21

 手で水をき終わった頃、老婦人が、礼にと朝に焼いたパイを出してくれた。野菜と挽き肉、焼き卵が入ったパイだ。丁度昼時になっていたため、厚意に甘えていただく。ニーナは感激していた。


 水やりの手伝いの次は猫捜しをした。猫の絵と特徴が書かれた獣皮紙を手に、マティアスはカイをちらりと見る。


「これも、エッチアがいれば、すぐなんだけどなぁー……」


 捜し物が得意な小型飛竜、探竜エッチアだ。カイは片眉を上げた。


「みんなで捜して、見つからなかったらな」


 「そう言うと思った」と、マティアスは肩を落とした。


 建物の間や路地にある木箱の陰、下水溝の隙間など、帝都の街中を四人で捜し回った。途中、シュルヴィはカイに注意された。


「あんまり離れるなよ、シュルヴィ。迷子になるぞ」


 子ども扱いに、シュルヴィは反射的に反発した。


「迷っても、人に訊くわ。道案内の看板だって、いろんなところに立ってるから平気よ」

「シュルヴィは、田舎育ちの世間知らずなんだから。帝都は、危ないこといっぱいなんだぞ」

「上から言ってくれるじゃない。カイだって、リーンノール育ちでしょ」


 呆れ果てたように返された。


「俺は、この三年は帝都で暮らしてた。リーンノールで暮らす前だって、いろんなとこ行ってる。シュルヴィとはぜんぜん違うの」


 無性に悔しかった。一緒に暮らし始めた頃、カイにいろいろなこと教えるのはシュルヴィのほうだった。カイのことは全部知っているつもりでいた。それなのに、知らないことばかり主張されるから、心は乱れる。


 考えながら捜していると、特徴に合う猫を発見した。シュルヴィは路地裏に入っていく尻尾を追った。しかし、確かに追ってきたと思ったのに、猫はいなくなっていた。きょろきょろと首を巡らせながら、割れた木樽の中や陰を覗く。すると、横を通りがかったがらの悪そうな青年たちに話しかけられた。


「どうしたの? 何か、落とし物?」


 いきなりのことに肩が跳ねた。とりあえず場を離れようと、シュルヴィは「大丈夫です」と小声で言い、来た道を戻ろうとした。すると青年の一人に前に立たれた。


「もしかして、道に迷ったとか? 俺ら、案内しよっか」

「道なら……わかるわ。ご親切にありがとう」


 目線を合わせないようにしながら、シュルヴィは青年の横をどうにか通り過ぎる。それでも青年たちは、ふざけた様子でシュルヴィのあとをついてきた。


「遠慮しなくていいのに」


 足を速めるが、彼らはシュルヴィが邪険にしていることなど気にもしないようだった。いっそ走ってしまおうかと迷っていたところで、道の先から不機嫌な声がした。


「言ったそばから」


 青年たちは、カイの存在に気づくと、退屈そうに去っていった。シュルヴィは胸を撫で下ろす。現れたカイに手を引かれた。


「ほら。戻るぞ」


 男性らしい、骨張った手に包まれる。カイと手を繋いでいるだけなのに、頬が熱くなった。


 すべては、好きだなどと想いを告げられたせいだ。返事はいつまでも待つなんて、そんなの、生涯ずっと好きでい続けるという意味なのだろうか。熱烈な好意に目が眩みそうで、そもそも自分のために竜百頭と契約して、結婚しようと伝えられ、ときめかないことなどできるだろうかとも思う。卑怯だ。シュルヴィの負け試合みたいなものだ。元の路地に戻り、ニーナとマティアスの姿が見えた時、シュルヴィは慌てて手を離した。


「――猫、見つかりそうもないですねぇ」


 歩き疲れたニーナが、辿り着いた広場の噴水のへりに座り込む。初春の柔らかな陽射しが差す午後、木立のある穏やかな広場には、シュルヴィたちのように休んでいる人が多くいた。


「仕方ないな」


 カイが、地面に円陣を出現させた。カイの左手首には、流星竜リンドブルムの竜晶である銀の腕輪ともう一つ、波打つ造形の白金プラチナの腕輪がある。それが発光していた。円陣からは、四角い鉄の箱を背負った歩竜が召喚された。庫竜ヴァラストという、大人の腰丈の大きさの中型竜だ。


 カイは庫竜の鉄の箱の蓋を開けた。中には眩いほどの宝飾の山があった。先日手に入れたばかりの護宝竜ファーブニルの装飾剣もある。シュルヴィは納得した。


「竜晶が百個あるはずなのに、持ち歩いてる数が少ないと思ったら、こういうことね」


 庫竜ヴァラストの鉄の箱は、契約主相手以外に開くことがない。そのため金庫としてこれ以上頼もしいものはない。


 探竜エッチアの竜晶である、翠玉エメラルドの襟飾りをカイは制服につける。そして探竜を召喚した。呼び出された探竜は、まずは依頼主の家の周囲を捜そうと、建物の上空を飛んで回った。しばらく待っていると、呆気ないくらい簡単に、探竜が猫をくわえて戻ってきた。


 猫を家へ帰した頃には、空の青は淡くなり、夕暮れの気配が近づいていた。マティアスが三人へ尋ねる。


「俺、最後に本屋寄ってもいい? 集合時間まで、まだあるよね」


 日没までに、来た時の離着陸場に集合する決まりだ。


「算術の参考書が欲しくてさぁ。この前の試験、赤点だったんだよ」


 ニーナが感情を込めずに励ます。


「それはそれは。ご愁傷さまです」

「ニ、ニーナも、赤点じゃなかったっけ……? 一緒に買う?」

「参考書に使うお金があったら、食べ物に使いますから」


 マティアスは、不憫ふびんそうに眉根を寄せ、ニーナの肩に優しく手を乗せた。それから書店へ入っていく。カイがたしなめた。


「食べ物優先する程度の志だから、全部赤点なんだよ」

「うっ。で、でも、お腹が空いていると、勉強にも集中できませんし……ああっ! ほら、カイくん! あそこの屋台で売ってるベリーの菓子パン、ものすごくおいしそうです! あれを食べたら、今夜は勉強がはかどる予感がします!」


 カイは「はぁー」と深々と溜め息をついた後、シュルヴィへ訊いた。


「買ってくるけど、シュルヴィも食べるか?」

「わたしはいいわ。わたしもちょっと、本を見たい」


 カイと上機嫌のニーナが、屋台へ向かうのを見送ってから、シュルヴィは書店に入った。


 初めて入るような大きな書店だった。竜の本が並ぶ棚へ行ってみると、案外読んだことがある本ばかりだ。リーンノール村の書店では、店主のティモが気を利かせて、書店の規模の割に竜の本を多く取り寄せていたのだろう。


 ほかの本棚も、シュルヴィはなんとなしに眺めていった。すると棚に差さるとある本が目に留まった。背表紙に、『初めての恋――これが、好きということ?――』とある。


「……なんて、恥ずかしい題名なの……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る