トー横シンデレラ(ホラー)

最初目の前にその男が現れた時、佳代子は「泊めてあげる」と言い売春を持ち掛ける類の男かと思った。

しかし顔を上げ、相手の顔を見て思わず息を飲んだ。端正な顔立ちに白い肌、黒く整えられた髪、体型に合った高価そうなスーツ、吐しゃ物やアンモニア臭が漂いチンピラの集ういかがわしいこの場所で、清潔感漂うその男は非常に浮いて見えた。


男は驚いた顔で、じっと佳代子を見つめている。佳代子はだんだん怖くなってきた。


――ひょっとしてこの人、頭のおかしな人なんじゃ…


「見つけた…」


男は表情を変えず、佳代子を見て呟いた。佳代子は座ったまま後じさったが、背中には壁があり背中をよじる事しかできない。


「ごめん、いきなり驚いたよね?」


佳代子の怯える様子に気付いた男は申し訳なさそうに詫びた。それを見て少し安心した佳代子は、男の話を聞く事にした。

「信じられないだろうし、頭のおかしな人だと思われても仕方ないけれど」と前置きした男の話は、確かに突拍子もないものだった。


男の名は赤浦侑恭、赤浦グループの御曹司だと言う。義務教育もろくに受けていない中学生の佳代子でも、赤浦という名は至る所で聞いた事がある。

財閥は戦後日本で解体されたため、実質存在しない事になっている。しかしその名残を受けた企業として、今も日本社会で絶大な力を持つ形で「財閥」は存在していた。赤浦グループはその一つだ。侑恭は赤浦不動産の代表取締役社長の息子で次期後継者だった。


「赤浦家の人間は、代々たった一人の花嫁としか結ばれる事ができないんだ。俺はその人をずっと探し続けてきた。」


そしてそれが佳代子なのだと言う。


「でも、どうしてそれが分かったの?」


「その女性の体からは、ほのかに明るい光が射して見えるんだよ。君には見えないかもしれないが、俺にはそれが見える。」


一緒に来てほしい、結婚しよう、と侑恭は真剣な眼差しで佳代子に言った。


「ごめん、いきなりこんな事を言われても困るよね。信じ難い話だし…」


「いいえ、信じるわ。私、あなたと結婚する。」


信じるというよりも、信じたかった。

佳代子の家は父母と二つ差の妹。美人で要領の良い妹は両親のお気に入りで、佳代子は邪険にされていた。親の背を見て子は育つとよく言ったもので、妹もまた佳代子を疎んじ軽く見ている。

食事は残飯をあてがわれ、廊下で食べる事を強いられた。また悪い事は全て佳代子のせいにされ、度々折檻を受けた。家に居場所の無い佳代子は、こうしてトー横キッズと呼ばれる存在として夜の街を放浪するしかなかったのである。


侑恭の婚約者になれば、この生活から抜け出す事ができる。安住の地を得られる、そんな藁にも縋る思いがこの信じ難い話を佳代子に受け入れさせた。


侑恭に連れられた先は、大きな門のある屋敷だった。門をくぐると手入れの行き届いた広大な庭が広がっている。和装の使用人らしき者が数名やってきて、二人に頭を下げた。

風呂にゆっくりと浸かり、豪勢な食事を振る舞われ、清潔な衣服を与えられ、使用人にかしずかれる、正に地獄から天国だった。


――やっと安心して居られる場所を得られた、もうこれからは怯えて過ごす必要は無いんだ。しかもあんな優しくてイケメンの婚約者がいるなんて、夢みたい。


佳代子はふかふかの布団で眠りについた。疲れていたので、すぐに意識は深く沈んでいく。


ズルッ…ズルッ…


レム睡眠に入った時、物音がして目が覚めた。


ズルッ…ズルッ…


何かが這いずる物音、それがだんだんと近づいて来る。襖を見ると、廊下を這いずる黒い影が見えた。恐怖に固まっていると、その影は佳代子のいる部屋の前で止まり襖を開け、姿を現した。

月明かりに照らされたそれは、佳代子の身長程もありそうな巨大なムカデだった。


その後の事はよく覚えていない。ただ、佳代子はその後ずっと寝付けず呆然としながら布団の中にいた。


「顔色が優れないね。」


侑恭が心配そうに言うのだが、佳代子は昨夜の事を正直に話す事ができなかった。

これまでずっと見捨てられ裏切られ続けて生きてきた彼女は、侑恭に信じてもらえて助けてもらえるという気がしなかった。

頭がおかしくなったと思われ捨てられる、そうなればようやく手に入れた安住の地を失う事となる、それが怖かった。


「緊張しちゃって、あまり眠れなかっただけ。でももう大丈夫。」


そう言うと、少し散歩してくると言い玄関を出た。

出たは良いものの、平日の昼間に明らかに子供の自分がうろついていたら変な目で見られる。そう思うと散歩などする気になれず、すぐ屋敷に戻った。


――あれは夢だったのかしら…夢であってほしい。けれど、夢にしては随分と生々しい…


「今回は孕まなかったか。」


部屋に戻る途中、通り過ぎようとした和室から聞き慣れぬ男の声が聞こえ、足を停めた。


「ええ…今回は駄目でした。しっかり種付けしたつもりでしたが…やはり若過ぎるのが良くなかったのかな?」


「初潮は既に来ている娘なのだろう?だったら問題無い。今夜もまたやれば良い。孕むまで気を抜くなよ。」


「はい、今宵もまたあの娘の部屋へ行き…」



佳代子は足音をたてぬ様、その場を離れた。


二人で自然の多い場所に行きたい、と佳代子はせがみ、侑恭の運転で外出した。

着いた場所は原生林の多くある山奥で、ネットでは森林浴などに丁度良いとされているが人は全く見当たらない。

ひんやりとする原生林の間は広々として意外に歩きやすく、新緑の香りに満ちている。


中ほどまで来た辺りで、佳代子は歌舞伎町で購入したスタンガンを背後から侑恭の首に押し当てた。

バチバチという音をたて、侑恭が前のめりに倒れる。念のため、もう一度スタンガンを押し当てると侑恭の体は海老反りになってぐったりとした。


携帯と財布を奪うとロープで侑恭の体を木に縛り付け、念のため手足を手錠にかけておいた。手錠はトー横にいた頃、何かのきっかけで貰った物だった。役に立つ時が来るのでは、と取って置いて良かった。


ペットボトルの水をかけると、侑恭は目覚めて驚いた顔で佳代子を見、周囲と自分の体を見て信じられない、という顔になった。


「分かりやすく説明して。昨夜のムカデは、あなたなの?」


「な、一体何を言っているんだ?!」


佳代子は侑恭の手にスタンガンを押し付けた。侑恭が白目になり、悲鳴をあげる。

もう片方の手にスタンガンを押し付けようとする佳代子に、侑恭が慌てた。


「そうだ!あれは俺だ!だからもうやめて!」


手を止め、先を促す佳代子を見て侑恭は観念した様に溜息をついた。


赤浦家は神の眷属の末裔である。その眷属とはムカデなのだ。なので、その子孫も皆真の姿はあの大ムカデなのだが、普段は生活のために人間の姿に変えている。

眷属であるムカデの子の出産は、到底人間の女に耐えられるものではなく、子が母親の腹を食い破って出てくる。

なので、行方不明になっても誰も気にしないような娘に子を産ませるようになったという。

佳代子でなくても、誰でも良かったのだ。

また、眷属であるムカデの子を女が孕むと受精後一時間程で腹が膨れ、出産する。佳代子が妊娠していないと判断されたのは、そうした彼らの特殊な性質によるものだった。


「すまなかった、君には本当に悪い事をしたと思っている…でも信じてほしい、きっかけはそんな事情だったが、今では本当に君を愛しているんだ。」


侑恭が必死に訴えかける中、佳代子はバッグから金槌を取り出し振り上げた。

金槌は侑恭の前頭部を直撃し、続けて何度も振り下ろした結果、泥濘を殴っているような感触になった頃、侑恭の体に異変が起きた。


侑恭の体が黄色い光にぼんやりと包まれ、やがて彼の体は黄色い光の塊になり形を変えた。そして光が無くなり姿を現したのは、昨夜見た大ムカデだった。

息絶え、姿を変える力を失った侑恭は真の姿に戻ったのだ。



侑恭の遺体を残して佳代子は一人、車に戻った。幸い車はオートマティック車だ、これなら無免許の佳代子にも運転できる。


――何だ、けっこう大したことなかった。


佳代子はホームセンターでバールやコードレスのインパクト、電動のこぎりを購入し後部座席に放り込んで自分の両親や妹の住む家へ向かった。


佳代子は満13歳だ。刑事責任を問われぬ年齢である事に、彼女は気付いたのである。



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