最終話 ずっと、そばにいる。

 藍家の謀反という、前代未聞の事件が起きた年越し。

 叔英シューインたちの活躍があり、後宮は放火されることもなく済んだ。藍家は一族全員牢に入れられ、今は取り調べを受けている最中だ。皇帝と公子暗殺未遂によって、死刑は免れないだろうが、余罪をすべて明らかにする必要があるからだ。

 結局、今年の正月も中止になって、縁起が悪いだのなんだの騒がれることになったが、有能な官吏たちがすぐに動いてくれて、朝廷はなんとか通常通りに運行された。

 春めいてくると、ようやく身体も回復してくる。

 そして今。

 

「いやあ、死ぬかと思ったわ」

「死ななくてよかったね、お互い」

 

 美雨メイユーが伸び伸びと背伸びする。腹に矢が刺さったとは思えないほど快調だった。


 毒は塗られていたものの、すぐに毒抜きをされたため、大事には至らなかった。ただ、美雨メイユーは腹に刺さっていたから、後遺症が残るかもしれない、と言われたらしい。

『もしかしたら、もう、子どもが生まれないかも……って』

 それでもあなたの妻でいていいかしら、と尋ねる前に、僕は彼女を抱きしめた。


「ところで、会いに行ったんだろ? 念願のジャン光禄大夫に」

 どうだった? と僕が尋ねると、美雨メイユーは微笑んだ。


 ■


 その人は、布を被って、私と会ってくれた。

『申し訳ございません。人と会う時は、これが一番落ち着いて』

 そう言った彼は、しゃがれた声をしていて、とてもおば様と同じぐらいの歳の人とは思えなかった。

 だけど、とても懐かしい声だとも思った。


『どうして、何も出来ない私を助けてくれたの?』


 私は、ずっと聞きたかったことを聞いてみた。

 この人は、私に皇帝になることを望んで助けたのか。ずっと知りたかった。

 けれど、彼から出てきた言葉は、『最初に助けてくれたのは、あなたですよ』という、予想外の言葉だった。


『私は、与えられていた仕事に悩んでおりました。明らかに罪の無い者、罪は犯しても罰が見合わないものを、同僚たちがいたぶる姿。しかし、私には何も出来なかった。

 私は我が身可愛さでこの人たちを見捨てていると、ずっと苛まれておりました』

 きっとこの病も私への罰でしょうな、と彼は言う。私はすぐに否定した。

『違う。病気は病気だわ。かかる時はかかるの』

 その言葉に、ジャン光禄大夫は少しぽかんとして、すぐに、『ヤオ夫人の口振りとそっくりで、驚きました』と笑った。それに驚いたのは、私だった。


『そんな時です。あなたを牢獄で見つけたのは。

 その時はあまりに哀れで、自分でも思わぬ行動に出ました。私は女囚に、乳を与えるよう頼みました』

 時間があれば、あなたの様子を見に行って。

 時にはおしめも変えて、てんやわんやだったのですが。

 そのうち、あなたは私を見る度に、追いかけて微笑んでくれた、と。

 

『私は、あなたに救われました。陛下。あなたが、私に愛を与えてくれたのです。

 出来ることなら、あなたとともに過ごしたかった。あなたの成長を見届けたかった。あなたが嫁がれる姿を見たかった。

 ……長い間、あなたを暗く、恐ろしいところに置いて言ってしまった。謝罪など、できるはずもございません』

 そこまで言って、彼は顔を上げる。

『陛下? 如何されましたか?』

 私がなぜ泣いていたかわからなかったのだろう。布越しからでも、その動揺ぶりが伝わった。

 私はなんでもないの、と涙をぬぐって、彼にこう頼んだ。


『ねえ。……あなたの顔、見たいわ』

『……それは』


 躊躇った様子だが、どうぞ、と彼は言ってくれた。

 私はゆっくりと、布を上げる。


 彼の目はひとつ取れていて、まるでくしゃりとつまんだ布のような皮膚をしていた。口元は山のように盛り上がっている。

 そして――隠しきれない魂と善性の輝きが、そこにあった。


『お久しぶり、爸爸パパ。あなたに会えて、本当に嬉しい』


 ここにあった。

 私の魂は、与えられていた無償の愛は、ここにあった。

 これから私は、誰かを愛していける。

 ようやく私は、欠けていたものを取り戻せたのだと、思った。



 ■


「これからも、爸爸パパに会えるのが嬉しい」


 そう微笑む美雨メイユーが綺麗だと思う反面、なんだか面白くなかった。

 それを察知したのか、ハオ、と美雨メイユーは僕の顔を覗き込む。


「……なんだよ」

「愛してるわ」

「なんなんだよ恥ずかしいな!」


 あれ以来、しょっちゅう美雨メイユーは『愛してる』を真顔で言うようになった。大人の言葉を繰り返して使いたがる阿嘉アジャかよ!


「あ、そうそう。ハオが気にしてた発疹だけど」


 無くなってたわ、と美雨が言った。

「え、じゃあ悪疾はかかってない?」

「じゃない?」

 わからないけど、と美雨メイユーは言う。


 ■


 ようやく大団円か、と多那如多ドナルドとつけられた鳥は、二人を眺めて思った。

 西から来た不死鳥は、この国を訪れた途端、『鳳凰』と祀られて以来、皇帝の誕生を見守ることになった。今回も、その役は果たせただろう。

 夫が毒で死にかけたり、妻が悪疾にかかっていたりと、治療するのに忙しくはあったが。

『お幸せに。中々楽しい日々でしたよ』


 see you again.そう呟いて、瑞鳥は虹のような翼を広げて、夏の空を飛んでいった。



 ■


 誰かの声がしたが、振り向いても空だけが広がっていた。気のせいか。


「ねえ、ハオ。これからも、私のそばにいてくれる?」

 美雨メイユーの言葉に、僕は笑った。

「前も言っただろ。――ずっとそばにいるよ」


 そうして、彼女は嬉しそうに笑うのだった。




 僕の妻はその後、素晴らしい政治手腕を称えられ、後の人々に『賢帝』という諡を送られるが。

 それは、今を生きる僕たちにとっては、関係の無い話だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

皇帝になった僕の妻。ー黄河国賢帝遊戯伝ー 肥前ロンズ @misora2222

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ