第6話

 ────彼女の震える背中を眺めながら、今後のことについて考える。

 この空間で暮らす人間が一人から二人に増えるのだ。

 一人の時と比べて出来ることは増えるが、比例して解決すべき問題も増えてしまう。

 彼女が怪我で動けない今、それらに俺が一人で対応しなければならない。


 ……まぁ、最初は彼女の衛生的なところからだな。

 流石に血塗れの服を着たままって言うのは色々と拙い。

 着替えは母親の服でいいだろうか、サイズが合うかどうか知らんが。

 とりあえずここは彼女が落ち着くのを待って────


「…………ふぅ、あー……」


 彼女がゆっくりと顔を持ち上げ、手の甲で涙を拭う。

 どうやら、丁度良いタイミングで落ち着いてくれたらしい。

 であればまず、彼女の地雷を踏んでしまったことについて謝らなければ。

 今後共に暮らす相手を泣かせておいて謝りもしないのは常識的に考えて有り得ないし、今後彼女と良い関係を築くにあたって、こういうのは解消しておいた方が絶対に良い。

 ここで謝っておくに越したことは無いだろう。


「……すまないね。こんなみっともない姿を晒してしまって」 

「気にするな。元はと言えば俺が変なことを言ったせいなんだ。こちらこそ申し訳ない」

「ッ!?……何、を……?」


 しっかりと頭を下げて謝る。

 土下座とまではいかなくても、これで誠意を見せるには十分なはずだ。


「俺は、今後貴女と良好な関係を築いていきたい。だから、これで許してくれないか」

「あ、違、違う……ただ、私が勝手に…………ゆ、許す。許すから、顔を上げてくれ、頼む」


 どうやら許してもらえたようだが……何故か彼女が酷く狼狽えている。

 何だ?謝られ慣れていないのか?

 よく分からないが、とりあえず頭を上げて彼女に視線を戻す。


「ッ…………」


 すると、彼女は俺から逃げるように目を逸らした。

 ……これ、本当に許されて……いや、まだ彼女とは会ったばかり。これから良い関係を築いて行けるように努力すれば、彼女も俺に心を開いてくれるはずだ。


「……その、なんだ。今更だが……ようこそ、我が家へ。これからよろしく」

「あ、ああ。よろしく、頼むよ」

「……………………」

「……………………」


 沈黙の時間が続く。空気が重たい。

 このままでは駄目だ。良い関係を築くために努力云々言っておいて、この状況はキツい。

 ここは会話をして、少しでも空気を改善しなければならない。

 ……しかし、話題が一向に思いつかない。一体何を話せばいいのだろうか。

 ふむ………………


「……あー……どうだ?この家は?」

「え……あ、ああ、そうだね。良い家だと思うよ。整理整頓がしっかりと出来ている」

「父が、綺麗好きだったからな。小さい頃から、その辺はしっかりと躾けられていた」

「そう、なんだね。……では、お母様はどうだったんだい?」

「母は……母は、綺麗好きというか、何かを順番通りに並べることが好きな人間だった」

「へぇ……まぁ、気持ちはわかるかな。そうした方が分かり易いし」

「そうだな。分かり易かった。……ああなる前日も、鼻歌を歌いながら…………」

「ッ……!」


 あ、拙い。失言した。


「ああいや、その……………………」

「……………………」


 あー……もう、駄目だなこれは。

 やはり俺はこう言う気を効かせようとすると、かえって酷いことになってしまう。

 仕方がない。動こう。動いて全部有耶無耶にしよう。


「…………悪いが、着替えを頼めるか?」

「え、あ、そう、だね。流石にこのままだといけないな。……ぬ、脱げば、良いのかい?」

「まぁ、そうだな。さっきまで居た部屋の箪笥の中に、母親の使っていた服がある。それを代わりに着てくれ。脱いだ物は洗濯する。……一人で、出来るか?」

「ああ、まぁ、そのくらいなら、出来るかな。……あと、出来れば濡れたタオルを貰えるかい?体を拭きたいんだ」

「それなら、さっきのヤツが枕元に置いてあるが……新しいものを持って来るか?」

「い、いや、じゃあ、大丈夫だ。それで構わない」

「そうか。……では、部屋に運ぼう。着替えが終わったら呼んでくれ」

「だ、大丈夫だ。このくらいなら……自分で……行ける……!」


 彼女は立ち上がると、壁に手をつきながら両親の寝床まで歩いて行く。

 危なっかしい足取りではあるが、確かにこれで行けばこの距離はなんとかなりそうだ。

 実際、彼女はしっかりと扉を開き、部屋の中にまで入ることが出来た。


「……ふぅ、どうだ?このくらいなら、大丈夫……うぐっ!?」


 しかし、その後が駄目だった。

 壁から手を離して箪笥のある方へ向かおうとしたその瞬間、彼女の体がガクンと揺れ、倒れる。

 幸い転んだ場所は布団の上で、打撲の心配はなさそうだが、どうやら足を捻ったらしい。

 足首を押さえ、唸っている。


「……やはり、移動する時は俺が運ぶことにしよう。その状態では無理だ」

「……どうやら、それがいいらしいね……わかった」


 弱々しく返事をする彼女を箪笥の前に運び、ついでに濡れタオルを手渡す。

 ……目に見えて意気消沈しているが、俺がここでなんとかしようと思ってしまうと、また変な方向に拗れてしまうだろう。先程の2件で、それはもう十分にわかった。

 彼女を無視して箪笥を開け、中身の説明をする。


「この下三段に服が入っている。この中から好きなものを選んでくれ。遠慮は要らない」

「……ああ」

「サイズが合わなかったら、まぁ、そっちの方に父親のものが入っている。そっちを使って欲しい。では、終わったら呼んでくれ」


 両親の寝床を出て、扉を閉める。

 ……あー……本当に、不安すぎる。

 距離を縮めようとしているのに、遠ざかっている気しかしない。

 しかしまぁ、今はいい。えーと、まずは湿布を出しておこう。

 流石に両足を使えないのはキツいはずだ。

 さて、救急箱、救急箱……っと。

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