4月4日③/このセカイを知るために
「みなまで言うな、私から話させろ」
日が傾き始めて、客間に戻ってくるなり先生はそう言った。
駆け寄ろうとした俺を制して鍵を閉め、部屋にある花瓶や置物を、俺を囲むように並べていった。そして出来上がった円の中に先生も入ると、十字を切るように印を結んで結界を作った。
結界の中は音が吸収されるようで、聞こえがおかしかった。
「私が彼と初めて会ったのは、彼がこの大陸を統治し始めた後のことだ。黄金王が遠くから来たことは知っていたが、それが過去に捕えられ処刑されたような『言葉の通じない人々』と同じとは到底考えられなかった。無論お前と同じ場所から来ただなんてことも、考えていなかった」
先生は大きく息をして、少しトーンを落として続けた。
「彼がどこで生まれた人間だろうと、大した問題ではないと思っていた。だが、お前と出会って、王と少し似た雰囲気があると感じて、詳しく話を聞きたいと思ったんだ。なのにすっかり後回しになってしまった。なにしろ他のことで忙しかった」
「先に話すべきだったかもしれない」と言う先生に、俺は反論した。
「僕のことをよく知らないうちに、自国の王の秘密を打ち明けるのは良くないと思います。先生の判断が間違っていたとは思いません」
先生は驚いてから、微笑んだ。もっと高慢に同意してくるかと思ったのに。
「先生は以前、黄金王は平和のために画策しているとおっしゃっていましたが、僕は彼が信用できません」
「ほう、どうして」
「わからないんですが、なんかヤダなって……」
「サトーは風読みの素質もあるのかもしれないな」
「なんですか、それ」
「風読みは自身の受け取るさまざまな感覚から物事を判断するんだ。占い師とは少し違うが、精霊とは近いかもしれない。目に見えないものを読むんだ」
「その話も面白そうなんですが、僕は今どうしたらいいか困ってるんです。もやもやしてて……」
先生は自分の髭を撫でさすって考えていた。
「なんの制約もなく、何をしてもいいとしたら、どうしたい」
俺はすごく悩んだ。したいことなんて何もなかった。
思い浮かぶのはニャイテャッチの美しい景色とリリアさんの笑顔だ。
「もっとたくさんのことを知りたいです。この『世界』のことを」
先生はまたしばらく考えて、それからつぶやいた。
「何度か聞いた、その『セカイ』というのは、大陸のことを指す言葉か?」
この世界には、『世界』に相当する言葉がないと、この時初めて知った。
「いえ、あの、全部です。大陸も、人も動物も。生き物だけじゃなくて、植物も天気のことも。みんながどうやって生きていて、どう関わっているのか、その複雑さ全部のことです」
「便利な言葉だな。『セカイ』か」
「過去のことも知りたいです。教えてください。この世界の人々がここまでどうやって生きてきたか。これからどうなっていくのか、知りたいんです」
自分のことが少しわかった気がした。
俺は信用できない王が何かする前に、この世界が本当に、今すぐ作り替えないといけないほど悪いものなのか知りたいんだ。
そして必要なら、彼と議論するために、彼を納得させられるだけの知恵をつけたい。
先生がニャイテャッチに着いた日の夜に話してくれたように、都市には不幸が広がりつつあるのかもしれない。王も、そのことはなんとかしたいと考えているだろう。
でもあの夜に聞いた言葉は、ほとんど先生の考えだったのだ。王の思いは、さっきの様子じゃ先生と全然違っている。
王のこれまでの冒険譚も、本人に詳しく聞きたいと思ったが、それはまたの機会にしよう。彼の言葉に流されないためにも、まずは自分の頭を整理しなくては。
暗くなる前に、俺だけ『知識の塔』に帰ることになった。先生は『二手の使者』との会談に同席するため、黄金城にもう一泊する。
城の人たちは先生を自由にさせていて、城内どこへでもフリーパスでうろうろできた。この警備体制で大丈夫なのかこっちが心配になる。
来た時と同じように秘密の通路を通って砂漠に出ると、先生の口笛に誘われて野生のロバっぽい生物がやってきた。彼が迎えの岩まで連れて行ってくれるのだそうだ。案内役は先生の手のひらから躍り出た光る蝶だった。
「先生、なんだか心細いです」
俺はロバの上から泣き言を言った。赤く染まっていく荒涼とした砂漠が胸を締め付けてくる。
「心配するな。お前には地の精霊がついている。それから、私の心配もするな。私は誰より素晴らしい、そう『セカイ最高の魔導士』だ」
「先生の心配なんてしてませんよ……」
「お前に何かあれば、すぐに駆けつける。大事な調査対象だからな」
「……はい」
承服しかねる言葉だったが、照れ隠しだったということにして返事をした。
淡く光る蝶に導かれ、ロバは俺を砂漠の真ん中に浮かぶ迎えの岩まで送ってくれた。
岩はやはり四メートルほどの高さを浮遊していたが、地の精霊がロープとなって実体化し、俺と岩に巻きついて引っ張り上げてくれた。そのまま体を固定してくれていたから、落下の不安も感じなかった。地の精霊は本当にいい奴らだ。
ロバが蝶と一緒に、暗くなった砂漠を帰っていくのを浮上しながら見送った。幻想的な光景だった。
塔に戻ればポーチェさんがいるし、地の精霊だってこうして一緒にいてくれるのに、この時の俺は、信じられないくらい寂しさを感じていた。
到着後、橋で待ってくれていたポーチェさんと合流して、みんなと中央講堂で夕食を食べていると、先生の使いの蝶がやってきた。
ポーチェさんが素手で捕まえるとそれは小さな紙切れになった。
「これはきっと君への手紙だ」
彼は中身も見ずにそう言った。もしかしたら彼にも特殊な力があるのかもしれない。
手紙には短くこう書いてあった。
「二階の本は好きに読んでいい」
俺は嬉しくて、フィスさんの黒い塔へ走った。
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