3月27日③/嵐のような3日間だった

 先生はメモを見ながら、他に三人の異世界人を紹介してくれた。


 いずれも日本人ではないようだった。

 仲間がいないことに寂しさを感じたが、安堵もしていた。


 四人ともが北端にある『十色鉱山の国』の『永久監獄』に送られ、気が触れたり暴れたりするので、数年のうちに処刑されたというのだ。

 むごいことだ。 


「お前があまりに落ち着いているから、私は最初、本当にただ記憶が曖昧になっているのだと思ったよ」


 先生は優しい口調でそう言った。


「お前の仲間に酷いことをしてしまったようだ。すまない」

「いえ……。彼らが僕と同じ『世界』から来たのかは、わかりませんから……」


 俺たちはしばらく黙っていた。


「どうして言葉が通じなかったんでしょう。僕は、ちゃんと聞き取れてますし、話すこともできてます」

「それなんだがな!」と、先生は身を乗り出した。「お前の発音は、舌足らずな子供みたいで愛らしい」

「な……なんですって?」

「今の姿では、全く本当に可愛い女の子だ」


 先生は楽しそうに声を立てて笑った。


「先生! いま真面目な話の最中ですよ!」

「すまんすまん」


 なおも先生は笑いが抑えられない様子で、手で顔を隠してニヤニヤしながら続けた。


「お前も時々、お前の言葉で話すだろう? ほとんど単語だけのことだが」

「『ジャパン』とかですか」

「そう。だから、彼らも聞き取れていたし、話せたのではないかと思う」


 俺は息を呑んだ。

 聞き取れているのに、うまく伝えられないせいで、殺された。


「私も『一岩いちいわの国』の言葉ではうまく会話できないので、『一岩』の人々と話すときは共通語を混ぜてもらう。文法は変わらんが、理解できない単語があってな」


 先生は閉じたメモ帳を、指でトントンと叩いて、思案しながら話している。

 きっと、「彼ら」を思い出しているのだろう。


「焦ったときなど、自分の言葉しか出てこなくなるのは当然のことだったろうに……」


 悲しそうにそう言った先生からは、後悔が見てとれた。


「先生……僕はあなたに会えてよかったです」


 慰めようと思って必死でそう言ったら、目が合った彼女は驚いた様子で瞬きした。


「当然だ。私以上に出会う意味のある人間はいない」




 この人、本当に嫌だ———————!!!



  ◇


 辺りが暗くなり、宿の明かりがついたところで、窓の反射でやっと自分の姿を確認できた。


 悪くないかもしれない。


 短い黒髪はそのままに、顔の輪郭などの骨っぽさがなくなっているようだ。

 全体に細くなっているが、胸やお尻は丸くなっている。


 とは言っても先生ほどグラマラスでもないし、もともと痩せすぎ体型だったからあまり変化が感じられない。少年から少女への、小さな横スライドだ。


 異世界での生活に比べれば、性転換なんて大したことではない気もしてきた。

 もう、どうにでもなれだ。



 それでも先生は一応「同室の人にはバレないようにしろ」と言うので、フードを目深に被ってやり過ごすことにした。

 この世界では、女だからと言う理由で殺されたり、襲われたりすることはないそうだ。


「弱ければ性別は関係ない」と、きっぱり言われた。

 俺は男でも危ない、ということだ。恐ろしい。


 日没前に食堂で夕食を済ませたら、暗くなるにつれ眠くなっていった。

 ランプの柔らかな灯りしかないと、太陽と共に寝起きする体になっていく。



 ところでこの日記の日付は、俺が死んだ日の地球の西暦からの続きで表記している。

 一日の長さは同じなのだろうか。

 一年という考え方はあるようだけれど、365日なのかは不明だ。

 聞いた方が、いいのか。

 考えたくない気もする。



 その晩、俺たちは、というか『私たち』なのだろうか、女性二人でベッドに入ることになった。

 昨日よりベッドが広く感じる。


 先生曰く、『変化の術』を使えばムキムキの女性にすることも可能なんだとか。今回は俺が女性の体に慣れやすいように、あまり大きさを変えなかったと。先生なりの優しさなのかもしれない。たぶん。



 先生に背を向けて横になって、壁にかかった揺れるランプの炎を見つめていたら、急に寂しくなってしまった。


 数日前まで暮らした埼玉の我が家は、小さくて汚いアパートだったけど、一人で気ままに暮らしたあの家はどうなっただろう。

 両親は?

 もうすぐ定年の親父に、プレゼントを用意する予定だった。

 せっかく貯めた貯金。

 母とは、うまくいかなかった。

 これからきっと、俺の心が大人になれば、いつか和解できると思ってた。

 いつか家族三人で、旅行とか。

 そんなこと。


 あの日、「またな」って笑って別れたあいつらは、元気にしてるだろうか。

 俺を、覚えてくれてるだろうか。


 誰か。


 誰か、泣いてくれただろうか。



 悲しみに飲み込まれていたら、後ろから先生に抱きしめられた。

 彼女の体は、柔らかくてあたたかかった。


「こうして触れ合うと、人は安心する。他のことは考えずに、鳥のさえずりや、風の音を思って、今は寝なさい」


 二の腕をさすられ、俺は自分が泣いていると気がついた。



 明日も、先生に話を聞いてもらおうと思った。


 俺は死んだんじゃなく、ここにいる。



 このときやっと、俺は現実感を得たんだと思う。



 ここで死ぬまで生きてみよう。

 そう決心した。



   ◇


 日記を書こう。

 この気持ちを、起こったことを、詳細に残しておこう。

 もしかしたら、いつか誰かの役に立つかもしれないから。


 そう思って書き始めたけれど、ここまで、先生への愚痴が多い気がする。いや、仕方ない。

 この人は、あの夜のあの瞬間以外、どうしようもない人だった。



 忘れるな! どうしようもない人だ!

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