4月3日 浮遊城「知識の塔」
4月3日①/緊急呼び出しと地の精霊
明け方、窓から一羽の小鳥が飛び込んできて先生の手に留まった。
先生がそれを造作もなく目一杯握りつぶしたので驚いたが、小鳥は煙と共に丸められた紙に姿を変えた。幻影だったのだ。
先生は封蝋を雑に取って、素早く内容を確認していく。
「ふむ。すぐに帰らねばならん。『二手』の使者が難破船について話があるとか、王に会いに来るそうだ」
「え、え? なんで僕らが必要なんです?」
「私が、必要なんだ。現場にいたからな」
「他の人では駄目なんですか?」
「駄目だ。私以上に信頼できる人物はいない」
出たよ、自信過剰。
でも、きっと、本当にそうなんだろうな。
「ああ、もう少し聞きたいことがあったのになぁ……」
「また来たらいいじゃないですか」
「他にも調査する場所がたくさんある。そんなに何度も同じところばかりに時間は割けん」
「そう、なんですか……」
俺は、その全部に同行するのだろうか。
他に行くあてもないし、仕方ないか。
ここに住めないかな……。
朝食の席で先生が経緯を話し、昼までには村を出るということになった。
先生がギリギリまで農地を見学してくるというので、俺はリリアさんと荷物をまとめながら最後の時間を過ごすことができた。
借りた服を返そうとしたけど、断れらた。
「それは持っていって。旅には向かないかもしれないけれど、私たちの思い出に」
「ありがとうございます。大切にします」
昨日のことを思い出して、二人で微笑みあった。
俺はこの村のために、できる限りのことをしてみようと思う。
もしかしたら、〝あのとき〟少年を助けられなかった罪滅ぼしをしようとしているのかもしれないけれど、それでも。
「僕はこの村が大好きです。できれば、また訪れた時も、変わらずにいてほしい……」
「きっとあなたの子供や孫が遊びにきても、何も変わらずここにあるでしょう」
「それはなんだか……とても安心します」
俺たちは向かい合って、両手を握り合った。
「サトー、あなたのが黄金王に話をしてくれると、そう言ってくれて、私はとても勇気をもらいました。ありがとう」
リリアさんはぎゅっとハグしてくれた。そして体を離すと、意志の強いキリッとした眼でまっすぐ俺を見て言った。
「私も、いつか旅に出ようと思う。もっとたくさんのことを知りたい。この村は素晴らしいけれど、私は、外の景色も見てみたいの」
「それは……」
俺は「危ない」と言って止めそうになるのをぐっと堪えた。人の決意を頭ごなしに否定するのは良くない態度だ。心配していることだけ伝えればいい。
「素晴らしいと思います。そのときは、どうか気をつけて」
「ありがとう。あなたも、道中気をつけて」
リリアさんは別れの挨拶として両頬キスをしてくれた。
家を出ると、外のベンチの上に先生の荷物が積んであった。本人はまだ戻らないが、最後に長老たちとあのドームで挨拶することになっていたので先に向かうことにした。
初日の緊張とは打って変わって、ドームの中は神聖で暖かくて、安らげる場所に感じられた。大きな毛布で包まれているみたいだ。
長老たちはもうそこに座っていた。
「先の到着だね」
「座っていなさい」
「ゆっくりと」
俺は会釈して、初日と同じように敷布の上に座った。
三人からじっと見られていて落ち着かない。
「あ、あの。ありがとうございました。とても楽しかったです」
俺は深々と頭を下げた。
途端に、「ほほほ」「ふふふ」と、老婆たちの愛らしい笑い声が響いた。
「精霊が喜んでいるわけだ」
「心根の良い子だ」
「これを持っていきなさい」
『これ』と真ん中のおばあちゃんが手を差し出したので、反射的に受け取ろうと両手を出したが、そこには何もなかった。
と思った瞬間、俺の手の中で花が咲いた。
オレンジ色の、綺麗な大輪の花だ。
何か考えるより早く、次の瞬間には消えてしまった。
「なついておる」
「よかったよかった」
「大事になさい」
代わる代わるそう言われ、俺は「はい」という他なかった。
ただ、腕のあたりまで暖かいような気がしていた。
先生はそのすぐ後に現れて、丁寧にお礼を伝えると、長老たちも俺たちに労いの言葉をかけてくれた。あっさりした幕切れだ。
外に出たところで、急激に帰りたくない気持ちが押し寄せて、足が止まってしまった。先生はとっとと荷物を取りに先に行ってしまって、俺はリリアさんとその場に取り残されていた。
「ここに、残れないでしょうか……」
俺はついに、聞いてしまった。無理だとはわかっているけれど。
「そう言ってもらえて嬉しい。でも、ここにいられるのは、ここで生まれた女だけなの」
「そうですよね」
「またいつでもいらっしゃい。そうだ、蜥蜴岩村に嫁入りすれば、いつでも歩いて来られる」
「そうですね……」
悲しいけれど仕方ない。心がざわつく。
と思ったら、ざわついているのは俺の腕だった。
『東の雑踏の街』で買ってもらったウールのチュニックシャツの両腕を、オレンジ色の満開の花の刺繍が次々登っていく。みるみる間に肩口まできて、止まった。
「な、なんですかこれ!」
「まあ。本当に精霊に気に入られたのね。彼らが、あなたを励ましているのよ。大丈夫だよ、って」
刺繍は綺麗だけど、小汚いシャツにこんな綺麗な模様は不釣り合いだ。
「彼らは、なにをする人たちなんですか? 刺繍の神様?」
俺の間抜けな質問にリリアさんは声を立てて笑った。遠くで先生も俺を呼んでいる。
「彼らは地の精霊。大地そのものよ。全ての命は土と共にある。あなたは命と繋がったの。彼らは、いつでもあなたを支えてくれるでしょう」リリアさんは嬉しそうに眼を細めた。「彼らと共にある限り、あなたは私と共にある」
どんなに離れていても、繋がっている。
いつでもここに帰って来れる。
今の俺には、なにより心強い言葉だった。
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