、一生、と」

「いいから出すのだ」


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