閑話 花鈴と叔英

「お、ヤオの嬢ちゃん! 今休憩時間か?」


 その脳天気な男の声に、お前の頭かち割ってやろうか、という殺意が芽生えた。

 私のことを花鈴ファーリンと呼ばず氏の方で、しかも「嬢ちゃん」などと呼ぶのは、一人しかいない。


「……私のことは単にヤオか、あるいは役職をつけてください。嬢ちゃんなんて失礼な呼び方しないで」

「おう! そうだったな、すまん!」

「で、何かご用ですか。ジョウ羽林左監」

「ああ。砒霜石の話なんだが」


 その言葉に、私はしっ、と制止する。

 周りを見るが、人の気配はない。私の意図に気づいたのか、「辺りには誰もいないぞ」と、ジョウ羽林左監が言った。

「さすがに周囲を確認してから話すって」

「にしたって場所が悪すぎます! ……こちらへ」

 私は彼の手を引っ張った。



「いいのか? 公子の乳母を務める女官が武官と二人きりでへやにいて。咎められないか?」

「そうですね。ですから、早めに話を終わらせましょう。――砒霜石の出処、わかりました?」

「ああ。あんたが言う通りだった。犯人は毒味役だ」

 やっぱり、と私は思った。

「あのりょうりにはニラが入っていました。私が料理人なら、砒霜石より入手しやすい水仙の葉を選ぶでしょう。ニラと水仙の葉はよく似ていますから。

 けれど、犯人は砒霜石を選んだ。つまり」

「後から毒物を加えることになるから、砒霜石を選ぶことになったと」

「砒霜石は焦がすとニンニクの匂いがしますから、匂いの強いものと入れればわかりません」


 ただ、砒霜石を毒物だと知っているのは、南方の地方に詳しいものだろう。あちらでは、一部の地域でねずみ捕りの毒に使っているらしい。また、市場に出回っているものでも無いから、河安で手に入れるのも難しい。

 いずれにしても、私たちが突き止められるのはまでだ。


「あんたは、藍大将軍が黒幕だと思うか?」


 直球で周羽林左監が聞いてきた。


「いいえ。藍大将軍は無関係だと思います。ツァイ氏を毒殺しても、彼には利点がありません。寧ろ、謀反の恐れありと罰せられる危険しかないでしょう。――あるとすれば、彼の奥方か、藍一族の誰かです」


 藍大将軍はすでに、大司馬大将軍として最上の地位に上り詰めている。これ以上の権力はないだろう。

 一応今の外戚は私の従兄であるハオ兄さんの実家だけど、その影響はほぼないに等しい。――なぜなら、ハオ兄さんの父であり、私の伯父にあたる方は、官刑を受けている。

 昔、孝武帝の馬を盗んだと勘違いされて、処刑か宮刑か迫られたそうだ。結果伯父さまは、後者を受けた。そのため今は、宦官として後宮で働いている。罪人扱いのままなので、列侯もされていない。

 なので、藍大将軍の地位を脅かすものは存在しない。


「ただ、それは藍大将軍がご存命のうち、です。今藍家と皇帝を結ぶ人物はいません。一族のものが焦っていてもおかしくはないかと」


 だからこそ、藍大将軍は李太皇太后を美雨メイユーさんの皇后にしたいのだろう。

 藍家の殿方が美雨メイユーさんに選ばれなくても、李太皇太后が皇后になれば、一族の溜飲が下がると考えて。自分が亡き後、後ろ盾がいない孫を守るための布石でもある。

 だけど、多分そうはいかない。


「藍大将軍は、礼学をあまり好まない方ですよね」

「ああ。ほかの一族は礼学大好きっぽいが」

「……その者たちが、女の再婚を許すでしょうか」


 それも、男性でなく、女性の妻だ。

 近年の礼学の教えは、女は男に尽くすもの、妻は夫と息子に尽くすもの、そして、妻は夫亡き後も貞操を守ることを説いている。李太皇太后が女帝の皇后になるのは、これら全てにおいて背く行為だ。

 庶民にとって、「未亡人の妻が再婚しない」ことを美徳とするのは、あまりに非合理的だ。独り身の女が子を抱えて生きるのは難しい。……婚約を破棄された伯母さまも、両親を亡くした私を抱えて、ツァイ家に嫁いだのだから。

 だが、非合理的なことをしても生きられるのが貴人たちだ。例えそれが、いつか破滅の道を辿るとしても、今だけは上手くいっている彼にとっては正しいこと。


 その正しさを信じる限り、彼らは非合理的なことをし続けるだろう。




 ■


 甘くみていた。

 今上陛下を甘くみていた。

 戦のことなど何も知らない、庶民上がりの女人だと思っていたのに、どういうことだ。

 なぜ弓の射程範囲を知っている。

 なぜ刀の耐久性を知っている。

 なぜ我々の知らない兵法を知っている。

 なぜ我々の知らない地形の情報を握っているのだ。


 邪智暴虐な藍家の人間は知らない。

 彼女が、とても凝り性な遊戯主人であったことを。

 考案した遊戯の角色キャラクターには、戦闘や戦闘技能があること。

 角色キャラクターの能力値の均衡、技能と職業の設定の規則を固めるために、あるいは自分が作った脚本に現実味を持たせるために、ありとあらゆることを調査しまくったことを。国の殆どを旅し、人々に話を聞き、時には幸運にも救われていたことを。

 遊戯オタクをこじらせて専門的知識を得ていることを――彼らは、知らない。


 ■



「こんなふうに、今頃、美雨メイユーさんを甘くみてた人達は、得体の知れなさに超怯えていると思うんですよねぇ……」

「ん?」

「いえ、独り言です。気にしないでください」


 へやを出て、回廊を歩く。

 カツンカツン。なぜか後ろについてくる周羽林左監。


「まだ何か御用でも?」


 私が尋ねると、いやあ、とジョウ羽林左監が言った。

「あんた、ツァイどのの従妹だって聞いたけど、顔つきはあんまり似てないな、って」

「まあ、血は繋がっておりませんので」

 別に気に触ることではないので、私は答える。

「私はツァイ氏の養母の姪なのです。伯母は、私を連れて崔家に嫁ぎました。私に両親はいなかったので、伯母が私の母です」

「そうか。そりゃ、大変だったな」

「はい。大変だったと思います」


 伯母さまには、心からの感謝と、尊敬しかない。

 思わず私は、伯母の話をしたくなった。


「伯母は姪の私に、息子のツァイ氏と同等の学問を授けてくれました。学問所にも通わせてくれたのです」

「……そりゃ、すごいな」

 ジョウ羽林左監が目を丸くする。

 母親的存在が、わざわざ娘のような存在に学問を施すのは、滅多にないだろう。

「じゃあ、陛下のあの知識も伯母上の教育の賜物か? 軍人でもないのに兵器についても詳しいし」

「いえ、あれは遊戯の規則を固めるために調べまくった結果ですね。伯母さまの助言も多くありましたが」

「ああ、あの『卓上話演ジョーシャンファーユェン』って遊戯か! へえ、すごいな」


 どうやら彼も美雨メイユーさんの遊戯をやったことがあるらしい。


「どうでしたか? 楽しかったですか?」

「ああ、楽しかったぜ! 前に、情報をかきあつめながら戦闘する遊戯をしたんだが」


 『密告』っていう職業技能があるだろ? と、ジョウ羽林左監が言う。特定の玩家に、他玩家の情報を公開する技能だ。


「それを使って、まさか全玩家プレイヤーに一人の情報を公開するとか、考えたこともなかったぜ」

「あ。それ、私が編み出した兵法です」

「マジか。えぐいな」

「情報の一般公開は攻撃の手段ですよ。武官として覚えておいてくださいね」


 あれやられたら、やましい権力者は一発でおしまいだな! とジョウ羽林左監は言った。

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