第十七話 三年目の治世

 正月になった。

 美雨メイユーは三年目の治世を迎える。笛の音と銅鑼の音が響く行進。赤の衣を纏って舞う人々。礼学の原典のひとつ『毛詩』の詩が流れる。宗廟で行った厳粛な調べとは違い、今は華やかな調べが流れている。


 春節のりょうりと言えば、餃子だ。

 元々この地域は内陸のため、米よりも小麦を育てることの方が多かった。今では大河の工事も進み、米の産地である東部地方から運ばれてきているが、それでもこの地域にとって餃子は特別な料理だ。


 蒸籠の中に、赤、緑、橙、白、桃色など、色鮮やかな餃子たちが詰められている。花の形を模したもの、魚を模したもの、鶏を模したもの、皮が透明なもの……見た目も美しい。餡も海老や豚など、様々なものが入っている。


「これは、鳳凰を模したものでございます」


 食事係が言う通り、目の前には翼を広げた色鮮やかな鶏の絵が、皿を彩っていた。羽の一枚一枚を餃子で表しており、圧巻だ。


 鳳凰。冕服べんぷくにも描かれている、この国の守護獣である黄龍と対をなす瑞獣のことだ。不思議な力を持ち、生き物を蘇らせることが出来る生き物だと言われている。

 でもこれ、なんか、とっても何かに似ている気が……。


ツァイどの」

 毒味係の宦官に声をかけられた。目の前で飲み干すのを確かめてから、僕は盃を差し出す。


 盃に椒酒が注がれる。

 山椒の実と柏の葉をつけた椒酒を飲むと、その一年病気にならない。


「よくお飲みになりますな」


 藍大将軍が声を掛けてきた。

「亡き母の血でしょうか。酒には強いようで」

 僕の母は北胡より北方にある異国の民で、その人々は寒さに耐えるために強い酒を飲むらしい。昔、先輩にいびり目的で酒を飲まされたが、逆に先輩が飲み潰れたことがある。


「羨ましいですな、昔は私は酒が飲めなくて、よく無理に注がれておりましたから」

 藍大将軍にも、そんな時期があったんだな。その後その恐れ知らずな人たちはどうなったんだろう。


「……今上陛下は、素晴らしい方を伴侶に持ちましたな」


 突然の言葉に、僕は目を丸くした。けれど藍大将軍の目は、僕に向けられることなく、皆にりょうりを振舞っている美雨メイユーに注がれている。

 社稷しゃしょくでは、目上のものが目下のものに肉や穀物を配るのが慣習だ。それに則り、美雨メイユーもやって来た下級役人の者たちに自分の食べていたりょうりを分け与えている。目下のものはそれを遠慮なく受け取るのが礼儀だ。

 人が遠い、と言っていた美雨メイユーは、身近に人を感じられて、楽しそうだ。


「孝武帝の最初の后は、従妹にあたる西皇后でした。孝武帝は確かに彼女を敬愛しておりました。しかし、十数年もの間、西皇后には子が生まれなかった」

 孝武帝は彼女を諦めるしかありませんでした、と藍大将軍は言った。

「西皇后を引き離されたのは孝武帝の母君――皇太后です。後に陛下の高祖母にあたる蔡皇后が入内されました。西皇后は妬み、蔡皇后を呪い殺そうとして処刑されました」

 ふう、とため息をついて、藍大将軍は言った。「男とは違い、女は恐ろしいものですね。感情に振り回され、嫉妬ゆえに呪い殺すとは」

「そうでしょうか」僕は思わず反論した。


 僕は李太皇太后の、いや、李皇后を見る。傍には、阿嘉アジャを抱いた花鈴ファーリンもいた。

 僕よりも美雨メイユー阿嘉アジャに近くなった人。すっかり幼さはなりを潜め、けれども出会った時よりも感情を表すようになった少女。

 けれども彼女が、子がおらず、されど女官たちとも世界を共有することが出来ず、苦しんでいたことを知っている。


「愛は、本能ではありません。機能システムです」


 僕の言葉に、藍大将軍は目を丸くした。

 ――じゃなきゃ、美雨メイユーが一人ぼっちになるわけがない。


「どんなに大切に思っていても、死の恐怖に晒された時、人は愛情を捨てることがあります。

 西皇后は、自分の地位を脅かされたと、追い詰められたのではないでしょうか。それは決して、女は感情的だとか、嫉妬深いという言葉で片付けてはいけないと、思います。彼女をそうさせない機能が、あるべきだった」


 愛情に背く行為は決して、自然の摂理に反していることでは無いのだ。危機的状況に陥った時、猫も犬も、子を捨てて去ることがある。

 だから西皇后がどれほど残酷なことをしていても、そこまで彼女を思い詰めたものがあるのだと、李皇后を見て思わざるを得ない。そうなる前に、誰かが助けてあげるべきだった。


「……ご自分はそうでは無いと?」

「私たちは、元は庶民同士。幼なじみの結婚ですから」


 それに、二人の間にそういう関係がないのは知ってるし。

 李皇后にとって美雨メイユーは、美雨メイユーにとっての養母かあさんや花鈴ファーリンのような存在なのだと思う。


「彼女を嫌いになれば、私は宮廷を去るでしょう。そうでなければ、そばにいるでしょう。

 元々、私には失う権力もありませんし」


 父は罪人として宮刑を受け、養母の家はなくなった。

 元々は下級役人をやっていた、農作も満足にできないしがない男だ。禄は少ないし、背も低いし、肌は不健康に白く、身体も細く、目元は隈ができている。

 ――それが好きだと、彼女ははにかんで言ったのだ。


「私たちは、お互いの意思があればいいと思っています」


 本当にそれだけでいいんだ。

 そばにいる理由なんて、それだけがいいんだ。

 だから奪うな。権力も地位もいらない。仕事がなくても、後宮の女官たちより立場がなくてもいい。誰から無視されるような存在で構わないから、僕から、美雨メイユー阿嘉アジャを奪うな。

 ……なんて夢物語なことを本気で思っているから、本当に立場がないんだよなあ。命を狙われても黙ってるしかないなんて。

 それでも、引き下がるつもりは毛頭ない。

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