ポストアポカリプスまたはスッキリ死滅

とわ丸かたる吉田のはなし

 とわ丸とは漢字で書くと永遠丸になる。そんな大層な名前をもらったニンジャが一台に大船にいた。


 ニンジャはいわゆる忍者とは異なる存在で、軽くて丈夫なチタンの骨と鉄線と炭素繊維がより合わさった筋肉を黒色ステンレスの殻で覆ったロボットだ。二足歩行型である程度の自己判断力と簡単な会話機能も備えているが、外殻に包まれたその姿はあまり人間に似ていないのでアンドロイドと呼ばれることはなかった。

 ニンジャに誕生とともに命名される名はない。個体番号と製造日が組み合わさった製造ロット番号が割り振られ、ピアスのような認識タグに印字されるだけだ。

 とわ丸も製造当時は名前を持たなかった。あるときに吉田という男に拾われて修理されたのちに名前をもらったという。とわ丸は長い間、故障した状態で柏尾川に流れ込む砂押川の大船駅下暗渠の出口あたりで半分砂に埋もれて沈んでいた。

 ニンジャは比較的安価に量産可能だったので人間社会、特に日本でよく普及しあらゆる場所で人間の代わりに働いていた。腕力こそ人間とあまり変わらないが、脚力を生かして運送や郵便配達などに従事することが多かったという。名前の通りの忍者のような俊敏性でビルの合間を飛びまわる姿がかつてはよく見られた。

 とわ丸がいつ機能を停止して川に沈んだかはわからない。安価故か黒光りするステンレスの外殻が昆虫を連想させるからか、人々のニンジャの扱いは良いとはいえなかった。故障しても修理されることなく廃棄される個体がほとんどだ。


 なぜ吉田が廃棄されたニンジャをわざわざ川から引き上げてまで修理したか。それは吉田にもうやることがなかったからだ。吉田はどこにでもいそうな頭頂が薄い中肉中背の40代男性だ。仕事どころか家もなく大船駅のそばでぷらぷらする日々。そんな吉田もかつては大船で電気店を営んでいた。だから停止したニンジャの修理ぐらいはたやすかったのだろう。

 再起動したとわ丸の青いモノアイが吉田の姿を映すと、吉田は口をへの字したまま「永遠に 柏尾の川で 春眠だ」と言った。出来はともかくとして春の季語が組み込まれた俳句だ。季節は春だった。吉田は作業服のポケットから分厚い手帳を取り出すと新しいページに万年筆で日付と今し方口にした俳句を書き付けた。吉軸のひび割れを布テープで無理やり直した万年筆を走らせ、俳句の下に『ニンジャ再起動。永遠丸と命名すると続けて書き付けた。


「よしよし。今日からとわ丸と名乗れ。ほら言ってみろ」

「と、わまる」


 とわ丸の喉に組み込まれた人工声帯が震えると。吉田は満足げにうなずいた。


「よし。次は一人称と語尾を教えてやろう。お前も忍者なら自分のことは私でも僕でも俺でもない、拙者と称するのが正しい。語尾はござるだ。拙者とわ丸でござる、だ。言ってみろ」

「せっしゃ、とわまるで、ござる」


 吉田は腕毛が濃い太い腕を組んでニヤニヤと笑った。吉田はとわ丸へあらゆることを教えることに喜びを感じていたようだった。たとえば、早朝の人気の無い大船駅のホームにとわ丸を連れて行き、薄霧の向こうで白くたたずむ巨大な大船観音を指さしてこう教えた。


「とわ丸よ。あれは今でこそ胸から上しかみえねえが、本当は土の下に胴体と立派な足がある。モアイ像と一緒だ。あの観音様は大船に危機が迫ったら山を壊して立ち上がるんだ」


 ホームから大観音像を見つめ、とわ丸のモノアイの瞳孔がきゅっと縮む。ふくよかな頬に笑みを浮かべた大船観音は何も語らない。

 あるいは吉田は商店街にとわ丸をつれていき、ねこが集まる廃屋の場所を教えた。もともと魚屋だったと思われる廃屋は草に埋もれており、残された什器の上でねこたちは人の気配を気にすることなくひなたぼっこをしている。トラにハチワレ、キジに黒猫。毛色も毛足も体格もバラバラなねこたちは吉田が現れても気にすることなく体を伸ばしてくつろいでいる。吉田は草むらにしゃがむと、少し離れて立ち尽くしているとわ丸を手招きして呼ぶ。とわ丸が人工筋肉を伸縮させて音もなく駆け寄ると、ねこたちは毛を逆立てて逃げていった。とわ丸は首を傾げた。


「だめだだめだ。ねこは人間と違って臆病だ。そっと近づかないと驚いて逃げちまう。早く動くだけじゃだめだ。忍者ならねこも欺けるような所作を身につけろ。よし今日は特訓だ」


 吉田は気まぐれだが、とわ丸はいつでも素直にうなずく。裏路地でとわ丸はひたすら吉田の歩き方のまねをした。


「ハイ!いっちに!いっちに!右ひざ上げて、つま先から下ろす!左ひざ上げて、つま先から下ろす!」


 ぱんぱんと手を打ち鳴らしながらうたう吉田の後ろをとわ丸はぎこちなく歩いた。昼時になって吉田が飽きるまで特訓は続けられた。


 吉田は経験したあらゆることをとわ丸に話して聞かせた。柏尾川の上流に河童を探しに行った話、そして沼津沖で深海魚を釣って食べて尻から油が止まらなくなった話。とわ丸には話の真偽を推測する能力はついていないのでただひたすら吉田の言葉を内部メモリに記録していた。


「また紅茶が売り切れか。俺はコーヒーが嫌いなんだ。苦いからな」


 吉田が点自販機のボタンをいらだたしげに押す。そして諦めた様子で自販機のそばの鍋焼きうどんとかかれた看板に寄りかかって座った。とわ丸もちょこんと歩道のブロックの上に正座する。


「話の続きだ。あれは俺が若い頃だったな。バラムツを食うために沼津の港から駿河の沖に船を出したのは・・・・・・」


 チカチカととわ丸のモノアイが点滅し、音声をメモリーしていることを表している。


「夜の海にこうハリを投げ込んでな・・・・・・」


 吉田はまるで釣り竿を振るように腕を伸ばした。


「深海魚の目はな鏡みたいにギラギラ光って、そうだお前の単眼みたいな光り方だ。思い出したら食いたくなってきた。あれは刺身がいい。なにしろ全身真っ白霜降りだ。薄く切ってわさび醤油に浸して口の中にいれたらたまらねえ、脂と一緒に旨味が溶け出してくる。大トロに似ているがもっと濃い」


 吉田の手のひらが何かを包むような形に動いた。暖かい白米が入ったどんぶりを包む動きだ。


「固めに炊いた白米をどんぶりに入れて上にバラムツの刺身。こんなものおかわりしない方がおかしい!だがとわ丸、お前が誰かにバラムツを食わすことがあったら数切れでやめてやれ」


 とわ丸はこくりと頷いた。


 吉田はなんと念力すらつかえたという。吉田は深夜の歩道橋で空を指さした。青みがかった暗闇の中に無数の星が輝いていた。吉田の指先が星々を指してつないでいった。


「お前も忍者なら星座を覚えとけ。ほらあれが北極星。あれは何時も北にでるから道に迷ったら北極星を探せ。で、あれが北斗七星。ひしゃくの形をしてる。おまえ、ひしゃくわかるか。水を汲むひしゃく」


 とわ丸は首を横に振った。おまえはしょうがねえなと吉田はうれしげにつぶやいた。


「まあ、ひしゃくにしてはぶっかこうだわな。柄の部分が曲がってやがる」


 吉田はひしゃくの器の部分から柄の終わりまで順々に指さしていった。柄の終わりの星が一直線上にないのでひしゃくの柄が曲がっていると吉田は言った。


「そうだ、とわ丸。おれはな、忍術は使えないが念力は使える。念力でひしゃくの柄を真っすぐにしてやる」


 吉田は急に両腕を万歳の格好で上げるとやあー!と叫んだ。とわ丸は北斗七星を見上げている。星は動かない。


「そう急くな。おまえ光年はわかるか?あの星の光が地球に届くのに百年とちょっとかかる。ようはひしゃくの柄が直るのは百年後ってことだ」


 吉田はガハハと笑っていた。笑う吉田の後ろ、大船駅の駅前に直径が10メートルほどもある円筒形の構造物が突き刺さっている。その高さは大船観音と同じぐらい。



 『塔』と呼ばれる黒い円柱は旧JRの廃駅前に設置されている。衛星軌道に浮かぶ避難船団から打ち込まれた『塔』たちは地球の環境変化を常にモニタリングしており、気候変動で悪化した環境が、人間がふたたび住めるほどに回復したか判断をするデータを避難船団に送り続けている。

 星々が輝く夜、未確認飛行物体のように光の尾を引きづって、軌道から降下艇が大船駅の前に軟着陸した。ブルーメタリックに鈍く輝く降下艇から二つの人影がゆっくりと風化著しい大船駅前に降り立った。全身を覆う鎧のような防護服の額に鶴のマークが入っている方が隊長だろう。手には日本酒の瓶を持っている。隊長は瓶のキャップを外すと『塔』の表面の一角にある文字が刻まれたプレートに酒をかけていく。『塔』は地球に残らざるを得なかった人々の鎮魂碑もかねている。


「地球環境はかなり改善していますね。野生動物がうろついてる跡があります」

「ああ、だがまだ調査期間が必要だ。ん、なんだあれは?」


 カラスの抜け羽を持った部下が腰を抜かす。隊長は思わず護身用の銃に手を伸ばす。とわ丸は吉田に習った通りにぺこりと頭を下げる。


「せっしゃはとわまるで、ござる」


 隊長は銃を構えたまま、恐る恐るとわ丸に近づく。そして古びた認識タグを指でつまんでロット番号を読んだ。


「ひゃ、百年もまえのロボット?まだ機能してるのか」

「とわまるはにんじゃでござる。よしだ、とわまるはどうすればいいでござる」

「こういうときは手をふるんだ。とわ丸、そいつらについて行け」

「た、隊長!このロボット、何と話してるんでしょう」

「わからんが、貴重な資料だ。持ち帰ろう」


 とわ丸は吉田に向かって手を振っている。 


 とわ丸は降下船内の試料回収箱の上に正座して大船駅前を眺めている。隊長と部下は帰還に向けて忙しそうに準備している。吉田が船の外からじっととわ丸を見ている。とわ丸は手を振った。吉田も手を振る。もう赤信号も灯さない信号機、頽れた建物、あらゆる影から人間たちが姿を現し、とわ丸に手を振った。それこそ老若男女あらゆる人間たちがまるでカーテンコールのように姿を現す。


 永遠丸は手を振った。


おわり

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