第23話 13時23分 お別れの時

 遙ちゃんと優太朗さんをきれいにするからと言われて、私と瑞樹は廊下に出た。

 杏樹さんは親戚とかに連絡を取り忙しそうに動き出した。だから遙ちゃんのノートを出して「ここでこんな風に葬儀してほしいって書いてたよ」と見せた。

 杏樹さんは、母の言いそうなことだと納得して、あとでゆっくり一緒に読ませてほしいと笑顔を見せ、スマホを片手に動き出した。

 横で真っ赤な目をしている瑞樹に自動販売機で買ってきたお茶を渡す。


「……優太朗さんと話せた?」

「とりま。優太朗さんさ、俺の母さんにすごく優しくしてくれたんだ。俺自分のことに必死で、母さんがあそこまで追い詰められてること知らなかった。俺、母さんが植物園行きたいと思ってたなんて知らなかった。優太朗さんが気がついて連れて行ってくれたんだ。めっちゃ嬉しそうでさ」

「良かったね……」

「なにより感謝を伝えた。俺、頑張ってる姿を見せるのが一番だと思い込んでてふたりで出かけるなんて考えたことなかった。誘ったらあんな笑顔見せてくれるなんて知らなかった」


 そう言って瑞樹は泣いた。

 そしてノートを抱き寄せて、


「あのふたりがしてくれた事は、俺たちがしなきゃいけなかったけど、出来なかったことばかりだ。特に肘のこと」

「うん、うん……良かったねえ……やっと検査できるねえ……」


 瑞樹は肘に触れながら、


「じいさんに言ったら見捨てられると思った。自己管理の悪さを責められると思った。片目が見えてないことも知らなかった。自分のことばっか考えて、逃げてた。ちゃんとぶつかれば、あんなに話してくれる人だって知らなかった」

「うん」

「俺、やっぱり野球好きなんだよ。怪我治して大学野球行く。まだ続けたい。父さんも母さんも関係ない、俺は野球が好きだから続けたい。死んだ時に一番悲しかったのはボールが無かったことだ。死んで気がついた、まだ俺続けたいわ」


 そう言って瑞樹は私の腰を引き寄せた。

 うん、知ってる。骨の奥底まで野球が好きで、だから痛くても野球してたんだもんね。

 その言葉が聞けて本当に嬉しい。


 あの時のことを私は今も全部覚えている。

 私の家に瑞樹が来て、久しぶりに練習がない日にエッチしようと思ってたら瑞樹が突然トイレに駆け込んで吐いた。吐いても吐いても落ち着かなくて、そのまま倒れた。

 もうあのときの瑞樹の土色の顔は……思い出すだけで息が苦しくなる。

 それである日瑞樹が言ったんだ。「もう野球やめようかな。楽しくない。野球が嫌いになってきた」って。

 違う違う、瑞樹は野球が大好きなんだよ。隠し事ばかりして、嘘ばかりついて、だから根っこの野球がいやになっただけで、嫌いなのは嘘をついている自分だって瑞樹は全然分かってなかった。こんなことが続くなら野球自体をやめようってしていた。

 私は野球してる瑞樹が大好き! すごくカッコイイ、マウンドに立ってる瑞樹は世界で一番カッコイイ。

 一生あそこに立ってボールを投げててほしい。だから私は瑞樹を閉じ込めた。遅刻したらその理由を瑞樹が話さなきゃいけなくなるって思ったけど、結果更に壊れただけだった。

 私はバカ。自分のせいで瑞樹と完全に引き離されて……もう生きてるのがいやになった。

 私は瑞樹と居ることしか人生でしたい事が無かったから、もう死のうと思った。

 でも最後に瑞樹にどうしても会いたくてどうしてもどうしても会いたくて、少しだけ会ってもらった。

 やっぱり瑞樹が好きで、瑞樹も泣いてて、ふたりで抱き合って、それでもうどうしうもないねって別れを決めた後に、事故にあったんだ。

 瑞樹は私をまっすぐにみた。


「結菜に誓う。もう隠し事はしない。結菜はバカで直球だけど、バカでバカで嫌になるけど、その猪みたいなパワーが考えすぎて抱え込んで何も出来なくなる俺には必要なんだ。あの試合に行けなかったタイミングで、俺は素直に肘のことを言うべきだったんだ。あのタイミングしか無かった。それなのにまた逃げた。俺は隠すクセが付いてる。これからも心配ばかりかけると思うけど、結菜に近くにいてほしい」

「瑞樹は私のことをバカって言い過ぎだーー」

「バカすぎる。あのままトラックにひかれて結菜が死んでたら、お前ほんと……」

「だからそれごめんって一万回謝ってるやんーー」

「一生言う。一生横で言うからな」


 そう言って瑞樹は私の両頬を優しく包んだ。瑞樹の手はすっごく大きいの。指がすごく長くて、だからピッチャーにすごく向いてるんだって。

 ずっとずっと大好きだったこの手に、ずっと触れたかった。瑞樹は私の頬を引き寄せて、そのまま甘くキスをした。

 少しだけチュッて軽くして、そのあと顔見て。私だって分かって目を細めて、もう一回チュッってしてくれた。

 もっともっとしてほしくて抱きついてキスしちゃう。瑞樹、瑞樹が世界で一番好き。

 唇を離して瑞樹の頬にキスをする。


「……てかあのふたり。ほっぺにチューだけして、ガチで身体だけ借りて去って行ったね」

「夫婦なんだし、別に使ってしてくれても良かったのに。俺たちもしてるし」

「いんや、でも待って?? 優太朗さんの視点で私の裸見られたってことになるよね」

「ああ、ダメじゃん」

「遙さん視点で裸見られるのは?」

「別に? オレ鍛えてるし。見てくれよ俺の腹筋。あ、ちょっとなまってる」

「病院で腹出すなよ、変態かよ」


 私たちは何度もキスしてクスクス笑った。私の死んだ経験からいうとね、死ぬとなんか身体消えちゃうの。でもね見えてるの。まあるい手足がある何かになるんだけど、それは白い化け猫みたいな、でも華みたいな、宇宙人みたいな何かになって、迷路みたいな大きな川をどんぶら流れることになる。その時にずっとこっち側の世界のことがチラチラ見えてた。

 だから七日間はこっちの世界がチラチラ見えてるって信じて、めっちゃ瑞樹とラブラブで、ちゃんとするところ、ちゃんと見せるもん。

 まずはお互いの家に帰って、色々とすると決めた。




 家に帰ってきて大きく深呼吸。

 ずっと逃げ回っていたことと向き合う時がきた。

 重たい扉を開くと足音でも聞いていたのか、玄関にお父さんが顔を出した。


「結菜、大丈夫か。ものすごく慌てて出て行ったけど。何があったんだ?」

「お父さん。ちょっと話したいことがあるんだ」


 私はリビングのソファーで眠ってしまっているお母さんを横目にお父さんの部屋に入った。

 こういう話はチャチャッとしたい。猪で悪いけれどしようと決めたときに全部したい。そして遙ちゃんが隠したUSBを引っ張り出してパソコンに繋げた。

 向こう側の世界にいるとき、こっちの世界が見えたり、見えなかったりしていた。

 でも遙ちゃんがこの動画を撮ってUSBに入れる所は全部見えていた。これはずっとずっと私たち家族が逃げ回ってきたことだ。

 お父さんは施設長がセックスを始めたのを見て、動画を止めてため息をついた。


「……元気な体調不良だな」

「お父さん。ずっと思ってたけど、あの施設おかしいよ。お母さんめっちゃくちゃな時間働いているのに、給料20年間12万だよ。どうしてお父さんはそれを知っててお母さんを辞めさせないの?」


 お父さんは椅子に座ってため息をついた。


「……結菜。施設長がお前の命の恩人だからだよ」

「え……?」

「お前が一歳の時、ここの一時保育に預けたんだ。その時一瞬呼吸が止まってな。施設長がそれに気がついて、すぐに人工呼吸して緊急搬送してくれたんだ。てんかんとか色々検査をしたけど、特に問題は無かった。原因は不明だ。でもな、あのまま誰も気が付かなかったらお前は死んでた。施設長がお前の命を救ったんだ」

「そんなことがあったの……」

「それからお母さんは結菜から目を離さなかった。夜も寝なくてな、いつ呼吸が止まるか怖くて怖くて仕方が無いと、毎日泣いていた。その時施設長が言ったんだ。救いの輪を作ろうと。今回は私が結菜を救えた。だから結菜のママ、あなたが他の子を救うことで、命を繋ぐ輪は繋がっていくのだと。そうすれは巡り巡って結菜も誰かが救ってくれると。みんなで複数の輪を作ることで目を増やすんだと」

「へ……?」


 途中まで良い話を聞いていた気がしたけど、輪くらいから怪しげな話になってきた気がする。

 私は首を傾げながら、


「……あの施設カルトなの?」

「結菜を救ったことを利用して安く使ってるのは間違いない。でも結菜を救ってくれたのは揺るぎない事実で、それが母さんが施設長から引き剥がせない最大の理由だ。助けてもらった恩を返したい、自分が頑張らないと結菜を守れないと強く思い込んだままなんだ。今回目を覚ましたのも、あの施設で繋がった縁が助けてくれたと思い込んでる。だからこんなメチャクチャ働いてるんだよ」

「……なんの話?」


 振り向くとドアが開いていて、お母さんが立っていた。

 お母さん……お母さんだ。私はあふれ出す気持ちが押さえきれず、そのままお母さんに抱きついた。

 死ぬ前は、この人を憎んでいた。私を見ないで他人の赤ちゃんを延々と面倒みている人。

 私が何かしても怒りもしない。見てほしくて、構ってほしくて金髪にもしたし、悪いこともたくさんした。それでもお母さんは何も言わない。

 死んだら? と思ったら、乳児院で24時間働いて毎日床で寝て自分を痛めつけていた。なんなのこの人、マジで……。

 私赤ちゃんの時にも一回死んでたの?

 そんなこと全然知らなかったよ。

 そんなことして私が戻ってくると思った? 違う、違うんだよ。

 私はお母さんに抱きついたまま叫んだ。


「ねえお母さん。お母さんはこれから先100万人の命を救うかもしれない。でも、娘である私ひとりの命を救えなくていいの? このままじゃ私の心が死んじゃうよ!! お母さんは、私のお母さんでしょ。100万人のママじゃない。私のお母さん。だからまず私を守ってよ。私もうそんなに弱くないから。ちゃんと自分で息して、自分で自分のこと出来るよ。お母さんに守って貰わなくても平気だから、だから100万人より、1000万人より、たったひとりの私を守ってよ!! 目の前にいる私を愛してよ!! 私はお母さんがずっといなくて寂しかったよ!! 結菜だけのお母さんで居てよ!!」

「結菜……」


 そう言ってお母さんは座り込んだ。

 私を抱きしめて声をあげて泣いて、何度も何度も謝った。

 「息ができなくて苦しかったね」「もう大丈夫だから」「次は絶対ママが守ってあげる」「もう大丈夫なんだから」

 それはなぜか子どもに対する謝り方で、赤ちゃんの時からずっとそのことを悔やんでいたと今知った。

 そして崩れ落ちるように眠りについてしまった。もう絶対的にキャパオーバー。仕事のしすぎ。

 今日も夜から仕事だったみたいだけど、お父さんが仕事を減らさせますと施設長に連絡を入れていた。

 まずはここから。私はベッドで死んだように眠るお母さんのおでこをずっと撫でていた。

 お母さん。私二度も死んで戻ってきたんだね。全然知らなかったよ、 

 たぶん輪っか作っても神さまも凡ミスする世界じゃ何しても無理じゃんって思う。

 崇めるなら施設長じゃなくて私にしたほうがいいよ、死人プロフェッショナルだよ。イケてるって。何でも聞いて?

 それに私はまた何かあっても戻ってくるからさ。

 



 久しぶりに自分のベッドでゆっくり眠り、月曜日の朝になった。

 今日は文化祭本番。私は服が入っている引き出しを開けて叫んだ。グチャグチャに突っ込んであった服が全部整頓されてる!

 どうやら遥ちゃんは私の服が無理で、制服で学校行ってたみたいんだけど、マジ制服が無理なんだけど?

 せっかくの文化祭なんだから、超お気に入りの服にした。メイクしようと思って雑にぶっこんである箱みたら、ブラシは洗ってあるし、スポンジ新品にされてるし、使えないのわけてあるし、掃除してあるし……また泣きそうになったけど、なんとか朝ご飯を食べて家を出た。

 お母さんはまだ起きてきてなくて、ベッドを覗いたら眠っていた。なんと眠り続けて20時間経過。もう本当に無理しないでほしい。

 お母さんが仕事したいなら私も家事をする。でもそれは、お母さんが普通に帰ってくること前提だ。もうあんなところで働いてほしくない。

 そして自転車置き場で待っていると涼花がきた。


「おっはよお~~~!! さてさて文化祭本番ですよ、うひょひょ~~!!」


 いつも通りの顔を見たらもう嬉しくて嬉しくて思いっきり飛びついた。

 その結果自転車は派手な音をさせてひっくり返るかと思いきや、全てを予測していた瑞樹が涼花の自転車を止めた。

 私は涼花に抱きついて、


「涼花愛してるーーーーー!!」

「おわーーーっ!! ちょっとまって自転車、おっと瑞樹ナイス~。ちょっとまって、苦しいって、おいこら結菜!!」

「涼花愛してるーーーー、涼花に会いたかったよおお。たくさん助けてくれてありがとう、たくさん好きでいてくれてありがとう。私めちゃくちゃバカでごめんよおおお」


 普通にしようって瑞樹と決めていたのに無理すぎて無理。

 涼花はどうやったって変な私というか遙ちゃんをそのまま受け入れて一緒に文化祭の準備をしてくれていた。

 どんな私でも受け入れてくれる友達さえ無視して死のうとしてた。マジでアホ。ごめん。

 抱きついてエンエン泣いていると涼花は瑞樹を見て、


「……なんなん?」

 瑞樹もさすがに何も言えない。ただ何度か頷いて、

「ちょっと泣かせてやってくれ。いや涼花偉かったな。お前の適応能力の高さと何にも気がつかないアホさでマジ助かった」

 涼花は、はあああ?? と顔を歪ませて、

「なんなん、今日のふたり? 全力で私を褒めてるの? バカにしてんの? どっち? てか早く行かないと目玉の仕上げもあるんだって!!」

「そうだった目玉、マジ楽しみ」

「いこーいこー!!」


 私たちは三人で学校で文化祭に向かった。

 そこで私はすっごくすっごくたくさんの写真を撮った。

 もうスマホのデータぱんぱんになるまで、いっぱいいっぱい。

 全部全部納めて遙ちゃんにお伝えしないといけないから。




 文化祭から二日後。

 びっくりするくらいスコンと晴れた日。宇宙まで全部見えちゃいそうなほどの青空の日。

 昨日は文化祭の片付けもできないくらい、台風でもキテんのってくらい雨が降ってたのに、ピッカピカに晴れた日。

 今日が遙ちゃんと優太朗さんのお葬式だ。

 私は学校休んで瑞樹と行くことにした。

 前の日に瑞樹と泣きながら文化祭のアルバムを作った。

 最初のページは目玉クッキー作ってる遙ちゃん。涼花が偶然撮ってたの。授業中だってのにマジ駄目神じゃん。この私は、私だけど、私お菓子なんて作れないし!

 手つきとかプロで、てかプロなんだけど。看板描いてる瑞樹もはしゃいでて全部貼った。

 そして文化祭当日。みんなマジで白い仮面かぶってて笑ったんだけど! 

 ピニャータってなにそれ?! みんな目玉のお面付けててマジ笑えて、私のも遙ちゃんが作ってくれてたんだね、つけて写真撮ったよ。

 もう涙でドロドロで仮面取れなかったけど、無理矢理笑った。

 それに目玉クッキー、マジで神だったんだけど!! 遙ちゃんすごすぎだよ。ツヤツヤしててマジキモいの!!

 教室の外まで行列出来て、二日目の売る分も全部出ちゃったんだけど!!

 その行列も遙ちゃんに見て欲しくて写真撮ったよ。全部全部写真に撮ったんだから。

 片づけてたらクラスメイトたちが派手に飾りつけられたピニャータ持ってきた。

 なんか秘密のピニャータって言ってたけど何? っ言われてとりま叩き割ったら『完売おめでとう』って垂れ幕と飴が出てきた。もう遥ちゃん凄すぎだって、マジで。

 その垂れ幕も全部全部全部、写真に撮って、アルバムに入れた。

 大好き大好きってたくさん書いて、すっごいアルバムにした。

 それを杏樹さんに見せたら、泣いて喜んでくれた。


「ずっと冷え切っていて……どうにもならなかったふたりなんですけど、最後にこんなに一緒に楽しめたんですね、ありがとうございます」


 そんなのこっちのセリフだよ。

 杏樹さんとノート見てたくさん話して、お家にお邪魔することを決めた。遙ちゃんのお家、行きたい!


 そしてお別れの時。


 顔の一部しか見えなくなっていたけど、綺麗にして貰ってた遙ちゃんの棺にキティーちゃんのキーホルダーも入れた。

 約束ちゃんと守ったからね。

 棺に抱きついて泣いてる人たちがたくさんいて、遙ちゃんも優太朗さんも愛されてたんだなって思った。

 親族だけって言われたから、お空に登っていくところは外から見ていた。

 煙がもっくもっくなんて今は見えないんだね。でも空を見ていたら耳の奥で、あの魂で流れた時のトプン、トプン……という音が聞こえた気がした。

 魂で流れた時、ずっとずっとこの音がしてたのを私は覚えている。

 今そこにいるの? ね、遙ちゃん。

 大丈夫だからね。頑張るから。

 私は顔を上げた。 

 ありがとう、遥ちゃん。






 (終わり)


 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

余命7日間で9490日分の恋をした コイル@委員長彼女③決定! @sousaku-coil

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画