狐のうどん屋(不思議な話)

時計を見ると夜八時。適当な店は無いかとネットで調べたが、休日前なためかどこも混んでいる。


――さっぱりしてて、お腹にたまる物を食べたい…


とりあえず駅の地下食堂街にでも行こうかと歩を進めていると、騒がしかった街中が急に静まりかえった。

周囲の声や物音が全く聞こえない。耳がおかしくなったのかと少し混乱していると、リン…と鈴の鳴る音が聞こえた。


前を見ると、狐の面を被った白装束の誰かが道の真ん中に立っている。狐面は片手に持った鈴を前方へ突き出していた。

やがて狐面は踵を返すと歩き出し、私も後を追いかけるように歩き出した。


狐面は繁華街の近くにある神社の前で立ち止まった。私はこの神社の由来や何の神が祀られているのか全く知らない。


狐面が鳥居をくぐり、境内へ入って行く。私も後を追った。


中へ入ると、狐面は舞殿の中央に座っている。狐面の前には黒い陶器でできた様な壺があり、狐面は茶道で使うような柄杓を入れたり出したりしていた。

舞殿からはカツオ昆布出汁の良い香りが漂っている。


私は吸い寄せられるように、舞殿に近づきそこへ上がって狐面の前に座り込んだ。

狐面は片手に持ったどんぶりに、柄杓ですくった液体を注ぐと私の前に箸と共に置いた。

それはうどんであった。狐面が作っただけあり、油揚げが二枚乗せられている。


私は食べようかどうするか迷った。自分が狐に化かされている気がしたからだ。ひょっとしたらこのうどんに見えているものはミミズで、出汁は小便、揚げは…紙屑かもしれない。


鞄からキャメルを取り出し口に咥え、火をつけ吸った。数時間ぶりに摂取するニコチンが体に沁みて、めまいをおぼえる。


私は真っ暗で誰も何も無い舞殿に、一人座っていた。


うどんのあった場所にはミミズも紙屑も何も無い。

食べておくべきだったかな、と少し後悔した。狐が化かしたにしろ、土饅頭やミミズを食わせようとしたわけではなかったのだ。

ひょっとしたら、素直に親切のつもりだったのかもしれない。実際は何も食べていなくとも、脳が食べたと記憶すれば満足できたであろう。


私は神社を後にした。食欲は無くなっており、今日は夕食抜きにする事とした。

鳥居をくぐる時、リンと鈴が鳴るのが聞こえた気がしたが振り返る事はしない。繁華街に戻ると、喧噪が耳に入るよう戻っているのが分かった。

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